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53:白い衣の女②

 

「こンの大馬鹿野郎ッ!!」

「ご、ごめんて……。」


 粗末だが寝袋よりはマシなベッドの上で、黒い髪の少年はすっかり萎んでいた。


「奴隷かばって怪我する主人がどこにいンだっつうんだッ!」

「ここにいるよ。」

「口答えすんな。傷口開かせてやるぞ。」

「すいません……。」


 農民から受け取るはずだった銀貨と小銀貨をそっくりそのまま差し戻して借りた、農村の空き家。ベッドは以前住んでいた住民が使っていたものを簡単に手入れしただけ。しかし数日はここに留まって食料の供給を受けることになるので、妥当な金額だ。

 幸いにもハヤトが負った傷は浅く、かつ利きではない左腕だった。十日も休めば出血は止まり傷も塞がって、移動が再開できる。


 しかしリオンの機嫌が著しく悪い理由は、そこにはない。


「お前はアタシのこと、仲間仲間っつうけどさ。アタシは奴隷で、お前が主人だ。主人に死なれて一番困んのが奴隷ってことくらい、お前ならわかんだろ。」


 奴隷は持ち主が死んでも、解放されない。次の持ち主の所に行くだけだ。奴隷が奴隷であることは首の輪ですぐに判別でき、逃亡奴隷には時として、ただ生きるよりも厳しい仕打ちがされることもある。

 そのようなことは中世ヨーロッパ風の異世界観を多く嗜む者ならば、想像するに易い。


「戦いの立ち回り上、お前が前衛、アタシは後衛。それはそういう『役割』だからいい。でもな、わざわざ奴隷をかばうのは話が違う。」

「でもリオンは鎧を着てなかった。鎧を着てた俺が受けたから軽傷で済んだけど、リオンが受けたら……。」

「だッから、それでいいンだよ!」

「俺が嫌なん__」


 激昂するリオンに反撃しようと体を起こすが、左腕の傷に響いて痛みが脳に響く。


「ったく。世話の焼けるご主人様だな。」


 リオンは村人が用意した食事を、盆ごと差し出す。


「自分で食え。利き手は動かせんだろ。」

「……わかった。」


 ハヤトはゆっくりと起き上がってベッドのフレームに背中を預け、差し出された盆を膝の上に置いた。

 塩を振った芋と根菜のスープ。硬くてぼそぼそとしたパン。それから、村特産の干し葡萄。

 ハヤトは一つひとつを少しずつ、味わいながら噛みしめる。


「……綺麗に食うよな、お前。」

「そんなことないよ。」

「いんや、お貴族様みたいな食い方だよ。ま、お貴族様が飯食ってるところなんざ見たことねぇけど。」


 そういえば、とイスタキアに誘われて夕食を共にした時のことをハヤトは思い返す。

 彼女は金属鎧姿が似合う、豪胆で朗らかな女だが、あれでいて食事の所作は非常に精緻で品があり、テーブルにはスープ一滴、パンくず一つ零していなかった。

 ローゼイ家の分家であるフラガライア辺境伯家の後継者として、厳しい教育を受けてきたに違いない。あれはその賜物なのだと、今になって思う。


「お前のために生きろって言ってたよな。最初の命令で。」


 リオンの「奴隷落ち」の処遇が決まり、その刑を執行した後。ハヤトが与えた最初の命令。


『俺のためだけに生きてくれ、リオン。』


 あの時。胸の中で滾っていた熱が、彼女にも伝わったような。そのような感覚があったことをハヤトは憶えている。


「正直さ、『奴隷落ち』って言われた時点でいろいろと諦めたんだ。アタシはこれから、心も体も男に汚されて、いくら歳食っても朝から晩まで働いて、惨めに死ぬんだって。ヒトとして扱われることはねぇんだって。」


 深みのある赤褐色の瞳は、黒い瞳を覗きこみながら「まあ。」と続ける。


「アタシも攫った女の何人かは部下に使()()()てたからな。その罪が丸ごと跳ね返ってきたって、だけなんだけどさ。」


 ふと、リオンは窓の外を見る。

 縛り上げられた二人の男が、村の広場に突き立てた棒に括りつけられて、農民たちから殴られている。それからもう一つ増えた死体は、村の外の廃棄物置き場に投じられるべく運び出されている。


「男は欲に溺れる、頭も足も欲が動かしてる。そういう生き物だと思ってた。アタシもそんな男共みたく後先考えずに欲で動いた。で、最後に残ったのはこれだけ。」


 首に嵌まっている鉄の輪を、指先で弾く。


「でも、お前は違う。」


 鉄の首輪を弾いた手が、黒い髪に伸びる。


「お前は頭が回るし、読み書きができる。それに(アタシ)を力ずくで押し倒そうともしない。本当はそういうヤツこそが、人を使っていいヤツなんだろうさ。」


 真黒い髪を梳く手つきは落ち着いていて、時折耳に触れる肌は温かい。


「アタシはそういう男に拾われた。それで、十分なんだ。」

「リオン……。」


 何か言おうとして、しかし、ハヤトの口は動かない。

 深みのある赤褐色の瞳はどこか物悲しくて、けれど心から安堵しているように。冷たさと温かさに挟まれているように、黒い瞳に映る。


 そうして、ああ、とハヤトは唸った。

 誰かを一人にして置いていく側に、自分はなりかけたのだ。

 軽傷で済ませられるような身のこなしをして、結果としては軽傷で済んだ。しかし当たり所が悪ければ、何か一手でも間違えていれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 黒い髪を梳いている手が、震えていたかもしれない。

 残される側の辛さは、今もこの胸の奥で息を殺して、蠢いているというのに。


「気をつける。もう無茶はしない。」


 黒い瞳が深みのある赤褐色の瞳を覗く。

 赤毛の女は黒い髪を梳いていた手で、右耳を優しく摘まんだ。


「それでいい。」


 口元には、柔らかい笑みを浮かべていた。





 怪我を負ってから三日が経った、二十七日目のこと。


「……なんだ?」


 主人が眠っているベッドに上半身を預けて居眠りをしていた赤毛の女はふと、外の喧騒に気がついて体を起こした。

 ぼんやりと聞こえる声色からしてそれは混乱ではなく、歓喜に近いモノ。


「見てくる。」


 小さな寝息を立てて眠る主人に一言だけ声をかけてから。赤毛の長髪を細い紐で一つまとめにしながら小屋を出た。

 ボルトが装填されたクロスボウを肩に担いでいるリオン。風に乗って耳に届いた騒めきを追いかけて、村を西へ歩いていく。


 やがて村の端に農民たちが群がっているところに出くわした。その中心には一人の女がいて、農民たちからしきりに声をかけられている。

 女の体格はすらりとしていてタッパが高く、膝の下まで覆う白いローブを纏っている。頭には艶のある白い布地の頭巾を被っていて、焦げ茶色のもみあげが端から少しだけ見えている。


「盗賊らしき男たちが、ですか。」

「ああ!でも偶然村にいた二人組の傭兵がやっつけてくれましてな!」

「いやはや本当に幸運でした!」

「全ての次第は皆様の日々の祈りに対して、神々がお与えになった祝福に違いありませんわ。これからも各々方が信ずる神へ真摯に祈り、誠実に生きてくださいね。」


 穏やかな笑みと柔らかい声音で、農民たちに信仰を説く白い衣の女。

 リオンは村中の農民が作る団子に割って入って、女と対面した。


「アタシはリオン。お前は何者だ。」


 深みのある赤褐色の瞳に睨みつけられた白い衣の女は、頭を横に傾ける要領で会釈した。


「ワタクシはフアニィ・ウン。フロリアーレ王国を巡り、オライオ教の信徒たちに奉仕する身でございます。」


 リオンはフアニィと名乗った女を上から下までじっくりと眺めて「ほう。」と唸る。


「マグリ人ってのは、意外と信心深いヤツらみてぇだな。」

「ええ。属する一族を庇護する習わしを持つワタクシたちにとって、神々と信徒への奉仕も同等に重んじるべきこと。同じ神々を奉じる徒もまた大きな家族であり、神々は父母祖を創造された、尊崇されるべき存在なのですから。」

「マグリ人のお前がそこまで言うなら、半分リアヌ人で奴隷のアタシもカミサマは救ってくれんのか。」


 牙のような八重歯を剥くリオンに、フアニィは変わらず微笑みかける。


「もちろんですとも。日々の糧を与えたもうことへ感謝し、欲を侵した代償として人々へ奉仕し、あらゆる苦痛を試練として超越することで。何者であろうともいずれ、神々の祝福を授かることができるでしょう。」

「ははん、マグリ人は口が上手いたぁよく聞くが。こうやって無知な連中、騙くらかすってわけか。」

「あらあら、騙くらかすだなんてそんな。ワタクシは心から、より多くの方が生涯を安らかに過ごすことを神々に祈っているだけですから。」

「んで、神々の使徒サマからのありがたーい説教にゃあ、『おひねり』が付き物と。」

「金銭への欲を手放し、より多くへ奉仕する行為である喜捨(きしゃ)と、欲深い経済活動である『おひねり』を一緒にしないでくださいな。」


 フアニィは形の整った眉をしかめて、焦げ茶色の瞳で深みのある赤褐色の瞳を射貫く。

 農民たちに囲まれて相対する、豊かな赤い毛並みの雌狼と、気高く立ち向かう雌山羊。

 知恵ある者たちの言葉による舌戦がさらに激しくなる。そう思っていたところに。


「なにしてんの、リオン?」


 仄暗い黒に染まった瞳を恐ろしいほどに煌めかせる、黒いたてがみの若獅子が突如として、二人の間に現れた。

 呼びかけられた赤毛の女は、びくり、と肩を大きく跳ね上げる。


「い、いやぁ。この尼さんと、ちっとばかしお話しを……。」

「『お話し』ってわりには、随分とピリついてたように見えたけど?」

「こちらの方がとても熱心に問答をされるものですから、ワタクシも少し熱が入ってしまいましたの。どうかお責めにならないでください。」


 先ほどまで眉を歪めていたはずのフアニィの表情には、穏やかな笑みが戻っている。


「えと、それで。お姉さんは?」

「フアニィ・ウンと申します。オライオ教に殉ずる信徒たちに、奉仕する身でございます。」

「オライオ教の聖職者ってことですか。」

「平たく言えば。」


 膝下まで覆う白い衣や、白い布の頭巾。この世界で最初に降り立ったミル=カイロ大修道院にいた聖職者らしき人たちも、皆が彼女のように白い衣を身につけていた。

 西洋世界を象徴する、十字架を掲げた宗教のような雰囲気はありつつも、一神教ではなく多神教。そして性別に限らず白を基調とした衣を身につける。

 馴染むような、馴染まないような。不思議な宗教である。


「すいません、うちのリオンが。ちゃんと躾しておきますので。」

「いえいえ。リオンさんとの問答はワタクシ自身の信心の至らぬところを突かれているようで。我が身の内と向き合う、大変有意義な時間でございました。」


 穏やかな微笑みと柔らかい声色はまさしく、惑い彷徨う人々を安寧へ導く聖職者のもの。これほどの雰囲気を放つ人に、リオンはまだ牙のような八重歯を剥こうとしている。


「ところでハヤトさんは、お怪我をされているのですか。」


 フアニィが揃えた指先で指し示した、左腕に巻かれた包帯。その下には未だに癒えきっていない傷がある。


「少し前に怪しい連中が村に訊ねてきたんです。そいつらを仕留めた後、不意打ちを受けてしまって。」

「なるほど。村を守った二人の傭兵とは、ハヤトさんとリオンさんのことでしたか。」


 農民たちも「そうだそうだ。」と声をあげながら頷く。


「ではワタクシも僅かながら、この村の平穏と皆様の安寧のために『加護』を行使させていただきたいと存じます。中心地まで案内していただけますか。」


 フアニィは農民たちに連れられて、家や貯蔵庫が集まっている村の中心地へ歩いていく。あの聖職者が何をするつもりなのか気になったハヤトは、リオンの頬を抓るのをやめて、その一行の後を追った。


「ふむ。これならば……。」


 白い衣の女は村の中心地を見て回ると、指先で宙に何かを描く。


「何をするんですか。」


 ハヤトが興味本位で訊ねると、フアニィは「ふふふ。」と微笑みかける。


「あちらの離れた所から、ご覧になってくだされば。」


 フアニィが示した場所に立ち、ハヤトとリオンは村の中心地を見守る。


「女神ウルンよ、力なき仔羊を守り給う。」


 焦げ茶色の瞳が、茶斧石(アキシナイト)のような透き通った茶色に力強く煌めいた。

 直後に響く、臓腑を揺する低い轟音。

 いや、とハヤトは地面を見遣る。

 比喩ではなく、本当に体全体が揺れている。地面が揺れているのだ。


 足元から目線を上げると、村の中心地を囲むように土が盛り上がり、厚い岩盤の防壁がそそり立っていた。さらにその外側では逆に土が沈んでいっていて、浅くはない堀が作り出されていく。

 母親に抱かれる赤子の泣き声に構うことなく、しばらく続いた地鳴りが治まった時。大人の男でも一人では越えられないほどの高低差を持つ防壁と空堀が完成した。

 防壁の切れ間から、額に小粒の汗を滴らせているフアニィが顔を出す。


「これで道を踏み外してしまった者の手に、皆様の財や命がおびやかされることはないでしょう。」


 これは魔法……というよりもおそらく「土の加護」によるものだ。やったことはおおよそ、クリオがホノカと戦った時に見せた足を土で固定する技と同じ。単に規模の大小が異なるだけ。

 ただ、クリオが足元の土を動かすだけで大きく疲労していたのに対して、こちらに手を振っている白い衣の女はさほど疲れを感じていない様子。「加護」の力をどれだけ発揮できるのかは、個人差があるのだろう。


 これだけ立派な防壁が作れる、この人物。かなり有能な聖職者に違いない。

 そのように考えていたハヤトの隣で、リオンは大きな、とても大きなため息をついた。


「で。どっから出入りすんだ、こりゃあ。」

「……あらあら。」


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