95:二度目の集結①
碧い刃壊滅作戦が始まってから、七日が経った。今日は作戦に参加している傭兵とアスティがギルド「風の呼び声」に集結することになっている日だ。
ハヤトたちは先日同様、昼頃にギルドの二階にある部屋に入った。中では既に十数人の傭兵たちが談話に耽っており、黒い髪の少年がやってきたことに気がつく者はいない。ハヤトは手前側で数人の傭兵たちと輪を作っていたやや小柄の男を見つけて、声をかけた。
「お疲れ様です。」
「おう、お前か!そっちはどうだった?」
ハヤトが酒場やネイル工房で聞いた話を伝えると、傭兵たちは揃って芳しくない表情を浮かべた。
「ネイル工房んとこの事件と、碧い刃が関わってるかもしんねぇのか。」
「はい。馬を複数人で乗りこなしていることからしても、組織的な襲撃だったと考えた方が納得できます。」
「とすると、どこかに拠点でも構えてるはずだな。」
やや小柄な男の呟くような言葉に、すぐ傍で聞き耳を立てていたらしい別の傭兵が輪の中に体をねじ込ませてくる。
「猟師連中に聞いたら、北にある古ーい砦から煙が立ってるのを見たらしいぜ。」
「オレも町の女から聞いたぞ!最近、北にある川の辺りで騎士の幽霊が出るって噂!」
「それは……もしかして?」
「ああ。もしかするかもな。」
ああ、とハヤトは内心で唸る。さすがは歴戦の傭兵たち、戦闘だけでなく情報収集でもこれほど頼りになるとは。経験に優るものなどありえようか。
「それについて、もっと詳しく__」
と、そういったところで。部屋の扉が勢いよく開かれる音が響いて一斉に振り返った。
「ハーッハッハッハ!同志諸君!よくぞ集まってくれた!」
白いマント、銀装飾がされた黒革の鎧、そして銀色の仮面。
見紛うはずもなく、アストリ……アスティその人だ。
「さあさあ!さっそく情報のすり合わせを始めようではないかッ!」
傭兵たちの正面に居直ったアスティは一人ずつ、右端から順番に話を聞いていく。
「ここんトコ女たちが、キハロイの北で騎士の幽霊が出るなんつう噂してやがったんだ。調べたら丘の向こうにある川に小屋があって、そこに住んでるじいさんが出どころらしい。」
「陽がほっとんど落ちて暗くなった頃、馬ン乗った騎士が川沿いに西から東に、東から西にって駆けてく姿を見たんだと。それも一度きりじゃねぇ。四度、五度ってな!」
「漁師はいッそいで衛兵にかけ合って城の騎士が見て回ったが、どうもあの辺は草が高いせいで馬の足跡は見つかんなかったらしい。」
川の畔を徘徊する幽霊騎士の噂。なんとも不気味で、好奇心がそそられる。しかし川沿いを往復していたことからして、実際は馬術の訓練をしていた碧い刃の構成員と考えられる。
陽が落ちかける頃の暗さでほとんど姿が見えず、どういった格好の、どのような人相をした人物だったかなど、老い衰えた眼でははっきりと見通せないはず。不気味さと馬が駆ける音だけが記憶に残り、曖昧な目撃情報はやがて幽霊騎士の噂へ形を変えたのだ。
「オレらは猟師連中から、棄てられた砦がある方向から煙が上がってたっつう話を聞けたぞ。見に行ったヤツはいねぇらしいけどよ。」
「棄てられた砦、か……。」
さすがはアプリー公爵令嬢……の、使いの者。心当たりがあるようで、細い顎を擦っている。
「おそらくクロムール砦のことだな。この辺りがフロリアーレ王の下になかった頃、いくつかの戦いで使われたと歴史書にあった。サント・ライナ城が拡張されて久しい今では使っていないはずだ。」
「どこにあんのかはわかってんのか?」
「城にこの土地の委細を記した地図が保管されている。」
「じゃ、乗り込むってなったら案内頼むぜ!」
「ああッ!その時はこの私が、諸君を栄光ある勝利へ導いてやろう!」
仰々しい手ぶりと「ハーッハッハッハ!」という高笑いがあまり不快に感じないのは、本人の気質と凛々しい雰囲気のおかげだろう。生来の貴人はむしろ普段からこういう言動をしていてくれた方が親しみやすい……気がする。
そのように恥ずかしげもなく恥ずかしい振舞いをする彼女の姿を眺めていたハヤトのところに、灰色の瞳が向けられる。
「ハヤトくんはどうかな?」
「俺たちはいくつかの酒場と、ネイル工房で話を聞きました。酒場ではなんの成果も得られなかったんですけど……。」
ネイル工房がタスアへ送り出した荷馬車が馬に乗った野盗に襲撃された事件と、それについて立派なもみあげの男、リオン、カルリスティアから聞き出した情報を基にした見解をハヤトは一から百まできっちり話した。
真っ先に反応を示したのはアスティで、腰に帯びている短身剣の柄頭に手を添えて首を捻る。
「馬を使いこなす盗賊など聞いたことがないが、キーエ人が仲間にいるとすれば合点がいく。」
「思ってたより厄介そうだな。」
「槍でも買うか。」
「一人で担いでってもなあ。」
馬を使いこなしている可能性が出てきた途端に、傭兵たちからは威勢の良さがすっかり失われてしまっていた。彼らの数少ない取柄だというのに。きっと、それほどまでに騎乗兵を相手取るのは骨が折れるのだろう。
誰もが黙りきってしまった頃。痺れを切らしたらしい一人の傭兵が、もうそろと声を上げた。
「で?そっちはどうだったんだよ。」
問いかけられたのは、傭兵たちの前で腕を組むアスティ。彼女は固い意思を感じさせる灰色の瞳で傭兵たちを見渡すと、小指と薬指を立てて掲げた。
「こちらでわかったことは二つ。一つは、物乞いたちに声をかけて人を募っている男がいる、ということだ。」
歴戦の傭兵たちの目が、ギラリと光る。
「男か?女か?」
「両方だ。若者に限っているようだな。」
「なんに使うにせよ、若い方がいいもんなぁ。」
壁の中で人付き合いを持つ傭兵ではなく、壁の外にいる物乞いであれば人手を集めても大きな騒ぎにはならないと踏んだか。しかし戦いの経験がない者ばかり集めてどうしようというのだろう。
「そしてもう一つ。連中は森林官の目を避け、男たちに森の木々を伐採させてまわっているようだ。」
静まり返る男たち。
「……それで、なんだってんだ?」
「いや、それだけだ。」
細長い窓から外景を見遣る彼女の目は、ひどく冷たい。
「北西に数日行った辺りの谷が、斜面から木が全て刈りとられていたんだ。森林官殿もひと月前に巡回した頃とはまるで別の場所のようだと言っていた。」
斜面の木を全て切り倒すために相当な数の作業員と期間があったはず。そして大量の木材を確保しなければならない、目的も。
「木材の行き先がどこかっていうのは?」
「わからない。少なくとも、この辺りの職人の所には持ち込まれていない。」
とすると伐採された木は「碧い刃」の内部で消費されたか。もしくはキハロイ周辺の外へ持ち出された可能性もある。馬を使いこなしている彼らなら遠くに丸太を運ぶこともできよう。
「もしそれが外に持ち出されたとしたら、どこに持っていきますかね。」
アスティならば見当くらいはついているかと期待して訊ねたが、彼女は細い顎を擦りながら一つまとめにした髪を二度、三度と揺らすばかり。
「どうだろうなぁ。木材を欲する者はいくらでもいるからな。」
「それもそうですね……。」
森林官に監視されていないのならば、木材の使い道や行き先がわかるはずがない。
そういえば、とハヤトは森林官クルスに雇われた時のことを思い出す。
作業員としてやってきていた男たちが簡単な指示だけで手際よく作業を進めていたことからして、彼らは日常的に木こりの仕事をしていると察せられる。
そう、本来は木の伐採など地元の男たちに任せきっていればいい。わざわざ森林官が現地に足を運ぶ必要はないにもかかわらずクルスは小さな宿場町を訪れて、燃料用の木材調達を指揮していた。
「前から、他の場所で勝手に伐採がされているみたいなことはないですか?」
「うむ。森林官殿の話ではよつ月以上は前から、許可なく伐採された痕跡をいくつか発見したらしい。」
人手を集め、定期的に大量の木材を調達している「碧い刃」。彼らが得た木材はどこで消費されているのやら。
可能性だけを根拠にしてそれぞれの事実を繋げて考えることなど、いくらでもできる。ありもしない「道」は頭の中でなら何本でも作り出せるのだから。
そして世間はその工程を、「仮定」と呼んでいる。
手のひらにあるのは、いくつかの事実。これらが一つの「仮定」を成すまで繋げていかなければならない。
壁の外に拠点を持つごろつき集団。人手を集めて木材を採集。馬術の訓練と馬を使った組織的な襲撃。少数ながら手に渡った良質な武具。揃いで腕に巻いた緑の布切れ。
何かが。何かが見えてきそう……でいて、しかし思考の矛先は霧中を穿つばかりで手応えがない。ただ、足りていないモノはおおよその見当がついている。
「もっと情報が欲しいですね。」
「ああ。まったくだ。」
ハヤトは後頭部で腕を組み、右脚を左の膝に乗せて寛いでいた赤毛の女を見遣る。彼女もまた少年の様子を窺おうと、深みのある赤褐色の瞳でこちらを覗いていた。
「では引き続き、情報収集を続けることにしよう。我々は公爵領での物資の動きを探ってみる。」
「オレらもやれるだけやってみっか。」
「なぁにができンだかなぁ。」
「そりゃこっから考えんだよ。」
ぞろぞろと去っていく歴戦の傭兵たちの中に黒い髪の傭兵はいない。やがてすっかり静まり返ってしまった部屋で、彼と銀仮面の女は対した。