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42:戦利品処分と「奴隷落ち」②

 

 過度に湿った空気が肌に張り付く、暗い空間。こちら側とあちら側を隔絶している鉄格子の扉が開いて、カルヴィトゥーレ、レオノルド、ハヤトの順で中に入る。

 革の靴の裏側が湿った石張りの床にひたり、ひたりと触れる度に、充満しているカビの匂いと排泄物の匂いが混ざった、おぞましい空気が鼻をひん曲げる。

 石壁で隔離されている、いくつもの小部屋。その中の手前から二番目に向けてカルヴィトゥーレがランタンをかざすと、濃い闇の奥であぐらをかく、完膚を晒す赤毛の女がいた。


「リオン・ムラ。お前の処遇を言い渡す。」


 カルヴィトゥーレの言葉に赤毛の女は、もぞり、と動いて、小さく「ああ。」と唸った。


「『紅い疾風のリオン』はこの場で『奴隷落ち』とする。そしてお前の所有権を懸賞金全額と共に、ハヤト・エンドウに認めることとする。」


 闇の奥でぎらりと光る、深みのある赤褐色の瞳。


「それでは、私に続いて宣誓しろ。一条__罪を償う間、私が主人の命をおびやかすことはない。」


 返ってくる言葉は無かった。ただ、しばらくした後、闇の奥からか細い「はぁ……。」というため息が響いてくる。


「罪を、償う間。アタシが、主人の命をおびやかすことは、ない。」

「二条__罪を償う間、私が主人の命令に背くことはない。」

「罪を償う間。アタシが主人の命令に、背くことはない。」

「三条__罪を償う間、私が主人とその庇護下にある者の権利をおびやかすことはない。」

「罪を償う間。アタシが主人とその……庇護下、にある者の権利を、おびやかすことはない。」

「四条__罪を償う間、私が主人とその庇護下にある者の財産をおびやかすことはない。」

「罪を、償う……。」


 闇の奥から「げほっ、げほっ。」と辛そうに咳き込む声が聞こえてきた。しかし赤褐色の瞳の主は、言葉を止めない。


「罪を償う間。アタシが主人とその庇護下にある者の、財産を脅かすことはない。」


 カルヴィトゥーレは軽く鼻を鳴らし、最後の一文を朗々と発する。


「五条__私は生涯、主人との赤子のあらゆる権利を望むことはない。」

「アタシは生涯、主人との赤子のあらゆる権利を望むことはない。」

「以上をもってお前が『五つの誓い』を宣誓したことを、『鉄の鎖』ギルドマスターとして認める。……レオン、頼む。」

「ああ。」


 カルヴィトゥーレが鉄格子の扉にかけられた施錠を解除し、扉を開ける。その中にレオノルドが入っていくと「痛ぇって。」というやさぐれた声がした後、完膚を晒す赤毛の女がレオノルドに腕を掴まれながら、その哀れな姿を露わにした。

 赤毛の長髪は毛先が少し跳ね、艶はない。長い脚や細い肩はところどころが土で汚れてしまっていて、闇の中でもぎらぎらと輝いていた赤褐色の瞳には、微かな光しか残されていない。

 洞窟で命を取り合ったあの女とは、まるで別人のようだった。


「お前は主人により罪を償ったことを認められた後も、この首輪を着けつづけることになる。だがそれは己の行いによって、こうなる道を選んだことを__」

「御託は要らない。」


 カルヴィトゥーレの言葉を遮り、赤毛の女は頭を下げ、首を差し出す。


「いいだろう。殊勝な心掛けだ。」

「んなんじゃ……。」


 赤毛の女は小さくため息をついて、口を閉ざした。

 カルヴィトゥーレはどこからか取り出した二つの半円状の鉄の部品を、赤毛の女の首に添えて、円状に合わせる。円の後ろ側に残った太い穴にレオノルドが銅の杭を挿入すると、ペンチのような形の道具で杭を潰した。

 これで本人、他人の意思に関わらず、この首輪が外れることはなくなった。


「これにてリオン・ムラの『奴隷落ち』の刑が遂行されたことを認める。では、ハヤトくん。キミに彼女の身柄を引き渡そう。」

「はい、いただきます。」


 名実ともに、彼女の命と体はハヤトの所有物となった。

 虚ろな赤褐色の瞳を、仄暗い黒に染まった瞳が覗き込む。


「リオン、最初の命令だ。」

「ん……。」


 赤褐色の瞳が、こちらを見上げる。


「これからリオンには俺の背中を守ってもらう。いつ、いかなる時であっても。常に俺の傍にいて、俺の命を守ってもらう。」


 そう言って黒い髪の少年は、赤毛の女に手を差し出す。赤褐色の瞳はそれを追うように眺めるだけ。


「でも、俺の身代わりになって傷つくことは絶対に許さない。たとえ他の何者から後ろ指を差され、石を投げられたとしても。意地汚く生きて、生き残って、必ず俺の傍に戻ってきて。」

「小僧……。」

「ハヤトくん、キミは……。」


 黒い髪の少年は赤毛の女の前で跪いて、改めて右手を差し出した。


「リオンは俺の力だ。手を伸ばしても届かない所にあるモノを、掴むための力。互いに守り合い、支え合う力。その、最初のひと欠片になってほしい。」


 赤褐色の瞳に微かに残っていた光が少しずつ、少しずつ大きくなっていく。

 細い肩が動き、細い腕が持ち上がって、差し出されている手に近づき……宙に留まる。


「……アタシは大悪党なんだぞ。何百人も死なせ、何百人から奪ってきた。」

「金貨三枚の賞金がかかってたもんね。」

「アタシを連れてっと、お前もなんか……色々と言われるんじゃねぇか。」

「気にしないよ。だってリオンを奴隷にして引き取るって言い出したの、俺だし。」

「てんめぇ……。」


 拳を握り、奥歯をぎりぎりと軋ませるリオンに、ハヤトは不敵な笑みを向ける。


「それにもう、リオンは俺の力の一部だ。リオンを殺したいほど憎んでるヤツからは、俺が守る。持ち主だからとかじゃなく、同じ力の一部として。」


 二拍、三拍と置いてから、ハヤトは「つまり。」と続けた。


「リオンは、俺の仲間だ。」


 女の拳を少年の手が、上から力強く握り攫う。


「俺のためだけに生きてくれ、リオン。」


 煌々と輝く炎が灯る、仄暗い黒に染まった瞳。

 その瞳に射抜かれた赤褐色の瞳にも、大きな炎が伝播した。


「く、くくくっ……あははっ……とんだ大馬鹿野郎が、ご主人様になっちまったな。」

「お、大馬鹿野郎言うなし。」


 赤毛の女はまだ「くくくっ。」と口の端で愉快そうに笑っている。そしてゆっくりと、しかし確かに力を込めて、彼女は一人で立ち上がる。


「お前に捕まったのが、アタシの運の尽き所だったってわけか。」

「いいや、そうとも限らないかもよ。」


 頭上に「?」のマークを浮かべる赤毛の女に、黒い髪の少年は柔らかく微笑みかけた。


「俺って、『一番星《the Golden Star》』らしいからさ。」


 赤毛の女は妖しい笑みを浮かべ、「へぇ。」と唸る。


「じゃあ運が尽きたアタシの、幸運の一番星になってくれるってかよ。」

「もちろんなってあげるよ。リオンが俺の仲間でいてくれる限りはね。」

「ははぁん、次はそう来たか。」


 赤毛の女はレオノルドの手をするりとすり抜けると、ハヤトの肩に細い腕を絡ませてくる。


「せっかく『紅い疾風』が仲間になんだ。上手く使わねぇと許さねぇぞ。」

「それは保証できないなぁ。リオンが俺のお願いを、ちゃんと聞いてくれるかわかんないし。」

「んだとテメェッ!いくらご主人様だからって生意気だぞ!」

「あたたたッ!痛いって!」


 口ではそう言っているが、細い腕でがっちりと首元を固めてきてはいるものの、その力はとても優しく。女の素肌が少し触れているだけなので、なんとなくこそばゆい。

 そうしてじゃれ合っていると、穏やかな笑いが自然と二人の間に流れる。

 まるでずっと一緒にいた男友達か、面倒見のいい姉貴分と弟分のような。そんな雰囲気で。


「ま、アタシはこういう頭と口だからさ。女らしいことはあんま期待すんなよ。」

「うん。最初から期待してないから大丈夫。」

「んだと……。」


 深みのある赤褐色の瞳が、飢えた雌狼の眼光のようにぎらつく。しかしすぐに、温かみのある優しい目に変わる。


「アタシはムラ村のリオン。『紅い疾風《the Scarlet Gale》』なんて呼ばれてるが、まあ好きに呼べ。」

「よろしく、リオン。俺のことも『ハヤト』って呼んで。」

「いいのかよ。その……『ご主人様』とか、呼ばなくて。」


 黒い髪の少年は、うーん、と唸り、首を傾げる。


「リオンみたいなやさぐれ姉貴キャラに『ご主人様』って呼ばれても、あんまり嬉しくないかなぁ。」

「やさ……とりあえず、貶されてんのはアタシでも理解できるぞ。」

「貶してないって!褒めてる褒めてる!」

「だとしても褒め方が下手すぎんだろうが!」


 牙のような八重歯をひん剥いて吠えるリオンと、笑いながら弁解するハヤト。

 そんな二人の様子を傍から眺めていたカルヴィトゥーレとレオノルドは、安堵か呆れかが色々と混ざった苦笑いを浮かべていたが、そろそろとカルヴィトゥーレが口を開いた。


「これでお前とハヤトくんは主従関係になったわけだが、奴隷である『紅い疾風』……リオン・ムラのあらゆる権利は、所有者であるハヤトくんが持つことになる。すなわちリオン・ムラの生殺与奪すらも、ハヤトくんが握っているということだ。それは理解しているね。」

「はい。生かすも殺すも俺次第、ですよね。」

「そうだ。そして所有者との子どもの相続や養育の権利も、全て所有者だけが持つ。ただし所有者との子どもではないことが明らかである場合は、奴隷である間は子どもに関する権利を持てないが、解放後にその権利が復活する。」


 つまり仮に、リオンが男性なんとかさんとの間に子どもを儲けた場合、自分の所有物である間は子どもを育て、遺産を相続する権利を持つことができない。しかし罪を償いきったと認めて奴隷身分から解放してやれば、名実ともに子どもの母親になれるというわけだ。


「リオンは自分の子どもを育てたいみたいな夢ってあるの?」

「あるわけねぇだろ。盗賊のガキは盗賊になんだよ。自分のガキにまで、あんな肥溜めみたいな世界で生きさせるわけにはいかない。」

「ふーん。それって盗賊じゃなくなったら、結婚したり子ども産んだりする人生もアリかなーって思ってる、ってこと?」


 少しの間、リオンは口をあんぐりと開けながら天上を見遣る。


「……いや、そうでもないな。男に喜んで抱かれるアタシって、あんま想像つかねぇわ。」

「そっか。わかった。」


 ハヤトは頷いて、リオンの言葉を飲み込んだ。

 それからふと、ああ、と内心で呟きながら、リオンが未だにスタイルの良い肉体を晒していることが気を遣る。


「リオンが着てた鎧とかってありますか。」

「ああ、こちらで保管している。持ってこさせようか。」

「お願いします。」


 カルヴィトゥーレが地下牢を去って、しばらくした後。数人の職員を連れて戻ってくる。職員たちが持っていた衣や鎧、ポーチなんかをリオンに返して、その場で着替えさせた。


「その姿、だいぶしっくりくるね。」

「ああ。この格好も、そこそこ長くやってたからな。」


 上半身は銅製の胸当て以外は革の装甲で守られており、下半身は膝下までの丈のブーツと、膝上までを防護する防具で保護されている。

 股間節の周辺を覆っているのは丈の短いなめし皮のズボンだけであり、太ももが大胆に晒されているのは蹴り技をスムーズに繰り出したり、低い姿勢を織り交ぜたトリッキーな動きをしたりするためだろう。

 鎧と盾で敵の攻撃を抑える前衛の盾戦士。素早い動きで敵を翻弄する中衛のクロスボウ使い。メタ的に考えても、かなりバランスが良い組み合わせなのではなかろうか。

 あとは戦闘中も隣で戦ってくれる前衛の物理アタッカーか、強力な攻撃で戦況をコントロールしてくれる後衛の魔法アタッカーが欲しいところだが……。


「そういえば『魔法』って何なんですか。リアヌ人が使える技っていうことだけは、知ってるんですけど。」


 カルヴィトゥーレに訊ねるが、彼も「ふむ。」と唸るばかり。


「『魔法』とは、『魔力』という目には見えない力の波を操って放つ技……ということくらいは知っているんだけれど、正直に言ってオナー人である私はさっぱり理解できない。レオンはどう思う?」

「オレもよくわっかんねェな。リアヌ人の魔法使いと何度か殺し合ったことがあっけどよぉ、突然手から火を吹いたり、水源がねェところに泉を作ったりって滅茶苦茶なことすんのが『魔法』……ってくらいだな。」


 「魔力」という力の波を源にして、手から風を吹き、水源のない所に泉を作る技術。それがリアヌ人の使う「魔法」という技。


「『風の加護』の力は、魔法じゃないんですか?」

「確かに魔法に似ているし、魔法のような力として差別の対象になることもある。しかしオナー人は属性の加護の力を自身と、触れている物にしか発揮できないのに対して、リアヌ人は離れた所にも力を加えることができる。また修練を積めば、属性の加護に似たあらゆる形の魔法を扱える……と、人伝いに聞いたことがある。」


 オナー人であるルイスも「風の加護」を持って生まれたばかりに、故郷では冷たい扱いを受けていたようだった。そうなると本場の魔法使いであるリアヌ人を仲間にするのは、かなり骨が折れそうだ。


「だがオナー人の中にも極めて稀に、魔力を操る力を持って生まれる者がいる。」

「本当ですかッ?!」


 唐突に降って湧いてきた、一縷の希望。オナー人の国にいて、「魔法」を使う人材が手に入るかもしれないということか。


「ああ。彼らはオナー人の始祖が魔力を操れたことに由来して、『先祖返り』と呼ばれている。決まって属性の加護を授かっていて、その力を普通のオナー人の何倍も引き出すことができるというが、あまりにも数が少ないために詳しいことはわかっていない。」


 この国では差別されている、リアヌ人の魔法使いか。

 この国に生まれながら魔法に近い力を使える、オナー人の希少種か。

 いったいどちらを探すべきなのか。ハヤトはいまいち決めきれずにいた。


「アタシの母さん、リアヌ人だぞ。」


 着替え終えたリオンの口から放たれる告白。


「ってことは!リオンも魔法使えるの?!」


 鼻息を荒くしながら迫ってくるハヤトの額を押し戻しながら、リオンは眉を寄せた。


「無理だって!リアヌ人にも向き不向きがあるっつってたし、実際母さんは魔法がてんで使えなかった!アタシも少しの間だけ、強い風をぶわあぁってするくらいしかできねぇ!それだって『風の加護』ありきだしよ!」

「そっかあ……魔法使いの仲間、欲しいんだけど……。」


 一転してがっくりと肩を落とした主人の黒い髪を、リオンはゆっくりと指で梳く。


「あー……つまり、だな。リアヌ人でもろくに魔法が使えるヤツは一握りなんだよ。それにこの国じゃ心底嫌われてる人種だ。仲間にすんのは、本当に止めたほうがいい。」

「彼女の言う通りだ。戦力としてはこの上なく強力ではあるが、リアヌ人の魔法使いを連れていれば、キミ諸共処刑されかねない。それが現実だ。」


 そうすると、最も現実的なのは前衛の物理火力を探すことか。両手持ちの武器を振り回す豪快な戦士がいないか、ギルドにかけ合うべきだろう。


「……で、この湿気た場所にはいつまでいればいい?」


 毛先があちこちに跳ねている赤毛の長髪を細い指で梳きながら、リオンは参り顔で唸っている。


「出ましょうか。」

「ああ。そうしよう。」


 四人は心地の悪い空気に満たされた地下牢を、揃って出ていった。


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