21. 惨状の目撃
邪神教団との戦いは終わったが、だからといってすぐに引き返せるはずもなく、禁書の押収や捕らわれている存在を救出するための行動に移る。
皆が井戸や家々などといった里に存在する建物を思い思いに見回っている中で、誰も近寄ろうとしない建物があった。見た目は何の変哲もない建物なのに、異質な雰囲気が醸し出される。見た目と雰囲気との間の齟齬に、拒否感を憶える。それでも、誰かしらがそこを確かめなければならないという予感があった。それならば、勇者である僕こそがそこに行かねばならないという使命感に突き動かされる。一歩、また一歩と近づいて扉の前に立つと、やはり重苦しい雰囲気を感じる。それでも覚悟を決めて扉を開き、目に飛び飛んできたのは、あまりにも凄惨な光景だった。
牢屋の中で鎖に繋がれた獣人は濁り切った瞳をし、辺りには血の痕が広がり、そして、様々な体液が彼らの下半身を汚す。
目を逸らしたくなる光景や彼らの暗い表情に引っ張られ、こちらの気分も陰鬱なものになる。そんな気分では、想像以上の異臭を受け止めることができなかった。饐えた汗の匂い、処理されていない人の糞尿の匂い、鉄臭い血の匂い、腐った肉の匂い、そして、人の欲望の象徴の匂い。あまりにも悍ましい光景に、匂いに、脳がそれ以上の理解を拒み、動くことができなかった。
「っ!な、なんなの?これは…」
一秒、十秒、正確な時間はわからないが、少し経った後に、プレッセルの悲痛な叫び声が後ろから聞こえてきた。その声に、少しだけ正気に戻る。それでも、すぐに動けない程度には、動揺が残っていた。
「勇者様、水と布を持ってきてください。早く!」
「あ、ああ、わかった」
プレッセルに指示されるがままに、近くの井戸に向かって急ぐ。
向かう道中、自分の情けなさに嫌悪感を抱く。精神年齢だって僕の方が上で、勇者として人を守るべき立場なのに、動揺して何もできなかった。プレッセルの言葉がなければ動くこともできなかった。
それでも、周りに不安を感じさせないようために、否定的な感情を忘れ、足を動かす。
水と何枚かの布を手に取り戻ってきたが、家の中に入れなかった。捕まっていた獣人の多くが男性に対して怯え、恨み、怒り、そのせいで彼等の前に立てず、プレッセルを待つことしかできなかった。
けれど、家に入れたとして、僕に何ができただろうか。きっと中で彼女は、体の傷を治し、怯えた心を落ち着かせ、悪意からその心を守ろうとしている。聖女らしい、愚直なまでに正しい行いは、僕には出来ない。
一度陰鬱な気持ちになったせいか、なかなか普段の調子に戻れない。悲観的な考えと無力感に苛まれながら、所在なげにガナンさんと他の騎士たちと一緒に外で待つ。
しばらく待ってから、プレッセルが獣人たちとともに外に出てきた。人間のような体格に、馬の顔を併せ持つ彼らのほとんどが大人で、子供は二人ほどしかいなかった。そして、彼らは皆一様に恐怖と憎悪と怒りを顔に浮かべながら、邪神教団と僕たちを見ていた。 彼らが実際にどんな仕打ちを受けていたのか僕にはわからないけれど、その表情が僕に疑問を抱かせる。
『殺す、悪か?』
それは当然のことだし、ガナンさんも言っていた。人を殺めてはいけないと。
『じゃあ、悪を殺す、悪か?』
実際には聞かれなかった。けれど、もしあのときそう聞かれていたら、僕はなんと答えていただろうか。
村を襲っていた竜に対しては、弱々しい存在を寄ってたかって倒すことへの罪悪感と『いじめられている人がいたら助けなさい』という前世の両親の言葉の影響で手を止めた。
それならば、何故、邪神教団も殺したくないのか。直接手を下さなくとも、改宗せずに処罰された者は僕が殺したようなものなのに、口先だけで改宗すると言った者たちが再び悪事を働いて犠牲を出すかもしれないのに。
もしそうなったら、僕にその責任を背負えるだろうか。両親の言葉に従っているなんて理由では納得しないであろう獣人たちにどんな言葉をかけたら、彼らを説得することができるだろうか。
責任を背負うに足る、誰しもが納得できる理由がなければ、彼等に顔を向けられない。
それから、諸々の処理に時間がかかり、気が付くと夜になっていた。夜間の移動は危険だと思われたが、邪神教団に対する早急な尋問と早く尋問と、捕らわれていた人たちを落ち着かせるために、急いで出発することになった。
僕とガナンさんは邪神教団の子供たちとともに馬車に乗り、大人たちは一つの馬車に詰め込まれ、残った馬車に騎士の人たちが乗った。
そして捕まっていた獣人とプレッセルは、しばらくの間この村に残ることになった。衰弱がひどく、一週間の馬車での移動にすら耐えられるかどうかも怪しいらしく、最低限まともに歩ける程度まで体力が回復してから戻ってくることに決まった。
出発する時間になると、残った人たちのいる方向から歌声が聞こえてきた。前世の歌ではないのに、聞き覚えがあった。それが何なのかを思い出すために、小さな声で歌う。
『いとしい我が子、あなたは私の腕の中で揺られ、穏やかに眠る。
私は歌声で、あなたを安らぎの揺りかごへと誘う。
私の心は愛で溢れ、希望と喜びと混ざり合う。
あなたの視線が私の気遣いを誘うと、私はあなたに向き合い、心の奥底から喜びを感じる。
今はただ、主とメアリ様と私の愛に包まれてお眠り、いとしい我が子』
歌声とともに蘇った記憶は、七歳より前、前世の記憶を取り戻す以前に、お母さんが僕に子守歌を歌ってくれた光景だった。感傷に浸りながら視線を前に移すと、目の前に座っていた子供たちが眠っていた。
子供たちも眠り、僕とガナンさんが残された馬車の中で、改めて物思いに耽り、暴力を持って邪神教団を殺めることが正しいのか疑問に思う。目の前に眠る子供の姿が、親が捕らわれ怒りを露わにしたときの子供の姿が、僕を躊躇させる。
僕がお母さんとお父さんに愛されていたように、彼らだって両親に愛されているはず。子供たちだって両親を愛しているはず。親を愛する子供の親を、子供を愛する親の子を奪うことは正しい行いなのだろうか。
しかし、獣人に対するあまりにひどい光景を思い出すと、先程とは全く反対の感情を抱く。捕らえられていた中には、子供の獣人だっていた。その子たちにも愛する両親がいたはずなのに、攫われて離れ離れになっている。やはり、邪神教団は救いようのない悪なのだろうか。
悩んだところですぐに結論が出るはずもなく、唸っているとガナンさんが声をかけてくる。
「勇者様、どうかしましたか?」
どこまで心のうちを話してよいのか考え、彼になら素直に話してもいいのではないかと思う。
「…彼らが悪だということは、僕にもわかります。けれど、そんな彼らでも害したくないという気持ちもありんです。それならば、相応の理由を抱くべきなのに、あやふやな理由で迷っている僕は、どうすれば良いのでしょうか?」
「私は彼らの行いで犠牲になった人々のことを思うと腸が煮えくり返る思いを抱きましたが、それでもお許しになろうとするなんて、勇者様は本当にお優しい方ですね。それで、相応しい理由ですか。きっと私がなんと言おうとも、あなたの心からの言葉でない限り納得することはないでしょう。ですから、悩み続けるしかありません。教典にも書いてあるように、悩みを持たぬ完璧な存在などありません。それと同時に、主と女神様は我らに徒に苦悩をお与えになることはありません。いずれ答えが出る日まで、悩み続けるしかありません」
ガナンさんは顔に怒りを滲ませながら僕の質問に答えてくれた。
彼が言うように、簡単に答えの出る問題ではないのだろう。明確な理由を出せないまま誰も殺さないように何度も戦って、悩んで悩んで、僕自身が納得できるような、人々を納得させられるような勇者らしい答えが見つかるまで頑張らなければならないのだろう。
答えが出るかもわからないことに尽力するのは、少ししんどい。




