81:キハロイ一日目③
陽が少し落ちた頃、馬車から毛皮や蛇皮を下ろす作業が始まった。皮の加工は工房に隣接している皮なめし職人が手掛け、ネイル工房の傘下にある薬師の協力も取り付けた。毛皮などの素材の買い取り額は、明日改めて交渉する。
若い男たちがせっせと運び込むそれらの頑丈さたるやを目の当たりにした工房の職人たちは、すっかり心を奪われてしまったようで、この部位はこれに使うべきだとか、いやどういう加工をするべきだとかの不毛な舌戦があちこちで始まってしまう。
ただ、その中に在って唯一、格段に異質な雰囲気を纏う人物がいた。
「おっほほっほー!ここッこれはイイッ!あっははーッサイコーだ!」
毛皮や蛇皮を両腕いっぱいに抱きしめる、薄汚れた丈長の衣と革のエプロンを着た長身痩躯の女。白っぽい金色をした両の眼のずっと奥に燻る狂気的な衝動を、雫と化して口元から溢れ落している。
なぜだろう。彼女が何者なのか、おおよその見当がついてしまう。
「これを持ち込んだのはキミたちかっ?!そうなんだろうええッ?!」
自身に向けられている黒い瞳に気がついた長身の女は、満面の笑顔で眼前に迫ってくる。
「は、はい!俺たちが倒して__」
「よくやったよくやった!」
と、彼女から声をかけてきたわりには、こちらの言葉はこれっぽちも聞くつもりがない。さらに女は勢い余るままにカルリスティアにも詰め寄る。
「鞄の具合はいかがかな、『銀の魔女』殿!」
「ぁ、ぅ……いい、です……。」
「はははッ!実に重畳!」
カルリスティアを銀の魔女だと認識している時点で、もはや女の正体は明白というもの。
「さっそく仕事に取り掛かろうぞ!さらば若人!」
本人は名乗っていないが、彼女が「革の芸術家」イエーナに違いない。だとすれば若い男の肩から攫った生の毛皮を何に加工するのかだって、凡人に計り知れたものではない。
トリカブトの剣を作った職人に、カルリスティアの鞄を作った職人。大勢の若い男たちを従える幾人かの中年そこそこといった男たちもまた、二人と同格かそれ以上の実力者たち。
王国随一の技術者たちと、驚異的な丈夫さの毛皮に稀有な素材。彼らに依頼する「装備」の構想を脳内でこねる黒い髪の少年は、独りで静かにほくそ笑んでいる。
「妙ちきなモンはカンベンしてくれよ。」
「ちゃんとみんなのイメージにぴったりな装備を作ってもらうよ。」
「いめー……?」
一つまとめにした赤毛を揺らして首を傾けるリオンは、「どうだかな。」とぶっきらぼうに言葉をこぼす。
「でもにいちゃん、なめすのも鎧作るのも時間かかるよ?」
なめし加工だけで、どれだけ急いでも一か月弱。そこから装備作りに半月と少々。最低でも一か月半はこの都市に滞在することになる。
その間の宿泊費と食費。ネイル工房と皮なめし職人に支払う加工費の前金。ロウネからキハロイへの移動で消耗した日用品の買い足し……せっかく引いた背中の痛みが帰ってきた気がする。
しかし、果たして自分は何者か。
自身の命を危険に晒し、他者の命と財産を守る者__それは傭兵。
とどのつまり、これからどうするかなど決まりきっているのだ。
木材の枠が組まれている石壁が特徴的な、笛から風を吹き出す少年を象った看板を軒先に垂らす建物。右開きの扉を出入りする多くの人々に混ざって、特徴的な四人組が建物の中に消えていった。
キハロイ最大手の傭兵ギルド「風の呼び声」のロビーは、剣やら斧やら弓やらで武装している男たちの背中で見渡しが利かなくなっている。
ハヤトは背嚢を仲間に預けて、雑踏と話し声が混ざった耳障りな騒音とむさくるしい男たちの匂いを掻き分けて奥へ、奥へと進んでいく。ここにも鉄柵であちらとこちらを仕切る受付台があって、同業者と思しき連中もそうではない連中も雑然と列を成している。
「お前見ない顔だな。」
「はい、今日着いたばかりです。」
列に並んでしばらく経った頃にふと、右手すぐの列から話しかけられた。相手はやや背は低いもののがっしりとした体格の男で、背中に大きな弓を担ぎ、短身剣を帯びている。鎧はしっかりとした作りの革鎧で、かなり腕の立つ傭兵だと察せられる。
「だからってまさか、防具の一つも無しに傭兵やるつもりじゃねぇよなあ。」
口元に嘲笑的な笑みを浮かべる男に、登録はとっくに済ませていると反論しようとして……そういえば、とハヤトは目線を下ろす。
鎧も兜も破損してしまったために、布を巻いたトリカブトの剣、安物の斧、小物入れ、盾を括りつけるベルト一式を丈長の衣の上から着けているだけ。田舎から出てきた傭兵志望の若者に見えてしまうのも、まあ頷けるというもの。
「とりあえず今日のところは、宿の紹介と当面の働き口を探そうかと思って。」
「宿か。うーん、そうかあ……。」
すると男はなにやら思うところがあるのか、腰のベルトに括りつけてある兜の頭頂部を手のひらで擦る。
「宿がなにか?」
「あいやぁ、この都市は商人連中がよく通るってんで宿屋も酒場も足元見てくんだあ。お前みたいな駆け出しの小遣いみてぇな有金じゃ、納屋も借りらんねぇぞ。」
それは少し困った情報だ。手元にあるカネが増えるのか減るのかもわからない現状、宿泊先探しで下手を打つわけにはいかない。四人組で、内一人にはまともな宿を用意する必要もある。
「四人まとめて泊まれる宿屋を探すつもりなんですけど、いいトコありますかね。」
「四人だあ?お前、家族まで引き連れてきた口かよ!」
家族ではなく仲間だが、行動を共にする以上はある意味似たようなものだろう。
「だとすっと、どうせしばらく留まるつもりなんだろ?」
「まあ、はい。そうですね。」
「んならいっそ、家一件丸ごと借りたほうが安上がりじゃあねえか。」
その話を聞いてハヤトは、なるほど、と内心で頷く。
大勢が出入りして落ち着かない宿屋よりも、四人だけで使える一軒家を借りてしまった方が居心地はいいかもしれない。荷物を預けたり他の客と交流したりはできないが、どちらも傭兵ギルドで替えが利く。
もっとも異性である仲間たちが一つ屋根の下での共同生活を良しとしてくれるかは、別の問題だが。
「酒場も探してんなら、『割れた杯』って店がいいぜ。主人と女将が気の良いヤツらで、飯もエールも旨いときたもんだ。」
男は鼻の下を伸ばしつつ、「オレの『お気に』の店なんだ。」と付け加える。働いている店員に、器量良しな女がいるに違いない。
「それから『灯の館』って店も……っと、お先に!」
先に手番が回ってきた男をハヤトは「どうも。」と軽く会釈して見送った。
その後もしばらく列に並んで、ようやく順番が回ってきた。黒い髪の少年が受付台の前に立つと、座っている受付係の女が声をかけてくる。
「傭兵登録をご希望ですか?ご依頼のお話ですか?」
「いえ、仕事と宿を探しに来ました。」
ハヤトは小物入れから出した登録証を隙間から差し出す。登録証を受け取った受付係の女はじっくりと内容を改めると、「……なるほど。」と呟くように言ってこちらに戻した。
「仕事内容に何か希望はありますか。」
「四人でできる仕事か、なるべく報酬の多い仕事をください。」
受付係の女はすぐに脇に積んであった書類を漁りはじめ、それからいくつかの植物紙を内容が見えるように示した。
「四人でできる仕事としては『灯の館』からの用心棒の依頼、自警団からの夜警協力の依頼が。報酬の多い依頼としては旅商人護衛の依頼があります。」
用心棒の依頼も夜警の依頼も、要するに夜の仕事。しっかりとした睡眠が必要なハルハルやカルリスティアがいる以上、四人でできるとは言えない。旅商人の護衛はキハロイにいつ戻れるかがわからない。
眉をひそめながら、仲間たちへ目線を向ける。赤毛の女や銀色の髪の少女、栗色の髪の幼女という組み合わせの彼女たちは否応なしに目立っているが、それも過ぎれば人除けになるというもの。
「……あの。あそこにいるのが、俺の仲間でして。」
「ああ、女性の……。」
ハヤトが指し示した所に目線を向けた受付係の女は言いたいことを察してくれたようで、再び書類の山を漁りはじめた。あれでもない、これでもないと首を傾げつづけた女は少し経って、とうとう目当ての植物紙を取り出すことに成功した。
「依頼主はこの都市に駐在している徴税官のルーク様なのですが、少し変わった要望をされておいでで……仲間の皆さんとよく相談された方がよろしいかと。」
受付係の女はそのように前置きしてから、植物紙に記された依頼内容や依頼主本人について話してくれる。その中身をそっくりそのまま仲間たちに伝えると……。
「女の傭兵を寄こせ、なンつぅ野郎の顔はちっとばかし拝んでみてぇかもな。」
「そーゆー趣味の人、ホントにいるんだねー。」
「は、ハヤトくんがや、やれって言う、なら……。」
意外と乗り気だったり、呆れ顔をしたり、あまり乗り気ではなかったり。
報酬金は通常、一人当たり銀貨三枚に小銀貨二枚。しかし三人がいれば一人当たり金貨一枚に跳ね上がる。依頼主の身元と職業は判然としており、支払いを渋られることはない。
結局のところ、具体的にどう変わっているかは五日後に明らかになることになった。
働き口を得たところで次に探さなければならないのは、風雨を凌ぐ屋根と体を休めるベッド。ひと月滞在する予定が決まっている以上、長期で借りても出費が膨らまない宿を紹介してもらう必要がある。
もしくはやや背の低い男が言ったように、借家を借りてしまうか。自分専用の生活拠点を手に入れる展開は異世界モノでは定番。面子が少々、変わっていること以外は。
いずれにせよ、仲間たちと相談しなければ。
「って教えてもらったんだけど。どう思う?」
やや背の低い男の助言を三人に伝えてみると、ハルハルが真っ先に反応した。
「にいちゃんたちとキョードーセイカツだ!」
「そうそう。一つ屋根の下ってやつだね。」
「楽しそうじゃん!ねぇねぇしよーよ、四人でキョードーセイカツ!」
ひょこりひょこりと跳ねるハルハルの可愛らしい栗色の髪を、細く白い手が梳いて整えてやる。
「わ、私も……。」
カルリスティアはそれきり口を閉ざしてしまったが、意図するところは察するに易い。
「リオンはどう?」
「お前がそうしたいっつーなら、そうするさ。」
思い出したように奴隷根性を発揮するのはいつになったらやめてくれるのやらと、ハヤトは内心で大きくため息をついた。