5. 僕たちの変化
「ヒイロ、領主様のところの騎士様来たよ」
「わかったよ、お母さん。今行く」
「ヒイロ、稽古が終わった後、牛舎の方に来てくれ」
「わかったよ、お父さん。じゃあ、行ってくるね」
気が付くと前世の記憶を取り戻してから四年が経って、十一歳の夏になっていた。時間の変化とともに、僕や僕を取り巻く環境に変化が生じていた。
このくらいの年齢になると、刃物や火元に近づくのを許してもらえるようになり、以前よりも家事でお母さんのことを手伝えるようになっていた。それと、体も成長して重たい農具などを持てるようになると、お父さんから仕事の手伝いを任されることも増えていた。家族の一員として手伝えることが増えるのは、素直に喜ばしいことだった。
優しく穏やかなお母さんも、厳しくも愛情を注いでくれるお父さんも、本当に大切な存在になっていっていた。拒否感はなかったから少しずつ二人のことを親として受け入れたいと思っていたが、相変わらず違和感が残っていた。例えば見た目に関しても、明確に違いがあった。父さんはメガネをかけていて穏やかな顔だった。一方でお父さんは、掘りが深く、変な言い方だが、外国人のような顔の人だった。母さんは鋭い目つきで冷たい印象を持たれやすい顔だったが、お母さんはおっとりとしていて、初対面でもすぐに打ち解けられるような優しい顔だった。他にも性格だって違っていたし、違う場所を探そうと思えばキリがなかった。
相違点に加えて、父さんや母さんを過去の存在のように扱うこと、そして、お母さんとお父さんを代替品のように扱うことに対する罪悪感があったせいで、どうしてもお母さんとお父さんにあと一歩踏み込むことできなかった。
それから、ヴィー君はこの四年で身長が伸びて筋肉もついたりしていたが、相変わらず勇者になるために鍛え続けていた。しかし、昔のように無邪気にその夢を語るのではなく、使命感や焦燥を感じさせる雰囲気を醸し出すときもあった。
そして、僕とヴィー君は、たまに模擬戦をすることがあった。一緒に稽古をすることはなかったけれど、お互いにどれくらい鍛えているのか確かめ合うための習慣だった。そして、今日は久しぶりに模擬戦をする予定だった。
「よし、今日こそは勝つ!」
「僕も、負けるつもりはないよ」
たまにやってる影響か、ちょっとしたイベントみたいな扱いになり、いつも野次馬が見にきていた。一部の大人たちは明らかに何かを賭けてたけど、別に取り締まられることはなかった。
そして、今回は多くの野次馬が来ていて、その中にはヨリドちゃんとアネッテがいた。ヴィー君はヨリドちゃんに良いところを見せたいのか、いつもより張り切った様子だった。
「よし。じゃあ行くぞ!」
そして、そんな掛け声とともに模擬戦が始まった。
模擬戦が始まってから数合打ち合ったが、僕らの実力は拮抗していて、一度仕切り直すためにお互いに大きく距離を取った。今までも基本的な剣の実力は同程度だったが、ヴィー君は心理戦が苦手で、基本的にフェイントを使ってくることはあまりない一方で、こちらのフェイントには簡単に引っかかってくれたから、僕が勝ち越していた。
一度距離を取ったヴィー君は剣を上段に構えると、こちらにまっすぐ向かってきた。それに対して素直に上段を防ぐように構えると、左足で踏み込んだヴィー君は、その剣を案の定振り下ろしてくる、ことはなく右の前蹴りを放ってきた。その蹴りがみぞおちにささると、呼吸が止まり、続けて放たれた突きを避けるのに精いっぱいで、その後の横なぎに持っていた剣を弾き飛ばされた。
「っ、ふー。俺の勝ちでいいよな?」
「はぁ。負けたよ、すっかり騙された」
「フェイントはこうやれば良いんだろ?立てるか?」
尻餅をつきながら呼吸を整えている僕に差し出された手を握り返して立ち上がると、お互いに今日の模擬戦の内容の振り返りを話す。振り返りの習慣はヴィー君が言い出したことで、その目的はもっと強くなるためだと言っていた。彼の強さへの執着というか、勇者になることへの熱意は尋常ではなかった。実際、僕もその熱意や努力を認めていたし、ヴィー君にも努力をしている自負があったと思う。
「ヒイロにも勝ったから里で一番強くなったし、俺が勇者になる日も近いな」
「今回勝っただけだから。それにヴィー君のお父さんの方が強いでしょ」
振り返りもある程度話し終えて調子の良い軽口を叩き合っていると、ヨリドちゃんとアネッテが近づいてくる。
「ヒイロ、お腹大丈夫?痛そうだったけど」
「大丈夫だよ」
「なんだよ、勝った俺を褒めないで、ヒイロの心配かよ。別に、俺もお前に応援されたくないし!素振りしてくる」
ヨリドちゃんが勝利をほめてくれなかったことにすねたヴィー君は、意地悪を言うと走り去った。
ヴィー君が去った後にヨリドちゃんを見ると、彼が好きになるのもわかるくらい、彼女は美人に成長していた。けれど、前世だと小学校高学年相当の精神年齢の彼女に対して、よこしまな気持ちは抱かなかった。抱くべきではないと思っていた。
それにしても、ヴィー君は相変わらずヨリドちゃんには素直じゃなかった。小学生くらいの歳だから仕方ないのかもしれないけれど、その部分はあまり成長していなかった。
「なんなのよ、ヴィーゴのやつ。ほんとむかつく。まあ、それよりヒイロが大丈夫そうでよかった」
「うん、ありがとう」
「何言ってるの、よかった訳がないでしょう?お前が負けたら、私の部下の質が低いと思われるのよ」
それから、この四年の間に、僕はずっと断っていたアネッテの護衛として仮採用されていた。この里にアネッテが遊びにきた時だけの護衛、お父さんの仕事を継ごうと思っている僕のことを思い遣ってくれた領主様の采配だった。そういう風に領主様は相変わらず優しく立派な方で、僕がアネッテの部下になってからもいろいろと良くしてくれた。
そして、娘のアネッテの方は、相変わらずの性格だった。未だに彼女は里の多くの人から嫌われていて、当たり前のことだが、僕の両親は彼女のことを毛嫌いしていた。しかし、彼女はそんなことはまったく気にしている素振りを見せなかった。
それから、僕を取り巻く環境についても少しだけ変化して、この四年間で任される仕事が増えた。例えば門番の役割や、近くに危険な動物の群れがやって来たときには、ヴィー君のお父さん、猟師の仕事の手伝いなどの、大人に任されるような仕事を頼まれることが増えた。それは、僕が里に住む大人の一員だと認められたことだと思えた。
任されるようになった大事な仕事の一つとして、この里を包み込む結界の確認があった。魔族からこの里を守るための結界は、聖剣を守るうえで大切なもののはずだが、ここ何百年間、里が魔族に襲われたことはないらしく、真剣にやっている人はおらず、惰性で続けていることらしかった。おそらく場所も知られていないが、念のためだと大人の人たちが言っていた。
それで、今年は僕とヴィー君が今後の引継ぎのためにその仕事を任された。僕のお父さんとヴィー君のお父さんもついて来てくれたが、里の四方のお札を張り替えるだけだったからすぐに終わった。
張り替えてからの数日間は、少しだけ不安感があった。僕の失敗で何か起こるかもしれないことが不安だったが、心配していた割には何も起こらず、里の人達も不安に思ってる様子はなかったから、僕もすぐにいつも通りに戻った。
こうして、僕と僕を取り巻く環境は、僅かにだけ変化しながらも平和な日々は続いていた。