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59:侯爵邸での日々1・①

 


 アプリー公爵邸と道を挟んで対面しているフィグマリーグ侯爵邸も、石材と木材が入り混じった造りをしていて、庭には未開の野薮を切り出した庭園にバラが植わっている。


「旦那様からご事情は伺っております。まずはお部屋へどうぞ。」


 袖先が白糸で装飾された薄紫色の布地のドレスを着た壮年の女に案内された部屋で、ハヤトとリオンはそれぞれの荷物や武具を床に下ろす。


「カルリスティアさんについて教えてもらってもいいですか。」


 ロイとアストリエスからの依頼をこなすためには、まず客観的な人物像を把握しておくべき。そう判断したハヤトは壮年の女に、屋敷の構造を案内している最中に訊ねてみた。

 壮年の女は「お嬢様は……。」と呟いて、しばらく口を開かなかった。しかし咳払いをすると、転じて女は柔らかい眼差しで話しはじめた。


「お嬢様は(まこと)にご聡明であらせられます。王立学園に通われていた頃もロイ殿下やアストリエス様と切磋琢磨され、加護の扱いやその他多くの学問で大変に優秀な成績を残されました。身目麗しく、また聡明であらせられるカルリスティア様はその御髪(みぐし)の色になぞらえて、『銀の魔女《the Silver Witch》』と呼ばれていたと聞き及んでおります。」


 聡明で勉学に秀でいる、「銀の魔女」。ここまで聞く限りでは、知的でクールなミステリアス美少女といった人物造詣が頭に浮かんでくる。


「ただ、一方でその……人付き合いには、難がおありのようで……十数年前からロイ殿下が主催あそばされている、貴族の子女方が集う懇親会には一度もお出にならず……。学園でもロイ殿下やアストリエス様以外の方々とはお関わりになっていなかったご様子。殿下とのご婚約も、(まこと)に近しい方々にしか話されていないようで。」


 一国の未来を負って立つ人物との婚約だなんて、貴族の令嬢としてこれ以上に喜ばしいことはないだろうに。友人に言いふらしたりはしていないのだろうか。


「友だちには話してないんですか?」

「お嬢様のご友人として私の考え至る限りでは、あの……幼い頃からご交友をお持ちの、ロイ殿下とアストリエス様しか……。」


 知的でクールというよりも、ドがつく陰キャラお嬢様といったところか。……ミステリアスさだけは、悪い意味で増している気がする。

 それにしても。あの熱血肌のロイを幼なじみにして、なぜそこまでの陰キャラに育ってしまったのだろうか。


「カルリスティアさんがどうしてそんな性格になってしまったのか、心当たりは?」


 俯いて「それは……。」と呟く壮年の女の表情には、ひどく冷たい陰が差している。しかし四歩、五歩と細い通路を進んだ後。


「旦那様やお母上のエルシルア様は、王宮での政務や領地の管理にかかりきりで、お子様方の養育は全て、私たち使用人にお任せになっておられました。そのためか今もお二人とはお話しにならず、私たちにすら自らお声かけいただくことはあまりありません。」


 忙しい両親との間には現在も壁があり、育ててくれた使用人たちとも距離がある。カルリスティアの「陰」レベルはかなり高そうだ。


「エルシルア様はフィグマリーグ家の後継者たるご子息を、大変に望まれていたのですが。カルリスティア様がお嬢様だと知ると、顔も見ずに乳母に預けてしまった、と……。」


 壮年の女の強張った顔と震える唇を見たハヤトは、ああ、と内心で唸る。

 侯爵家の後継者となる息子を強く欲しがった母親。しかし知る限り、侯爵の子どもは三姉妹だけ。末っ子であるカルリスティアまで女の子だと知った母親がどれほど落胆したのかなど、赤の他人である自分はとてもではないが想像できない。


「カルリスティア様の養育係となった者は我が子のように愛情を注ぎ、カルリスティア様も養育係を信頼なさっていました。しかし数年前、流行り病で亡くなりました。昔から口数が少なく、お一人で過ごすことを好まれる方ではありましたが。思えばその頃から自室に籠られる時間が__」


 ふと。壮年の女が足を止める。


「こちらがお嬢様のお部屋でございます。」


 通路をずっと歩いていった先に現れた何の変哲もない一枚板の木の扉。これの向こう側に、陰キャラ引きこもりお嬢様がいる。


「お嬢様、ハヤト・エンドウ様がお見えになりました。」


 壮年の女の声かけに、反応はない。


「カルリスティア様、お目覚めになられましたでしょうか。」


 む、とハヤトとリオンが唸る。

 既に太陽は頂点から地平線へと下りはじめる時刻。この頃合いにも目覚めないことがあるとは、なんたる堕落ぶり。


「……お入りになってください。」


 壮年の女は諦めずに何度も呼びかけたが、返事どころか物音一つ無い。とうとう女は大きなため息をついてしまって、ゆっくりと扉を開けた。


 そこは、別世界だった。

 まず目に飛び込んできたのは濃い茶色の木材で拵えられた本棚と、隙間なく詰め込まれた書籍。革で装丁されている物や、紐で留められている巻物。植物紙や皮紙。手の横幅くらいに厚い物や、一枚っぺらの物。

 武骨な造りの建物の内側に広がっている、文字の園。言の葉を茂らせる木立が規則正しく、しかし煩雑に並ぶ部屋に黒い髪の少年が踏み入らんとする。


「リオン?」


 しかし赤毛の女は、部屋の前で三角形の間抜けな口元を晒したまま。


「あ、アタシはやめとく……。」


 本は銀貨十枚を下らない高級品。それが大量に並んでいる部屋を目前にして、さすがのリオンも肝を抜かれたようだった。


 ハヤトは一人で言の葉の木立を掻き分けて進む。幸いにも置かれている棚の数は書店のように多いわけではなく、三列、四列と越えれば金貨数十枚分の価値がある中身を収めた棚は途切れる。

 奥の壁の左右には、木板の戸窓が取り付けられている細い窓が温かな陽光と涼やかな外気を誘い入れる。右側を見遣ると毛皮のブランケットがくしゃくしゃになったまま放置されている、大人二人が並んで眠れる寝台がある。誰かがいる気配はない。

 そうして左に目を向けようとした、その時。


 銀色の風が部屋中に吹き渡った。


 天上から賜りし偉大な息吹が窓口から伸びる白光として形を成し、純然たる銀の色の御髪(みぐし)に微かな青を挿す。黒いローブの裾からはか細い素脚と血の気を帯びた白肌が覗き、秋の木枯らしが(なぶ)るように撫で駆けて、縮こまらせる。

 閉ざされた瞼には柔らかそうな睫毛が緩やかな弧を描いて並び、枕にしている腕に返された寝息に当てられて揺れる様は、淡い銀に輝きながら白い砂浜に寄せる漣を思わせた。


 気怠げに開く瞼の下にあった紺碧の瞳が、立ち尽くす一人の少年の姿を捉えるまでは。


「……だ、誰?」


 ぼんやりと間の伸びた、どちらかと言えば低めの声。


「ハヤト・エンドウです。」

「あ、あぁ……ロイと、リエスが……。」


 銀色の髪の少女は、本や巻物が天井すら伺うほどにうず高く積まれた巨大な書斎机に預けていた上半身を起こすと、膝を手元に引き寄せ、背中は猫のように丸める。


「ぁっ……えと。か、カルリスティア、です。」

「これからしばらく、よろしくお願いします。カルリスティアさん。」


 こうして貴族の令嬢と対面した時は、握手をするものなのか。それともこちらから一礼するに留めるべきか。

 しばしの間考えたハヤトは、椅子の上からこちらを見上げている紺碧の瞳を覗きながら、胸に手を当てて頭を垂れた。


「さっそくなんですけど、カルリスティアさんはどんな研究をしているんですか?」

「あ、ぅ……ここ、こういうの、を……。」


 細く白い手で差し出してきたのは、いくつかの植物紙。それらには『髪質と魔力の親和性』や『魔力回廊と魔力制御性の関連』といった題名と、それぞれの具体的な内容が図付きで記されている。意味が理解できない部分も多く、内容を飲み込むためには時間が必要だ。


 そこまで歳の離れていないはずの銀色の髪の少女が、魔法の研究のためだけに膨大な時間を費やしてきたことしかわからない。

 それこそ、沐浴や食事の時間すらも切り詰めて。


 仄暗い黒に染まった瞳を覗きこんでいる紺碧の瞳の奥で揺らめく、背筋を凍らせるようなおぞましい炎は、ずっとそこで燃え膨らんできたのだ。


「カルリスティアさんはもう魔法が使えるんですか。」

「ぇ、あ……ま、まだ。上手くい、いかなくて……。」


 ハヤトの口元から、笑みがこぼれる。

 この少女が「完成」する瞬間が見たい。

 魔法が得意ではないリオンのそれではなく。オナー人の魔法紛いのそれでもなく。魔法を使う素質を秘め、既に「闇の加護」の力を大いに引き出しているというこの少女が、完成された本物の「魔法」を放つ姿が見たい。


 喉を震わせる力の源は、純粋にして醜悪な、好奇心。

 猫すら殺すというその感情は、黒いたてがみをたなびかせる若獅子を光へ導くか。闇に堕とすか。


「俺が全力で協力します。だから完成させましょう、カルリスティアさんの『魔法』を。」

「う、うん……!完成、させるっ!」


 紺碧の瞳が墨に浸し染めたような漆黒に瞬き、黒い渦が銀の幕を立ち上げて二人を包む。

 異世界から来た、黒い髪の少年。異世界の非常識(イレギュラー)たる銀色の髪の少女。

 仄暗い黒に染まった瞳の奥で煌々と燃え上がる炎と、紺碧の瞳の奥に揺らめく背筋を凍らせる炎が生み出すモノを、この世界はまだ知らない。

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