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68:冒険の再開

 

 その日の夜。黒い髪の少年は邸宅の二階の、ある一室にいた。

 足や枠に上品な基調の模様が彫りこまれた家具が、いくつも並んでいるその部屋で。黒い髪の少年と椅子に背を預ける邸宅の主が、力強く輝く瞳と共に相対している。


「……あの子を連れて行くだと?」


 鷹のような鋭い目が月光を受けて青に輝く。

 しかし恐ろしく冷たいその目線を向けられた黒いたてがみの若獅子は、仄暗い黒に染まった瞳をまっすぐに返す。


「カルリスティアさんに足りていないのは、自分は強い人間なんだって思える自信です。ロウネの人々を怯えさせている『謎の巨獣』を彼女の魔法で討伐することができれば、その自信がきっと手に入るって、俺は思ってます。」


 交錯する、二つの眼光。


「あの子はロイ殿下と婚約している。王都を離れるのみならず、男と旅をするなど。私が許すと思っているのか。」


 青い瞳が、どろりと淀んだ紫に煌めく。

 彼の体を覆っていた深い影が蠢いて、細身の背後に巨翼を広げる大鷹を形作る。それはヒトの骨ごとき一迅でもって撫で斬れるのではないかと思える湾曲した黒い爪を突き立てながら、おぞましい声で少年に嘶く。

 それでも黒いたてがみの若獅子は真っ向から、いいえ、と力強く首を振る。


「でも、信じてください。カルリスティアさんには絶対に手を出しませんし、誰にも出させません。」

「君は武具の加護も属性の加護もない、ただの傭兵だ。紅い疾風を従えていようと変わらない。あの子は黙っているだけでも目立つというのに、そのような者に任せるわけにはいかない。」

「自分がすごいヒトだって理解できたカルリスティアさんが、ここに戻ってくるその時まで、俺が絶対に守り抜きます。ひと時も離れず、一歩も退(しりぞ)かない盾であってみせます。」


 たった一人の少女が、傷つくことなく将来の居場所に辿りつけるように。

 たった一人の少女が、自分の足で未来に向けて歩いていけるように。

 娘を想う、厳格な父。

 少女を支えたい、愚直な友。

 人間はいつだって、大切にしたい「何か」のために争ってきた。


「……あの子には、好きにさせてやりたい。」


 ふと、鷹のように鋭い目が窓の外に向く。

 色づいた木の葉が夜風に揺れて、静かにどよめく野薮の庭園。

 少年には彼が()()を見ているのかはわからない。

 わかるのは、青い瞳がひどく穏やかなことだけ。


「私は、信じよう。」


 黒い巨翼を広げていた大鷹は細身の男が掲げた右腕に留まり、巻物を咥えて細い窓から飛び去っていく。


「あの子が信じた、君という人間を。」


 大きな翼を羽ばたかせ小さく、小さくなっていく。


「あの子のやりたいように、させてやってくれ。」

「はい。わかりました。」


 温かな微笑みに、少年は頷いて返す。

 青い瞳と黒い瞳に、銀色に輝く幕を映しながら。





 フィグマリーグ侯爵邸の前に停められた天蓋付きの立派な馬車の荷台に、寝袋や野営道具といった嵩張る荷物が積み込まれていく。

 使用人たちがあちらからこちらへと忙しなく動く様子を、黒いとんがり帽子を頭に乗せ、右肩から肩掛け鞄を下げている少女が少し離れた所から眺めていた。


「カルリスティア様。」


 壮年の女が白糸で装飾された袖先を揺らしながら、カルリスティアの隣に立つ。


「これからはさらに冷え込み、雪も降ります。どうかお体にお気を付けください。」

「ぁっ……の……。」


 幅広のツバの下に隠れていた紺碧の瞳が、銀色に輝く前髪の隙間から覗く。


「ぁ……ゆ、ユリス、も。」

「……ッ!は、はいっ。」


 会話とはとても言えないが、けれど確かに言葉を交わしあった二人を、さらに離れた所から見ていたハヤトにも声をかける人物がいた。


「ハヤトさん、ごきげんよう。」

「よう、ハヤト。」

「アストリエスさんに、ロイまで。」


 どうして、と訊いてしまいそうではあったが、動機については当たりがつくというもの。

 それよりも。ロイに対して、ハヤトは真剣な眼差しを差し向けた。


「俺、ちゃんとカーリーのこと守りますから。だから安心してください。」


 将来は国を負って立つ人物の婚約者を、危険に満ち満ちた冒険へ連れ出すからには。

 彼女の心身の安全は彼女がここに戻ってくるまで絶対に守り抜く。それが信じてくれたカルリスティアの父とロイへ示すべき、唯一にして絶対の誓い。


 ただ、ハヤトはそう思ってトリカブトの剣の鞘を、ぐ、と握りしめているのにも係わらず。ロイもアストリエスもなぜか穏やかな笑みを浮かべている。


「もういいんだ、ハヤト。私のことは気にしなくていい。」


 何がもういいのかハヤトがまったく理解ができずにいると気がついたロイは、どこからか一輪のバラを取り出した。

 真黄色に染まった愛らしい三重の花弁を広げ、ほんのりと上品な香りを漂わせるその花に向けられているロイの眼差しは、とても柔らかい。


「カーリーから届いたんだ。」

「黄色のバラに、何か意味が?」


 ハヤトの問いに、ロイは「ああ。」と唸る。


「『薄らぐ愛』と、『嫉妬』。どちらも黄色のバラの花言葉だ。しかし我が国では婚約している異性へ送る時、もっぱらもう一つの意味で送られる。」


 それは__「友情」。


「つまり……。」

「まあ、そういうことだ。」


 太い指先にリードされてくるくると舞い踊る、黄衣の乙女。柔らかい裾先をひらりと広げるその姿を、青年は穏やかな眼差しで、じ、と見下ろしている。


「というわけだから、私を気にする必要などない。お前がカーリーを、カーリーがお前をどう思っているかは私の知るところではないが。」


 ロイは銀色の髪を揺らすもう一人の()()()()を見つめながら、呟くようなぼんやりとした声色で「いずれにせよ。」と続ける。


「お前はお前のやりたいようにやり、行きたい所へ行け。きっとそれが、お前の道なんだろう。」


 やや黄ばんだ歯を見せてニッカリと笑う彼に、ハヤトは笑いかける。それから穏やかに微笑むアストリエスにも。


「カーリーをよろしくね、ハヤトさん。」

「……はいッ。」


 カルリスティアと慕い合う、二人の幼なじみ。

 穏やかで上品な雰囲気を漂わせるアプリー公爵令嬢は、「少し話してくるわ。」と言ってカルリスティアの側へ歩み寄っていく。


「ロイは?」


 とハヤトは問いかけたが、当人は晴れやかな面持ちをしている。


「挨拶だけできれば十分だ。」

「それでいいんですか。」

「ああ。それでいい。」


 穏やかな笑みでとんがり帽子や細い手に触れるアストリエスと、はにかみながら幼なじみと言葉を交わすカルリスティア。

 二人の様子を眺めている間に、とうとう出発の準備が整ってしまった。


「いってらっしゃい、カーリー。」

「存分に暴れて来いよ、カーリー。」

「ぁ、暴れない。ロイじゃ、ないから。」

「それもそうだな!」


 ガハガハと笑うロイに背を向けて荷台に乗り込もうと目線を上げたカルリスティアの前に、厚い皮で覆われた手が現れる。


「ぁ、あり、がと。」


 杖を握りしめている右手とは反対の手で、差し出された手を握る。


「待ちくたびれたぜ。」


 荷台の奥の一角は既にリオンが占拠していて、足を組んでくつろいでいる。


「フィグマリーグ侯爵が手配してくれた馬車なんだから、カーリー優先だよ。」

「へいへい、わぁーってるって。」


 まあ、そうは言っても馬車の荷台は三人が並んで座るに足る広さがある。荷物も同乗しているので全員がのびのびとくつろげるほどの余裕こそ無いが。


「カーリーは馬車に乗ったことはある?」

「ぁ……馬車はない、けど……馬にはの、乗った。」


 十一歳の時にロイやアストリエスと馬で駆けたと言っていたことは、ハヤトも憶えていたが。馬に乗ったことはあって、馬車に乗ったことはないとはなんとも不思議な話だと少年は内心で首を傾げる。

 そうして雑談をする片手間に、最後の荷物確認を終えた三人。


「準備できました。」


 御者台に座っていた御者が「あいよ。」と答え、馬たちに鞭を入れる。

 鉄板を履いた車輪が路地を蹴る音に混じり聞こえる、使用人たちの呼び声。


「お嬢様!お健やかに!」

「お戻りになるのをお待ちしております!」


 頬を切る冷たい風に銀色の髪をたなびかせながら。手を振る使用人たちと二人の幼なじみに、カルリスティアは小さく、けれど確かに手を振り返す。


 フィグマリーグ侯爵令嬢、カルリスティア・オーラ・フィグマリーグ。

 黒薔薇を咲かせる魔杖を携えた「銀の魔女《the Silver Witch》」との旅は、この世界が「冬のひと月」を迎える直前に始まったのだった。

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