78:新たなる目的地
ロウネの民を騒然とさせ、巨獣討伐ムーブメントの引き金となった「謎の巨獣」。それがとある四人組の手によって討伐されたという話は、瞬く間に都市中で知れ渡った。
ハヤトたちが巨獣のお頭を引きずってロウネに戻った時こそ、皆が半信半疑といった雰囲気だった。しかし「首狩人の大鎌」で雇った傭兵たちに闇夜を徹して運ばせ、明けてすぐにその巨体をロウネの東門横に吊るしあげた時には、傭兵ギルドのマスターたちや商人たち、ロウネの徴税官は黙って認めざるをえなかった。
それからは、七日七晩のお祭り騒ぎ。防壁に吊るしたことで巨獣の血抜きや解体は手際よく進んでいき、巨体を築いていた肉は都市に住む全ての住民に配られた。ギルドや都市の酒場もいくらか買い上げて、格安で人々に振舞った。
熊と似ていた巨獣は食性まで似ていたらしく、臭みはあるが旨味も歯応えも適度にあってなかなかに美味で、何よりもひたすら量が多い。巨獣の肉はロウネに生きる人々の腹と心をよく満たしてくれた。
山ほど採れた脂や骨は、商人や職人が競うように買い取った。きっとその内に、巨獣の骨のアクセサリーやら巨獣の脂の石鹸やらに加工されて途方もない高値で売られるのだろう。
一方、巨獣を打倒した四人組には当然「分け前」が入ってきた。懸賞金の金貨十八枚、現金化された肉や骨の代金が金貨十枚と銀貨二十四枚。毛皮の所有権、特に立派な牙や爪、尻尾やたてがみの蛇皮、状態の良い鱗といった具合だ。
巨大な肉塊が大量の現金に変わったのはいいもので、「燭台の長屋」で一番良い部屋を借り、食事を全て店員に運ばせ、衣服の洗濯は地元の浴場の従業員に任せ、表立った取引をギルドに仲介させてもまだ懸賞金に手を付けるに至らない。
まあ、そうせざるを得なかったわけだが。
「俺も遊びに行きたい……。」
「ダメだ。怪我人はそこでじっとしてろ。」
「うう……。」
ロウネに戻った日から八日目の昼。今日も今日とてどんちゃん騒ぎの大盛り上がりで町を練り歩く人々の喧騒を聞きながら、功労者の一人であるはずのハヤトだけはベッドの上で毛皮のブランケットを被っていた。
理由など言うまでもない。むしろ巨獣の剛腕に叩き飛ばされて、盾全壊と防具半壊で済んだのが幸運だったのだ。
「アイツの頭、俺にも運ばせたくせに。」
「うるせぇ。あれはあれだ。」
ベッドの横に置いた椅子に座り、なめし皮の短ズボンから伸びる脚を組むリオンの手元で、ぎらりと刃先を光らせるナイフが少し怖い。
けれどその刃は肩にはらりと垂れた赤毛を映しながら、赤くて丸い果実にだけ向けられている。
「ほら。」
「ありがとう。」
リオンの手からハヤトの手に渡る、真っ赤な耳の「ウサギさん」。リオンに食べさせていたそれよりも、ずっと可愛らしい……気がする。
「んだよ、さっさと食えって。」
手のひらの上にちょこんと座る「ウサギさん」をまじまじと観察している間に、リオンの手の中では次の「ウサギさん」が完成しつつある。
「リオンって意外と器用だよね。」
「意外とってなんだ。バカにしてんのか。」
「してないしてない、褒めてるって。」
「どうだかな。」
林檎を剥く手際はとても良い。クロスボウという中世ヨーロッパ風の世界観においては比較的ハイテクな武器を使っていることからしても、手先が器用であることは疑いようがない。
やさぐれ姉貴キャラのリオンだからこその、意外な特技と言える。
ところで、カルリスティアとハルハルの姿が部屋には見えないようだが。
「カーリーとハルハルは?」
リオンは半分になってしまった林檎をさらに切り分けながら、「ああ。」と唸る。
「お嬢はチビに付き合って飯の時間だ。」
ここ数日はずっと市場が開かれているかのように盛り上がっている。食べ物の屋台もたくさん出ているようで、窓からは巨獣肉の串焼きやら巨獣肉のシチューやらを求める声が絶えず聞こえている。
「俺も食べ歩きしたい……。」
「ダメだ。」
「うう……。」
たまに「燭台の長屋」の店員が屋台飯を差し入れてくれるが、それではせっかくの屋台飯だというのに趣が足りない。
「食べ歩き。」
「ダメだ。」
「ちょっとだけ!その辺歩くだけ!」
と、訴えかけるだけで眉を寄せてしまうほどに体の節々を痛めているのだから、リオンが許す道理はない。
「んなことより、お前が決めにゃあならんことがあんだろ。」
リオンが言う「決めなければならないこと」は二つある。
まずは仲間、特にカルリスティアのことだ。
カルリスティアを連れ出した名目である巨獣の討伐を達成した以上、彼女を実家に帰すのが道理というもの。しかし巨獣との戦いで彼女が戦力として極めて頼りになることが証明された。ここで手放してしまうのは、あまりにも惜しい。
惜しいと言えばハルハルも、槍戦士としての技量だけでなく「水の加護」の持ち主として、異文化を知る者として注目すべき人物。巨獣すらも圧倒した巨大な蛇を作り出す技「滝登り」は、近くから見ていて凄まじい迫力があった。
「カーリーもハルハルも、できればこれからも一緒にいてほしいけど……。」
引きこもりお嬢様のカルリスティアは、さらなる旅を嫌がるかもしれない。僕っ子褐色幼女のハルハルは、寒空の下を旅するのを嫌がるかもしれない。
「……じゃあ、本人らにちゃんと訊くこったな。」
立てた親指で扉を指し示すリオン。
途端に向こう側から物音がしたかと思えば、少しずつ扉が開く。
「た、ただいまー。」
「ぁ……ただ、いま。」
いつからいたかなど、わざわざ訊くのも野暮だろう。リオンの言葉の意味をちゃんと理解できさえすればいい。
「カーリー。」
「うん……。」
銀色に輝く前髪の隙間から、紺碧の瞳でこちらを覗く少女。
「俺は、カーリーともっと旅がしたい。色々な物を見て、色々な物を食べて……カーリーも一緒にいる思い出が、もっとたくさん欲しい。」
黒い瞳と紺碧の瞳が、交差する。
「……よかった。」
だからこそ、カルリスティアが頬を緩めたことにすぐ気がつけた。
「もう、手紙お、送った。」
彼女が手紙を送る相手など、満にして二つか三つ。
「誰に?」
「パパ。」
フィグマリーグ侯爵かぁ……と、ハヤトはベッドの上で項垂れる。
「しばらくか、帰るつもりは、無いって。」
「それって……。」
聞き返すまでもない。
血の気を帯びた白い頬が穏やかに緩んでいるのを見れば、全てわかる。
「これからもよろしくね、カーリー。」
「うんっ。」
銀色の髪が特徴の陰キャラ引きこもりお嬢様が、正式に仲間になった。
「ねぇねぇボクは?」
「ハルハルとも一緒に冒険ができると嬉しいんだけど、ついてきてくれる?」
「うん!いいよ!」
二つ返事であっさり決まってしまった。寒さを苦手とするハルハルにはこれからしばらくの旅路は厳しいものになりかねないはずなのだが。
「これからもっと寒くなるし、ハルハルは辛いんじゃ……。」
「大丈夫だよ。にいちゃんがくれたコレがあるし。」
肩に掛けている厚手の布のマントを、ひらり、と翻してみせるハルハルは「それにね。」とどこか含みのある笑みを浮かべる。
「にいちゃんたちとなら、もっと楽しいことできそうだもん。」
__楽しいこと、か。
「俺、頑張るよ。ハルハルが居たくなる場所になれるように。」
「……うんっ。ありがと、にいちゃん。」
傭兵で盾戦士の自分が、ハルハルにどれだけ「楽しいこと」をさせてあげられるかわからないものの。仲間として、わからないなりにも精一杯やっていこう。
栗色の髪のボクっ子褐色幼女が、正式に仲間になった。
仲間に関する懸念がこうして決着したところで、もう一つの問題について考えなければならない。
それは、巨獣の毛皮である。
巨獣の毛皮の所有権は、四人組を代表してハヤトが持つことになった。現在はある程度は保存が効く形に加工された生の毛皮がギルド「首狩人の大鎌」の倉庫に保管されている。
「倉庫の賃料が一日小銀貨五枚で、加工費が銀貨七枚で、そこになめし加工の手数料と材料費が……。」
巨大な体から剥ぎ取られた大量の毛皮。衣類や武具に加工できる「毛皮」は、この中世ヨーロッパ風の世界観ではかなりのカネに化ける財産。とはいえ、多すぎるのも困り物だ。
「なめし加工をしてくれる職人、見つかった?」
その手の依頼は全て、職人ギルドに問い合わせるのが道理。今回も「デロー・スペルマ」のロウネ支部に相談して、加工を請け負ってくれる職人を探していた。
ただ、使いにやったはずのリオンの面持ちは明らかに芳しくない。
「ンがよ。どうもあの皮、ロウネにいる連中じゃあどうもこうもならねぇらしい。」
「どういうこと?」
毛皮の加工なんて、どこでも同じ手法ではないのかとハヤトは内心で疑問符を浮かべたが、どうも手法の問題ではないらしかった。
「あの皮、丈夫すぎて連中が使ってる……薬?かなんかが効かないらしい。それにほとんどの刃物じゃ傷一つつかないせいで、そもそもなめしたり切り分けたりって手を入れらんねぇんだとよ。」
そういえば、とハヤトはかの巨獣と戦った時の事を思い出す。
ハルハルの槍の鉄刃も、どこかに失くしてしまった斧の刃も一切通さなかったあの皮。半端な刃物では加工しやすいように解体することもままならないだろう。
毛皮を剥ぐことになった時も、ただ一つ刃が通ったトリカブトの剣を貸すことになってしまった。神妙な表情で剣を託してくれたクリオに、心底申し訳ないと思いながら。
「んで、じゃああの皮を加工できる薬はどこにあんだってギルドの連中が調べたら、アプリー公爵領にいる薬師ならどうにかできんじゃねぇか、っつうことまではわかったらしい。」
ではそれを、懸賞金やらを注ぎこんで輸入すれば……と思ったが。これまでの話しぶりからして、それで済むほど簡単な話ではないことは予想がつく。
「それで、何が問題なの?」
「その薬師、『ネイル工房』の贔屓屋みてーなんだ。」
聞いたことのある名前だ。確か王国でも特筆するべき組織「五本薔薇」の一角にして、金属加工のプロフェッショナル集団だったはず。
「要するに、そいつら経由じゃねぇと薬の一つも融通しやがらねぇって話だ。」
「それはちょっと厄介だね。」
王家から薔薇の紋章を下賜され、高い権威と知名度を誇る「ネイル工房」。彼らの傘下にある薬師とコンタクトを取るには、同等以上の権威を誇る仲介人が必要になるはず。
どうしたものか、と揃って頭を抱えるハヤトとリオン。きょとんとしているハルハル。
ただ、この部屋の中で一人だけ平然としている人物がいた。
「ぁ、の……私がいれば、話すくらいはで、できる……と、思う。」
「ホントに?!」
「そういやお前、マジモンのお嬢様だもんな……。」
そう、あまりにも「陰」がすぎるために忘れそうになるが、カルリスティアはフロリアーレ王国の内務卿であるフィグマリーグ侯爵を父に持つ、紛れもないお嬢様。
「こ、この鞄も、作っても、もらった。」
しかも、既に得意先だった。カルリスティアがおずおずと差し出してくれている肩掛け鞄が、まるで降って下りたる鏡餅のように光り輝いて見える。
リオンも深みのある赤褐色の目を瞬かせて、カルリスティアの肩掛け鞄を見つめている。
「ネイル工房っつったら、鎧やら剣の職人連中がいると思ってたが。」
「革細工師、も、いる。」
所属している職人の得意技は多岐に渡るらしい。それでこそ、王国随一の技術者集団というもの。
「ついでに、あの毛皮で鎧でも作っちまおう。」
リオンはベッド横のチェストの天板を叩いて、「カネならあんだしよ。」と笑う。
巨獣との戦いで鎧は大きく損傷してしまった。修繕するよりも新品を買った方が手っ取り早い、とすら言える状態である。
初めて手に入れた、革と青銅の鎧。
大切な思い出が、たくさん詰まっている。けれど。
「……そうだね。せっかく、王国イチの職人に会うんだもんね。」
命あっての物種とは本当に____本当に、よく言ったモノだ。
「どうせなら、みんなの装備も作ろっか。」
「いいの?!やったぁっ!」
ひょこり、ひょこりと跳ねる栗色の髪を撫でてやる横で、長い赤毛を梳きながら「へぇ。」と呟くリオン。
「景気良いじゃねぇか。」
「実際、景気良いしね。」
「ハハッ!そりゃそうだな!」
「じゃあさっそくネイル工房に……ィッ。」
そうしてハヤトは胸の奥で逸る気持ちに突き動かされて上体を起こそうとするも、背中から広がる猛烈な痛みに硬直する。数日前と比べればかなり良くなったが、長距離移動できる状態にはない。
「んじゃ、お前の体が治り次第出るってことでいいんだな。」
「うん、そうしよう……。あと。」
「わぁーってる。馬車の手配やら倉庫の手続きやら、色々やっときゃいいんだろ。」
「お願いします……。」
さすがは数百人規模の盗賊集団を率いていただけあって、具体的に指示せずともあれこれ察して勝手に手配してくれる。文字の読み書きもそこそこできるらしく、それだけでも十分に頼りになるというのに。
「とりあえず、お前は大人しくしてろ。で、ちゃんと体を休ませろ。」
黒い髪を撫でる手の甲が耳に触れて、温かい。
「ほれ、次の当番はチビだぞ。」
「はーい!にいちゃんっ、何か欲しい物なーい?」
「大丈夫だよ。ありがとうハルハル。」
「お便所も手伝ってあげるからね!」
「それはマジで大丈夫だからねッ?!」
「わ、私もおべ……手伝うっ。」
「カーリーまで何言ってんの?!」
オナー地方屈指の大森林地帯を騒がせた巨獣討伐を祝い、沸き立つ森林都市ロウネ。
町行く人々の狂乱的な喧騒に負けないくらい、とある宿屋のとある部屋は賑やかで優しい空気に満ち満ちていたのだった。