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60:侯爵邸での日々1・②

 


 研究に協力する__そう啖呵を切ったのはいいものの。魔力や魔法には疎く、使うこともできない。まずは知識を蓄える必要がある。


「ぁ……そ、それ。もう読んだんだ。」

「はい。次はこっち借りますね。」

「う、うん。いいよ。」


 フィグマリーグ侯爵邸に来てから七日間。ハヤトはカルリスティアと共に部屋に籠って、ひたすら彼女の蔵書を読み漁っていた。魔力のこと、先祖返りのこと、そして属性の加護のこと。足りない知識は未だ多い。


「魔力は自然界の勢力的な秩序を保っている見えない力の奔流で、この均衡が崩れると草木の生育が遅れ、野獣の寄りつかない不毛の土地に変わる……。リスリアヌ大陸の大砂漠ラパ・セフイィーニヤでは、リアヌ人ですら魔法を使うことができない。」


「体内の魔力回廊を体外と繋いで魔力を得るリアヌ人は、魔法を使うのも外的魔力に依存してる。でもオナー人は内的魔力に依存する体質だから、属性の加護の力を引き出すのは得意だけど、それしかできない。」


「オナー人が属性の加護の力を自分の体とか触れている物にしか発揮できないのは、自分の体の中にある魔力を、体内の魔力回廊で循環させながら使ってるから……。」


「それもあるけど……変質させた魔力は、外側と内側の境目……つまり、体の表面に無意識的に制限してる。」

「ああ、そっか。単純に()()から離れると、制御できないからか。」

「それが、一番の理由。」


 こうして言葉を介して確認しながら知識を蓄える作業を、七日間に幾度となく繰り返していた。

 カルリスティアの知識には深みがある。部屋に溢れる本の数だけ知識を持ち、そこから新たに発見できるほど。初日に見せてくれたいくつかの植物紙が、それを物語る。

 同じレベルになる必要はない。彼女がさらに上の段階に登っていくための小さな、しかし確かな足掛かりになれればいい。


 ふと、視界の端に銀色の幕が翻る。

 椅子の上で膝を抱えているためにわかりにくいが、彼女の銀色の髪は腰の下まで伸びている。それでいて毛先まで手入れが行き届いており、一本一本が陽の光を反射してきらきらと輝いている。


「髪の手入れは自分でやってるんですか。」

「ぁっ、うん……お、起きたら、すぐやる……。」


 魔力や魔法に関する会話は流暢に話すものの、それ以外の雑談ではおずおずとした口調になってしまう。ぶっきらぼうというか、距離があるというか。好きなことは夢中になって話せるがそれ以外の会話はてんでダメという、典型的な「陰」ぶりである。

 しかし髪の手入れに関する本が見当たらないので、本人から聞き出すしかない。不摂生ぶりに反した美しい髪には、それを維持できるだけの手間がかけられているはず。


「具体的にはどんな手入れを?」

「ぇぇ……す、梳いたり。馬油ぬ、塗ったり……。」


 ハヤトが「バユ」という言葉を「馬油」と認識するまでには少し時間がかかった。この世界どころか、故郷でも馴染みのない品だった。


「馬油って、馬の脂ってことですか?」

「ぁ、うん。か、髪とか、肌にいい……。昔マグリ人がも、持ってきた……はず。」


 振り返ってベッドの横のチェストを見遣ると、小瓶が数本置かれている。それからチェストの下にもいくつか転がったままだ。


 中世ヨーロッパ風の世界観では、美容品の類は少量でも非常に高価というイメージがある。フィグマリーグ侯爵家であれば大量に用意できても不思議ではないとはいえ。

 それにこれほど長い髪を、一人で手入れするのは大変そうだ。


「手入れは一人で?」

「ぅ、うん。」


 腰の下まで伸びた髪を一人で手入れしていたら、時間と手間がかかるに違いない。ただでさえ遅起きが当たり前のこの世界でも抜けて遅起きのカルリスティアの、研究を滞らせる要因は少ないに越したことはない。


「髪の手入れ、手伝います。」

「ひぇえっ?!あ、あの……それは……。」


 指先で揉んでいる銀色に輝く前髪の向こうで、耳まで赤くなるカルリスティア。しかしハヤトの意思は固く、愚直だった。


「これもカルリスティアさんの研究のためだから!」

「ぅ……そう、言われ、ても……。」


 だが、仄暗い黒に染まった瞳の奥で煌々と燃え膨らむ炎に当てられてしまって、この少女が逃れられる道理はなかった。


「……じ、じゃあ。起こし、来て……。」

「わかりました。ばっちり早起きできるようにしてあげます!」

「ぁっ……はは、早起き、は、いらない……。」


 思えばこの銀色の髪の少女は不摂生極まりない。昼過ぎになっても起きない日があって、どうせその日は遅起きした分だけ寝る時間も遅くなっているはず。沐浴も食事もまちまちで、部屋から出ることすら稀。

 不摂生をしていてこれだけの研究ができるのだ。健康的で文化的な生活をさせれば、もっと早く研究が進むかもしれない。


 そう、これは研究の手伝いだ。より速く、より深く研究を進めるために必要なこと。

 元々が不摂生な生活習慣。少々強引で、お節介すぎるくらいには手も口も出すべきだろうと、ハヤトは確信していた。


「そろそろお腹空いてませんか。今日も起きてから何も食べてないですよね。」

「ぁ、や別に、だ、大丈夫……。」

「ていうか、それ今日も着てますよね。ちゃんと洗濯してもらってます?」

「ぇ、ぁ……洗濯は、えと……。」


 フィクションに登場する怪しげな魔女のイメージを思い起こさせる、膝下まで隠す黒いローブ。裾や袖はくたりとしていて、かなり着こんでいるのが見てとれた。

 使用人の話によれば直近二十日は、便所に行く以外の理由で部屋から出ていないはず。その間、ずっと着ているのだろうか。

 部屋から出ようとしないのは、まだいい。研究に没頭するのもハヤトからすれば都合が良い。しかしフィグマリーグ侯爵の令嬢だからといって……いや、だからこそ、最低限の健康的で文化的な生活をしてもらいたいところ。


「ぅ……。」


 呻き声と同時に微かに聞こえる、腹の虫。


「ご飯持ってくるね。」

「ぁっ……ども……。」


 どれだけ「陰」な性格で、不摂生な生活を送っていようとも。彼女はフィグマリーグ侯爵令嬢で王子の婚約者。

 どこまで彼女の「領域」に踏み込んでいいものなのか。ハヤトは部屋の外に待機していた使用人に食事を用意するように伝えながら、ぼんやりと考えていた。





 その日の夜。ハヤトとリオンは邸宅の食堂にいた。食堂には模様が彫り込まれた木板の長椅子と、丸太で組まれたロングテーブルが置かれている。

 二人は目の前に用意されていく数々の大皿食事を揃って見回して、最後にテーブルの対面にいる一人の男に目線を向けた。この邸宅の主にしてこれまでの六日は王の城で政務に当たっていた、フロリアーレ王国の内務卿。バルグリード・オーラ・フィグマリーグ、その人である。

 銀に輝く杯を揺らしているフィグマリーグ侯爵は鷹のように鋭い目を向けて、固まっていたままの二人のために口を開いた。


「料理人が腕を振るった食事だ。遠慮せず食べるといい。」

「はい!いただきます!」

「お貴族様はいつもこんな飯食ってんだよな……。」


 鹿のあばら肉のステーキ、塩漬け魚の焼き物、瑞々しく香る果物、付け合わせの葉菜。どの料理も色鮮やかに彩られている。口に含んだ後もほどよい塩味と香り高いハーブの匂いが鼻と口に広がり、素材の良さを引き出す役目を全うしている。

 普段食べている酒場の食事とは、かけられている手間もカネも段違いであることは歴然。もはや、あれらと比べること自体が失礼になるほどだ。


 さすがは王国の金庫番を務める人物だと実感しつつ、ハヤトは魚の切り身と中も外も柔らかいパンを食む。


「城を発った後はどうしていた。」


 食事もそこそこの頃合い。芳醇な甘みを漂わせる紫の液体に舌鼓を打っていた時、ふとフィグマリーグ侯爵が声をかけてきた。


「ハアースに着いてから、自警団の教官のレオノルドさんという人に訓練をしてもらいました。一か月過ぎてから傭兵ギルドで仕事をするようになって、二か月が経つくらいに『紅い疾風』一味の討伐作戦が始まって……。」


 二人で話している横では、赤毛の女が遠慮なく食事を貪っている。


「『紅い疾風』を奴隷にしたと。」

「はい。俺が戦って、捕まえたんですよ。」

「そうだったか。」


 以前会った時と変わらず、フィグマリーグ侯爵が口元を緩める瞬間はない。


「君は君のやり方で、前に進めているようだな。」


 以前会った時と変わらず、彼の青い目は鷹のように鋭い。

 ただ、その目線は不思議と心地よかった。まるで寛大な父親に見守られているような。そういう感覚だった。


「……あの子の様子は、どうだ。」


 様子、というと。体調のことか、研究のことか。

 黒いローブの上から見てわかるほど非力そうな肉付きで、肌は血の気があるとはいえ雪みたく白い。しかし話していて不調さを感じる仕草は見られず、単に引きこもっているせいで筋肉がなく、色白なだけであることは明白。

 研究については、未だ自分自身が勉強中の身。進んでいるのか滞っているのかすら、見当がつかない。

 ハヤトが素直に伝えると、フィグマリーグ侯爵は「そうか。」と唸るように呟いて、銀に輝く杯を傾ける。

 それにしても。彼は娘が魔法について研究していることをどう思っているのだろうか。


「カルリスティアさんが魔法の研究をしてるのって、どう思いますか。」


 問いかけられたフィグマリーグ侯爵は二度、三度と杯を揺すると、「私は。」と言いかけて、一度口をつぐむ。


「……あの子には、好きにさせてやりたい。」


 答えはそれだけだった。

 きっとこの言葉で足りているのだと、ハヤトは思った。


「で、その魔法に首ったけなお嬢様は、飯食わねぇのか。」

「ご飯はいつも部屋で食べてるんだって。」


 リオンはあばら骨に付いた肉を齧りながら、「ふぅん。」と鼻を鳴らす。


「そうやって引きこもってっと、息詰まっちまうぞ。」

「本人が望んでるからなあ。」

「お前にも言ってんだよ。」


 ああ、とハヤトは内心で唸る。

 言われてみれば自分も、ここのところはカルリスティアの自室で一緒に引きこもっている。いつも毎朝五百回こなしている素振りも三百回で切り上げてしまっているし、昼前に取る食事もカルリスティアと一緒だ。


 テレビか何かで、軽い運動が気分転換として効果的だと聞いたことがある。健康的で文化的な生活ができるようになったら、一緒に町中を散歩するのもいいかもしれない。

 まあ、人付き合いが苦手な彼女は、そもそも外に出ることを嫌がりそうだが。


「首ったけなのはお前もだったか。」

「ん?なんの話?」


 リオンはかぶりを振って「なんでもねぇよ。」と吐き捨て、あばら骨にこびり付いた肉を貪りはじめてしまった。

 とにかく、今はカルリスティアのことを第一に考えなくては。


「これからは研究を進めるべく、カルリスティアさんには健康的で文化的な生活を送ってもらえるように、手も口も出していくつもりです。」

「あの子のために必要だと思うことは好きにやればいい。だが、ロイ殿下の婚約者であることは忘れるな。」

「はい、もちろんです。」


 ロイとアストリエス、そしてフィグマリーグ侯爵に任せてもらった役目だ。三人の信頼を裏切ってしまうようなことは、絶対にしない。

 黒い瞳を射貫く鷹のように鋭い眼光に、ハヤトはしっかりと頷いて返したのだった。

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