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83:キハロイでの日々1・①

 

 この世界の太陽は西から登る。そして少年が眠るベッドは西向きの窓の下にある。


「ぅ……。」


 焼き刺すような橙色の光を瞼越しに受けた少年は、眠る前は気がつかなかった微かな隙間への恨み節を喉の奥に押し留めながら、意識をこちら側へ引き上げていく。


 少年はしばらく、ぼんやりとした視界に天井を映していた。それから胸の辺りに目を遣って、自身の右腕に包まれて安らかに眠る小さな女の子の小さな頬を指の腹でそっと撫でてやる。


「ん、ふふ……。」


 なおも可愛らしい寝息が聞こえてくるのを確認したハヤトは離れがたい温もりに別れを告げ、少女の安眠を妨げてしまわないようにゆっくりとベッドから這い出た。





 裏手にある井戸から汲んできた水で顔を洗ったハヤトは、濡らしてしまわないように隣家と隔てる柵に掛けておいた丈長の衣に目を向ける。


「だいぶ擦り切れてきたなぁ。」


 この衣と共に王城を発って、五か月強。元からそこまでしっかりとした作りをしていなかったが、近頃は腕回りや腹の辺りの目が粗く大きくなってきていて、肌の色が透けている所もある。

 仲間たちから預かった衣服を洗う手も、少しだけ鈍くなってしまう。刺すような冷たさのせい、だけではない。


 この世界に来た時から故郷ほどの技術水準ではないことは理解していた。が、生地の丈夫さからして劣る部分もあるとは。テレビやネットで悪者扱いされていた石油製品の衣服が、今ではとても恋しい。


「俺の制服、どうなったんだろ。」


 遠い故郷を感じられる、遠い故郷から持ち込めた品物。王の城に置いてきてしまったそれと過ごした時間を思い出しながら物干しに衣服を掛け終えた少年は、銀色に輝く鍔の短身剣を手に取った。


 しばらく経って朝の日課を終わらせた少年が白く湯立つ体を冷たい水に浸した布切れで拭っていると、井戸を囲っている他の家の勝手口から住民らしき人々が姿を現した。


「兄ちゃん、この辺じゃ見ないね。」

「はい。昨日からこの家を借りてる者です。」


 桶を二つ担いでいる横幅の広い中年の女は、「ああ、ワースさんとこの。」と頷いて、井戸から水を汲み上げる。


「仕事はなにしてんだい?」

「傭兵をやってます。」

「へえ。家も借りられるくらいは稼げるもんなんだね。」

「いやあ、まあ。ちょっと運が良かっただけですよ。」

「はっは!随分と謙虚みたいで!」


 横幅の広い女以外にも我先にと水を汲んでいた住民たちも、ハヤトの体つきと顔つきを交互に窺っている。


「でも立派な家だろう。一人で住むのかい。」

「仲間と一緒に使ってます。たぶん、もうすぐ起きてきますよ。」


 その前に朝食を用意し始めなければならない。そして食事を作るためにも、住民たちに混ざって水を汲まなければ。

 ハヤトは柵に掛けておいた桶を井戸の側に置き、井戸の底から水を汲んで移す。住民たちが盛大に水をこぼしてぬかるんでしまった土の地面に革張りの鞘が触れてしまわないように気を遣って桶を持ち上げた少年は、住民たちに会釈しつつ勝手口の戸を開いた。


「っと。お前か。」

「ああ、リオン。おはよう。」


 扉の向こうには腫れぼったい瞼を擦る赤毛の女がいて、反対の手を金具にかけようとしていたところだった。


「珍しいね、こんな早いの。」


 リオンはうつらうつらとしながら「ん、なんか……。」と覚束ない口元を動かす。


「外からぶんっ、ぶんっつー音がして……そんで、目が覚めた。」


 少年は音の原因に心当たりがあった。


「それ俺が素振りしてた音かも。ごめん。」

「いやあ、いいけどよぅ……。」


 寝ぐせがついた赤毛の長髪を掻いているリオンは、本当に喉の奥が見えてしまうほどの盛大な欠伸をしてから飼い主が現れた側へ行く。


「顔洗ってくる。」

「うん。朝飯、すぐ作るから待ってて。」

「あいよ。」


 衣の裾から見えるよく引き締まった腹をぼりぼりと掻きむしりながら、リオンは人混みの晴れない井戸の方向へ歩いていった。


 火打石と乾いた藁で暖炉に火を入れ、物置に備蓄されていた薪木をくべる。火の勢いが増してきたタイミングで井戸水を移した鍋を掛けたところに、ナイフで適当に切った赤橙の根菜と白く丸い根菜、よく見慣れた丸い芋、干し豆を放り込む。


「おあおー、にーあん……。」

「おはようハルハル。」


 ハルハルが起きてきた頃。根菜たちが程よく煮えたことを確認してから、塩をふた摘み。味を見てからさらにひと摘み。

 こうして本日の朝食が完成した。


「カーリー、朝だよ。起きてー。」


 毛皮のブランケットを被って丸くなっているカルリスティアは、体を三度、四度と揺するだけでは起動しない。ハヤトは内心で、やれやれ、と首を振り、毛皮のブランケットを力ずくで引き剥がした。

 手足を寄せて縮こまる少女の肩を掴み、また力ずくで起きさせる。


「さぶい……。」

「温かいご飯食べて、温まろうね。」


 カルリスティアはうつら、うつらとしながら「ん……。」と頷くと、ハヤトに手を引かれるままにベッドから出た。


 一階の通り側には、玄関を兼ねた石張りの居間がある。暖炉が鎮座しているのもこの部屋で、立派とは言えないそれで全体を暖めるために木板の戸窓は締め切られていた。

 部屋の南、暖炉のすぐ横に四人でまとめて掛けられるだけのテーブルと丸椅子(スツール)が置かれている。天板の上にはスープ四杯とパン一盛りが用意してあって、それぞれの取り分は既に手元に取り置かれていた。


「ま、いつも通りだな。」

「いつも通り塩しか入れてないからね。」


 調味料、などという高尚な物を使いこなすだけの知識はまだ持っていない。そもそもコショウをこの世界で見たことがなく、これまでに訪れた市場でハーブを売る声を聞いた程度だ。

 ただ、塩味と野菜本来の旨みしか感じられないこのスープを、仲間たちは味気ないだの質素が過ぎるだのと文句こそ言え、二度と食うまいとは一度たりとも垂らしていない。


 それはそれとして、リオンは自分の髪の色と同じ赤橙の根菜を木のスプーンに乗せて、眉をひそめている。


「……人参、嫌い?」

「んな、こた、ねぇけど。」


 渋々といった表情でリオンは、紺碧の瞳に見守られながら赤橙の根菜を口にねじ込む。

 無理矢理でもいいのだ。個人の趣向に構わず、ちゃんと食べてくれさえすれば。何にせよこれ以上の物は、技量的にも季節的にも用意できないのだから。


「夕飯は『割れた杯』で食べようか。」

「だな。」


 暖炉の熱と体温で居心地のいい室温になった頃、ハヤトは今日の予定について話しはじめる。


「みんなの装備のことなんだけど、どんな装備が欲しい?」


 問いかけられた三人はくつろぎながら、赤毛の長髪の先端を梳いたり、銀色に輝く前髪を揉んだり、可愛らしい栗色の短髪を揺らしたり。


「欲しい装備っつったってな。余計なモンがついてねぇ鎧なんかは、いいかもしんねぇかな。」


 普段の戦いぶりからして素軽い動きをするリオンが使う装備として、軽装の鎧が適しているのは間違いない。


「ボクも動きやすい鎧がいいなー。動きやすくて、かっこいいの!」


 ハルハルも軽快で予測不能な動きを得意としている。しかしまだ子どもで、身体的に伸びしろが大きいことをよく考慮しなければならないだろう。


「カーリーは?」

「ん……なんでも、いい。」


 一番困るやつである。

 とはいえ立派な鞄と、お気に入りのローブを着込んでいるカルリスティアにこれ以上の装備が必要なのか、という疑問も確かにある。


 本人の代わりにハヤトが思考を巡らせていると、足を組んで腹を擦っていたリオンがふと、深みのある赤褐色の瞳をカルリスティアに向ける。


「そういやお嬢、護身の武器は持ってねぇのか。」

「ぇ……ご、護身?」


 リオンは近くの棚に掛けてあったベルトから短剣を手に取って、「こういうのだよ。」と手先だけで器用に回す。

 短剣はリオンだけでなく、ハヤトとハルハルも携帯している装備だ。武器としては小さくて頼りないが、取り回しや携帯性に秀でる。また狩猟や採集の道具としての雑な……万能な使い方ができる。


「魔法じゃあできねぇこともあんだろ。」

「なんでも、できるよ……?」

「……かもしんねぇけどよ。」


 話しぶりからしてリオンは短剣を持つことを勧めたいらしい。しかしカルリスティアは魔法が秘める万能性を信じきっているようだ。


「でもほら、短剣って切るだけじゃないから。」


 ハヤトは手元のパンを齧りながら、言葉を続ける。


「鍵がかかった箱をこじ開けたり、ちょっとした穴を掘ったりできるし。武器以外の使い道もあるから、持ってて損はないと思う。」

「そっか。」


 カルリスティアは器の底に沈んでいた根菜の切れ端を口に含んでゆっくりと噛み下してから、紺碧の瞳で黒い瞳を覗きこんだ。


「そうする。」

「じゃあカーリーには、短剣を作ってもらおう。」


 リオンには動きを邪魔しない軽装な鎧を。ハルハルには今後の成長を見越した鎧を。カルリスティアには普段から持っていられる短剣を。


「にいちゃんはどーすんの?」


 皆の視線が一人に集まる。


 謎の巨獣を倒して大量に手に入った、並みの刃物では傷一つ付かない毛皮。金属と比べればいくらか軽量なそれの性質を、前衛の戦士として活用する方法。

 かの森の奥に打ち棄ててきてしまった木の丸盾のようにはならないために、必要な物。


 元はと言えば、この都市に来た目的はそれだった。


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