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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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12/17

フェーズ1:第11.5話 桃色の紙、息の置き場

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 桃色は、目の端で先に気づく。


 掲示板の角に、いつもとちがう色が一枚だけいる。見れば読むのに、見た瞬間に胸の奥が急ぐ。何かの「当日」が、勝手にこっちへ寄ってくる感じがするからだ。


 期末の終盤は、だいたい毎日が当日だ。返却日も、提出も、締切も。そこへ季節の当日が混ざると、空気がふくらむ。ふくらんだ空気は軽いのに、吸うと重い。そういう日がある。


 朝の教室は、紙の音が多い。

 プリントの束が机を渡っていく音、消しゴムが一度だけ転がる音、シャーペンの芯が折れて「うわ」と小さく漏れる音。音が多いのに、声は少ない。声が少ないほど、空気のほうが勝手に喋る。


 窓際の席で、誰かが息を吐いた。吐いた息が白くならない季節でも、吐いた瞬間は見える気がする。胸の奥が急ぐ日ほど、息は目に見えない場所で暴れる。


 廊下に出ると、掲示板のほうから人が集まる気配がする。集まる気配だけで肩が上がる。上がった肩を下げたいのに、「下げなきゃ」が増えてさらに上がる。

 そういう日がある。


 廊下の端を歩く人たちは、いつもより静かだ。静かだから、音が目立つ。プリントの端を指で揃える音。上履きが床をこする音。飴の袋が一回だけ鳴る音。

 鳴るたびに、誰かの息が一拍遅れる。


 板の前には、今日も人が途切れない。騒がしくない。けれど立ち止まる足が多い。誰かが立つと、誰かが半歩ずれる。板の前の「息ができる幅」が、自然に守られている。守られているのに、今日はその幅が少しだけ狭い気がした。人が多いんじゃない。空気が膨らんでいるからだ。


 その幅の端に、HELPが二枚増えていた。貼り方は丁寧だ。角が揃っている。揃っているのに、字が少しだけ急いでいる。


【HELP】

今日はなんか、空気に飲まれる。

周りが平気そうなのが、余計に焦る。

息が浅い。


【HELP】

深呼吸しようとすると、逆に苦しくなる。

「落ち着け」が近すぎて、余計に落ち着けない。

どうやって息を置く?


 HELPの二枚は、同じ人の字じゃない。なのに、同じ場所が痛い感じがする。「息が浅い」と「深呼吸が苦しい」。どっちも、息の話なのに別の悩みだ。別の悩みが並ぶと、「自分だけ」じゃなくなる。自分だけじゃない、は少しだけ助けになる。


 ただ、助けになる前に、今日は桃色が視界を横切る。横切るだけで、勝手に当日になる。そんなに力を入れてないのに、色は強い。強い色は、心のほうの準備が遅れる。遅れた準備が焦りに変わる。


 焦りの手前で、板の前の幅が守られているのが救いだ。守られている幅に立てるだけで、息は少しだけ入りやすい。


廊下の掲示板の端に、桃色の紙が一枚だけ貼ってあった。

「ひなまつり」って、書いてある。

飾りはそれだけで、あとはいつも通り、HELPと返事の紙が並んでいる。


季節のほうが先に来て、こっちの準備はだいたい遅れる。

だから今日は、祝うより先に、息の置き場を決める。


深呼吸を三回。

それだけで、雰囲気に飲まれない。


 返事が増え始める前の板は、少しだけ静かだ。静かなまま、誰かがペンを探す。キャップを開ける。紙の角をそろえる。そういう小さな音が、息の代わりになる。


 最初の返事は太い字だった。短い。短いのに、手順が入っている。


【返事】

息が浅い日は、深呼吸じゃなく“深い吐き”から。


①長く吐く(ため息でOK)

②鼻で吸う

③もう一回だけ吐く

追伸:吐けたら、半分勝ち。


 「深い吐きから」の手順を読んだあと、板の前の誰かが、わざと長めに息を吐いた。ため息に見えるくらい長い吐き。長い吐きは、見てる側の肩もほどく。ほどいた肩が、次の息を許す。


 でも、長く吐くのは意外と難しい。難しいから、すぐ“上手くやろう”が混ざる。上手くやろうが混ざると、今度は吐ききれない。吐ききれないまま吸うと、胸が詰まる。


 板の前で一回、喉が鳴った。コホンじゃない。飲み込む音。飲み込む音は、空気の重さのサインだ。


 次の返事は筆圧が軽い。行間が広い。読む側の背中も少しだけ広がる。


【返事】

深呼吸が苦しい人は、数えない。


・肩を一回下げる

・足の裏を一回感じる

・それで終わり

追伸:呼吸は“やること”じゃなく“戻ること”。


 価値観のちがう返事も来た。字が四角く、箇条書きがきっちりしている。焦りが強い人に、柵を作るやつだ。


【返事】

「飲まれる」を止めたいなら、先に“幅”を作る。


・板の前で半歩ずれる

・片足を引く(通路を作る)

・その姿勢のまま一息

追伸:場所が落ち着くと、息も落ち着く。


 もう一枚、丸い字の返事。少し斜めで、急いで貼った感じがある。


【返事】

当日感が強すぎる日は、“当日っぽい物”を一個だけ許す。


桃色の付箋を一枚だけ持つ。

それ以上は盛らない。

追伸:一個で十分、って決めると戻れる。


 さらに細い字の返事が重なった。短いけど、現場向きだ。


【返事】

深呼吸が苦しいのは、「落ち着かなきゃ」が混ざるから。


落ち着かなくていい。

“息を置く”だけでいい。

追伸:置けたら、動ける。


 最後に、短い返事がもう一枚だけ。字が小さいのに、最後の一行が妙に強い。


【返事】

呼吸の置き場が無い日は、先に“手”を置く。


紙の角をそろえる。

机を一回だけ拭く。

それで息が勝手に来る。

追伸:手が先、が楽な日もある。


 そして、もう一枚だけ。字が少し大きくて、妙にやさしい。


【返事】

飲まれる日は、飲まれる時間を決める。


桃色を見るのは十秒だけ。

十秒終わったら、次の紙を見る。

追伸:区切ると戻れる。


 その返事を読んだ人が、指でそっと十を数えた。視線は桃色に置く。数える指先は、少しだけ震えている。

 一、二、三。四で笑いそうになる。五で肩が落ちる。六で息が入る。七で「もういいかも」が来る。八で十分になる。九で戻れる。十で、視線が次の紙へ移る。

 十秒だけ飲まれて、十秒で戻る。短い勝ちの作り方が、今日の空気に合っていた。


 板の前で、それを読んだ誰かが、実際に紙の端をそろえた。端がそろうと、視線もそろう。そろうと、胸の奥の急ぎが一段だけ落ちる。


 でも現場は、いつも通り少しだけ意地悪だ。


 ため息を吐いた瞬間、後ろから「大丈夫?」と声が来た。善意の声だ。善意の声ほど、心臓を跳ねさせることがある。跳ねると、吸い込みが乱れる。乱れた吸い込みは、喉で止まる。


 短い負け。たった一息で、また浅くなる。

 浅くなったまま「うん」と返そうとして、声が思ったより細く出た。細い声は、余計に自分を焦らせる。


 そこで、返事の「数えない」を思い出す。数えようとすると、うまくやろうが混ざる。うまくやろうを抜く。肩を一回下げる。足の裏を一回感じる。終わり。


 終わりにすると、体が勝手に次の息をしてくれる。勝手に戻る息は、きれいじゃない。きれいじゃないけど、ちゃんと入る。入るなら勝ちだ。


 「大丈夫?」の声の主は、返事を待っていない顔をしていた。待っていない、が助かる。優しさは、時々待たない形で来る。


 もう一回だけ、短く返す。

 「……いま、戻ってる」

 言った瞬間、自分でも可笑しくなって笑いそうになる。笑いそうになって、鼻の奥がつんとする。つんとしたら、さらに息が浅くなる。

 ここで笑うと負けが長くなる。


 だから、手順に切り替える。手を置く。

 板の横にある古いマグネットを、指で一回だけ押す。押した感触が指先に残る。残った感触が、息より先に「ここ」を作る。

 ついでに、紙の角をそろえる。そろえたら、呼吸が勝手に追いついてきた。


 そこで、もう一回だけ短い負けが起きる。


 長く吐こうとして、息が途中で切れた。切れた瞬間、吸い込みが口に寄った。口で吸うと、喉に当たる。喉に当たると、軽くむせる。むせると、「変な音」が鳴る。変な音が鳴ると、視線が集まりそうで心が跳ねる。


 跳ねた心を落とすために、鼻で吸う。返事に書いてあった通りに、鼻で吸う。鼻で吸うと、音が小さい。小さい音は、視線を呼ばない。呼ばないなら、また吐ける。


 吐けたら半分勝ち。半分のままでも、次へ行ける。半分を許すと、手順が続く。


 その人は板の前で半歩ずれた。通路を作るためじゃない。自分の幅を守るためだ。片足を引くと、背中が少しだけ壁から離れる。離れると、視界が広がる。広がると、焦りが薄く見える。


 視界が広がった瞬間、桃色がまた目に入る。目に入ると、当日感が戻ってきそうになる。

 戻ってきたら、今度は「一個だけ許す」をやる。


 桃色の付箋を一枚、返事用紙の上に置く。貼らない。置くだけ。置くだけなら、決定じゃない。仮置きだ。

 仮置きがあると、当日が勝手に膨らまない。膨らませないのも、手順。


 その小さな手順を見て、隣の誰かがぽつりと言った。

 「……かわいい」

 言われた本人は、慌てて付箋を裏返した。裏返すと桃色が消える。消えた桃色に、二人で同時に吹き出した。


 「消した」

 「消すな」

 「盛らないって書いてあったから」

 「裏返す方向で盛らないの、初めて見た」

 笑える分だけ勝ちにする、がここでも成立した。板の前の空気が一段だけゆるむ。ゆるんだ瞬間、別の誰かのペンが動き始める。返事を書く手が動くのは、いつもこういう瞬間だ。


 夕方、THANKSが貼られた。角が揃っている。揃っているのに、字が少し丸い。丸いのは、息が戻った証拠だ。


【THANKS】

桃色の紙を見た瞬間、急いだのが自分だけじゃないって思えた。

「祝うより先に、息の置き場」を真似して、三回だけ吐いた。

深呼吸じゃなくて“吐く”から、が効いた。

吐けたら半分勝ち、って言い方が助かった。

肩を下げて終わり、で終われたら、勝手に次の息が入った。


【THANKS】

ため息=悪い、って思ってたけど、今日はため息でいい日にした。

「戻ってる」を借りたら、喉がほどけた。

板の前の幅が守られてるのを意識したら、息が入りやすかった。

明日も、まず吐く。


【THANKS】

「落ち着け」が近すぎて苦しかった。

落ち着かなくていい、息を置くだけでいい、で戻れた。

板の前で半歩ずれたら、圧が減った。

場所が落ち着くと息も落ち着く、がほんとだった。

家に帰っても、足の裏を一回感じたら少し戻れた。


【THANKS】

善意の「大丈夫?」で一回詰まって負けた。

でも数えない手順にしたら戻れた。

マグネットを押して、紙の角をそろえたら息が勝手に来た。

“手が先”は、自分に合ってた。


【THANKS】

飲まれる時間を十秒に区切ったら、逆に落ち着いた。

桃色を見てもいい、でも長居しない、ができた。

十秒数えたら次の紙に移れて、息が戻った。

区切る、って手順だった。


【THANKS】

当日感が苦手で、今日はずっと飲まれそうだった。

桃色は一個だけ、って決めたら盛らずに済んだ。

付箋を裏返して消したのは笑ったけど、笑ったら戻れた。

盛らないって決めるの、手順だった。

追伸:桃の節句。雛あられ一粒ぶん、深呼吸したら勝ち。


 桃色の紙は、板の端でずっと静かにいる。盛り上げない。説明しない。だからこそ、当日だけはちゃんと立つ。

 立った当日を、手順で受け止める。受け止められたら、明日へ渡せる。


 板の前で半歩ずれている人たちは、今日も「戻り方」を共有しているだけだ。

 共有しているだけなのに、なんだか少しだけ優しい。


 誰かが桃色の紙の端を、指でトントン、と一回だけ鳴らした。

 鳴った音は小さくて、春の当日の合図みたいだった。合図が小さいほど、息は大げさにならずに済む。

 今日の板は、当日と終盤が同居している。だからこそ、手順がよく効く。

 誰も説明しないのに、みんな少しだけ笑って戻る。

 それで十分、って書いてあった。今日はそれでいく。明日も同じじゃないけど。


 板の前でわざと小さくため息をつく人がいる。

 「いま、戻ってる」

 隣の誰かが、同じ言葉を借りて笑う。

 「戻ってるなら、OK」


 今日だけは、それでいい。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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