93:ネイル工房①
キハロイの壁内を巡る情報収集ツアーを始めてから三日目。まだ陽が高い所まで昇りきっていない内から、ハヤト、リオン、カルリスティアとハルハルの四人はある場所を目指して丘を登っていた。
二本の煙突を青天に突き伸ばす、黄土色の漆喰が塗られた外壁と木板の高屋根が特徴的なその施設に辿りついたハヤトたちは、門前を占拠して周囲を睨む立派な鎖帷子の鎧を着た騎士たちを見つけて、こちらから声をかけた。
「お疲れ様です。」
「お前たちか。どうかしたのか。」
「ケイルさんたちこそ、どうしてここに?」
騎士たちに混ざって門前を抑えていたケイルは、門の向こうを視線で指し示す。
「今朝、急にお嬢様が職人たちの仕事を見に行きたいと仰ってな。予定を全て後回しにして、ここに来ている。」
「た、大変ですね、隊長さんも。」
「ああ。まだ寝てたヤツも叩き起こして、部隊を編成する破目になった。」
「本当にお疲れ様です……。」
疲労した素振りこそ見せていないが、内心ではその人の自由奔放さに辟易していることだろう。彼だけでなく、周りで警戒に当たっている騎士たちも。
だが彼らの心中を思うと、陰キャラ引きこもりお嬢様が相手だった侯爵邸の使用人たちがしていただろう苦労も同時に浮かんでくる。
ハヤトは左隣で揺れている銀色の髪を優しく撫でながら、ケイルが見ている所へ黒い瞳を向ける。
「俺たちも用があって来たんですけど、入っていいですか。」
ケイルは腰に携えている長身剣の柄頭に手を添えて、「ふむ。」と唸る。
「まあ、お前たちならいいだろう。」
「ありがとうございます。」
門の先でも騎士たちが数人ずつまとまって立ち、この早くから仕事をしている職人や見習いたちの一挙手一投足に目を光らせている。その姿を横目に奥へ進んでいくと、数人の女職員を連れた老鍛冶師が現れた。
「おはようございます。みんな連れてきました。」
「おう。じゃ、やるか。」
老鍛冶師は女職員たちに「おうい!」と声をかけて、奥へ通してくれる。
今日ここを訪れた目的はずばり、体のサイズ測定だ。ここで測ったサイズをもとに、カルリスティア以外の三人の鎧を作ることになっている。
リオンとハルハルは、アダルフとの商談に使った応接室で。ハヤトはその隣にある小さな物置で測定を受けることになった。
女職員は目盛りが印された布紐で体のあちこちを丈長の衣の上から測っていく。その手の動きは極めて滑らかだ。測っては記録する作業は基本的に彼女たちが請け負っているのだろう。
「この作業はいつも、お姉さんたちがやってるんですか?」
「ええ。私たちは読み書きができますから。」
そういえば、とハヤトは初めてここに来た時のことを思い出す。作業をする職人たちの横で職員たちが手元の資料を読む姿を見かけたが、あれは単に代わって読んでいたのではなく、文字を読めない職人のために代読していたのかもしれない。
鍛冶師はこの世界では比較的、裕福で安定した暮らしができそうな職業だが。文字を読むための教育というのはそんな彼らにとっても贅沢品なのだろうか。
「動かないでください。」
「す、すいません。ちょっとくすぐったくて……。」
こそばゆい感覚に襲われながらもサイズ測定を終えたハヤトは物置を出て、リオンとハルハルがサイズ測定を受けている応接室の傍に立つ。
仲間たちの姦しい会話が微かに漏れて聞こえてくる。詳細までは聞き取れないが、どこかのサイズについて話していることまでは辛うじて判別できた。
リアヌ人の血を引く元盗賊、大貴族の陰キャラお嬢様、異文化の地から来た幼女……あまりにも背景が異なるあの三人は、これまで大きなトラブルや目立った軋轢もなく、一つの「力」として自分と共にいてくれている。
もし。もし、これからもそうあってくれたなら、どれだけ多くの思い出を共有できるのだろうか。これからのことを、どれだけ語り合えるだろうか。
赤毛の女、銀色の髪の少女、栗色の髪の幼女……誰一人として、欠けさせたくない。そう思うのは絶対におかしい感情ではないはず。
そして、もっともっと大きな「力」になりたいと思うのも、おかしい感情ではないはず。
四人。けれどまだ、あの背中は遠い。
一歩でも、半歩でも、四半歩でも近づくために。もっと大きな「力」とならなければ。
少年の胸の奥で渦を巻く熱は、未だ知らぬ人々との出会いに思いを馳せて脈動していた。
「おい。アタシだけ服、ひん剥かれたぞ。どういうことだ。」
「さあ?なんでだろうね?」
応接室から出てきて早々、牙のような八重歯を見せて吠えてくる赤毛の女を軽くあしらったハヤトは、奥側から人の気配を感じ取って顔と目線を向ける。
困り眉を顔面に張り付けたアダルフと控えめな刺繍が入ったドレスを着たアプリー公爵令嬢がやってきたのは、ちょうどそういうタイミングだった。
「ごきげんよう、ハヤトさん。」
たおやかに微笑んでいるその人に、ハヤトは会釈で応じる。
「皆さんはどうしてこちらに?」
「鎧の製作を依頼しているんです。さっき測定を受けたところで。」
依頼をしていると伝えたところで、その人は「ふふ。」と柔らかく目を細めた。
「お仕事、順調のようですね。」
「はい。みんなで頑張ってます。」
何気なしに会話をする二人を、横からアダルフは意外そうな顔をして眺めている。
「兄ちゃん、お嬢さんと知り合いなのか。」
「はい、カーリー繋がりで以前から。」
と、こちらも深い意図は無しで答えるハヤト。
「あら、知り合いだなんて。私、ハヤトさんのことをお友だちだと思っていたのに。寂しいです。」
少年は直感した。このままではいつものように彼女の口車に乗せられ、とことん詰められることになると。
しかし、どうしたものか。アプリー公爵令嬢たる彼女に知力で競り勝てるとは思えない。まして話術など、足元にも及ばない。
内心で首を捻っていた少年はふと、左隣で銀色の髪が揺れているのに気がついた。少年はこれ幸いと素早く細い肩を掴んで、その人と自身の間に差し出す。
「アストリエスさんはカーリーの友だちなんですから、もちろん俺にとっても友だちですよ!」
いわゆる友人の友人もまた友人理論である。もっとも、カルリスティアが自分のことを友人だと思ってくれていなければ成り立たないが。
ただし今回はその心配をする必要はなかった。カルリスティアは紺碧の瞳でこちらを見上げながらいじらしくはにかんでいて、その人の灰色の眼差しも口元も満足げに緩んでいる。
「調査は進んでいますか?」
「まあ、それなりに。まとめてアスティさんに報告するつもりなので、もう少し時間をください。」
「四日後にまた彼女を使いにやりますから、そこで。」
「わかりました。」
こうして話しているとますます、アストリエスとアスティが同一人物だなんて信じられなくなる。もしかすると本当に、まったく別の人物なのでは……?
「工房長殿、お仕事の途中でしたのに押しかけてしまって申し訳ありませんでした。」
「いやいいさ。ここはアプリー家の都市なんだかんな。」
「では明日もお邪魔してよろしいかしら?」
「勘弁してくれ。こっちにも都合っつうもんがある。」
その人は「ふふふ。」と含みを感じる笑みを浮かべるばかりで、それ以上は何も返さなかった。
「ではそろそろ。見送りは結構ですから、お仕事に戻られてください。」
「そりゃあ助かる。仕事が溜まってんで、兄ちゃんからの依頼に辿りつかねぇところだったんだ。」
アダルフはアプリー公爵令嬢に背を向けて、自身の作業場へと足早に戻っていく。
相手が何者だとしても、あくまでもこの城の主は彼。そしてここは技術者たちが仕事をするための場所であり、彼の仕事は客対応ではないのだ。
「ハヤトさん。送ってくださる?」
「はい、喜んで。」
その人を護衛の騎士たちに引き渡すまで、ハヤトは強い熱と固い意思を感じさせる灰色の瞳を流し目に覗きながら、同じ色の瞳を持つもう一人の人物について考えていた。