3. 貴族の権力
雪も溶けて冬が終わると、木とかに葉っぱがついて春になった。そんなある日、今までに見たことがないくらい豪華な馬車が里にやって来た。
「ママ、あれって何?」
「あの馬車にはね、ここら辺の土地を治めている領主様が乗っていらっしゃるの。だから、ヒイロも変なことを言わないように気を付けてね」
「うん」
春になって道から雪が無くなって馬車が里に入れるようになると、領主様は視察にやってくるらしかった。去年も来ていたのかもしれないけれど、あんまり覚えてなかったから興味もあったし、ママがその領主様はとても優しい人だって言うから、ちょっとだけ見てみたくなった。
「見にいってもいい?」
「いいけれど、側は離れちゃダメよ」
「うん」
パパは仕事に行っていたからママと二人で外に出ると、ヴィー君の家族やヨリドちゃんの家族も領主様を見に来ていた。みんながその領主様を笑顔で迎えてるから、本当にその領主様が人気なんだと思った。
「ヒイロも見に来たのか?」
「うん」
「ふーん。俺は去年も見たけど、ヒイロは見てなかったよな。領主様はすごい優しい人だったぞ」
気がつくとお互いの家族から少し離れた位置で、ヴィー君と二人でその馬車を見ていた。そして、馬車の扉が開いて中から出てきたのは、想像とは違って僕と同じくらいの歳の女の子だった。
「お父様、この者どもが平民ですの?」
「アン、そういう言い方はあまりよくないよ。彼らは使命を背負ってこの地に暮らしているのだから。それで、父さんは里長と少しお話しすることがあるのだけれど、アンも一緒にくるかい?」
「興味ありませんわ」
少しの間、話を聞いただけでも性格が悪そうだと思ったその女の子は、領主様が里長の家に入るとすぐに不満そうな顔になって、周りを見回していた。
「なんなのよ、人のことをジロジロ見て。本当に平民は下品だわ」
周りの人達はみんな、その領主様の娘が父親と全く違う性格だったことにがっかりしている感じだった。それでも、大人の人たちは我慢していた。けれど、子供は我慢ができなさそうにひそひそと話していた。そして、ヴィー君は我慢できなかったみたいで不満を口に出しちゃった。
「なんだよお前、えらそーに」
「なに、あなた。罰を与えるわよ」
「何が罰だよ」
「誰でもいいから鞭を」
きっと同い年とか、近い歳の子に偉そうな言い方をされることに慣れてなかったんだと思う。そのせいで、ヴィー君は考えなしに反抗的な発言をしちゃったんだと思う。そして、気がつくと僕たちの周りには誰もいなくなっていて、ヴィー君と僕のことをみんな遠くから眺めていた。ヴィー君の両親と僕のママがこっちに近づこうとしていたけど、里の人たちと兵士の人たちが壁になって近くに来れなさそうだった。そして、ヴィー君のお父さんはとても怖がっているみたいな表情でこっちを見ていた。その顔からはヴィー君を守りたいという気持ちが伝わってきた。そんな顔を見ていたら前世の両親の言葉が頭の中に浮かんできた。
『『困っている人がいたら手を差し伸べなさい、いじめられている人がいたら助けなさい』』
『それに逆上して、緋色をいじめようとするやつがいたら母さんに言いなさい。ぶん殴ってやるから』
母さんの過激な物言いに、父さんは困った顔をしていたことも覚えている。
前世の最期にも思い出した両親の教えに背中を押され僕は、息子を心配するヴィー君のお父さんとヴィー君のことを守るために思わず声が出た。
「ま、待ってください。ヴィー君もよくわかってないまま喋っちゃったんです。だから、許してあげてください」
「初対面でわたくしのことを知らないからって、失礼なことに変わらないわ」
頭を下げているせいで領主様の娘がどんな顔をしていたのか分からなかったけれど、怖くて体はガタガタと震えていた。
「そうね、そこまで言うのなら、あなたが変わりに罰を受けるなら許してあげるわ」
「わかりました」
僕が精いっぱい謝ったおかげなのか、領主様の娘はヴィー君を庇うための方法を提案してくれて、それくらいなら耐えられそうだと思った。幼いヴィー君よりも高校生くらいまで生きていた僕の方が精神年齢が上だから、鞭で叩かれるくらいなら耐えられると思った。
「おい、ヒイロ。何やってんだよ。おい!」
僕がヴィー君の代わりに罰を受けることになったせいで、兵士がヴィー君のことを遠くに連れて行こうとしていた。兵士に囲まれてようやく事態の大変さに気づいたみたいに、ヴィー君は泣きながら大きな声で叫んでいた。そして、鞭を持った兵士が僕のもとに歩いてきた。
「すまねえな、坊主。まあ、鞭打ち苦行もお前が功徳を積むのに役立つだろうから許してくれよ」
怖いけどきっと耐えられる、鞭で叩かれるくらいなら耐えられる、ヴィー君を守るためだから、僕のやってることはきっと正しい。そう思ってたのに、ゆっくりと服を脱がされて、これから僕を叩く鞭を見せられて、上半身に鞭を打たれた瞬間、想像の何倍も痛くて、怖くて、死んじゃいそうで、悲鳴すら上げられなかった。
「おい!何をやっている!」
また死ぬのなんて嫌で嫌で嫌で、本当に痛くて気を失っちゃいそうになっていると、遠くから領主様が走ってくるのが見えた。
気がつくと家のベッドで横になって天井を見上げていた。寝ている僕の側には心配そうな顔をしたママとパパ、泣いているヴィー君と領主様の娘、申し訳そうな顔をしているヴィー君のお父さん、それから怒った顔をしている領主様がいた。
「この度は娘のことで本当に申し訳ない。改めて娘にもしっかりと謝罪をさせたいので、明日もまた訪れて大丈夫だろうか?もちろん、嫌なら構わない」
断ろうとも思ってなかったけど、領主様のお願いは断れない感じがした。
「大丈夫です」
「そうか、ありがとう。ではまた明日」
「ごめんなさいぃ」
明日改めて来ると言い残して、領主様と大泣きしている領主様の娘は少し早めに僕の家から帰っていった。そのおかげで、残された僕たちの雰囲気は少しだけ軽くなった。
「ヒイロ君、今回は本当にすまなかった。そして、ありがとう」
「ごめん、ヒイロ。本当にごめん。俺が馬鹿だったせいでヒイロが危ない目にあったけど、今度は俺がヒイロを守れるくらい強くなるから!」
ヴィー君のお父さんは感謝を告げ、ヴィー君は涙声で宣言をすると帰っていった。
家に残ったのがママとパパと僕だけになると、しばらく誰も何も言わなかった。静かな時間が少し続いて、パパが怖い顔をして口を開いた。
「ヒイロ、お前が今日やったことについて、お父さんは褒められない。母さんが牛舎にやってきて、お前が貴族様に罰されそうになっていると聞いたとき、お父さんがどれほど恐ろしかったかわかるか?目の前で鞭に打たれて気絶したとき、生きた心地がしなかったのがわかるか?ヴィーゴ君を守るためだか知らんが、そんなくだらない自己犠牲なんてするな!子供は大人に守られていればいいんだ!わかったか!」
パパに怒られてようやく、自分のしでかしたことに気づいた。前世と同じように両親になんの恩返しもできないまま、先に死んでしまうかもしれなかった。そんな自分の馬鹿な行いと、ママとパパにも父さんと母さんと同じような思いをさせたかもしれなかったことが怖くなって、涙が出てきた。
「ご、ごめんなさい」
「本当に、お前は…。本当に、生きていてよかった」
僕は涙でぐちゃぐちゃになって、パパの硬い胸の中ですっかり泣き腫らしていた。
「怒らなきゃいけないところはお父さんが言ってくれたから、それ以上は言わない。ヒイロ、本当に勇敢で、本当に誇らしいわ。流石は、私達の子よ」
ママもそういいながら僕たちを抱きしめた。けれど、ママとパパは勘違いしていた。僕があの場でヴィー君を庇えたのは、前世の両親の言葉に背中を押されたからであって、二人の子供だからとかは関係ない。なんて言えるはずもなく、そうだね、僕も二人の子供で誇らしい。そう言いたいのに、口から言葉が出なくて、ただパクパクと動いていた。両親は暖かく僕のことを抱きしめてくれていたのに、前世の両親のことばかり考える自分が嫌になって、僕の心はすっかり冷え切っていた。
そして、僕は死ななかったのにパパとママがこんなにも本気で怒って泣いている姿を見ると、父さんと母さんが俺の死をどう思ったのかを考えて、改めて後悔が襲ってくる。二人の教えに体を動かされたなんて言って、自分の考えの足りなさの言い訳をして、先に死んでしまったことをどう償えばよいのか。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
頭の中が、ママとパパ、父さんと母さんに対する申し訳なさで埋め尽くされていた僕には、許してもらうためにもただ謝ることしかできなかった。
次の日、約束通りに領主様親子がやってきた。女の子は泣き腫らした目をしていたけど、すっかり元の生意気な感じに戻っていた。
「お前、わたくしの部下にしてあげるわ。あんな馬鹿を守るより、わたくしのために命をかけなさい」
「こら!アン、そういうのはダメだって言っただろう?すまないね、ヒイロ君だったかな?この子、アネッテは兄や姉とは歳が離れていてね、甘やかして育ててしまったせいで、こんな我儘な性格になってしまったんだ。断ってくれて構わないが、君のような勇敢な者が娘の味方になってくれたら嬉しいよ」
どうやってママとパパに償えばいいのか一晩中考えて、ママとパパ一緒の時間を過ごしたいと思ったから、その誘いは断った。
「えっと、僕は部下にはなりません」
「お前!わたくしに逆らったら、」
「アン!権力を無闇に行使してはいけない。昨日も言っただろう?女神様のお言葉の通り、我々貴族は特権や立場など、庶民より多くのものを与えられている。だからこそ、我々は彼らを虐げるためにではなく、守ることにそれらを使うことを求められている。強き者、力ある者、立場ある者は皆、守るためにその力を行使しなければいけないんだ。そして、そこには身分や年齢、性別などの差異などは存在しない。大切なことは、己の持つ物を正しく活用することだ」
領主様は少し難しいことを言うと、娘の手を引いて帰って行った。
「わたくし、諦めないわよ!」
謝るために来るって言っていたのに、それもなかったことになっていた。けれど、僕自身の行動の方が間違っていたような気がして、彼女のことを責めたいとは思っていなかったからこれでよかったのかもしれない。
それからしばらくの間は、ママもパパも僕がどこに行ってもすごく心配して、ちょっとの怪我で泣きそうになっていた。それがすごく申し訳なくて、反省するしかできなかった。