79:キハロイ一日目①
アプリー家の第一歩はフロリアーレ王国の建国以前……およそ五百五十年前に遡る。
今は亡き王冠を戴く国の有力氏族だったローゼイ家に二人の男児が生まれた。一人は政略と金銭の管理に秀でた「赤薔薇の貴士」。一人は軍略と類まれな武勇に恵まれた「白薔薇の勇士」。二人は持ちうる全ての才と能を駆使して、かの国の軍事力とカネの流れを掌握。一族に名誉と繁栄をもたらした。
ただ、一つ問題があった。それは一人による偉業ではなく、二人の天才による功績だったということ。
家中はどちらを次の家長に祀り上げるかで意見が割れ、すぐに暴力沙汰に発展し、やがてかの国の全土を二分するほどの騒動に発展した。
決断を迫られた当時のローゼイ家当主は、自身の長男である「赤薔薇の貴士」を次代当主に定め、弟甥の「白薔薇の勇士」に分家の新興を許した。こうして興されたのがアプリー家である。
数世代かけて政略のローゼイ家、軍略のアプリー家という役割を確立していき、フロリアーレ王国が建国されてからはさらに勢力を伸張。今のローゼイ朝フロリアーレ王国に至る。
かつて薔薇の紋章を掲げる二人の天才を称えた「赤と白の大輪」という言葉は、現代においても特別優れた二人の人物をまとめて称する際に、慣用句として偲ばれるという。
現代のアプリー家は貴族としての最高位である「公」の爵位を持つ、王国屈指の大貴族。近衛騎士隊以外のあらゆる軍の動きを指揮する軍務卿を歴任するのみならず、フロリアーレ王国の南西部に広大な領地を安堵されている。
そんなアプリー公爵家が治める土地の一つ、ニノーナ地方に位置する都市キハロイ。そこはライラク大陸の西岸と内陸を結ぶ交易路の中継都市として昔から栄えているが、また違った理由で高い知名度を誇っている。
ここには王国民であれば名を知らぬ者はいない技術者集団「ネイル工房」の本工房が置かれているためである。
カネか、地位か、栄光か__あらゆる力を欲する者であれば誰しもが一度は訪れることになるその地に、とある四人組を乗せて走る馬車があった。
荷台の重さに軋む車軸を転がして、隙間の大きい石の舗装路を進む一台の馬車。がたり、がたりと土を削る荷車を光の無い瞳で見上げる、襤褸衣を着た人々。荷台の外で周囲を見渡す、斧や槍で武装した四人の男女。
あらゆる視線を牽制するべく、あらゆる邪悪を接せずして排除するべく。鋭い眼光を動かしている彼らの姿を視界の端に映しながら、とある四人組が乗り合い馬車の荷台に座り込んでいた。
「傭兵が傭兵雇うかね、普通。」
「まあ、普通は雇われる側だろうけどさ。」
リオンは後部と外界を仕切る布の間から毛皮を満載した馬車を見遣りつつ、反対側の腰かけに踵を乗せて、全身で伸びをする。
女にしかめ面と白い目を向ける他の乗客に頭を下げるハヤトは、お天道様の目下へ大胆に晒し出している張りの良い太ももを、ぴしゃり、と叩いて床に下げさせた。
彼らがそのようなことをしている間にも小さな窓から外の様子を眺めていたカルリスティアとハルハルは、腕で抱えているとんがり帽子や短い槍を、ぎゅ、と握る。
「……。」
唇を締める銀色の髪の少女の目線の先には、隙間だらけの枝葉の屋根があつらえられたあばら家が乱立し、辛うじて衣服の形を保っている程度の衣を着た人々が両手を頭上へ掲げる。
地に足を着けて歩く通行人の中には、懐から取り出した革袋から銅色や銀色の硬貨を手渡したり、あるいはそれから痩せているものの器量の良い女を物陰に引きずり込んだりする者もいる。
体つきにも顔立ちにも幼さの残る女から、そこそこ歳の入っている女……性別が「女」でさえあれば、実際の年齢など思慮を巡らせるに値しないのだろう。
もう眼前に迫っている、石と粘土と漆喰で築かれた長い壁の外側だからだと思いたい。
「ロウネから来ました。」
ハヤトがハアースで作った傭兵登録証を門衛に見せる傍らで、別の兵士たちがリオンやハルハルに冷たい目線を差し向けられながら、荷台の中身を慎重に改めている。
「……よし、行っていいぞ。」
兵士が数人がかりで毛皮を一枚一枚めくって何物も忍ばせていないことを確認した後、二台の馬車はようやく城壁の内側に入ることができた。
あまり見ていたくない光景が広がっていた外とは違い、中は随分と活気づいていた。
城門から入ってすぐの通りは住民や兵士、雑多な装備の男たちが絶えず往来し、丸太組みの家屋や武骨な石壁のそびえる建物が軒を寄せ合う。曲がりくねった表通りと幅も僅かな路地へ住民が出入りする姿も、そこかしこで見受けられる。
城壁で限られたスペースにヒトと建築物をこれでもかと詰め込んだ、人口密集地。そのような雰囲気が漂っている。
「お疲れ様でした。報酬の銀貨五枚と小銀貨二枚です。」
「あいよ、それじゃあな。」
城門から少し入った所で十日の旅路を共にした傭兵たちと別れたハヤト一行は、しばらく町を歩き、地に根差したキクのような花……マツバギクの看板を掲げる木造の建物の前に毛皮を乗せた馬車を停めさせた。
ここに来た目的は、一つである。
右開きの扉を押し開けて中に入ると、こぢんまりとしたロビーの奥に立派な仕立ての衣を着た男が数人いて、あまり立派ではない丈長の衣を着た少年に訝しげな視線を当てる。
男たちの中でもやや肩幅が広い男が他の男たちを何処かへ散らせると、細い顎に生やした髭を揉みながら少年と相対した。
「『デロー・スペルマ』のキハロイ支部長、マールクだ。我々に御用かな。」
「ハヤトと言います。『ネイル工房』の方と話がしたいので、仲立ちをお願いしたいんですが。」
ネイル工房は技術者集団。彼らの傘下にある薬師との取引を円滑に行うためには、職人ギルドを通すのが道理というもの……ハヤトはそう思っていた。
ところが肩幅が広い男は灰色の瞳で黒い瞳をしばらく見つめると、少し困ったようにかぶりを振った。
「ネイル工房との取引は当事者同士で行うことになっている。それが彼らと結んだ取り決めなのでね。」
ああ、とハヤトは内心で唸る。
ネイル工房は王国内でも高い権威を持つ「五本薔薇」の一角。彼らの扱いについて、常識や道理は適わないということか。
「工房は丘を少し登った所にある。自分の足で行ってくるといい。」
「わかりました。失礼します。」
キハロイは南から北にかけて緩やかな勾配がある丘陵の斜面に築かれている。ネイル工房はこの丘の中腹、すなわちキハロイの北側に拠点を構えている。
南側が住民や商人、傭兵などの居住区だとすれば、北側は職人とその弟子や家族が住む職人街。道行く人々の様相もまた少しずつ異なっていて、籠や布包みを抱えて歩く女はめっきり減り、代わりに金物や革のエプロン、金属の延べ棒を担いで持っていく男が増えていく。
「釘もまともに打てねぇのかッ、こンのウスラトンカチ!」
「すっ、すんません親方ぁ!」
あちらからは黒っぽい煙で青天を汚す煙突と、その根本から飛んでくる怒号。
「鉄を伸ばせ、えんやこら、えんやこら。」
「「鉄を叩け、よいしょこら、よいしょこら。」」
こちらからはカンカン、カンカンと鳴る小気味いい金属音と、その一定の調子に乗せて唱和される小気味いい歌。
そんな騒がしくて熱っぽい空気で満たされているキハロイの北側に、太い煙突を二本、空の高い所へ突き出している平屋の建物がある。
黄土色の漆喰が塗り固められた外壁の母屋と、木板の高屋根がついた開放的な作業場。金属がぶつかり合う甲高い音、職人たちが交わし合う怒鳴り声。荷車を曳く若い男たちの喘ぎ声と、とことんしごかれる若い男たちの喘ぎ声。
筋骨隆々とした大勢の男があちらからこちらへ忙しなく動き回っている門の向こう側には、外部の人間を迎え入れるための人員もいる。
革のエプロンと道具を担ぐ男たちに混ざって、手元の巻物や書類を読み上げる女たち。その中の一人が来訪者の存在に気がついて、朗らかな笑顔で声をかけてきた。
「ご依頼ですか?それとも取引ですか?」
ハヤトは「依頼」と「取引」の違いがすぐには判別できなかったが、少年の背中を傍らで見つめていたリオンが半歩だけ前に出る。
「両方だが、まずは取引がしたい。」
「ご紹介はいただいておりますか?」
やはりそうきたか、とハヤトは内心で構える。だがこちらには紛れもない大貴族のご令嬢がいるのだ。
まさにその人もローブの裏から紫色の布の端を、ちらり、とだけ見せつける。すると女は途端に「どうぞこちらへ。」と敷地の奥への案内を始めた。
職人らしき男たちや職員らしき女たちとすれちがいながら、女に案内されて木板の透かし塀の内側に踏み入った四人組は、黄土色の建物の奥まった所に広がる作業場で若い男たちを率いてなにやら作業をしていた男のもとへ通された。
「工房長、お客様です。」
肩や腕が分厚い筋肉に覆われ、薄い頭髪を煤で汚れた革手袋で掻き毟っていたその男は、寄せていた眉をこれでもかと寄せて「んあぁ?」と声を荒立てる。
「ネイル工房にいるっていうくす__」
「待ってろ、すぐ終わる。」
用件を伝えようとするハヤトに手を振って、再び手元の作業に戻ってしまう男。彼の右手には黒色の頭をした金槌が、左手には未完成の長身剣がある。
男は長い刀身の柄の部分に細かな掘り込みがされた鍔を嵌めては叩き、革が巻かれた握りを嵌めては叩き、馬の頭を象った装飾を嵌めては叩きと繰り返す。そうして組みあがった剣を片手で軽く振るい、分解して部品に手を入れてはまた組んでいく。
四度か五度か繰り返した頃には、男の額や腕には大粒の汗が滴っている。しかし六度目にしてとうとう、納得のいく出来栄えに辿りついたようだった。
白光に照らし出されてぎらりと輝く刀身は、見事な銀色に照り返し。鍔に彫り込まれた模様は恐るべき鋭剣に華やかさと気品をもたらし。柄先に嵌め込まれた馬の頭は持つ者の逞しさを称えるよう。
まさしく後世まで受け継がれる芸術品が産み落とされた瞬間を目の当たりにした黒い髪の少年は、抑えきれない興奮を鼻息と目の色に現している。
「さッてと。待たせて悪かったな兄ちゃんら。」
手元で光り輝く長身剣に劣らないほどに、男の淡い茶色の瞳と茶色の歯がぎらりと光る。
「仕事の話、しようじゃあねぇか。」