58:公爵邸への召喚
「王命により、ハヤト・エンドウを名乗る男が城に近くことなきよう達せられている。」
「……そうですか。」
朝に門衛から拒否され、日中に傭兵の仕事をこなし、夕方に食事をし、さっさと床に就く。そのような生活を始めて、六日が経った。
七日目のこの日も依頼を求めて「銀灰」に立ち寄ると、職員らしき茶色い衣を着た男から声をかけられた。職員の男は少し焦っているような、慌てているような表情をしている。
「ハヤトさん宛てにアプリー公爵邸から召喚の書状が届きました。すぐに向かってほしいと、ギルドマスターも仰っています!」
物理的に背を押されるままに「銀灰」から追い出され、アプリー公爵邸までの道程が記された大味な地図を押し付けられたハヤトとリオンは、手元と足元を交互に見遣りつつ都市を歩いていく。
「お前、お貴族様とも知り合いだったのか。」
「知り合い……なの、かなぁ?」
「呼び出し食らうくらいには知り合いだろ。」
かなり友好的に接してくれたアプリー公爵の迫力ある髭面こそ、ありありと思い出せるとはいえ。彼とは城の宴会場で話したきりのはずだが。
胸の内の疑問が晴れないままのハヤトはリオンと共に、城を囲む城壁と住民の居住区の中間に広がる閑静な住宅地に足を踏み入れた。
ただ、「貴族の邸宅」と言っても、中世ヨーロッパ風の世界観として思い浮かべる豪華な装飾がされた立派な建物ではない。王の城のように、住居としての機能性が優先された武骨で質素な外観をしている。
地図に従ってやってきた邸宅も例に漏れず。石材で築かれた外壁は木材でしっかりと補強がされていて、細く小さい窓が一つ、また一つと遠い間隔で口を開く。
木板の柵で囲まれている庭は風が吹く度に枝葉が擦れる音が鳴り、まるで手付かずの森奥に迷い込んでしまったかのよう。けれどその中で凛々しく、華やかに咲き誇るバラの香りが、外から覗いているハヤトたちの鼻腔をいっぱいに満たしてくれる。
思い描いていた「豪華絢爛」という雰囲気ではないが、この世界における豪邸という姿の見本が目の前にあるのだと、ハヤトは理解した。
そのように少し離れた所から邸宅を見つめていたハヤトとリオンに気がついた一人の使用人らしき女が、よく仕立てられたエプロン付きドレスを着た中年の女を呼んできた。
「ハヤト・エンドウ様であらせられますか?」
「はい。こっちは俺の仲間です。」
「アタシには構わなくていい。」
「承知しました。お嬢様がお待ちしておりますので、こちらへ。」
アプリー公爵家の「お嬢様」と言えば、知る限りではアストリエス・フラ・アプリーのことだろうか。しかしアプリー公爵本人ならまだしも、娘から呼び出される理由とは如何に。
中年の女に案内されるままにランタンや松明で照らされている屋敷を進んでいったハヤトとリオンは、やがて二階の奥まった所にある部屋に辿りついた。
「お嬢様、ハヤト様がお見えになりました。」
なにやら物音が聞こえたかと思えば、「どうぞ!」と穏やかな声が聞こえる。
「……どうぞ、お入りください。」
どこか呆れが見える顔を下げる中年の女に会釈をしてから、ハヤトは部屋の扉を開けた。
部屋の中は派手な装飾品が少なく、貴族の屋敷の部屋というわりには色味が落ち着いていて、置かれている家具も機能的な造りをしている。家具の木の脚や枠には細やかな模様が掘り込まれ、形こそシンプルだが高い品位を感じさせる。
その中でも一対になっている横長のソファの一つに腰かけている、とても華やかで愛らしい顔立ちをした、けれどその灰色の瞳の奥に強い熱と固い意思を感じさせる女がこちらに穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、その隣には__
「久しいな、ハヤト!随分と良い男になったな!」
「ろ、ロイ王子ッ?!なんでここに?!」
短く切られた髪を後ろに撫でつけている男が、こちらに満面の笑みを浮かべているのを見たハヤトは、ああ、と事の全てが腑に落ちた。
「もしかして本当に俺を呼び出した人って、ロイ王子ですか!」
「おおっと、もう気づいてしまったか!なかなかどうして賢しい男だな!」
「ふふふ。やはりロイの浅知恵では、すぐに見透かされてしまったわね。」
父王が嫌い、城に近づくことすら許していない人物と王子が面会する方法。それこそが、王の兵の目が届かず、かつ婚約者の父が所有するため信頼できる「アプリー公爵邸」に呼び出してしまうこと。
「我が父のことながら、本当にすまない。門衛がお前を阻んでしまっていることを聞いて陛下に問うたものの、訳の一つすらもお話しくださらなくてな。それ故、このように回りくどい手段を取らせてもらった。」
「いやいやそんな、こちらこそすいません。王子様に謝ってもらうほどのことでもないですし……。」
気に入られていないのは自分で、気に入っていないのは王本人。とはいえ実父のことでもあるからか、ロイは短く切られた髪を揺らしてかなり深く頭を下げる。
「おい、私のことは『ロイ』と呼べといったろう。ほら!」
「あ、えと……ロイ。」
「うむ!それでいい!」
一転してガハガハと笑うロイの胸を、隣に座るアストリエスの手の甲が叩く。
「ロイ。ハヤトさんを座らせてあげたら?」
「おっと悪いな!とりあえず座れ!そっちの女も!」
ロイに従ってハヤトはそそくさとソファに腰かける。ただ、リオンは部屋の入口から動かない。
「アタシはこれの奴隷なもんで、お貴族様と同じ椅子に座るわけにはいかない。」
リオンは首に嵌められている鉄の輪を見せつけながら、淡々と言葉を投げる。
アストリエスは自分と同じ女の身だったからか、単に奴隷という存在に馴染みがなかったのか「まあ……。」と手を口に添えている。
「だ、そうだぞ。ご主人様。」
「いいよ、リオン。こっち座って。」
「……はいはい。」
仕方なしにハヤトの隣に座るリオンはまるで、気にくわない匂いのする他人の家に連れてこられた、赤い毛並みの飼い犬である。
「私はロイ・フラ・ローゼイ。フロリアーレ王ベイグルフ・フラ・ローゼイの息子だ。」
「彼の婚約者のアストリエス・フラ・アプリーです。」
「アタシはムラ村のリオン。……盗賊だった。」
ロイは「ほう!」と膝を進める。
「その赤毛からしてもしやと思ったが、お前が『紅い疾風』か!」
「あーあーはいはい、そうだよ悪かったなぁ。アタシがいろいろやらかした挙句、こいつにまんまと捕まっちまった『紅い疾風』だよ。」
リオンが居心地悪そうにしていたのは多くの人々を傷つけ、苦しめてきたことを恨まれていると思っていたかららしい。
実際、アプリー公爵の娘であるアストリエスは細い手と肩を震わせながら静かに俯いている。ロイも思うところがあるらしく、形のいい眉をひそめた。
「今も王国の民を苦しめる身の上であれば、手ずから叩き切ってやっただろう。だがハヤトの奴隷として贖罪の最中だというのならば、よもや何も言うまい。」
しかし、アストリエスはおもろむにソファから離れて、リオンの前に立つ。震える手をもう片方の手で強く、強く抑えている。
「……お許しを、願います。」
持ち主に許しを得てまで、震える手で何をしようとしているのかハヤトは……リオンやロイですらも……よく理解できる。
ハヤトは深みのある赤褐色の瞳を覗くと、両の眼は小さく縦に答えた。
「どうぞ。」
「……ありがとうございます。」
アストリエスは抑えていた右手から手を離す。そしてゆっくり、ゆっくりと天井に届くくらいに右手を高く掲げると、鋭い軌跡を描きながら振り下ろす。
乾いた音が、部屋に響いた。
「……はしたないところを、お見せしました。」
頭頂が見えるほどに首を垂れたアストリエスは、しっかりとした足取りでロイの隣に戻った。
ロイはアストリエスの灰色の瞳を見遣り、光が戻ったことを確認してから口を開く。
「『紅い疾風』を捕らえ、ハアースで傭兵として名を挙げたことは城にいながらも聞き及んでいる。そこでハヤトに一つ、私から頼みたいことがある。」
「頼みたいこと、ですか。」
「これは私からの頼みでもあるわ。引き受けてくれると、本当にありがたいのだけれど。」
一国の王子とその婚約者がちょっとした裏技じみた策を弄してでも、直接会って頼みたいこと。いったいどれほどに重大な事態なのかと、ハヤトは唾を飲み込む。
「お前が城に来た日の晩餐会でアストリエスともう一人、婚約者がいる話をしたことは憶えているか。」
そういえば、とハヤトは頭を傾げる。
「ああ、はい。フィグマリーグ侯爵の娘さん……カルリスティアさん、でしたっけ。」
「そうだ。彼女は歳がいくつかの頃からの知り合いで、まあ、幼なじみというやつでな。共に王立学園で学んだ学友であり、婚約者でもあるのだが……。」
言葉を詰まらせたロイに代わり、アストリエスが続ける。
「あの子は自室から出ず、話によれば沐浴や食事すらも忘れて、『魔法』の研究に没頭しているらしいの。」
「魔法の、研究……?」
研究もなにもオナー人は魔法を使えないはずでは、とハヤトは聞き返す。
ところがロイの答えは、あまりにも想定外の……あるいはこの上にはないほどに、ハヤトにとって「朗報」と言えるものだった。
「カルリスティアは、巷に『先祖返り』と呼ばれる人間でな。オナー人が失ってしまった魔力を操る能力を備えているのだ。しかも『闇の加護』まで宿していて、小さい頃から凄まじい力を使いこなしていた。」
「それから本人が言うには、魔力との……親和性、というものが高いらしい生まれつきの銀髪なの。だから見た目にも、とても目立つ子で。」
異世界の国であるフロリアーレ王国の、フィグマリーグ侯爵の三女の、先祖返りの、生まれつきの銀髪。
そもそもオナー人では稀な先祖返りが、フィグマリーグ侯爵家に生まれるという奇跡的な現実を知らされて、ハヤトはおろかリオンですら驚きを隠せないでいる。
「そんで、そのご令嬢をアタシの主人に寝取ってほしいってか。」
「私にそのような趣味は__」
と、言ったところで、ロイは少し考えて。
「いや、見ようによってはそれも正しいかもしれんな。」
「ォッ……マジか……。」
唸るリオンの額となぜか言い改めたロイの額に、それぞれの相方からチョップが打ち込まれてから話が続く。
「ハヤトさんにはカルリスティアの研究の手伝いをしてほしいの。」
「手伝い、ですか。」
アストリエスは「ええ。」と重々しく頷く。
「私は『光の加護』を持っているし、ロイも『剣の加護』と『火の加護』を持っているから、最初は私たちが研究に協力していたの。けれど最近は私もロイも、戦っても敵わないほどになってしまって。」
「剣術も加護の扱いも、幼い頃から鍛錬しているのだがな。やはり生来、属性の加護の扱いで抜きんでている『先祖返り』には如何にしようとも敵わん。近づくことはおろか、相対することすらも危険なのだ。」
そもそもアストリエスが加護を持っていて、しかもロイが二つも加護を持っていることだって初耳で。加えてアストリエスが戦いの心得があることだって意外すぎる。
「あー、っと。一旦話をまとめると……ロイの婚約者のカルリスティアさんは『先祖返り』の『闇の加護』持ちで、その方が熱中している魔法の研究に協力してほしい、っていうお願いをされてるんですよね。」
「ええ、そうよ。私たちでは理解に乏しい技の研究を、一人でやらせるわけにはいかない。異世界から来たあなたなら、私たちでは見通せない危険にも気を遣れると思って。」
「私からも頼む。彼女の婚約者として、大切な友人の身の安全を憂う者としての、心からの頼みなんだ。」
「ロイ……アストリエスさん……。」
どうしたって理解できない技術に、たった一人でのめり込んでいく幼なじみを想う。その気持ちは同じく幼なじみを持つ人間として、痛いほど理解できた。
研究を手伝うということは、王子の婚約者と近しく接するということ。それすらもロイは許容して、男である自分に頭を下げてくれている。
幼なじみとしての想いと、王子としての覚悟。ハヤトはどちらも、しっかりと受け取った。
「わかりました。そのお話、引き受けます。」
「本当か!」
「あぁ……ありがとうございますハヤトさん。」
国の有力一族の二人に頭を下げられてしまっては、さすがに一介の傭兵でしかない自分では端から断れたものではない。
やれやれと首を振っているリオンも、その顔からは諦観が見てとれる。
「それで、俺はどうすれば?」
「しばらくフィグマリーグ侯爵邸に住み込んでもらうことになる。バルグリード卿には既に話を通してあるから、今日からでも始めてもらって構わない。」
「一応、カーリー……カルリスティアにも相談の手紙を送ったけれど、あの子ったら『二人の好きにして。』としか書いていない手紙を寄こすのだもの。だから好きにさせてもらうことにしたわ。」
憂う友人の心、当人は知らず。といったところか。
「じゃあ荷物をまとめてからフィグマリーグ侯爵邸に行きます。場所を教えてもらってもいいですか?」
「迷うことはない。フィグマリーグ侯爵邸はここの向かいにある屋敷だからな。」
「近所じゃねぇか!」
リオンがツッコまなければ、自分が同じようにツッコんでいただろう。ハヤトは内心でリオンに感謝しつつ、ソファから腰を離す。
「カルリスティアさんの研究、俺が全力で手助けさせていただきます。」
「ああ。カルリスティアは性格的にもかなりの曲者の出不精女だが、彼女の研究に必要と思うならば力ずくにでも引きずり出してやってくれ。」
「わかりました。力ずくで引きずり出してみせます。」
ロイの力強い手とハヤトの厚い手が重なり合う。
フィグマリーグ侯爵の三女、カルリスティア・オーラ・フィグマリーグとの出会いは、すぐそこまで迫っていた。