91:光の聖戦士と歴戦の傭兵①
「明日、『風の呼び声』を通してハヤトさんたちに依頼をするわ。昼に使いの者をやるから、彼女と話をしてね。」
「わかりました。失礼します。」
アストリエスの柔らかい笑みで見送られたハヤトは仲間たちを連れて、十数日ぶりに借家へ帰ることができた。
煉瓦の屋根を頭に乗せた、寂れた雰囲気の家。夕陽に照らされて赤く輝く緩やかな三角形の帽子を、黒い髪の少年は黒い目を少しだけ細めて見上げている。
少年の胸を駆け抜ける、黄金色のつむじ風。いつかの日に、とある少女から聞いた「夢」。
もう三か月も前のことだというのに。嫌になるほど、鼓動が早まる。
「……ただいま。」
「おかえりー!ただいまーっ!」
「ただ、いま。」
「いいから鍵開けろって。」
「ごめんごめん。」
家に入った途端、リオンは腰ベルトを壁掛けに預けたり、カルリスティアは帽子を頭から下ろしたりと身の回りの物を片付けていく。ハヤトも背嚢をテーブルに置き、紐で巻き付けた寝袋を抱えて物置に持っていった。
旅装束を解いた四人はそのまま、酒場「割れた杯」の扉を開けた。今日は野外席まで剣や斧、弓を担いだ男たちでみっちりと満たされている空間を歩き、四人がけのテーブルを占拠する。
直後。ハヤトは背後に気配を感じたが、反応する前に背中と首元に衝撃が加わる。
「おかえりハヤトくぅーん!」
「わッ?!きゅ、急にこういうことしないでくださいよ!」
「えっへへー!こうしないとハヤトくん逃げちゃうんだもーん!」
繁盛している酒場のド真ん中。背中に体をピタリと寄せ、首と胸に腕を絡ませてくる女など一人しかいない。
「ご飯食べてく?」
「ああ、はい。いつもので。」
「はーい!ちょっと待っててね!」
極めて幸いなことにコリーンは仕事熱心な性格だった。おかげで注文を厨房にいる両親に伝え、完成した料理をテーブルで待つ客へ運ぶというサイクルにすぐ戻ってくれる。
まあ、ただ。仲間たちの表情はやはり芳しくない。リオンはすました顔で頬杖をついているが、ハルハルとカルリスティアは両の瞳を紫がかった青色や影より淵い漆黒に染めて、忙しく働くコリーンを睨んでいる。
「どうしたのよ、その子たち。」
「なんか視線が怖いよー、お兄さーん。」
「すいません……。」
至って無実のはずの姉妹店員にまで向けるのは迷惑になるので、勘弁してほしい。
飼い主のそのような心境を知ってか知らずか……知っているのならなんとも意地の悪い話だが、赤毛の女はおもむろに口角を上げる。
「よりどりみどりだな。」
「リオン?!余計なこと言わないで?!」
左隣と前から飛んでくる、圧迫感がある眼差し。
「……節操なし。」
「あるから!ちゃんとあるから!」
「にいちゃんのジュンケツはボクが守ってあげるからね。」
「う、うん。ハルハルは頼もしいなぁ、ははは……。」
ジュンケツを既に喪っているという事実は、告げないでおいた。
それにしても最近は、こうして詰められる機会が多すぎるとハヤトは内心で頭を抱えた。気のせいではなく、確かに。
おかげでこの日の夕食はなかなか喉から下へ降りてくれず、ハルハルからの熱烈な「あーん!」を躱しながら食べる派目になってしまった。
翌日。四人は太陽が最も高く昇る頃、身支度を整えて傭兵ギルド「風の呼び声」に顔を出した。混雑する時間帯ということもあって同業者の姿は以前訪れた時よりも多い。職員たちも額に汗を浮かべながら仕事に励んでいる。
ただ、だからこそ。その人が放つ存在感と異物感は、恐ろしく強烈に感じざるをえなかった。
長い髪を後頭部の高い所で一つまとめにし、光沢のある白地のマントを肩から尻まで垂らし、やけに手の込んだ銀装飾が施された黒い革の鎧を身に纏った、その女。
口元以外は銀色に光る仮面で覆われており、仮面の裏から強い熱と固い意思を感じさせる灰色の瞳でこちらを覗いている。
「我が名はアスティ!アプリー公爵令嬢アストリエス・フラ・アプリー様にお仕えする、光の女神アーネの祝福授かりし聖戦士であーるッ!」
求めた記憶のない名乗りを受け、ハヤトはたじろぎながら会釈する。
「は、ハヤト・エンドウです。アストリエスさんの使いの者っていうのは、あなたのことですか?」
アスティと名乗った女は革の装甲で守られた胸を叩き、「いかにも!」と高らかに言い放つ。
「諸君!我が現界の主アストリエス様より賜った大いなる使命を果たすべく、互いの力を合わせ、如何なる困難も共に打ち払うおうぞ!ハーッハッハッハッ!」
ギルドのロビーで一人、盛大に騒ぎ立てる女。
その名はアスティ。主人はアストリエス。
ハヤトはロウネに旅立つ前、フィグマリーグ侯爵邸でカルリスティアから聞いていた。やや誇張した表現をしたくなってしまう病を彼女が患っていると思われることを。
そして今、眼前には同じ色の瞳を持った女がいる。この状況から考えられることは一つだけ。
__本人、だよな?
しかし雰囲気や言動がかけ離れている。目の前にいるこの女の姿と、昨日話した淑やかさと品格に溢れる「ザ・公爵令嬢」な姿は、あまりにも。
とはいえ彼女は間違いなくアスティと名乗り、アストリエス・フラ・アプリーに仕えていると供述している。であるならばここは全くの別人として扱うのが道理というもの。カルリスティアもジトーッとした目を向けてこそいるが、何も言わないでいる。それに……。
「ではハヤト殿!さっそく二階で『仕事』の話といこう!この都市に愛と平和をもたらさん!」
「は、はい!」
これほどまでに生き生きとしている人の裏側を詮索するのは、野暮というものだろう。
ギルドの二階にも職員と思しき男女が数名いた。銀仮面の女アスティが眼前に現れるとその場に留まり、頭を下げる。アスティはそんな彼らに一瞥をくれてやる。
そうしてすぐに二階左手の奥にある部屋に入った。部屋にはすでに十数人の傭兵と思しき男たちと、立派な仕立ての衣と銀色に輝く首飾りを着けた男が乱雑に並んだ椅子で待ち構えていた。
ハヤトはアスティの背中を追う形で部屋を歩いていると、ふと一人の傭兵と思しき男と目線が合う。
「……んん?お前この間、ウチに来た新人か?」
傭兵と思しきその男はがっしりとした体格をしており、座っているためにわかりにくいが背がやや低い。そしてすぐ近くには大きな弓が矢筒と共に立てかけられている。
「ああっ!あの時の!」
「おいおいマジかよ!お前が『一番星《the Golden Star》』だったのか!」
なんだか久しぶりにその名を呼ばれた気がする、とハヤトはなんだか照れ臭いような、懐かしいような気分で頬を掻く。
「まあ、ハアースではそんな風に呼ばれてました。」
「知らなかったとはいえ悪かったな、新人扱いしちまって。」
「いえいえ。ここじゃ新人なのは事実ですから。」
謙遜のつもりで言ったわけではなかったが、男はそのように捉えたらしい。彼は座ったままハヤトの背中に手を伸ばし、「謙虚なヤツだなぁ!」と力強く叩く。
ハヤトが席に着いてからも何か話したげに身じろいでいたが、アスティが演説を始めてしまった。
「『風の呼び声』に籍を置く実力者たちよ!此度は我が声に応え、この場に集ってくれたことに感謝しよう!汝らの力があればまさに百人力!人々の安寧おびやかす悪しき者どもに鉄槌を下すべく、共に立ち上がろうではないかッ!」
これでもかと声を張り上げるアスティだったが、やけに立派な身なりの男は一切動じずに咳払いを一つ。
「アスティ殿。声高に語られるのは結構ですが、まずはアストリエス様からの依頼について伺いたい。我々、傭兵ギルド『風の呼び声』が協力するか否かを判断するのはそれからです。」
なんだか鼻につく口ぶりだが、ハヤトも気になるところではある。仮面の奥で光る灰色の瞳は少し残念そうにしているが、見なかったことにしてしまおう。
「いいだろう。これから話すことは全て、我が現界の主アストリエス様のお言葉と心得よ。」
いや、まあ。本人なのだから当然だが。
「汝らへの依頼は、『碧い刃壊滅作戦』への参加だ!」
部屋がひと度、どよめきで満ちる。
「キハロイは交易の要衝であり、人の往来は多く問題は絶えん。だが目下、最大最悪の懸念は『碧い刃』が活動していることだ!力を高める前に滅さなければヤツらはいずれ単なるごろつきではなく、人々から安寧と富を奪う大悪党と化すだろう!アストリエス様はそれを大変に危惧しておられ、安らかに眠れない夜を過ごされているッ!」
「……リエス、一度ね、寝たら絶対、起きない。」
「そうなんだ……。」
しかし心から気にかけてはいるのだろう。こうして自らキハロイに赴くほどには。
「んで?連中叩くっつってもどうすんだ?」
「無論ッ聞き込みから潜入まであらゆる手段を尽くすのみ!構成員の特定、外部との繋がりの確認、活動拠点のあぶり出し、資金源の調査……ヤツらに関する全ての情報を集め、確実に息の根を止めてやるのだッ!」
しかし自分たちは傭兵である。自身の命を危険に晒し、他者の命と財産を守る者たちである。
「けどよう、なぁーんにも起きちゃいないぜ。確かに連中はキハロイをうろついちゃいるが、んなこたぁその辺のごろつきだってやってることだ。」
「どうせアイツらもカネ儲けのために流れてきたんじゃねぇのか。なんかやらしたってんならオレたちのところに『仕事』が来るはずだろ?」
傭兵たちが飛ばした野次からして、今のところ「碧い刃」はこの都市で目立った騒ぎを起こしていない。問題が起こってから動く傭兵たちが、起こってもいない問題に関心を示さないのは至極当然である。
問題ある所に傭兵あり。それがこの世の常ならば、良くも悪くも彼らはそうあり続けるだろう。
「アストリエス様に申し上げておくのだ。『風の呼び声』は、貴女様が描いている空事を真にするために存在するのではないとな。」
立派な仕立ての衣を着た男は、銀色に輝く首飾りをいやらしくギラつかせながら部屋を立ち去ろうとしている。その背中はやけに大きく、けれど矮小にも見える。
「『狩り』がしたいのなら、隼か犬でも連れて森に入ればいいものを。」
男が去った部屋には、バタンッ、というわざとらしい音がただ一つ残された。
……いや、そうでもなさそうだ。
「ま、アタシはコイツについてくだけだ。」
牙のような八重歯を得意げに見せつける、赤毛の女がいる。
「ワルいヤツはこらしめないとだよね!」
小さな体に大きな可能性を秘める、栗色の髪の幼女がいる。
「……がん、ばる。」
紺碧の瞳をキラキラと煌めかせる、銀色の髪の少女がいる。
「アスティさん、やるべきことがあれば何でも言ってください。俺たちもできそうだって思ったことはどんどん言いますから。」
瞳の奥に真黒い炎を灯した、黒い髪の傭兵がいる。
「別に手を貸さねぇたぁ言ってねえ。つうか、あンの目障りな連中をブン殴れんならなんだってやってやるぞ!」
「ギルドマスターが動かなくても、オレらはカネさえ貰えりゃいくらでも動いてやるさ!」
「あんまり無茶なことはさせんなよ!カミさんとガキども、食わせてやらにゃなンねぇからよう!」
血の気と活力で頑強な肉体を張り詰める、恐るべき歴戦の戦士たちがいる。
「……ああっ!それでこそ『傭兵』というものだ!」
それから、強い熱と固い意思を感じさせる灰色の瞳を輝かせる女がいる。
だとすれば、必要な物は一つ。
「数多の難事を潜り抜け、今ここに生きる強者たちよッ!各々の力と知恵を団結し、『碧い刃』を尽く打ち滅ぼしてくれようぞーッ!」
「「オォーッ!」」
ここにいる全ての者が道を紛うことなく進むため、往くべき先を導き示す唯一の光。
アストリ……アスティとハヤト、リオン、カルリスティア、ハルハル。そして歴戦の傭兵たちによって決起された「碧い刃壊滅作戦」は、「冬のふた月」が下旬に移る頃に始まった。