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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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13/17

フェーズ1:第12話 返却日、言い方の練習

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 返却日は、紙が歩く日だ。


 教室から廊下へ、廊下から階段へ。プリントの束がカバンの口から覗き、ファイルの角がやけに硬く見える。点数は数字なのに、数字の前に「紙」が立ってくる。紙は重い。重いから、口も重くなる。


 チャイムの余韻が消えるころ、掲示板の前がいつもより混んだ。人は立ち止まりたいのに、立ち止まり方が分からない顔をしている。笑い声はある。あるのに、どこか短い。テスト返却日の笑いは、息を細くして出すやつだ。


 応援ポストの横の板に、HELPが二枚並んでいた。どちらも字が小さく、でも端がそろっていて、丁寧な焦りが滲んでいる。


【HELP】

返却されたテストを見せるのが怖い。

怒られるのが嫌というより、変な言い訳をしたくない。

どう言えばいい?


 少し遅れて貼られた二枚目は、角がちょっとだけ斜めで、貼る手が急いでいた感じがする。


【HELP】

「何点だった?」って聞かれるのが苦手。

良くても悪くても気まずい。

言い方、どうしたらいい?


 紙の前で、誰かが小さく頷いていた。頷きは声より先に出る。点数の話は、話す前に心臓を一回余計に叩かせる。


 最初の返事は太い字だった。太い字は「まず息」を教えてくれる。


【返事】

言い訳をしない言い方は、先に“結論”を言う。


・点はこうだった(短く)

・間違えた所はここだった(1つ)

・次はここから直す(1つ)


この三つだけで十分。

追伸:謝るより、方針を置く。


 「方針を置く」が板の前の空気を少し柔らかくした。言い訳をすると自分が嫌になる人は、たいていちゃんとした人だ。ちゃんとした人は、ちゃんとしているから苦しい。だから、方針という置き石が効く。


 次の返事は筆圧が軽い。行間が少し広い。読む側の肩も一緒に下ろしてくれる。


【返事】

見せる前に“ひと言の型”を作る。


例:

「今回、ここが落ちた。次はここから直す。見て」

「点より、間違い方が分かった。ここだけ一緒に見たい」


言い訳が出そうになったら、いったん水を飲む。

追伸:水は、言葉の消しゴム。


 水は、言葉の消しゴム。妙に好きな比喩で、板の前で小さく笑う人がいた。テスト返却日の笑いは、こういう小ささがちょうどいい。


 価値観のちがう返事も並んだ。字が四角く、箇条書きがきっちりしている。几帳面な返事は、几帳面な日に効く。


【返事】

「何点だった?」が苦手なら、点数を答えない“返し方”を決める。


・「今日は点数の話、苦手日」って先に言う

・「ここ間違えた、が先。点はあと」って順番を宣言する

・「言いたくない」じゃなく「今は言いにくい」にする


追伸:順番を守ると、気まずさが減る。


 順番。守るのは点数じゃなくて、会話の順番。なるほど、と誰かが一回だけ頷いた。


 もう一枚、丸い字の返事が来た。丸い字は、場をほどく。


【返事】

質問を変えると、空気が変わる。


「何点?」の代わりに

「どこ難しかった?」

「今日、何がいちばん嫌だった?」

「終わったあと、何食べたい?」


点数は結果。会話は今。

追伸:会話は採点されない。


 採点されない、が効いた。返却日は、全員が勝手に会話まで採点してしまう日でもあるから。


 さらに、返事がもう一枚貼られた。字が小さく、でも一行目だけやけに大きい。


【返事】

点数を言う前に“温度”を言う。


・「今日は寒い(きつい)」

・「今日はぬるい(まあまあ)」

・「今日は熱い(手応えある)」


温度だけなら言える日がある。

追伸:数字は冷たいけど、温度は人の言葉。


 その下に、誰かが小さく「言い方カード」を足していた。返事というより、台詞の控え。書いた本人も、練習が必要だったのだと思う。


【言い方カード(切り札)】

・点が悪い時:『見せるの遅れてごめん。ここが弱かった。次ここからやる』

・点が良い時:『運もあった。落とした所ある?一緒に見よ』

・聞かれた時:『今、点数の話すると息が止まる日。先に“どこ嫌だった?”にして』

・自分に:『言い方も練習。今日は練習ができたら合格』


 台詞が並ぶだけで、板の前の空気が少し現実になる。現実になると、人は動ける。動けると、返却日はちょっとだけ短くなる。


 板の前の空気が少しずつ軽くなるころ、教室の中はまさに紙の季節だった。先生の手から、順番に答案が配られていく。呼ばれる名前。渡される紙。机に置かれる音。

 その音だけで、胸の奥が一段硬くなる。


 受け取った瞬間に裏返す人。即座に折ってカバンに突っ込む人。机の端に置いたまま、しばらく見ない人。人の「見方」がそれぞれ出るのが、返却日の面白いところだ。


 廊下に出ると、早速「何点だった?」が飛ぶ。冗談みたいに軽い声でも、受ける側の心臓は真面目だ。


 聞かれた人が、一瞬だけ固まった。口が開きそうで開かない。笑いで逃げそうになる。

 逃げかけたところで、板の「順番を宣言する」が頭をよぎった。


 「……点は、あと」

 言えた。けれど声が小さすぎて、自分でも聞き返したくなる。短い負けの予感がする。


 相手が首を傾げた。

 「え?」

 ここで終わると、ただ変な人だ。だから修正する。短い負けを短いまま回収する。


 「ごめん、順番。ここ、間違えた。ここだけ見て」

 答案の端を指で叩く。指先が少し震える。震えてても、指はちゃんと当たる。


 相手は答案を覗き込んで、すぐ笑った。

 「そこ、私も落とした」

 笑いが、ここでようやく大きくなった。点数じゃなく、間違い方で仲間になる。仲間になると、点数の影が薄くなる。


 ふたりは廊下の窓際に寄って、赤ペンの跡を指でなぞった。解けなかった理由を、言葉にしてみる。「ここ、問題文の“以上”見落とした」「ここ、単位つけ忘れた」みたいな、生活みたいな間違い。生活みたいな間違いは、直せる気がする。


 同じころ、購買の前でも小さな騒ぎが起きていた。パンの袋が揺れて、点数の紙が揺れる。揺れるものが多い日は、言葉も揺れる。


 「で、何点?」

 軽く投げられた質問に、空気が一回だけ固まった。質問した人が悪いわけじゃない。返却日は、誰もが“話題”を探しているだけだ。


 答えた人は、勢いで数字を言ってしまった。

 「九十……えっと、九十ちょい」


 言った瞬間に、自分の喉が乾く。周りの反応が一瞬遅れる。その遅れが怖い。怖いから、もう一回言い直したくなる。


 隣の人が笑って、「すご」と言った。別の人は「まじか」と言って、笑えない顔をした。

 その笑えない顔に、答えた本人が一番焦った。


 焦って、言い訳みたいに言い足しそうになる。『たまたま』『運が』。そこで、板の言い方カードが頭を叩く。


 「……運もあった。落とした所ある? そこ、一緒に見よ」


 言えた。数字を自分の胸に戻して、会話を相手へ渡す。渡した瞬間、笑えない顔が少しだけほどけた。

 「落とした所? ある。めちゃある」

 その返事で、周りの空気がやっと笑いに戻る。笑いに戻ると、パンがただのパンになる。点数もただの紙に戻る。


 答えた本人は、あとでこっそり水を飲んだ。言葉の消しゴム。さっきの“勢いの数字”を、喉の奥で消しておく。消しても点数は消えないけれど、気まずさは少し薄くなる。


 その横を通り過ぎる別の人が、ポケットの水筒を持ち上げて一口飲んだ。たぶん、言葉の消しゴム。

 飲む音だけで、なぜかこちらまで落ち着く。音って、伝染する。


 家に帰る時間が近づくと、返却日は第二章に入る。紙はまだ重い。重いのに、持って帰らないといけない。持って帰るだけで、ちょっと偉い。


 玄関の前で、ファイルを持った手が止まる人がいる。止まるのに、戻らない。

 戻らないから、進むしかない。


 鏡の前で、言い方の練習をする。

 「今回、ちょっと……」

 言い訳が出そうになる。舌が、勝手に逃げ道を探す。そこで一回、水を飲む。言葉の消しゴム。

 もう一回。


 「今回、ここが落ちた。次はここから直す。見て」

 言えた。鏡は採点しない。採点しないから、練習に向いている。


 ドアが開く音がした。

 心臓が一回だけ跳ねた。返却日の心臓は忙しい。

 でも、方針を置く。置くと、手が動く。


 紙を机に置く。置いた音は、さっき教室で聞いた音より少しだけ軽かった。場所が違うだけで、音の重さが変わる。

 「……これ。今回、ここが落ちた。次はここから直す」

 言い切った瞬間、肩が落ちた。落ちたのは負けじゃない。息が戻っただけ。


 返ってきたのは、点数の説教じゃなくて、短い質問だった。

 「次、どこから?」


 その言葉で、胸の奥の硬さがもう一段だけ溶けた。怒られるかどうかより、言い方が届いたかどうかが大事だったのだと気づく。


 「ここ。ここだけ」

 答案の端を指で叩く。教室でやったのと同じ動作。息の置き場は、動作になる。


 「じゃ、ここに丸」

 ペンの先が、赤じゃなく黒で丸を作った。赤は怖い日がある。黒の丸は、ただの目印だ。目印は、攻撃じゃない。


 冷蔵庫の横に貼ってある買い物メモの隣に、その丸の紙がそっと置かれた。家の紙に混ざると、答案は急に“生活”になる。

 生活になると、言い訳も少し薄くなる。


 その日の夜、机に向かう前に水を飲んだ。言葉の消しゴムじゃなく、次の言葉の芯。水は、だいたい万能だ。


 返事がどうだったかは、ここでは分からない。分からなくていい。大事なのは、言い訳じゃなく方針で出せたこと。

 返却日の勝ちは、だいたい静かだ。


 翌日、板にTHANKSが貼られていた。紙の角が少しだけずれている。貼った手が急いでいたのかもしれない。急いだのに貼りに来た。それは、ちゃんと勝ちだ。


【THANKS】

見せる前に「方針」を言ったら、言い訳が出なかった。

怒られたかどうかより、自分が嫌にならなかったのが良かった。

水を飲むの、ほんとに効いた。


 その横に、丸い字のTHANKSが重なる。少し大きめで、照れが混じる。


【THANKS】

「点はあと」って言ったら、最初ちょっと変だった。

でも「ここ間違えた」が先って言ったら、普通に見てもらえた。

点数じゃなくて、間違いで話せたのが助かった。


 四角い字のTHANKSも来た。短く、現場の匂いがする。


【THANKS】

「今日は点数の話、苦手日」って言った。

言ったら、相手が「じゃ、どこ嫌だった?」にしてくれた。

質問が変わると、空気が変わる。


【THANKS】

勢いで数字を言ってしまって、空気が凍った。

でも「運もあった。落とした所ある?」って言い直したら、ちゃんと笑えた。

自慢じゃなく“次の話”にできたのが、いちばん助かった。


【THANKS】

点数を聞かれた時、温度で返した。

「今日は寒い」って言ったら、相手が笑ってくれた。

数字より先に、人の言葉が出せた。


 小さい字のTHANKSが最後に一枚。端に寄っているのに、逃げていない。


【THANKS】

鏡の前で練習した。

鏡は採点しないって言葉が、地味に強かった。

練習したら、言い方が少しだけ優しくなった。


 板の前で、そのTHANKSを二回読む人がいた。二回読むのは、信じたいからだ。信じたいものがあるなら、返却日はただ怖い日じゃなくなる。


 その横で、誰かが小さく口を動かしていた。声は出さない。唇だけで、台詞をなぞる。

 「ここが落ちた。次はここから……」

 途中で噛んで、本人が自分で笑った。


 笑ったのに、逃げなかった。笑いながら、もう一回だけ言う。練習は、だいたいこういう顔で進む。口の中で言えたら、本番で半分は言える。半分言えたら、もう立派。


 最後に、白い返事が一枚増えた。字が細く、でも最後の一行だけ太い。


【返事】

返却日は、点数より“言い方”が残る日。


うまく言えなくてもいい。

「うまく言えない」って言えたら、それはもう練習。


追伸:

言い方も、点数と同じで上がる。

ただし、上がるのはゆっくり。だから焦らなくていい。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新


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