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勇者ヒイロの英雄譚  作者: 千里
四章 立場の弱き者共
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31. とある孤児院の話

 勇者様たちが故郷に帰っている間、私は久しぶりにマムのもとで過ごしていました。そこでは、教会や宿舎の掃除をし、マムに悩みを聞いてもらい、説法を受け、孤児院の子供たちのお世話などをしながら過ごしていました。争いとは無縁で、平和で穏やかな日常を送りながら善行を積んでいたある日の午後、孤児院で子供たちのお世話をしているところにエブールさんがやってきました。

 実のところ、彼女がこの孤児院にやってくるのは初めてではありませんでした。ときどきですが、親を失った獣人の子供たちの様子を見るためにやってきて、お世話のお手伝いをしてくれました。だから、今日もそのためにやって来たのだと思いましたが、彼女は子供たちの方に向かわず、私の目の前にやってきました。そして特に何かを言うでもなく、私の目の前でただ立っていました。

「あの、エブールさんさえよろしければ、中で座ってお茶でも飲みますか?」

「ああ」

 気まずさに耐えかねた私の提案を承諾したエブールさんは、ついて来ようとする子供たちのお誘いを申し訳なさそうに断ってから、無言で私の後ろをついて来ました。そして、椅子に座り、お茶を飲み、さらにしばらくお互いに無言で過ごしてから、彼女は意を決したように話し始めました。

「あの邪神教団とやらに捕まる前、私は生まれた故郷で穏やかに暮らしていた。家畜を引き連れながら移動し、暮らすのに丁度良い土地を見つけ、そこに家を建てる。寝て起きては家畜の世話をし、ある程度過ごしてからまた移動をする。私は、そんな退屈な暮らしに耐えられなかった。だから故郷を飛び出した。

 故郷を飛び出した先で私が見た物は、そのどれもが新鮮だった。聞いたことのない音楽、見たこともない娯楽、嗅いだことのない花の香り、食べたことのない食事。幸福だった。だが、それと同じくらいの困難があった。人々は獣人である私のことを蔑み、魔族や魔物には何度も襲われて、そのたびに戦って倒した。しかし、そんなある日、戦いに疲れていたせいで人間に捕まり、奴隷として生きる羽目になった」

「それは、…つらかったでしょう?」

「故郷を飛び出したせいで身に降りかかった不幸だ。それに過去のことだ、それほど気にしていない。だが、その途中で人間が他種族を支配するべきだという思想を知った。生まれた種族が理由で人間に支配される理不尽は、私に激しい憎悪の感情を植え付けた。だから、私を差別した奴らも、聖女神教の人々も、私たちと同じように苦しませたかった」

 生まれた環境のせいで差別される理不尽に怒り、その理不尽に抗えないことに苦しみを抱いていたのでしょう。その姿が、かつての私と重なって見えました。飢えや寒さに苦しみ、地獄に落ちるのではなく神のおわす国に生きたいと願っていた頃の私。マムと出会わなければ、神のおわす国という希望を知らなければ、彼女のように救ってくれなかった人々に怒りを向けていたかもしれません。だから、マムが私を救ってくださったように、私も彼女のことを救いたいという気持ちを抱きました。

「だが、お前たちと過ごすうちに、そんな感情は減っていった。ヒイロは、魔族の肉体となった友人を差別せず、その死を悼んで涙を流していた。情に厚く優しい奴だ。ガナンは、聖女神教を侮辱した私のことを怒らずに諭そうとした。懐が深く世話好きな奴だ。そして最後にプレッセル、お前は邪神教団の奴らの死後が穏やかになることを祈った。誰よりも信心深く、どこまでも正しい奴だ。そんなお前たちに比べて私が間違っていることは、いつの間にか気が付いていた。いや、最初から分かっていたのかもしれない。それが認められなくて、お前たちに暴言を吐いてしまった」

 まさか、エブールさんが私のことを認めているとは思わず、少しだけ嬉しくもあり恥ずかしくもありました。そして、どこか自虐的になった彼女を慰めるために、私だって最初から正しく生きられたわけではないことを思い出します。

「私は、あなたが間違っていたとは思いません。私もあなたと同じように、世界に存在する理不尽に苦しめられました。私が正しく生きられているのは、マムが救ってくださったおかげです。マムと出会っていなければ、私もあなたと同じようだったかもしれません。だから、あなたが感謝を伝えるべきは、私ではなくマムと聖女様と主です」

「そうか。…確かにきっかけはそうなのかもしれない。だが、外を見てみろ」

 エブールさんに促されるままに外を見ると、そこには数多くの子供たちがいます。そこには獣人の子供も邪神教団の子供もいましたが、その子たちは種族や親の肩書など関係なさそうにはしゃいでいました。

「あの子供たちの多くは、既に親を亡くしている。それでも、ああやって笑顔で過ごせているのは、お前たちのおかげだ。お前に救われた者は、私やあの子供たちだけではない。だから、そうやって自分を卑下するな」

 いつの間にか私が慰められているようになりましたが、マムが私を救ったように、私もエブールさんを救うことができた事実に、正しく生きられていることに、言葉では表しがたい喜びを感じます。

「そして、この孤児院を経営しているのは聖女神教だと聞いた。お前たちの正しさや、この孤児院を見れば、聖女神教とやらが間違っているとは思えない。だから、お前たちに暴言を吐いてしまい、本当に申し訳なかった。どうか、お前たちに償いたい」

「頭を下げないでください。私たちが頭を下げて良いのは、主と聖女様に対してだけです」

 反省をしているエブールさんがこれ以上自分を責めないように、ひざまずくようにして謝ろうとした彼女を慌てて止めます。

「それに、謝るべきは私たちの方です。『主と同じ形に作られた人間が最も偉く、主によって他の生き物を治めるように命じられた』確かに教典に載っている言葉が、あなた方獣人への差別の理由となったことは、本当に申し訳ありません。そのことを心から謝罪します」

「お前は差別していないのに謝るのか」

「はい。私でなくとも、獣人の方たちのことを思えば償わなければなりません。私はこの戦いが終わったら、獣人に対する差別をなくすための活動を行うつもりです。よろしければ、立場の弱い人々が理不尽に虐げられない社会を作るための活動を、エブールさんも一緒に行いませんか?」

「それが償いになるのなら」

 私の頼みを快諾したエブールさんは、少しずつ嬉しそうな表情になっていき、あるところで堪え切れないように笑い始めました。

「それにしても、自分が行っていない差別に対して謝罪し、是正しようとするなんて、どこまでも正しいことしか言わないんだな、プレッセル」

 以前も聞いたことがある言葉でしたが、エブールさんの顔には畏怖の感情があるようには見えませんでした。そしてこちらをからかうように、感心しているように笑顔を浮かべていました。


「ちなみに言っておきますけど『主と同じ形に作られた人間が最も偉く、主によって他の生き物を治めるように命じられた』この言葉は差別のための言葉ではなく、助力のための言葉です。手が蹄だったり、何かと不便な獣人の方々を助けるための教えです。だから、聖女神教は間違っていません!それだけは覚えておいてください」

『プレッセル、いつも言っているでしょう?教典の文面をそのまま覚えるのでは意味がありません。主と聖女様がそこに込めた意味をきちんと理解するためにも、まだまだ精進なさい』

 厳しく、そして懇切丁寧にマムが私に教えてくださったことをエブールさんに伝えると、彼女は楽しそうに笑いました。

「笑わないでください」

 気が付くと、勇者様に心配をかけた頃に抱いていた感情、聖女神教のことを信じ切れず、何を信じれば良いのか分からなくなり、何もかもを不安に思っていた感情はなくなっていました。

 きっと、聖女神教や私自身の正しさが分からなくなってしまうことが、またあるかもしれません。それでも、エブールさんや、勇者様にガナン、そしてマム、私を助けてくださる人々がいれば、きっと私は間違えません。

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