70:小さな狩人①
ギルド「首狩人の大鎌」の母屋の東側は一階が酒場、二階が宿屋になっている「燭台の長屋」という店と直結している。
一階の酒場の、奥のテーブル。そこで黒い髪の少年と彼の仲間たちが、腰を落ち着けて食事をとっていた。
「それで、リオンじゃ見つけられないってどういうこと?」
ハヤトはぬるいエールで満たされた木組みの杯を傾けながら、対面で鶏のモモ肉を齧っているリオンに声をかけた。
彼女は口の端から零れた脂を親指で拭い、舌で舐め取る。
「こんだけの野郎共が血眼んなって探し回って、あれっぽちしか痕跡が見つかってねぇ。そういう手合いは決まって恐ろしく賢く、どこまでも臆病なヤツだ。そんなヤツを見つけ出すにゃあ、誰も踏み入ってねぇようなトコまで追うっきゃねぇ。」
リオンは頬の中に残っていた鳥のモモ肉を、ぬるいエールで押し流す。
「アタシ一人なら森の奥まで行ける。けど『狩り』に慣れてねぇお前らを連れながらじゃあ無理だ。お前はお嬢から離れらんねぇしな。」
ハヤトの隣で細切れにした鶏肉をせっせと口に運んでいたカルリスティアに、深みのある赤褐色の目線が向く。
「それに猪や鹿、熊なんかを狩る時は何人かで追い詰めて、疲れ切って足を止めたところを一息に仕留めるもんだ。お前らでも追うくらいはできっかもしんねぇが、『狩り』をよく知ってるヤツが二人は要る。じゃねぇと良くて何も手に入らずに帰るか、最悪だと森に骨を埋めることになる。」
ハヤトは頷きながら、ああ、と内心で唸る。
実際の狩りがどういうものかは知らないが、想像するに自分やカルリスティアは「追わせる者」となり、リオンのような「追う者」に導かれながら森を進んでいく。発見し、追い詰め、疲労させてから一気に仕留めにかかるという一定の段階を踏まなければならないらしい。
リオンは一口、二口とモモ肉を齧る。そして深みのある赤褐色の瞳で、目の前にいる主人を睨みつける。
「……一応、訊いておく。本気で『ヤツ』を追うつもりなんだな。」
「うん。必ず見つけ出して、戦って、倒す。」
そのために、フィグマリーグ侯爵に頼み込んで許しを得た。
この都市まで、やって来たのだ。
リオンは木組みの杯を大きく傾けて咀嚼していたモモ肉を胃へ流すと、「ほうっ。」と小さく息を吐いた。
「備えは任せろ。お前はとにかく、使えそうなやつを探してこい。」
「わかった。これ使って。」
ハヤトは丸太を割って平らにしただけの天板の上に、銀貨を二枚差し出す。リオンはそれを瞬きほども躊躇することなく、自身の懐に収めた。
「とりあえず今日のところは食べて飲んで、しっかり寝よう。」
「ああ。明日から、張り切っていくとすっかね。」
打ち鳴らされる、二つの杯。
ロウネで過ごす最初の夜が、刻々と深まって__いく前に。解決しなければならない問題がもう一つだけある。
「んで、宿はどうすんだ。」
「うぅん……。」
これまでは二人部屋を借りてリオンと一緒に眠っていた。しかしこれからは三人で過ごすことになるわけで、いくら二人部屋のベッドが広いと言っても三人同時に寝転がることなどできようもない。
しかも、カルリスティアはこう見えてフィグマリーグ侯爵令嬢。半端な質のベッドを使わせるわけにはいかないだろう。
「二人部屋をリオンとカーリーで使って。俺は大部屋のベッドを借りるから。」
妥当な判断だと思ってハヤトは言ったつもりだった。けれどリオンはなぜか、何事かを気にかけるような、憂いているようにすら見える色を瞳に映す。
「……わかった。」
けれど、彼女は何も言わなかった。きっとその程度のことだったのだろうと、ハヤトは自身の胸の中で結論づけた。
こうして今度こそ、ロウネで過ごす最初の夜は刻々と深まっていった。
「はい、終わったよ。」
「ぁ……ありがと。」
櫛を通して艶やかに輝く髪をたなびかせるカルリスティアを連れて、ハヤトは「首狩人の大鎌」を訪れた。
人材探しのためにギルドへ足を運ぶのは、異世界ファンタジーにおける定番の流れ。そう思ってハヤトも受付係に、人材の紹介を頼もうと思っていたのだが……。
「狩りの心得がある方なんて、とっくにどこかから声がかかっているに決まっているでしょう。」
と、昨日とは別の受付係の男にすら一蹴されてしまった。
ならば、ともう二つの傭兵ギルドにかけ合ったものの、返答は似たようなものだった。
「ど、どう、する……?」
少年は「燭台の長屋」の酒場の一角で項垂れつつ、隣で葡萄酒をちびちびと口に含んでいるカルリスティアの長い後ろ髪を指先で弄っている。
金貨十八枚の賞金目当てに誰しもが躍起になっているのは理解していたし、そのような状況で最も必要とされる人材の確保が難しいことも理解している。ただ、解決の糸口も見出せないという事実が、心に重くのしかかってくる。
どうにか眠っている人材を掘り起こす機会を得られないか。そのようなことを考えていたハヤトの所に酒場で働いている店員の女がやってきて、これみよがしに胸元を見せつけてくる。
「ねぇ、お兄さん。何でもいいからぁ、もっと頼んでほしいなあ。」
扇情的な仕草をとっているが、彼女に他意はない。ただの心付け目当てだ。初めの食事時が過ぎ、かといって昼時でもない半端な時間帯になって暇なのもあるだろう。
左右に揺れる豊満な双丘をしばし目で追っていたハヤトは、ふと顔を上げて店員の女の顔を覗き込む。
「狩りの心得があって、今は誰とも組んでない人って知りませんか?」
「え。そんなこと私に訊くわけ?」
普通は傭兵ギルドや専門職の組織に相談するのが筋だろう。
しかし彼女のように多くの人が出入りする場所で働く者ならば、掘り出し物の情報を握っているかもしれない……という思惑が不意に閃いたのだ。
店員の女はしばらく考え込むと、酒場のあちらからこちらまでゆっくりと見回す。そしてとある一角に目線が行った、その時。女はにんまりと微笑んで右手を差し出した。
何を求められているのかを瞬時に察したハヤトは小銀貨を一枚手渡す。女は「へぇ。」とさらに口元を緩めて、先程自身が見ていた所を指さした。
「あそこに座ってる子、しばらく休業するって言ってたわよ。お兄さんが上手に交渉できたら、手を貸してくれるんじゃない?」
「ありがとうございます。」
店員の女は右手に輝く小銀貨を、店の象徴である大きなシャンデリアの明かりに照らしながら、「まいどありー。」と去っていく。
その背中に内心でもう一度感謝を述べてから、ハヤトは店員が指し示した一角へ歩み寄った。
酒場の端の方にある暖炉の横に置かれた、三人掛けのテーブル。そこにはぽつねんと座って干し肉を食む、鮮やかで濃い栗色の短髪が可愛らしい、小さな女の子がいた。
「……君もしかして。前にぶつかっちゃった……?」
ハヤトはその少女……いや、幼女と呼んで差し支えない小さな女の子に、確かな見覚えがあった。対して幼女は黒い髪の少年を少しの間だけぼんやりと眺め、すぐに朗らかな笑顔を浮かべる。
「あれっ、あの時のおにーさんだよねっ!ひさしぶりだねっ。」
ああ、とハヤトは頷く。
小さな体にそぐわない軽装の革の鎧と、小さな体にぴったりな短い槍。それから彼女の言葉と朗らかな笑みからしても、間違いない。
この女の子はハアースへ向かう途中に立ち寄った際、暗がりから現れたことに気がつかずにぶつかってしまった、あの子どもだ。
「俺、ハヤトって言うんだ。君は?」
「ボクはハルハルっ!おにーさん、なんかイイ体になってるねぇ。」
「あ、わかる?頑張って鍛えたんだ。」
「やっぱり!すぐにわかんないわけだぁ!」
暖炉よりもずっと温かくて明るい笑顔を見せてくれる幼女……褐色がかった肌はエキゾチックな艶やかさがあり、対して顔の輪郭は丸っこく純朴な雰囲気がある。
「こっちはカルリスティア。俺の仲間なんだ。」
「カルリスティアおねーちゃんだね!よろしく!」
「ぁ、ぅ……ょ、よろし、く……。」
小さな子ども相手でも、カルリスティアはいつも通りである。
「それで、ボクになにか用事?」
意外な再会に心が踊ってしまっていたが、本題は別にある。
店員の女は「狩りの心得があり、今は誰とも組んでいない人材」として確かにこの女の子を紹介してくれた。そこでひとまず、本人の素性を少しずつ探ってみる。
「ハルハルは狩りの心得があるって聞いたんだけど、本当?」
「うんっ。ボクが産まれた所はみーんな、森で狩りをして生活してたんだ!ボクもいろんなこと、いっぱい教えてもらったよ!」
どうやら彼女の故郷は、狩りを生業として生活する習慣があるようだ。狩人の村の出身となれば、幼い女の子だとしてもいくらかは頼りになるかもしれない。
「ハルハルは傭兵やってるの?」
「そーだよっ。意外でしょー。」
「うん。すっごい意外。」
槍や鎧を携えてこそいるものの、見た目は愛らしい女の子。ファンタジーな世界観ではべらぼうに強い子どもが度々登場するが、ハルハルもそういった類なのだろうか。
「今は休業してるって聞いたけど、どうして?」
「だって、みーんなキョジューの話ばっかりしててつまんないんだもん。だから落ち着くまでおやすみするって決めたんだー。」
手元の干し肉をもぐもぐと噛みつつ、ハルハルはしっかりと答えてくれる。
巨獣騒ぎが休業している原因なのは引っかかるが。しかし、この幼女が仲間になってくれれば心強い……かもしれない。
少なくともこれほど明るい性格の仲間がいれば、冒険が楽しいものになるに違いない。
「カーリーはどう思う?」
ただ、ここは一旦仲間にも意見を仰ぐべきだろうと判断したハヤトは、隣で話を聞いていたカルリスティアへ目線を向ける。
「ぁ……えと、そ、その……。」
しかし、様子がおかしい。カルリスティアがどもってしまうのはいつも通りだが、眉を寄せて目線が泳いでいる姿は、迷っているというよりも困惑しているように見える。
その理由は間もなくわかった。
「ぇ……二人がは、話してる、言葉が、わ、わかんなく、て……。」
ハヤトは、ゆっくりと振り返る。
そこにはもう、朗らかな笑みを浮かべる愛らしい幼女はいない。
鮮やかな茶色の目を細め、唇で緩やかな弧を描く、一人の「女」の姿があった。