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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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11/17

フェーズ1:第11話 終盤、息の置き場

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 終盤の学校は、音が小さい。小さいのに、うるさい。


 廊下の足音はいつもより控えめで、話し声も角が取れている。代わりに、紙が擦れる音がよく聞こえる。プリントをめくる音、ノートの角が机に当たる音、消しゴムのカスを払う音。全部が「まだある」を知らせてくる。


 テストは残り二日。言葉にすると短い。短いのに、胸の奥が急ぐ。急ぐから息が浅くなる。浅くなるから、余計に急ぐ。

 終盤は、そういう輪っかができやすい。


 掲示板の角にある「応援ポスト」の前だけ、人の流れが少し曲がる。曲がって、止まって、深呼吸をする人がいる。深呼吸のつもりなのに、吸った分だけ咳が出て、慌てて口を押さえる人もいる。

 咳は悪者じゃない。息がいるって、身体が言ってるだけだ。


 今日のHELPは二枚。どちらも字が小さい。小さい字は、息を詰めて書かれがちだ。


【HELP】

終盤になると、息の置き場がない。

勉強してても休んでても、息が落ち着かない。


【HELP】

深呼吸しようとすると、逆に焦る。

呼吸まで下手になった気がする。


 紙の前で、誰かが「分かる」を小さく噛んだ。声には出さない。出さないのに、周りの肩が同じ角度で落ちる。

 息の置き場。呼吸の置き場。

 置き場所がないと、息はずっと手の中で暴れる。


 返事は、まず太い字が来た。太い字は、息を先に出してから書いている気がする。余裕が見えるというより、順番がある。


【返事】

息の置き場は「場所」じゃなくて「動作」にする。


・水を一口

・肩を一回回す

・目を一回閉じる

ここまでで、呼吸は勝手に戻る。


 勝手に戻る、がいい。努力で戻そうとすると、努力が増える。終盤の努力は、だいたい過密だ。


 次の返事は、筆圧が軽い。行間が少し広い。広い行間は、読む側にも隙間をくれる。


【返事】

深呼吸が苦手なら「浅呼吸」でいい。

吸うより、吐くを先に。


「ふー」だけ三回。

吸うのは勝手に入る。

追伸:息は、置かなくても落ちる。


 追伸の一行で、板の前に小さな笑いが混じった。置かなくても落ちる。たしかに。

 息を大事にしようとするほど、息が逃げる日がある。逃げるから追いかける。追いかけるから逃げる。そういう輪っかを、言葉だけでほどいてくれる。


 価値観のちがう返事も並んだ。字が四角く、箇条書きがきっちりしている。几帳面さが、呼吸の手順に向いている日もある。


【返事】

「息の置き場がない」日は、置き場を作らない。

予定に入れる。


・12:20 階段の踊り場で30秒

・15:40 廊下の窓の前で30秒

30秒は、サボりじゃなくて補給。


 予定に入れる。呼吸を予定に入れるのは、ちょっと可笑しい。でも終盤は、可笑しさが救いになる。

 サボりじゃなくて補給。これも効く。


 もう一枚、返事。字が丸く大きい。角が少しだけ斜めで、急いで貼った感じ。


【返事】

「呼吸が下手」じゃない。

“呼吸にまで点数をつけてる”だけ。


今日は、息に点数をつけない。

つけそうになったら、のど飴一個。


 のど飴が出てくると、現場が急に生活になる。生活になると、息が戻る。呼吸って、だいたい生活のものだ。


 さらに、返事がもう一枚。白い紙なのに、なぜか妙に目立つ。字が細くて、行が短い。短いのに、刺さる。


【返事】

息の置き場を「手」にする。


親指と人差し指で、小さい輪を作る。

輪の中に、息を一個だけ入れるつもりで吐く。

追伸:輪は誰にもバレない。


 輪は誰にもバレない。そう書かれると、こっそり助かれる気がする。終盤は「助かり方」まで周りの目が気になる日がある。

 だから、バレない手順は強い。


 板の前で、誰かが小さく輪を作ってみた。作った瞬間、隣の人と目が合って、二人とも慌てて手を下ろした。

 慌てたのに、笑いが出た。笑いが出たら、息が入る。ずるい。


 そのすぐ下に、別方向の返事が貼られた。字が太く、短い。


【返事】

息が落ち着かないなら、先に「終わり」を決める。

終わりが決まると、息は帰れる。


・今日やるのは「範囲の見出しだけ」

・解けない所は丸だけ

・丸を書いたら終了

追伸:終盤は、丸を増やすより、丸を正直にする。


 丸を正直にする。

 それはちょっと痛い。でも痛い正直は、息の置き場になる。嘘の努力をやめると、呼吸が戻る。


 板の前で、誰かがポケットを探る仕草をした。のど飴が入っていなくて、少しだけ肩を落として、代わりに水筒を振った。カラン、と音がして、周りが小さく笑った。

 水も点数にしない。音だけ出して、よし。


 その日の「短い負け」は、まさに深呼吸から来た。


 昼休みの終わり、廊下が一斉に教室へ流れ出すタイミングで、掲示板の前に一人が残った。

 残ったというより、動けなくなった。息が浅い。胸の奥が急ぐ。急ぐのに足が止まる。


 深呼吸をしよう、と決める。決めた瞬間に焦る。

 吸う。吸いすぎる。

 息が胸の上の方で詰まって、肩が上がって、逆に苦しくなる。

 苦しいから、もう一回吸う。

 輪っかができる。終盤の輪っか。


 そこで、その人は一回、視線を落とした。掲示板の下、ポストの横の小さなスペース。そこに貼られた返事の「吐くを先に」が見える。

 吸うより、吐く。


 「ふー」だけ。


 吐いたら、肩がほんの少し下がった。

 もう一回、「ふー」。

 もう一回、「ふー」。


 吸うのは勝手に入った。ほんとうに勝手に。

 勝手に入ると分かった瞬間、焦りが一段だけ減った。段が減ると、足が一歩出る。足が出ると、流れに戻れる。


 その人は、教室へ向かって歩き出した。歩きながら、肩を一回回した。目も一回閉じた。水は飲めなかったけど、動作はできた。

 息の置き場は、動作。

 場所がなくても、動作は持ち運べる。


 午後の最後の科目が終わると、終盤の疲れが机の脚から立ち上がってくる。椅子を引く音が鈍い。筆箱を閉める音も鈍い。

 それでも人は帰らない。帰らないというより、帰れない。帰るための息が足りない。


 教室の後ろで、誰かが小さく輪を作った。親指と人差し指。机の下。誰にもバレない高さ。

 輪の中に息を一個だけ入れるつもりで吐いて、肩が落ちる。

 その人は、落ちた肩を見て、自分でびっくりした顔をした。びっくりした顔が面白くて、隣の人が笑った。

 終盤の教室に、ちょっとだけ空気が通った。


 放課後。終盤の放課後は、ちょっとした祭りだ。

 「今日はここまで」が増える。

 増えるのに、誰も勝った顔をしない。勝った顔をしないまま、疲れた顔で笑う。疲れた笑いは、意外と強い。


 応援ポストの前では、予定派の返事がじわじわ効いていた。

 階段の踊り場。廊下の窓。三十秒。

 その三十秒を本当にやる人がいるから、言葉が現場になる。


 踊り場で立ち止まると、下から上がってくる足音が少しだけ遅い。みんなも、止まっていい場所を探している。

 窓の前に立つと、外の光が白くて、目が一回だけ休める。

 三十秒は短い。短いから、守れる。守れるから、次も置ける。


 ただし、予定は予定で、短い負けを連れてくることがある。


 12:20。階段の踊り場。三十秒。

 そのつもりで上がったのに、踊り場に同じような人が二人いた。誰も悪くない。悪くないのに、止まりづらい。止まると「何してる?」の空気になる。終盤は、その空気が一番息を奪う。


 そこで、その人は一回、踊り場を通り過ぎた。

 通り過ぎて、次の角で靴紐を結び直すふりをした。


 靴紐を結ぶふり。

 それは、立ち止まる理由になる。息を吐く理由にもなる。

 手順が「ふり」でも、呼吸は本物だ。


 靴紐を結び直す間に、「ふー」を三回やった。輪も作った。肩も回した。目も閉じた。

 誰にもバレない。返事の追記が本当だった。


 結び終わったふりをして立ち上がると、胸の奥の急ぎが一段減っていた。

 予定は守れなかった。でも、補給はできた。

 終盤は、それで十分な日がある。


 もう一つ、終盤の「終わりを決める」も、現場で効いた。


 放課後の教室。机の上に、プリントが三枚重なっている。重なっているだけで息が詰まる。

 その人は、返事の「範囲の見出しだけ」を思い出して、ノートを開いた。見出しだけ。丸だけ。丸を書いたら終了。


 ……のはずだったのに、ペンが勝手に走る。

 見出しの下に、説明を書きたくなる。説明の下に、例題も書きたくなる。例題の下に、解き方も書きたくなる。

 終盤は、勝手に「全部やらなきゃ」に戻ってしまう。


 そこで一回、手が止まった。止まった理由は、息が苦しいからじゃない。

 ノートの端に貼ってあった小さい付箋が目に入ったからだ。


 付箋には、太い字で二文字。

 「息」


 誰かがふざけて貼ったのか、本人が自分のために貼ったのかは分からない。分からないのに、効く。

 息、と書いてあるだけで、息が戻る。文字ってずるい。


 その人は、ノートの余白に丸を一つ書いた。丸の中に「ここまで」と書いて、ペンをしまった。

 丸を書いたら終了。ほんとうに終了にした。


 隣の席から、短い声が飛んだ。

 「……それ、終わったの?」

 「終わった」

 「早くない?」

 「早いから、終わった」


 言い切った自分に、本人が一番笑いそうになっていた。早いから終わった。終盤の理屈は、だいたい可笑しい。可笑しいから、続く。


 翌日、THANKSが貼られていた。紙の角が揃っている。揃っているだけで、「できた」が見える。


【THANKS】

終盤の息の置き場、って言葉が合ってた。

「ふーだけ三回」をやったら、焦りが一段減った。

減った分だけ、問題文が読めた。

呼吸に点数をつけるの、やめられた。


 その横に、字の丸いTHANKSが重なる。端が少しだけ斜めで、貼った人が急いでいたのが分かる。急いでいたのに貼りに来た。そこが勝ちだ。


【THANKS】

深呼吸が怖かったけど、浅呼吸ならできた。

「吐く」を先にしたら、勝手に吸えた。

勝手に、って言葉に救われた。

帰り道で胸を張ったら、ちょっとだけ電柱が近かった(回避)。


 電柱回避で、板の前に笑いが戻る。終盤の笑いは、息の置き場になる。


 もう一枚、四角い字のTHANKS。


【THANKS】

呼吸を予定に入れた。

30秒だけ止まったら、逆に進めた。

踊り場が混んでたから、靴紐を結ぶふりで補給した。

サボりじゃなくて補給、って言い方が便利だった。


【THANKS】

見出しだけ、のはずが長く書きそうになった。

でも「丸を書いたら終了」を思い出して、丸で区切れた。

早いのに終わったら、ちゃんと息が入った。


 最後に、小さい字のTHANKSが一枚。紙の端に寄っていて、でも逃げていない。


【THANKS】

息の輪、作った。

バレないのが良かった。

輪の中に息を入れたら、手も落ち着いた。

終盤の夜、机の前で輪を作っても誰にもバレなかった(当然)。


 当然、に笑う。終盤の当然は、だいたい救いだ。


 最後に、白い返事が一枚増えた。字が小さい。小さいけど、最後の一行だけ太い。


【返事】

終盤は、息が迷子になりやすい。

迷子なら、名札をつける。


「いま、息」って心の中で言う。

それだけで、戻ってくることがある。


追伸:

息の置き場がない日は、息に「帰宅先」を書いてあげる。

帰宅先は、あなたの胸の奥でいい。


 名札をつける。帰宅先を書く。

 言葉が少し可笑しくて、だから優しい。


 掲示板の前から散る人たちの背中が、ほんの少しだけ軽い。

 終盤は終盤のまま。赤い丸も消えない。

 でも、息が戻る場所が「場所」じゃなくて「手順」になったなら、どこでも一回は戻れる。


 それだけで、明日が来る。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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