ばあばの杖
X(Twitter)での企画、 #でっかい杖大会 へ寄稿します
私が小学生のころ、まだ祖母が生きていたときのことだ。
祖母……ばあばは、魔法が使える魔女だった。
なにをバカなことを、と言うひともいるかもしれない。
魔法なんてありはしないと、だれもが笑うかもしれない。
けど、たしかにばあばは魔女だった。
ある日、私が自転車で転んで泣きながら帰ってくると、ばあばは驚いた様子でやってきた。
そして、あの杖を取り出すのだ。
一見すると、それは腰の曲がった老人用のステッキだった。
しかし、ところどころに独特の細工が凝らされていて、宝石のようなものもはまっていた。
そんな魔法の杖をひと振りすれば、私の怪我は、すっと消えてしまった。
ありがとうばあば、と言うと、ばあばは決まってくちびるに人差し指を当てるのだ。
だれにも言わないように、という、私とばあばの約束ごとだった。
そう、ばあばが魔女であることは私しか知らなかった。
ばあばは私のためだけに魔法を使ってくれた。
ボール遊びをしていて、ボールが高い木の枝に挟まってしまうと、魔法の杖に腰掛けて空を飛び、高いところに引っかかっていたボールを取ってきてくれた。
マラソン大会前日にうじうじしていると、杖の頭で天をこづくようにして、そうすると途端に雨が降ってきた。雨は翌日まで続き、マラソン大会は中止になった。
そんな風に、ばあばは決して他人のために魔法を使ったりはしなかった。
すべて、私のための魔法だった。
ばあばは、私だけの魔女だった。
私が一番好きだった魔法は、料理のときにかけるものだ。
大好きな里芋の煮っころがしやナスの煮びたしを作っている鍋に向かって、ばあばは杖をふるう。
そして出来上がった煮物は、魔法がかかっているのも納得のおいしさだった。
もしかしたら、魔法なんてなくても充分においしいのかもしれない。けど、私のためだけの魔法がかけられた煮物というのは、ひと味もふた味も違ってとてもおいしかった。
私だけの魔女。
そんな魔女も、不老不死ではなかった。
私が高校生のころ、ばあばは死んだ。
結局、最後まで孫の為だけに魔法を使っていた。
棺桶に入ったばあばは、生きているときよりもずっときれいに死化粧を施されていた。
葬儀が終わって、私はばあばのあの杖を遺品として受けつごうと申し出た。
けど、母に聞いても、そんな杖はどこにもなかったと言うばかりだった。
ばあばは魔法使いだったんだと主張しても、笑ってバカバカしいと言われた。
そんなはずない。
ばあばの杖は、どこかにあるんだ。
ばあばは、絶対に魔女だったんだ。
私だけの、魔女だったんだ。
だから、私は今日も、ことことと音を立てる鍋に向かって魔法をかける。
あの杖は見つからなかったから、菜箸を振るって、おいしくなれと念じる。
私は魔女の孫だ。
魔法が使えないわけがない。
きっと、このささやかなしあわせの魔法は料理を美味しくしてくれる。
だって、今日も旦那はうまいうまいと里芋の煮っころがしを食べてくれている。
今度は、私が魔女になろう。
きっと、ひとりだけをしあわせにするための魔法を使おう。
そうすれば、ひょっとしたらひょっこりあの杖が出てくるかもしれない。
ねえ、ばあば?
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