8. 邪神教団の襲撃
結局、去っていった旅人を捕まえることはできなかったが、時間が経つに連れてアネッテの怒りはだんだんと収まった。そして、今回の出来事を報告するために一度自宅へと戻ることになった彼女は、里の南西の門から領主様の家に向かって帰って行った。彼女が去ったことで、里の多くの人たちは気が抜けたようにため息を吐き、安心したかのように穏やかな空気が流れていた。
そうして和やかな雰囲気になったのに、その空気を壊すようにして、門番をしていたヴィー君が慌てた様子で里に入ってきた。やって来た方向は、アネッテが出て行った方向と反対の北東の門からだった。
「すごい数の人がこっちに来てる!その中にこないだの旅人がいた!」
慌てた様子のヴィー君の言葉、結界札を破った旅人を含む集団がやってくる、それを聞いた多くの人たちが慌てふためき、そこら中から口々に邪神教団との言葉が聞こえてきた。
この間、結界札を破ったことで調子づいて攻め込んできたのかもしれない。けれど、結界を張りなおした影響で魔族は入って来れないから、僕たちが戦うべき相手は人間だけのはずだった。
「ど、どうやって逃げる?早くしないと来てしまうんだろう?」
「そうだよな?そんな危ない奴らとなんて戦いたくないよな?」
それなのに、多くの人たちは自分たちの身の安全のことばかり口にして、小さい頃に教わった里の民としての使命、聖剣を守るという使命を果たそうとする人はあまりいなかった。そして、北東の方角から矢が飛んでくると、誰にも当たらなかったのに、より一層パニックに陥っていた。
「北東の方角から来ているのか。ヒイロ、お母さんを連れて南西の方向に逃げろ。そっちなら、領主様の娘の迎えが来ているはずだから、お前達も一緒に避難させてもらえるだろ」
「何を言っているの?私もこの里の民、一緒に戦うに決まってるでしょう」
それなのに、僕の両親は他の人たちみたいに取り乱すこともなく、立派に使命を果たそうとしていた。その勇敢さは尊敬できる部分だったのに、今だけはそんなこと言わないで欲しかった。けれど、二人が意見を変えないことは、これまで二人の子供として過ごして時間が教えてくれる。
「僕も戦う!だって…戦い方は習ってるから」
離れるのが怖くて口にした僕の申し出を聞いて、お父さんもお母さんも困ったような顔をした。
「ヒイロ、前にも言ったことあるけど、子供は大人に守られてればいいんだ」
「でも…」
「そうか。それなら、ヴィーゴ君と一緒にみんなを守ってやってくれ。ヨリドちゃんみたいな女の子や子供たち、そして里長たちといったお年寄りの人たちのことも守ってやってくれ。それから、領主様に助けを呼びに行ってくれ。約束だ」
「うん。…約束、守るから。だから、必ず帰ってきて」
「もちろんだ」
これ以上駄々をこねても困らせてしまいそうで、そして、僕のことを安心させようとするお父さんとお母さんの笑顔を見たせいで、僕には何も言えなかった。二人のことを心から親とも思えないような悪い息子だったのに、まだまだ返せていない恩もたくさんあるのに、こういうときだけ聞き分けがよかった。だからせめて、笑顔で見送った。
そして、お父さんとお母さんに感化された一部の大人たちは、一緒に残って戦うと言っていた。僕だって本当は一緒に残りたかったのに、約束を守らないといけないという思いが体を動かした。
南西の門を出て、アネッテたちを追いかけるようにしてしばらく歩いていると、誰かが意見を出した。
「そうだ!誰か聖剣を取りに行ってよ」
安全圏に逃れられたと思った安堵感からか、人任せな意見がどこからか聞こえてくる。意外なことに、その意見に同意する人が多かった。
その同調する声は、勇者は負けないと信じる子供の無邪気なものだったり、普段から鍛えている僕とヴィー君に対するヨリドちゃんとかが発した無責任な言葉だったり、申し訳なさを滲ませているが自分たちが矢面に立ちたくない様子の老人たちの言葉だったりした。どちらにせよ、あまり気分の良いものではなかった。
そして、そんな風に騒いでいたせいか、空から何者かが僕たちに向かって降ってきた。その顔は少し前に里に来た旅人の顔に似ていたが、背中の翼と額に生えた角が別人だと思わせる。それなのに、その魔族はヴィー君の存在を確認すると、いやらしい笑みを浮かべ馴れ馴れしく声をかける。
「聖剣と結界札の場所を教えてくれてありがとうございました、ヴィーゴ君」
そして顔だけではなく、声までもが旅人と一緒だった。しかし、周りでは魔族が現れたことにパニックになり、その魔族の正体が旅人なのか、もしそうだったとしてどうやって人が魔族になったのか、誰も何もわかっていない様子だった。
「おいヒイロ。一緒に残ってくれ!」
ヴィー君の言葉に従って、僕たちは他の人たちを逃がすために残った。けれど、僕たちがその魔族と対峙した途端に、あっさりと魔族は逃げ出していった。なぜそんな簡単に逃げ出したのかわからないままに、僕たちは合流するために再び歩き始めた。
そうして、しばらく歩き続けてもなかなか誰とも合流できないでいると、アネッテが魔族に襲われている姿が見えた。足元には一人転がっていたが、他には騎士の人たちが見当たらなかった。もしかしたら分断されているのかもしれない。だから、僕は彼女を守るためにいち早く向かわなければならない場面だったが、その姿をみたヴィー君は見捨てるべきだと主張した。
「あの女はここで見捨てていいだろ。そんなことより早くみんなと合流しないと」
「おい!誰か助けなさい!おい!」
恨みがましいヴィー君の言葉と、半狂乱になったアネッテの言葉を聞いた僕は、両親たちの言葉を思い出す。
『困っている人がいたら手を差し伸べなさい、いじめられている人がいたら助けなさい』
『みんなを守ってやってくれ』
前世のものも、今世のものも、どちらの言葉も優しい言葉だった。
そして、両親との約束に覚悟が決まる。僕が守らないといけない。両親たちにとって誇れる息子であるために、僕は彼女を守らないといけない。その使命感が体を動かす。
「ヴィー君は迂回して先に行って。僕はアネッテを守らないと」
「何言ってるんだよ!ヒイロ、待てよ!」
ヴィー君の否定的な言葉を無視して、僕は約束を守るために駆け出した。
ヴィー君の制止を振り切ってアネッテたちの前に行くと、二つの異なった視線が向けられる。
「なんだこのガキ」
「ヒイロ、遅いわよ。さっさと助けなさい!」
魔族の男は馬鹿にした態度で乱入してきた僕を見て、アネッテはいつもと同じような態度でこっちを見てきたが、その声は震え、僅かに息を吐いていた。
今までにない実践での争いの気配に、足が震える。それでもアネッテを庇うためにもう一歩踏み出し、剣を構える。
「どこの誰だか知らねーけど、くたばれや、ガキ!」
唐突に乱入してきた僕が敵対してことに怒り出したその魔族は、激しく手を振り回した。その手に当たった木が、めきめきと大きな音を立てて折れる。その光景から、明らかに尋常じゃない膂力で、一度殴られただけで危ないことが分かるが、戦い方はお粗末なもので、力任せに振り回すだけだった。ヴィー君よりも、オクセンシェルナ家の騎士の人たちよりもはるかに弱く、手の軌道は容易に見切ることができ、一度斬りつけただけであっさりと戦意を失くし、泣きながら命乞いをした。
「こ、殺さないでくれ」
「何しているの。早く殺しなさい。それからすぐに迎えのもとに案内しなさい」
見苦しい命乞いと、アネッテの命令、二つの相反する指示を出され迷った僕は、迷いに迷った結果、中途半端な逃げの選択肢を取った。
「早くどこかに行ってください。僕は人を殺したくない」
「何言ってるの!わたくしに危害を加えようとしたのよ。殺しなさい!」
アネッテになんと言われようと、殺す覚悟が決まらなかった。人の血に濡れた手では、両親が受け入れてくれるとは思えなかった、誇れる息子でありたかった。その思いが僕に躊躇させた。
「くだらない、すぐに後悔するわよ」
アネッテの忠告するような言葉を聞きながら逃げ去っていく背中を見ていた僕は、アネッテを連れていくために再び出発した。
それからは何事もなく、無事に迎えの人たちがいる場所に着いた。そしてそこには騎士の人たちや、先ほど別れた人たちもいたが、やはりお母さんとお父さんの姿はなく、ヴィー君の姿もなかった。
「ヴィー君はどこに行ったんですか?」
「ヒイロか。ヴィーゴは聖剣を取りに行くとか言っていたぞ。そんなことはどうでも良い。領主様の娘も来たことだ、早く我々を避難させてくれ」
里長の自分の身の安全しか考えていないような情けない言葉に、多くの大人が同調する声を発した。どこまでも落ちぶれた姿に、目と耳を塞ぎたくなっていると、アネッテが質問をしてくる。
「ヒイロ、お前の親は?」
「僕たちを逃がすために里に残りました」
改めて口にすると、避難を助けるためとはいえ逃げ出した事実に、とても恐ろしい気持ちになった。
「あらそう。それで、お前はここでうじうじしているままでいいのかしら?わたくし、優柔不断なやつが一番嫌いなのよ」
不器用な彼女なりに背中を押したつもりだったのかもしれない。それに、僕はもう約束を果たして、ここまでみんなを送り届けた。その言葉のおかげでようやく覚悟が決まった。
「…そう、ですよね。ありがとうございます、アネッテ様。僕、行ってきます!」
こちらに軽く手をあげたアネッテに頭を下げ、両親を助けに行くために走り出した。