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8話

 王城の前に広がる長い石段を、リオンとウルフは無言のまま上り始めた。


 幅のある灰色の階段は、よく磨かれた石が朝の光を反射し、わずかに白く光っている。足元で革靴の音が乾いたリズムを刻み、冷たい風が裾を揺らすたびに、リオンは無意識にコートの襟を首元へ引き寄せた。


 高く積まれた階段を一歩ずつ上るたび、空気は静かに、そして鋭く肌を刺すような冷たさを帯びていく。街よりも一段と冷えるこの場所は、石造りの構造が空気を逃さず、冬の底冷えをより強調していた。


 最上段にたどり着くと、城の正面玄関──巨大なガラス張りの自動扉が音もなく開いた。

 二人は何も言わず、反射する床を踏みしめて建物の中へと足を進めた。


 中は外気とは一変して暖かく、人工的な空調の風が足元から穏やかに吹いていた。白を基調としたロビーは広々としていて、まるで余白を意識した絵画のように整えられている。


 受付カウンターの向こうにいた女性が、すぐに二人に気づいた。目元に笑みを浮かべ、形式的だが丁寧な口調で話しかけてくる。


 「ウルフィアス様、リオンノルス様。お待ちしておりました。エレベーターで二十三階へお上がりください」


 ウルフは何も言わず、そのまま通り過ぎようとする。年に一度、決まって行われるこの日のことを、彼は儀式のように受け止めていた。いちいち言葉にする必要など感じていないのだろう。


 代わりにリオンが足を止め、ぺこりと礼をした。


 「はい、わかりました」


 きちんと整えられた声は、静まり返った空間に小さく響いた。

 受付の女性が手元の端末を操作すると、奥のエレベーターのひとつがすぐに音もなく開いた。


 二人は乗り込み、無言のまま上昇する箱の中で立ち続けた。

 小さな振動とともに、やがて表示が「23」を示し、扉が開いた。


 待っていたのは、黒いベストを着た職員の男だった。


 「ウルフィアス様、リオンノルス様。お疲れ様です。本日は一日、どうぞよろしくお願いいたします」


 ウルフは目も合わさずに通り過ぎる。彼の態度に慣れているのか、職員も表情を崩さない。リオンは控えめに一礼し、父の後を追った。


 受付を越えた先の廊下は、途中で二つの道に分かれていた。


 ウルフはそのまま右手の方へ進もうとしたが、リオンは一歩だけ立ち止まり、振り返った。

 その表情には、わずかな不安とためらいが浮かんでいた。


 検査の流れは、もう何度も経験している。

 慣れたはずだった。けれど、あの独特の機械の冷たさ、何本も並ぶ採血管、密閉された魔力測定のカプセル──すべてが、どうしても好きになれなかった。


 ウルフはそんな娘の気配に気づき、立ち止まることもせず、ポケットに手を突っ込んだまま、背を向けた状態でぼそりとつぶやいた。


 「夜にはまた会えんだろ……早く終わらせてこい」


 ぶっきらぼうな言葉だった。

 だが、リオンにはそれが、彼なりの精一杯の励ましであることがわかっていた。


 彼女はぱちりと瞬きをして、それから小さく笑う。


 「……うん」


 言葉少なに返事をして、足を前に出した。

 ここから先は、ひとりで進む場所。


 廊下を進んだ先にあった白いドアが、静かな電子音とともに横へ開いた。


 リオンが足を踏み入れると、そこには淡い青の壁に囲まれた小さな検査室が広がっていた。冷たい空気と消毒薬のわずかな匂いが鼻をくすぐる。照明は明るく、壁際には複数の計測装置が整然と並んでいる。


 「ようこそ、リオンノルス様。お変わりはありませんか?」


 迎えたのは、白衣を着た細身の女性だった。柔らかい口調でそう言いながらも、その目はすでに手元の端末に向かって指を滑らせている。


 「はい、大丈夫です」


 リオンはわずかに緊張した面持ちで答える。女は軽く頷くと、慣れた手つきで測定の準備に入った。


 「では、まず身長と体重を測定いたします。靴と上着をお脱ぎください」


 コートを脱ぐと、リオンの細い体が現れた。年齢に比して、体はまだ小柄で華奢だった。肩も腕も細く、服の下に隠れていた体は、まるで成長の途中で立ち止まっているような印象を与える。


 無言で計測機に乗ると、頭上からスライドしてきた測定器が位置を調整する。電子音とともに数値が表示される。


 「……身長、136.2センチ。体重、32.4キログラム。例年と比較して、体格の伸びはやや緩やかですね」


 女が画面を見ながら淡々と記録を取る。リオンは測定機の上で静かに息を吐いた。自分の身長や体重の小ささには、もう驚かない。


 「続けて、魔力量の測定に移ります。装置へお入りください」


 女が指し示したのは、壁際に設置された透明な魔力測定カプセルだった。半球状の装置がゆっくりと開き、淡い光を内側から放っている。


 リオンはわずかに眉をひそめたが、躊躇せずに中へと足を踏み入れた。座席に腰を下ろすと、扉が音もなく閉まり、密閉された空間に変わる。機械が起動し、周囲の空気が静かに振動した。


 「深呼吸してください。リラックスした状態を保ったまま、測定を開始します」


 女の声が、内蔵スピーカーから静かに響く。


 リオンは目を閉じ、ひとつ深く息を吐いた。次の瞬間、装置の中央に淡い光球が現れ、それがゆっくりと脈動を始める。


 魔力が反応している証だった。


 数十秒ほどの静寂のあと、カプセルが音もなく開いた。


 「測定終了。……リオンノルス様、魔力量、前年比で約12%の増加です。年齢平均を大きく上回っています。毎年、着実に上昇していますね」


 女は感嘆混じりに言葉を発したが、驚いた様子ではなかった。まるで、それが当然であるかのように。


 「属性回路の検査は、既に確認済みですので省略いたします」


 リオンは静かに頷いた。彼女の属性回路が火と水であることは、小さな頃、初めて魔力が安定したときに診断されていた。


 この世界における魔術とは、人の内に生まれながら備わる“属性回路”によって定まる力だ。


 火、水、氷、風、土、雷──六つの属性が存在し、どの属性を使えるかは、生まれた瞬間にすでに決まっている。後から増やすことも変えることもできない。魔術は、努力よりもまず“素質”によって線引きされる分野だった。


 とはいえ、複数の属性回路を持って生まれる者は決して珍しくはない。むしろ、二属性を持つ者はそれなりに存在しており、三属性以上を持つ者も稀に現れる。ただし、その扱いの難しさや、相性による不安定さから、属性の多さがそのまま優秀さに直結するとは限らなかった。


 リオンが持つ属性は、火と水の二つ。


 火属性は父・ウルフから、そして水属性は、母から受け継いだものだった。


 互いに反する性質を持ちながら、彼女の内側でどちらも静かに脈打っている。


 それはまるで、燃える焔と潤む水面が、ひとつの命の中で共存しているかのようだった。


 検査員は、リオンのデータを手元の端末に記録しながら、ふと穏やかな声で言った。


 「……毎年、魔力総量が確実に増えていますね。リオンノルス様の成長が、楽しみです」


 その言葉に、リオンは曖昧な笑みを浮かべた。


 褒められても、正直どう答えていいかわからない。自分の中にある大きな魔力が、期待なのか、重荷なのか──今のリオンには、まだわからなかった。

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