54:白い衣の女③
「あとは数日お休みになれば傷も塞がるでしょう。」
「薬まで使ってもらっちゃってすいません。」
「傷つきながら村を救った、正しい心を持つ者に手を差し伸べる。オライオ教に殉ずる者の端くれとして、当然のことをしたまでです。」
ハヤトの左腕に洗われたばかりの布切れを巻きながら、フアニィは優しく微笑んだ。
傷口は浅かったが、彼女は持っていた傷薬を迷わず塗った。直後は少し傷に沁みたものの、すぐに痛みが引いてしまう。怪我していることを忘れてしまいそうになるほどに。
良く効く薬を持っていて、さらに地形を操作するほどの力を持つ聖職者。
もっとこの人のことを知りたい。ハヤトの胸の中で、その感情が渦を巻いていた。
「フアニィさんは『土の加護』を持っているんですか?」
ハヤトと対面する椅子に座るフアニィは「ええ。」と小さく頷く。
「生まれつき授かった力です。」
「オナー人じゃなくても、『土の加護』を持って生まれてくるんですか。」
「どうやらそのようですね。けれど、呼び方には違いがあります。」
呼び方の違いとは何なのか。ハヤトが追及すると、白い衣の女は続ける。
「ファフィ大陸には『二極学』という学問があります。こちらでいう加護は『用気』という名前で、『気』を操る先天的な能力によって操ることができるもの、と捉えています。それから武具の加護は『武気』、属性の加護は『相気』と呼ばれています。」
つまりオナー人やリアヌ人以外にも加護的な力を操る人たちがいる。ただ、オナー人は神々からの祝福と捉え、ファフィ大陸のマグリ人は単なる個人の才能と捉えているという違いがあるようだ。
「ワタクシはマグリ人ですがオライオ教の信徒でもありますから、『土の加護』と呼んでいます。ですがファフィ大陸に住む人々はこの力を『土の相気』と呼ぶでしょう。」
「でも力自体は一緒なんですよね。」
「ええ。ワタクシの知る限りでは、呼び名が異なっているだけかと。」
呼び名が違うだけ。捉え方が違うだけ。先天的な能力であることは同じ。
宗教も文化も人種も違う国で、まったく同じ力を持っているとは。なんとも不可思議なシステムである。
「フアニィさんはファフィ大陸出身なんですか?」
「そうです。七歳の時に、両親に連れられてフロリアーレに来ました。」
「それまでは、えっと……二極学?を勉強してたんですか。」
「父が二極学の学者でして。小さい頃から、それは厳しく教えられました。」
ハヤトは内心で、ああ、と唸る。
彼女が醸す柔和で知的な雰囲気は彼女の焦げ茶色の瞳に映っている、どこか遠い所が由来になっている。それがわかれば、この話は十分だ。
「でもマグリ人のフアニィさんが、どうしてオライオ教の聖職者に?」
「それは……。」
フアニィは少し言葉に詰まったが、すぐに穏やかな笑みを返す。
「オナー語を学ぶ際にお世話になった方がいまして。その人がオライオ教の聖職者だったのがきっかけ、ですかね。」
窓の外を見る目は、どこか儚い。
「誰でも隔てなく接する、とてもおおらかな方でした。優しく諭してくださることもあれば、厳しく窘めることもある。教育者としても、父と同じくらいに敬愛している方です。」
マグリ人の学問「二極学」を教えた父。オナー人の言葉を教えた聖職者。二人の存在が、今の彼女を形作っている。ハヤトにカルヴィトゥーレやレオノルド、クリオがいるように。
異なる世界から来て、師を得た。自分とこの女にはぼんやりとだが、しかし胸が落ち着くような共通点があるとハヤトは感じる。
賢くて優しい、「土の加護」を持った聖職者……フアニィ・ウン。
ただ、どうしても。喉の奥の辺りに引っかかる感覚がある。
確かに賢くて優しく、学があり、声色も柔らかい。しかし彼女に対して、部屋の端で様子を窺っているリオンは深みのある赤褐色の瞳をぎらつかせている。
戦っている時が豊かな赤い毛並みの雌狼だとすれば、今のリオンはまるで自身と主人の縄張りを監視している番犬。普段のやさぐれ姉貴キャラはどこへやら。
「……お前、本当に『本物』か?」
「ええ。土の女神ウルンを心から信奉しています。」
「答えになってねぇ。」
焦げ茶色の瞳と赤褐色の瞳が交錯する。
リオンがこれほどあからさまに警戒心を示す相手__フアニィ・ウン。人材としては非常に魅力的だが、ハヤトは仲間の目を信じることにした。
「手当てしてくれて、ありがとうございました。フアニィさんのお話もすごく興味深かったです。」
「ワタクシこそ、あなたのような正しい心の持ち主に出会うことができて光栄でした。」
椅子から立ち上がるフアニィ。
ふと、翻った白い衣の裏側に何かの柄が頭を覗かせる。
「なにか?」
「いえ、なんでもないです。」
ハヤトが差し出した右手を、フアニィの右手が優しく握り返す。
「またどこかで。フアニィさんの行く先に幸運の一番星の輝きがありますように。」
「ハヤトさんにも神々の祝福があらんことを。では、いずれまた。」
二歩、三歩と歩いて部屋を去っていった白い衣の女。
賢くて優しく、しかし何かが引っかかる。そういう不思議な雰囲気の人物だった。
さらに四日が経った、三十一日目。
「へぇ。あの尼さんの薬、だいぶ効いたみてぇだな。」
「ね。あの人、本当にすごい人だったのかも。」
「……どうだかな。」
左腕に巻いていた包帯を取ると、傷の状態はかなり良く、完全に塞がっている。まだ癒えきったと言える状態ではないが、余計なことが起こらない限りは問題ないだろう。
「それじゃあ、すぐにでも出ようか。」
「ああ。村の連中にとっちゃ、食い扶持は少ねぇ方がいいもんな。」
傷を再び綺麗な布切れで覆ってから、鎧を着込んで旅支度を整える。
「ありゃ、怪我はもういいのかい。」
隣の家に住んでいる恰幅の良い農婦が、料理が乗った盆を二つ持っている。この人は七日間、毎日二食を用意してくれた。本当に世話になってしまった人物である。
「はい。傷口は塞がりました。だからもう村から出ようかなと。」
「じゃあ最後にこれ食ってから行きなさい!」
支度をほとんど整え終えていたハヤトとリオンは、恰幅のいい農婦から盆を受け取る。今日も塩を振った芋と根菜のスープ。硬くてぼそぼそとしたパン。それから、村特産の干し葡萄だ。
手放しに旨いと言えるものではない。しかし出来立ての手作り料理は、骨身に沁みる。
「ご飯を用意してくれて、ありがとうございました。」
「いいんだようそれっくらい。あんたたちが偶然村にいなかったらあたしたち、どうなってたか。村のモンはみーんな、あんたたちに感謝してんだ。」
自身の命を危険に晒し、他者の命と財産を守る。それが傭兵という生き物。
それが当たり前だと思っていて、傭兵の命など露ほども気にかけない人間もいれば、傭兵に命と財産を救われたことで心から感謝してくれる人もいる。
別に、どちらでもいいのだ。確かに報酬を払ってくれて、それが妥当な金額でさえあれば。それ以外に受け取ったものが言葉ばかりの感謝だとか、心からの軽蔑だとしても。それが腹を満たさない限りはどうでもいい。
「ありがとよー!」
「無事にやれよー!」
ハヤトは手を振って見送ってくれる農民たちに手を振り返しながら思う。
言葉ばかりの感謝も、心からの軽蔑も。人の価値観の中に「傭兵」という存在を刻みつけてくれる。それはいつの日か「依頼」となって戻ってきて、カネに変わり、飯と酒と寝床をもたらす。
では心からの、真っすぐな感謝はどうか。
銀貨や小銀貨を用意してくれた村人。食事を用意してくれた恰幅のいい農婦。この村を支える、全ての村人たち。
全員がこれからも生きていく。もう二度と来ないであろう、この農村で。彼らが見たことも聞いたこともない遠い場所に自分が行っても。
自分が守ったこの村で、自分が守った人たちが生きていく。
自身の命を危険に晒し、他者の命と財産を守って得られるとびきりの報酬は、彼らがそうあり続けてくれることなのかもしれない。