7. 旅人の影響
何の変哲もないある日、ヴィー君と近所の川に釣りに行くために森の中を歩いていると、倒れている人間を見つけた。里では見かけたことがないその人は、ピクリとも動かずに倒れていた。
「ヒイロ、どうする?」
「とりあえず連れて帰る?」
どうすればいいのか分からなくて思わず顔を見合わせた僕たちは、とりあえずその見知らぬ人を里に連れて帰ることにした。
一旦、ヴィー君の家にその人を連れて行くと、続々と大人たちが集まって話し合いを始めた。いろいろと話し合った結果、その人はヴィー君の家に一時的に泊めることになったらしい。最初に見つけたことと、ヴィー君の家には空いている部屋があったことが理由で、自然とそうなったらしい。
そして、話し合いが終わってからしばらく経って目を覚ました旅人は、驚いたように辺りを見回した。
「あの、ここって?」
「あ、目を覚ました。近くの森に倒れていたから、俺たちが連れてきたんだ」
「本当ですか?ありがとうございます」
里唯一のお医者さんが体調に問題がないことを確認すると、ヴィー君の家にその人を置いて、僕や他の人たちは家に帰った。
それから一夜明けると、その人を一目見るために、多くの人がヴィー君の家の近くに集まっていた。行商以外では滅多に来ない外部の人間に興味津々な里の人たちは、誰も彼もがこぞってその人に話しかけていた。
そして気が付くと、その人に関するちょっとした情報が里中に知れ渡っていた。理由はわからないが放浪の旅を続けていて、たまたまこの里に辿り着いたらしいこと。そして人柄は、会う人皆に対して礼儀正しい好青年であること。そんな旅人のことを、里の多くの人たちはすぐに受け入れていた。礼儀正しさに加えて、結界札を変えたばかりの里に入れている時点で魔族ではないことが、その人を疑わなくてもいいと判断した根拠だと、誰かが言っていた。
それでも、外部の者との交流が比較的多いアネッテは、その人のことを信じ切っていなかった。彼女が疑っているおかげで、僕も不審に思うことを躊躇せずにいられた。放浪の旅をしている理由を明らかにしないこと、ちょうどアネッテが里に滞在している時に来ていること、それらのせいで疑わしく思えた。
それから数日経ってすっかり元気になったその旅人は、特に不審な動きを見せていなかった。
「すみません、本当にお世話になっています」
「いいの、いいの。もっとゆっくりしてって良いから」
相変わらず礼儀正しい態度の旅人にすっかり気分をよくした里の人たちは、各々が自分達なりの方法でもてなしていた。ヴィー君は聖剣の伝承について話していて、それを僕はアネッテの隣で聞いていた。僕にとっては聞き飽きた内容だったけれど、旅人はその話に異常な食いつきを見せていた。
「本当に、この里にその剣があるんですか!?」
「あるよ、後で連れて行こうか?」
「今は大丈夫です。けれど、場所は教えてもらってもいいですか?」
興味津々な態度とは裏腹に、なぜか旅人はヴィー君の提案をやんわりと断っていた。楽しそうに聖剣の話をしていただけに、断られて悲しそうな顔をしていたヴィー君は、断られた悲しさを誤魔化すようにして、聖剣がある場所を説明していた。そのついでに、自分がいつか勇者として聖剣を手にするつもりであること、そのために日々鍛えていることなんかを張り切って説明していたが、あまり要領を得ていない説明だったから、旅人は気まずそうな顔をしてその話を聞いていた。
「それで、この里にいる人はその剣を管理しているんですよね。襲撃されることはないんですか?」
「里の大人たちは襲われたことなんてないって言ってたはず。それに、もしそうなったとしても俺は戦うつもりだし、この里には結界があるから多分大丈夫なんだって。えーっと」
「自己紹介していませんでしたっけ?まあ、旅人さん、でいいですよ。それで、結界ですか?」
「里の四方にお札を張って、」
「ヴィー君、言いすぎじゃない?」
聞かれたことに気をよくしたのか、過剰に説明を重ねすぎているヴィー君を見て、思わず飛び出して止めていた。急に現れた僕のことを、ヴィー君はなぜ止められたのかを理解していなさそうな表情で、旅人は無表情で見ていた。
僕の考えすぎかもしれないが、その一挙手一投足が不振に思えていた。
それからしばらく経ってから、満足そうな様子になった旅人は里から去っていった。里の人たちは寂しそうに別れていて、ヴィー君も悲しんでいた。その一方で、僕は張りつめていた気が緩み、ようやく落ち着くことができた。
しかし、そんな里の人たちの感情を裏切るようにして、旅人が去ってから少し経った後に、里の北東の方角の結界札が破かれているのが見つかった。
今までにそんなことは起こったことがないから、犯人が旅人であろうことは明らかだった。しかし、そこ以外のものは破かれていないこと、ヴィー君はそこ以外の場所は教えていなかったことから、被害は増えないだろうと思われ、そしてすでに立ち去ってしまったその人を探す方法なんてなかったために、どうしようもなかった。
そのことについて里の大人たちは話し合っていた。無駄に不安をあおりたくないらしかったから詳細は教えてもらえなかったが、邪神教団との言葉が漏れ聞こえてきた。邪神教団、人の身でありながら、邪神を信仰し、魔族に肩入れする人類の敵。あの旅人がそうだとしたら、きっとその目的は魔族を里に引き入れることだった。
そのせいで魔族がこの里に襲いに来るかもしれないから、里の人達も少しの間は警戒心を抱いていた。けれど、別に魔族が里を襲ってくるようなことはなく、結界の札を取り換えると何が起こったのかも忘れて、だんだんと元の穏やかな日常に戻っていった。長年続いた平和のせいか、聖剣を守るという使命を果たそうとする人は少なく、里に暮らす者としてはあまりに怠慢で、多くの人たちが明らかに油断をしていた。
しかし、それでも簡単に油断をしない者もいた。そう言ったうちの一人であるアネッテは、旅人に対しての怒りを露わにしていた。
「これはいたずらではすまないわよ!この里、ひいてはオクセンシェルナ家への宣戦布告に他ならないわ!ヒイロ、早く犯人を捕まえなさい。そうしないと、安心して寝られないわ」
アネッテは里のためではなく、自分本位な怒りを露わにしていたが、僕にはこの里から去った旅人を追う手立てを持っていなかった。だから、とりあえず怒りを治めてもらえるように、なだめるしかなかった。