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52:白い衣の女①

 

 二十三日目。そこそこな規模の農村で、小さな納屋を借りた。物々しい装いをした二人組が現れたことで農民たちは怪訝な顔をしていたが、屋根があって、地面以外の上に寝袋が敷いてあるだけで立派な寝床に感じる。

 いくら屋根があっても、ところどころから地這い虫のさざめきが聞こえてくるここよりは、風通しの良い野営地で眠った方が疲れはとれそうだが。


「同じ穴の狢ってやつだね。」

「ムジナが何かは知らねぇが、その言い方が良い意味じゃねぇのはわかるぞ。」

「リオンは賢いね。」

「あ?バカにしてんだろお前。」

「してない、してない。」

「どうだかな。」


 頭の下に腕を置いて寝袋に転がりながら、お互いの言葉に雑然とした思考で反応する二人。口元には、にわかに笑みが浮かんでいる。

 リオンが、身じろぐ。


「……悪かったな。」


 なにが、と訊ねようとしたところで、リオンが続けた。


「お前の女を殺したの、アタシの下にいたヤツだったろ。」

「……そうだね。」


 ハアースで出会った黄金色の髪の少女。

 この世のどこにもいない、けれど確かにここにいる、かけがえのない人。

 そうするように差し向けた女が、隣で無防備な姿で転がっている。


「アタシがトドメを刺したわけじゃねぇ、だから許せ。なんてことは言わない、けど……。」


 三度、四度と息を吸って、吐き出す。


「奴隷に何させたって……したって、いいんだからな。」


 長い赤毛が揺すれて、毛先が寝袋に広がる。


「いつだって、覚悟はできてんだ。」


 主人に背を向けるように、体を翻す。

 いつも隣にある背中が、不思議と小さく見えた。

 ハヤトは体をゆっくりと起きして、背中に近づいていく。


「リオン。」


 耳元に囁きかける。肩が、ぴくり、と跳ねて、強張った左頬が黒い瞳の前に差し出された。

 黒い髪の少年は、その頬を親指で押すようにして摘まんだ。


「言ったでしょ。常に俺の近くにいて、俺を守ってって。リオンが俺の奴隷でいる間は、それだけのために生きていくんだ。」

「……そんなの。」

「『普通』じゃない?」


 深みのある赤褐色の瞳がおずおずと、黒い瞳を見上げる。


「あたりまえじゃん。俺はこの世界の人間じゃないし、俺が持ってる『普通』とこの世界の『普通』は違う。俺の世界にはヒトを人間扱いしなくていいなんて法律はない。リオンはリオンで、リオンの体はリオンの物だって俺は思ってる。リオンがそう思ってなくても。」


 黒い瞳に見下ろされている歪んでいた赤毛の眉の弧が、緩んだ。


「だからってお前、欲ってモンがねえのか。」

「もちろんあるよ。全部向けてほしい?」

「いや、カンベンしてくれ。」

「でしょ。だからしないってだけだよ。」


 自分の寝袋に戻ってもぞり、もぞりと体を潜り込ませていく主人の大きな背中を、規則正しく動くようになるまで、深みのある赤褐色の瞳はいつまでも見つめていた。





 翌朝。出立の支度をしている時のことだった。

 なにやら納屋の外が騒がしくなっているのに気がついたリオンが、「おい。」とハヤトに声をかけつつ、クロスボウのばねを引いてボルトを装填する。


「様子、見てくる。」


 手早く鎧を着込んでいるハヤトに対して、リオンはボルトポーチを着けただけ。しかし彼女が、無茶なことをするとは思えない。


「わかった。すぐに行くから。」

「ああ。」


 納屋の戸を少しだけ開けて状況を確認したリオンは、軽やかな身のこなしで外へ出ていく。少し経って武装を整えたハヤトも、音に気を遣いながら外へ飛び出した。


「テメェらがたらふく貯め込んでるモンを、ちぃっとばかし分けてくれっつってるダケじゃねぇか。」

「お前たちのような犯罪者に渡せる物は無い!出ていけ!」


 赤毛が揺れていた茂みの、すぐ近く。粗末な鎧を着て、粗末な剣や斧を持った数人の男と、鋤や鍬といった鉄製の農具を掲げている男の農民たちが、向かい合いながら剣吞な雰囲気を漂わせている。

 男たちは下卑た笑みを浮かべ、集会場に逃げていく女の尻を目線で舐め上げる。


「少しでいいんだ、少しで。カネのねぇ哀れなオレたちに少しだけ__」

「黙れ、犯罪者!」


 農民たちの先頭にいた男が、鋤を振り上げる。

 すぐにでも衝突が始まりそうな雰囲気の中、黒い髪の傭兵が双方の間に割って入った。


「まあまあ、落ち着いてくださいよ。皆さんもそんなにピリピリしないで。」

「何なんだテメェ__」


 と、詰め寄ろうとした下卑た笑いの男は、黒い髪の傭兵の腰にある斧と背中に回してある盾に気がついて、足と口を止める。


「村人の皆さんも、困っているこの人たちに少しくらい食べ物を分けてあげてくださいよ。そしたらすぐに出て行ってくれるでしょうから。……ね?」


 仄暗い黒に染まった瞳に囚われた下卑た笑いの男は、鈍る表情筋を動かして「あ、ああ。」と唸るように言葉を返す。


「……わ、わかったよ。倉庫はこっちだ。」


 少年とはいえ武装した男が間に立ってしまっては、もはやこちらに勝ち目はない。そう判断した農民たちは渋い表情をしながら、村の貯蔵庫へ男たちとハヤトを案内する。


「人にお願い事する時は、ちゃんと丁寧に頼まないと。出してくれる物も出してくれませんよ。」

「お、おう。そうだよなぁ……。」


 自身の肩に手を置いてにこやかに話しかけてくる黒い髪の傭兵に、引きつった笑みを向けている男は、気がつかなかった。


「本当ですよ。()()()()気をつけてください。」


 自分の背中を、赤い毛並みの雌狼がぎらぎらと輝く赤褐色の瞳で睨みつけていることに。

 何者かが茂みから飛び出す音。鋭い風切り音。重い物が地面に落ちる鈍い音。

 それらに脳が反応した瞬間。頬を打った衝撃で、男の意識は空の彼方へ飛んでいった。


「ったく、無茶しやがる。」

「合図通りにやってくれるって信じてたからね。」


 悠長に話しているハヤトとリオンの足元には、一撃で意識か魂を手放した男たちの体が転がっている。農民たちは揃って、案内をしようとしていたそれらと二人組へ交互に目線を向ける。


「初めからこうするつもりだったのかい?」

「はい。すいません、怖がらせちゃって。」


 たはは、と軽く笑うハヤトに、農民たちは目を丸くしたままだ。


「生きてるヤツは縛っちまおう。縄、あるか。」

「村の納屋にあったはずだ。持ってきてくれぇ。」


 農民の一人が北の方へ走っていくのを、二人組と農民たちが見送る。


「何か礼をさせてくれないか。」

「いやいや、俺たちもう行くんで……。」


 と、首を振ろうとしたハヤトの足をリオンが小突く。


「カネでいい。少しは蓄えがあんだろ。」

「傭兵に仕事なんて頼まないから、いくら払えばいいかなんて、わからないんだが。」

「お前らが払いたいだけ寄こしゃあいいんだ。こんな村に搾り取るだけカネがねぇってことも、一晩いりゃわかる。」

「銀貨二枚と、小銀貨十枚でどうだろうか。それ以上払ってしまったら、何かあった時に困る。」

「そ、それで大丈夫ですよ。頂戴します。」


 痛む所を(さす)りながら、ハヤトは頷いた。


「おい、ハヤト。安請け合いだけはすんな。舐められるだろ。」

「ご、ごめん。なんかつい、断り文句が出てきちゃって。」


 リオンの言葉は正しい。一度でもただ働きをしてしまえば、傭兵は状況次第ではカネを払わずに動かせる便利屋だと思われかねない。命を危険に晒し、他者の命と財産を守る。そうして大金を稼ぐのが傭兵なのだ。


 実際のところ今回は、苛立っていた男たちを落ち着かせて衝突を回避し、さらに油断まで誘って、無抵抗のまま仕留めてみせた。男たちだけが一方的に損をした状況である。それなのに無報酬で事を収めてしまえば、せっかく策を弄し体を張った二人まで損をしてしまう。


「考えなしに安請け合いしない。それでいい?」

「ああ、それでいい。完璧だ。」


 牙のような八重歯を見せて笑うリオンは、黒い髪を乱雑に撫でまわしている。

 その体を、ハヤトは突き放す。

 仄暗い黒に染まった瞳は、振り下ろされるひと振りのナイフを捉えていた。


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