96:二度目の集結②
「リオンに『碧い刃』へ潜入してもらおうと思ってます。」
カルリスティアとハルハルが茫然としている間で、アスティは「……ほう。」と呟く。
「算段はついているのかな。」
「入り込む方法だけは、まだです。」
「なるほど。」
細い顎に右手を添えて、人差し指で頬を叩くアスティ。一方でハルハルはリオンの腕をしっかりと握って、のんきに寛ぐ彼女の体を揺らしている。
「危ないよ!やめよーよ!」
「やれっつうなら、アタシはやるぜ。」
「……。」
やるか、やらないかを決めるのは彼女ではない。生きるか死ぬかも、彼女は自分の意思で決められない。
彼女へ下す指示は文字通り、命を懸けた令となる。
「皆にも言ったように、人手を募ってまわる男が現れる。その男と接触できれば……安全に、内部へ入ることができるはずだ。」
「それしかなさそうですね。」
「ねえ!ダメだってば!」
手段が決まったら、次は思い通りに事を進めさせる策を練っていく。
「それっぽい言い訳とか要るかな。」
「これがありゃ十分だろ。」
橙色の爪が、つん、と伸びた指に弾かれる鉄の首輪。
「だね。隙を見て逃げてきた、かわいそうな奴隷ってことにしよう。」
「かわいそう、ねえ。」
「ちゃんと『らしく』できる?」
「ま、やってみるさ。」
ここについてはリオンの演技力に任せるしかない。
「んじゃ、明日にでも行ってみっかね。」
「思い立ったが吉日ってやつだね。」
「キチジツ……?」
訝し気に眉を寄せるリオンに微笑みかけるハヤト。二人の間では既に話がついてしまっている。腕を掴んでむくれるハルハルを置いてけぼりにして。
すると少年の左隣で静かに話を聞いていたカルリスティアは、小さく口を開く。
「ぁ……ハルハルもつ、連れて、いくのは……?」
まさかカルリスティアの口からそのような案を出てくるとは思ってもいなかったハヤトとリオンが茫然としてしまう番だった。
「そーだよ!そうしよーよ!リオンおねーちゃんだけじゃ危ないもん!」
「バカ言えッ!チビ連れてンなトコ、のこのこ歩けッか!」
「で、でも……っ。リオンさん、だってあ、危ないコト、するつもり……!」
「アタシはコイツに言われてやんだ!話がちげぇだろ!」
一斉に集まる三本の視線。
「おい!お前もなんとか言えッ!」
「ハルハル、なら、リオンさんとい、一緒に、行ける……っ!」
「ボク、リオンおねーちゃんについてく!ぜったいついてく!ぜったいだからね!」
いやはや、とハヤトは内心で首を振る。自分でもなしに、カルリスティアの突拍子のない策にハルハルがここまで乗っかってしまうとは。しかしリオンももっと冷静な反応をすればよいものを。
__いや。アリか?
同情を誘う境遇として「奴隷の身に落とされた女」というのは極めて効果的に思える一方で、リオン・ムラは奴隷という身分を与えられるにふさわしい大罪を犯した人物でもある。
しかし真実を隠して、「風の加護を持つ奴隷の女」となってしまえば。より深く憐れんでしまいたくなる身の上へと仕立て上げることができれば。
そしてあとはもう少し。もう少しだけ、仲間の力を信じさえすれば……。
「……とあるお嬢様に仕える、むりやり妊娠させられた女奴隷。」
リオン・ムラという女に、もう一つの顔を与えられる。
「名前はネリン。歳は二十七。子どもは十歳の女の子で、名前はルル。」
「おい。何言ってやがる。」
「やんちゃしすぎて奴隷にされ、前の持ち主に乱暴されてルルを妊娠した。今は高貴な家のお嬢様の従者になれたけれど、毎日ボロボロになるほどこき使われている。さらにその人の付き人の男からも母娘で体を狙われていて、夜も安心できる時はない。」
そして、それ故に。
「だから助けてほしい。自分は『風の加護』を、娘は『水の加護』を持っているし、戦いの心得もいくらかある。できることならなんでもするから、私たちを助けてほしい。」
ギラリと光る、深みのある赤褐色の瞳。それをまっすぐ見つめる仄暗い黒に染まった瞳。
「全部覚えて。」
牙のような八重歯を剥く豊かな赤い毛並みの雌狼は、しばらく瞼を閉じていた。じ、と動かず、一つまとめにした赤毛をこれっぽちも揺らさずに、黙ってそこに座っていた。
六度、七度と胸を空気で膨らせた後。彼女は黒いたてがみを逆立てる若獅子をひと度睨みつけて、しかし諦めか呆れかが混ざっているような何とも言えない表情で、彼の言葉を追った。
「アタシはネリン、歳は二十七。ガキの歳は十で、名前はルル。」
「やんちゃしすぎて奴隷にされ、前の持ち主に乱暴されてルルを妊娠した。今は高貴な家のお嬢様の従者になれたけれど、毎日ボロボロになるほどこき使われている。」
「やんちゃして奴隷にされて、挙句にゃあ飼い主に弄ばれてコイツがデキた。今の主人はいいトコのお嬢様だが、襤褸みたくなるまでこき使われてる。」
「さらにその人の付き人の男からも母娘で体を狙われていて、夜も安心できる時はない。」
「しかも主人の付き人は、アタシどころかコイツまで狙ってやがる。まともに眠れやしねぇ。」
「だから助けてほしい。自分は『風の加護』を、娘は『水の加護』を持っているし、戦いの心得も少しはある。できることならなんでもするから、私たちを助けてほしい。」
「だから助けてくれ。アタシは『風の加護』、コイツは『水の加護』がある。戦いだっていくらかできる。やれることはなんでもやるから、アタシたちを助けてくれ。」
一度ではない。二度、三度、四度、五度……。初めから数えてはいなかったが、次第にこれが何周目かわからなってしまうなるほど二人はひたすらに同じ言葉を繰り返した。
傍に見て、異常であった。
しかし断じて、正気である。
その言葉を携えて起こそうとしている行動から、正気さなど微塵も感じられなくとも。
「よし。夕飯食べたら、また練習しよう。」
「……わぁーったよ。」
彼女の目から、諦めか呆れかは失われていた。代わりにその奥で煌めくのは、暗中を照らし出す黒い炎。
「明日の夜明け前に行ってきて。留守を任されたけど、逃げ出したってことで。」
「あいよ。」
「重要そうな情報が掴めたらすぐに戻ってきて。」
「わーったよ。」
「念のため変装もしよう。頭巾で髪を隠すくらいなら簡単だし、すぐにできるし。」
「はいはい。物置で探してくっかね。」
「ハルハル。ちゃんとリオン……じゃなくて、ネリンお母さんの言うこと聞くんだよ?」
「うんっ!わかった!」
「くそ……握ったこともねぇのに母親になっちまうたぁな……。」
ああ、とハヤトは唸る。彼女の彼女らしい悪態を次に見られるのは、いつになるのだろうか。日替わりでベッドを温めてくれていた少女の愛らしい笑みを見られるのは、いつになるのだろうかと。
「お嬢。あんま困らせてやんじゃねぇぞ。」
「こ、困らせて、る?」
「そんなことないよ。カーリーだっていつもみんなのこと、気にかけてくれてるし。」
「……うん。」
「にいちゃんのこと独り占めしてもいいけど、約束は守ってね?」
「うん。」
「二人はなんの話をしてるの?」
明日の朝。四人は、二人と二人になる。
だったら、せめて。その前の晩くらいは。
「よし。今日の夕飯は奮発しちゃおう!」
「わーい!お肉いっぱい食べたーい!」
「……チーズ、食べたい。」
「おいおい。戦勝祝いにゃ早すぎるだろ。」
可愛らしい栗色の髪を揺らして、ひょこりひょこりと跳ねるハルハル。銀色に輝く前髪の隙間から紺碧の瞳でこちらを覗くカルリスティア。やれやれと肩をすくめて、けれど口元を緩めるリオン。
ハヤトは思い思いにはしゃぐ三人を見つめて、ああ、と内心で唸る。
仲間とは、こういうものなのだ。
そうして次の日、リオンとハルハルは借家を出た。日が昇っていない、まだ暗闇と冷たい空気が肌にまとわりついてくる時頃から。
二人がどのようにしてあの長い壁の反対側へ抜けたのかは、借家の窓から見送った側のハヤトとカルリスティアが知るところではない。
しかし、よくわかっている。
あの二人なら、大丈夫だと。