24. 信仰の揺らぎ
獣人を最初に差別したのが、お前たち聖女神教だから。エブールのその言葉を聞いた僕は、不思議と納得の感情を抱いていた。それくらいの理由でもなければ、彼女が聖女神教に向ける怒りや敵意と、つり合わない。
しかし、納得の感情を抱いている一方で、その言葉に精神的に傷つけられていた。前世では特定の宗教を強く信仰したことはなかったが、今世ではそれなりの期間、それなりの深さで聖女神教と関わりながら生きてきた。聖女神教が間違っていると言われることは、今世における自分の生きる指針を否定されているように思えた。
エブールの言葉に僕ですら動揺したのだから、僕より信仰心にあつい人は深く傷つけられただろう。そう思って周囲を見回すと、プレッセルの顔は青ざめ、ひどく動揺している様子だった。体を震わせている姿は、怒りに震えているようにも、恐怖で震えているようにも見えた。
「…な、何をおっしゃられているんですか?聖女神教が差別をするなんて、そんなことありえません!」
プレッセルは青ざめた顔で絶叫し、周囲の人々がその言葉に同意する姿を確認するかのように、縋るような瞳で見回した。だが、誰もが後ろめたそうな顔で、彼女の視線から逃れようとしていた。だんだんと彼女の顔には失望の色が濃くなっていき、彼女の心は今にも折れてしまいそうだった。
周囲の人々の無言の肯定に傷付いた様子のプレッセルが僕の方向を向いたとき、励ますための言葉を伝えたかった。けれど、そんな気の利いた言葉は思いつかず、せめて僕に出来ることを、僕もエブールの言葉が嘘であって欲しいと思っていることを伝えるため、彼女から視線を逸らさない。
しばらく見つめ合った後、プレッセルは改めてエブールに向き直った。
「誰が、あなたにそのような言葉を告げたのですか?教典のどこに、そのようなことが書いてあるのですか?」
「誰かなんて知らない。だが、私は確かに言われた。
『主と同じ形に作られた人間が最も偉く、主によって他の生き物を治めるように命じられた。だから、お前たち獣人は人間に支配されるべきなんだよ』
ふざけるな、ふざけるなよ!お前たち、聖女神教が人間至上主義を助長しているせいで、獣人は酷い差別を受けている!さっきのお前たち聖女神教の信徒とやらの態度を見て、改めて思った。やはり、復讐すべきだったと。私たちを差別した者共に、数多くの同胞を殺めた邪神教団に、差別のきっかけとなったお前たちに、我々の怒りをぶつけてやるべきだった。…お前たちは信じられると思ったのに…」
プレッセルの質問に対して、激しい怒りとともに答えを返したエブールは、少し寂しそうな態度を見せながらこの場を立ち去った。そして、エブールの言葉を聞いたプレッセルは、もう立つ気力すら残っていないかのように、その場にへたり込む。的外れな理由を述べてくれればよかったのに、教典の中に確かに存在する一節が根拠になっていたせいで、エブールの言葉はきっと事実なのだろう。
この場に取り残された僕たちは、エブールを追いかけるべきか、プレッセルを励ますべきか、どうすれば良いのか分からなかった。
誰も話さず、誰も動かない時間は、長く続いたようにも思えた。驚きや、悲しみ、そして後ろめたさといった感情が渦巻いているせいで、どんな発言も、どんな行動も間違っているように思えた、そんな空気の中、ガナンさんは僕にだけ聞こえるように話しかけた。
「私は、エブールさんを探してきます。勇者様はこの場に残ってプレッセルのことをお願いします。私たちがなんと言おうとも、今の彼女はきっと何も答えてくれません。だから、この場は勇者様にお願いします」
「わかりました」
僕にしかできないこと、今の僕が為すべきことを為すために、へたり込んだプレッセルの隣に座る。
目を逸らした後ろめたさからプレッセルの近くにいられなかったのか、気が付くと周囲の人々はいなくなり、教会の中に残っているのは僕と彼女の二人だった。しかし、僕はどうやって彼女を励ませば良いのか分からず、彼女からは話す気力を感じられない。
しばらくの間、僕もプレッセルもお互いに無言のままだったが、先に口を開いたのは彼女だった。
「勇者様も、知らなかったのですか?」
「僕の周りには正しい人しかいなかった。ガナンさんも、プレッセルも、他の人たちも、差別をするような人じゃない。だから、僕は知らなかった」
「そうですよね」
僕の言葉を聞いたプレッセルは、少しだけ安心したみたいに笑った。
「彼女の言葉に、私の信仰が揺らいでしまいました。周りの人々の反応を見れば、分かります。彼女の言葉は事実だったのでしょう。そのせいで、差別を助長してしまった主と聖女様の御言葉に何か誤りがあるのではないか、聖女神教は正しくない教えなのではないか。そんな疑念を抱いてしまいました」
聖女神教を頑なに信じていたプレッセルは、エブールの言葉に傷付き、信仰が揺らいでいるように見えた。
「恐れ多くも次期聖女などと呼ばれている私は、誰よりも正しくあらねばならないのに、前提が崩れかけてしまえば、何のために正しく生きれば良いのか分かりません」
信仰が揺らぎ、心が弱っていても尚、エブールが評したように、以前僕が感じたように、彼女はどこまでも正しく、どこまでも正しくあろうとしていた。
「プレッセルは本当に正しく生きようとしている。どうして、そこまで頑張る?」
「私からすれば、教えに反するような行いを取る人々こそ理解できません」
彼女は自分の生き方こそ正しく、他の人の生き方のことを心から理解できないと思っているかのような表情で僕に返事をした。
「それで、何故そこまで正しくあろうとするのか、ですか。そうですね、私は死後に報われたいんです」
死後というと、神のおわす国に行けるという話や、いつの日にか蘇ることができるという話のことだろう。だとすると、彼女は十分正しく生きているように思えた。なのに何故、頑なに正しさにこだわるのだろうか。
「よくわかりませんよね。それでは、私の過去の話を聞いてもらえますか?」
プレッセルの質問に頷くと、彼女は長椅子に座るように誘導した。
「そうやって勇者様が座っている姿を見ると、初めて会ったときのことを思い出しますね」
「初めて会ったときといえば、いきなり怒鳴られたときか」
「ええ。あのときは、聖女派こそ何よりも正しいと疑っていませんでした。もちろん、今でも聖女神教は正しき教えだと信じています。主と聖女様の御言葉はこの世の心理です。ですが、もし聖女神教が間違っていたら、神のおわす国は存在せず、死後の救済は存在しません。それは、恐ろしいことです」
聖女神教を信じ、聖女派を信じ、自分の信仰に誇りを持っているいつもの様子も確かにあったが、それ以上に、過ちの可能性と、死を恐れていた。
「何故、死後報われたいと思うようになったのか、それを語るためには私の一番古い記憶までさかのぼらなければなりません。そして、私が憶えている中で最も古い記憶は、おそらく一歳にも満たぬ頃に聞いた、誰のものかもわからない子守歌です」
こうしてプレッセルは過去を語り出した。どのようにして聖女神教と出会ったのか、何故死後報われたいのか、何故そこまで正しくあろうとしているのか。
エブールや獣人と同じように、プレッセルも弱い立場だった。




