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追伸は必ず。  作者: 科上悠羽


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10/17

フェーズ1:第10話 五分だけ勝つ

中学の教室、高校の廊下、大学の掲示板のそば。

どこにでも現れる「応援ポスト」には、毎週ちがうHELPが届く。

返事を書くのは、同級生かもしれない。先輩かもしれない。先生かもしれない。

共通しているのはひとつだけ。

“追伸だけは必ず。”


---


 五分は、弱そうに見える。弱そうに見えるから、たぶん強い。


 テスト前の廊下は、歩いているだけで「やらなきゃ」が付いてくる。上履きのゴム底にくっつくみたいに、どこまでも。掲示板の角を曲がるたび、赤い丸が見えないところからでも肩を叩く。


 「範囲ここまでね」と先生が言うたび、誰かの顔が薄くなる。薄くなった顔は、すぐ戻らない。戻らないまま昼休みになる。昼休みは本来、休む時間なのに、休み方まで試験範囲に入ってくる。


 それでも、廊下は賑やかだ。笑い声がある。購買の袋が揺れる。部活のユニフォームが擦れる。

 重い季節の中にも、普通がちゃんと残っている。残っているから、なんとかなる気がする。なんとかなる気がするだけで、息が入る。


 応援ポストの前は、今日も人の流れが少しだけ遅い。速く歩く人もここでは減速して、ゆっくり息を置いていく。置いた分だけ軽くなるわけじゃないけど、軽くなるための隙間ができる。


 板の右下に、HELPの紙が二枚。どちらも短くて、短いのに刺さる。


【HELP】

五分しかできない。

それでも意味ある?


【HELP】

五分だけって決めても、

五分で終われない。


 「終われない」は、怠けの話じゃない。終われないまま延びて、延びた分だけ疲れて、次の日に余計やりたくなくなる。そういうループの匂いがする。紙の前で立ち止まった人たちが、同じところで小さく頷いた。


 返事は、最初に貼られた一枚がやけに潔かった。字が太く、余白が少ない。言い切るための余白。


【返事】

意味ある。

五分は「勝った」って言っていい。


・タイマーを鳴らす

・机に触る

・一問だけやる

これで終了。


追伸:終われない人は、終わらせ方を先に書く。


 追伸の一行が、妙に効いた。やる前に終わらせ方を書く。逆向きの手順。逆向きは、行き止まりに強い。


 次の返事は、筆圧が軽い。軽いのに、しっかり止まる。


【返事】

五分が短いなら、短いままで使う。


①五分で「できたこと」をメモする

②そのメモを見て、次の五分を決める

※勉強しなくても、メモだけで勝ち。


 メモだけで勝ち。そう書かれると、廊下の空気が一瞬だけ冗談っぽくなる。勝ちの定義が冗談になると、負けの顔が薄くなる。


 もう一枚、返事。字が丸い。丸い字は、たぶん声も丸い。


【返事】

「五分しかできない」は、五分できるってこと。

できることがある日は、もう勝ち。


追伸:五分やったら、のど飴一個食べていい。


 のど飴、の具体さに、板の前で誰かが笑った。甘いものは、テスト前の背中を押す。押しすぎると眠くなるけど、押されないよりはいい。


 価値観がちがう返事も来た。字が四角く、段落がきちんとしている。几帳面さが、ちょっと怖い。


【返事】

五分「しか」できない、にしない。

五分「は」必ずやる、にする。


・五分を一日三回に分けてもいい

・合計十五分になれば勝ち

・できなかった回は、次で取り戻さない(倍にしない)


 倍にしない、がよかった。テスト前は「取り戻す」がすぐ暴走する。暴走した分だけ、最後に全部止まる。


 さらに、字が小さい返事が重なる。行が短い。短いのに、現場の匂いがする。


【返事】

終われない人へ。

終わりは「手」じゃなくて「動作」で決める。


・タイマーが鳴ったら、ペンをしまう

・ノートを閉じる

・立つ

立ったら終わり。


 立ったら終わり。

 それは、ちょっと乱暴で、だから効きそうだった。


 板の前で、誰かが小さく笑った。笑った理由はたぶん「立ったら終わり」のシンプルさと、テスト前の自分の複雑さが合っていなかったからだ。合っていないのに、そこに救いがある。


 その日の放課後、五分の実験が始まったのは、意外と応援ポストの前ではなかった。教室でも図書室でもなく、昇降口の横のベンチだ。靴箱の前は落ち着かないのに、落ち着かない場所ほど短い勝ちが似合う。


 ベンチに腰を下ろして、カバンを膝に乗せる。膝に乗せるだけで、机より近い。机が遠い日は、膝が近い。


 タイマーが鳴ったのは、三十秒後だった。鳴るのが早すぎて、周りが一斉にそちらを見る。本人もびくっとして止まった。


 五分のはずが、三十秒。間違えた。そういう短い負けは、すぐ赤くなる。


 けれど本人は、そこで立ち上がらなかった。ポケットからスマホを出して、秒を五分に直して、画面を伏せた。伏せたときの手の動きが、少しだけ堂々としていた。


 やり直し。短い負けを短いままにして、すぐ修正。これがいちばん強い。


 タイマーが鳴るまで、周りの世界は普通に流れる。部活の声、廊下を走る足音、先生の呼ぶ声。五分の中に、学校全部が入ってくる。入ってくるから、五分は孤独じゃない。


 五分後、ピピ、と小さく鳴った。今度は小さく鳴る設定にしたらしい。本人が肩をすくめて、ちょっとだけ得意げな顔をした。見ていた誰かが、親指をほんの少し上げた。大声の応援じゃなくて、廊下サイズの応援。


 その人がやったのは、一問だけだった。数学の問題を一つ。途中で間違えて、消しゴムで消して、もう一回書いて、正解の形になった。たったそれだけ。

 それだけなのに、顔が「やった顔」だった。


 同じころ、図書室でも「五分」は増殖していた。

 図書室は静かすぎて、テスト前だと逆に怖い。ページをめくる音が大きく聞こえて、自分の呼吸が邪魔に感じる。それでも人は集まる。静けさに勝ちたくて。


 机の端に、タイマーが置かれていた。置かれているだけで、妙に目立つ。赤い表示の数字が、まるで掲示板の赤丸の親戚みたいに見える。

 五分。

 ピッ。

 静かな部屋に、開始音だけが小さく響く。


 最初の五分は、うまくいった。過去問を一つ解いて、解けないところに印をつけて、そこで終わり。終わりにした瞬間、肩が落ちる。落ちるのは負けじゃなくて、力が抜けた証拠。


 問題は二回目だった。

 二回目の五分で、解けないところの「理由」を探し始めてしまう。理由を探し始めると、教科書を開き、ノートをめくり、付箋を貼り、気づいたら机の上が“勉強してる感”で満たされる。満たされるほど、肝心の答えは遠くなる。


 タイマーが鳴った。

 鳴ったのに、手が止まらない。止めたら、今の“探してた時間”が無駄になる気がする。無駄になるのが怖くて、無駄を増やす。テスト前あるあるの、ちょっと切ないやつだ。


 そこで、誰かがそっと紙切れを差し込んだ。机の端に、滑らせるみたいに。

 紙には一行だけ。


 「立ったら終わり」


 笑っていいのか分からないのに、口元が勝手に上がる。さっき掲示板で見たやつだ。伝染してる。

 その人は、ペンをしまって、教科書を閉じて、立った。立った瞬間に、机の上の“勉強してる感”が片づいて見える。不思議だ。立つと、世界が整理される。


 背後で、司書さんが小さく咳払いをした。注意じゃない咳払い。

 「……閉館、十分前です」

 数字が出た。十。十の前で五分をやると、五分がちゃんと終われる。締め切りは、強い味方だ。


 その人は机に戻って、最後の五分だけやった。今度は、探さない。印をつけたところの“見出し”だけをノートに写す。答えは写さない。見出しだけ。

 見出しだけで、明日の五分が決まる。明日の自分に、仕事を渡す。渡したら、今日は帰れる。


 図書室から出るとき、足音が少しだけ軽かった。

 軽い足音って、たぶん合格だ。


 ここで、別の小事件も起きる。五分を始めたのに、終われない事件。

 机じゃなく膝でやっていると、終わりが曖昧になる。タイマーが鳴っても、あと一行だけ、と手が伸びる。あと一行だけが、三行になり、三行が、もう一問になり、もう一問が、もう少しに変身する。


 タイマーが鳴って、鳴り止んで、それでも手が動いている。

 動いている自分に、ちょっとだけ安心してしまう。止めるのが怖い。止めたら、今日がゼロになる気がする。


 そのとき、近くで靴箱を閉める音がした。カタン。

 音に釣られて顔を上げると、鍵の束を揺らしながら通り過ぎる先生が見えた。目が合いそうで合わない距離。先生は何も言わない。言わないけど、鍵の音だけが「そろそろ帰れ」を言っている。


 そこで思い出す。「立ったら終わり。」


 ペンをしまう。ノートを閉じる。立つ。

 立った瞬間、さっきまでの“もう少し”が、ちゃんと終わりになる。終わりになったから、胸の奥が少しだけ軽い。

 五分で終われない人は、終わりを“強制”していい。強制は悪者じゃない。テスト前だけは、味方だ。


 五分は、勝ちの形が見える。長い時間は、勝ちが見えない日もある。見えないと、人は怖くなる。怖くなると、手が止まる。だから、見える勝ちは強い。


 翌朝、応援ポストの前を通り過ぎるとき、誰かが小声で言った。

 「今日、五分勝った?」

 質問というより、あいさつだ。返事がなくてもいい。頷くだけで通じる。


 頷いた人は、そのまま教室に入って、席に着く前にノートを開いた。机に座る前に負ける、というHELPの裏返し。座る前に、勝ってみる。

 ノートの一番上に、でかい字で「五分」と書いて、下に小さく“やること”を一つだけ。

 それだけ書いて閉じた。


 授業が始まる直前、先生が教壇に立って、ちらっと見た。

 「……今の、五分?」

 誰かがこくりと頷く。

 先生は小さく笑って、「じゃ、始めるよ」と言った。

 認められたわけじゃない。でも、否定されなかった。それだけで、胸の奥が少し温かい。


 五分は弱そうに見える。

 けれど弱そうなものほど、学校の毎日には長く残る。


 翌日、板にTHANKSが増えていた。紙の角が少しだけずれている。貼った手が急いでいたのかもしれない。急いだのに、貼りに来た。そこがすでに勝ちだ。


【THANKS】

五分しかできない、って思ってたけど、

五分やったら「今日はやった」になった。

勝ちの単位を小さくしたら、息が入った。

帰り道の足が、少し軽かった。


 そのTHANKSの横に、短い報告が重なった。字が丸い。照れが混じる丸さ。


【THANKS】

五分で終われない、を

終わらせ方を先に書いたら終われた。

「鳴ったら閉じる」って書いたら閉じれた(ずるい)。

ずるいけど、続きそう。


 (ずるい)に、板の前の数人が同時に口元を上げた。ずるい勝ち方は、だいたい続く。続くなら、もうそれは正義だ。


 さらにもう一枚、THANKS。字が四角く短い。


【THANKS】

五分を三回に分けた。

朝はノートを開くだけ、昼は一問、夜は答え合わせ。

合計十五分になった。倍にしなかった。続いた。

続いたから、今日は眠れる。


 板の前で誰かが小さく息を吐いた。ため息じゃなくて、いい息だ。続くって、それだけで眩しい。


 別のTHANKSは、字が小さく、端に寄っている。寄っているのに、逃げていない。


【THANKS】

タイマーを三十秒にして鳴らした。

恥ずかしかった。

でも直して、五分できた。

恥ずかしさも、五分で終わった。


【THANKS】

図書室で五分やった。

二回目で終われなくなった。

「立ったら終わり」を思い出して立った。

閉館十分前の数字が味方だった。


 恥ずかしさも五分で終わった。

 その一行が、やけに好きだった。恥ずかしさは長引くと、次の日の行動まで止める。五分で終わるなら、恥ずかしさもちゃんと働ける。


 最後に、白い紙が一枚貼られた。返事だ。字が小さく、端っこに寄っている。寄っているのに、ちゃんと刺さる。


【返事】

五分は、短いからこそ「終わり」が作れる。

終わりが作れると、次も作れる。


追伸:

五分勝った日は、帰り道で一回だけ胸を張っていい。

ただし、張りすぎて電柱にはぶつからないこと。


 電柱。最後の一行で、板の前の空気に笑いが戻った。笑いが戻ると、重い季節でも歩ける。赤い丸は消えないけれど、肩に乗る圧は少しだけ角が丸くなる。


 五分は弱そうに見える。弱そうに見えるから、今日もまた、強い。


---


頑張る人ほど、追伸に救われる。

追伸は週1以上、基本は14時更新

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