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40:再会と……

 

 部屋を出て右へ廊下を進み、階段を走り下って一階の広間に降り立つ。しかしまだ彼らの姿が見えない。黒い髪の少年は広間をまっすぐに突っ切って、両開き扉を力いっぱいに開け放った。

 戦利品を仕分ける、共に命を危険に晒した傭兵たち。金属鎧で身を包む騎士と簡素な防具と武器の自警団の兵士たち。その向こうを、彼らは歩いていた。


 ところどころが破損し、引き裂かれた鎧を纏う彼らが。

 背嚢はハアースを出た時よりも大きくなっていて、腰のベルトには大量の剣や斧が括りつけられているものの。その表情は皆、ひどく暗い影が差している。理由は火を見るよりも明らかだった。


 六十七人いたはずの傭兵は、十人と少ししか残っていなかった。


 先頭を歩いている編み込んだ髭が特徴の男も、縄で束ねた数本の得物を背嚢やベルトの背中側に無理やり固定していて、左足に重心が偏っていて歩きにくそうにしている。

 重たい足取りで乾いた土の道を擦り、土埃を立てながら。髭を編み込んだ男は正面で立ち尽くしている黒い髪の少年を見つけて目を細めた。


「……ルイスは?」


 少年に問いかけられた男は喉を鳴らし、「おい。」と後ろにいる仲間に声をかける。

 何を示しているのか、言われずとも理解しているのだろう。彼らは重い両足を引きずるようにして一人、また一人と横に逸れていき、やがて二人の男が担いでいる担架が少年の前に現れる。

 担架にかけられている薄い布は、ところどころが湿気ていて、その下に覆われている「少女」の胸線を浮き上がらせていた。


「初めは、一緒にいたんだ。ただ、少ししたらいつの間にか、姿が見えなくなって……連中を殲滅した後に、見つけた時には、もう……。」


 ぽつり、ぽつりと話すレイバルの横を、静かに過ぎる少年。

 ぼんやりとした瞳で薄い布を取り払うと、黄金色の髪が陽の光を浴びて輝きながら、布に引き上げられて担架の端から垂れ下がった。


 少女の体を覆っていたはずの鈍く輝く金属の鎧の半分以上は、力づくで、あるいは刃物で千切られて、もはや防具としての機能を喪失している。下半身に着けているはずの衣も、革のブーツも、下着さえもそれら一切が見当たらない。

 下半身を中心としたほとんどの部位から生臭い強烈な匂いを放っていて、「何か」の液体が乾いてこびりついていた。特に足と足の間には、固まりきらないまま塊になった白濁した粘液が、未だに大量に付着している。


 少年は、物言わぬ少女の黄金色の髪に鼻先を(うず)める。

 柔らかくて熱っぽい匂いは、微かにもしない。


「……ルイス。」


 見慣れた少女の呼び慣れた名前を呼んでも、少女の体に熱が戻ることは二度とない。黄金色の瞳で自分の瞳と見つめ合ってくれることも、二度とない。


 そこにはもう、「ルイス・ティティス」という名前の少女は存在しなかった。


「……どう、なるんですか。」


 吐息のような細い声で、少年はいつの間にか隣にいたレイバルに訊ねる。


「傭兵の慣わしとして、死んだ仲間の遺体は三日間ギルドの前で晒すことになる。生き残ったヤツ、これからなろうってヤツ、全員への戒めにするためにな。」


 淡々と語るレイバルの横から、「そうですか。」と呟きながら去っていく少年。


「ルイスの遺品の競売を明日か明後日にはやるはずだ!何か……何か残しておきたいってんなら、絶対に来いよ!」


 男の叫び声が去っていく少年に届いているかは、定かではない。

 確かな足取りで、しかし虚ろな瞳で、宿屋へ向かっていく少年に。





 盗賊討伐が終わってから、四日が経った。


「……今日も降りてないのか。」

「ああ。あの子があんなになってから、ずっとね。」


 ブロンドの髪の優男は受付台に肘を預けながら、中年の女と話している。どちらの表情も険しく、そして暗い。

 得意の客と、稼ぎ頭の傭兵を失った者。というだけでは、明らかになかった。


「あの子の葬式、ギルドマスターさんも個人的にカネを出したって聞いたよ。傭兵もたまには粋なこともするんだね。」

「彼女には本当に世話になった。それなのに次の人生がより長く、より安らかな人生となるように祈るくらいしか、してやれることが無くなってしまったから。」

「安らかな人生、ね。」


 中年の女は二階のその部屋の方向を見上げながら、息を抜く。


「せっかく、それをあの子にあげられる人が見つかったってのに。」





 失われた命は戻ってこない。

 鈴のような声。柔らかくて熱っぽい匂い。素肌の温もり。愛らしい笑顔。潤んだ黄金色の瞳。艶やかに光る黄金色の髪__「過去」になってしまったモノが、戻ってくることはない。

 わかっている。頭では、わかっている。

 選ばなかった選択肢の、その先を知ることはできない。

 それもわかっている。頭では、わかっていることだ。


 それでも考えてしまう。

 もしあの戦いに、黄金色の髪の少女がいれば。

 もしあの日、黄金色の髪の少女の名前を読み上げれていれば。

 もしあの時、黄金色の髪の少女に剣を捧げていれば。


 「過去」は変わったのだろうか……と。


 ふと少年は、息を吐く。

 ぼんやりと曇った頭に浮かんでくる「過去」を掴み取ろうとして、手がすり抜けていって、霧のように消えていく。そんな夢を、ずっと見ていた。

 「過去」の中には黄金色の髪の少女だけでなく、なぜか自分と同じ黒い髪の少女もいた。

 遠い所に立っていて、強い光に当てられて影になっている二人の少女の背中を、走って、必死に走って、ひたすらに走り続けて手を伸ばそうとしても、その背中に触れることができない夢と交互に。


 体が、動かない。

 一歩でもベッドから出れば、夢が現実になるような気がして。

 頭ではそうではないと信じたい。でも体が動かない。

 遠い所にいる黒い髪の少女と、ずっと遠い所に行ってしまった黄金色の髪の少女の背中を思えば思うほど、体の芯が冷たくなって、固まっていく。


「るい、す……ほのかぁ……。」


 誰も失いたくない。

 仲間も、友人も、愛しい人も、幼馴染も。

 もう二度と、手の届かない所に置いておきたくない。

 しっかりと握っていて、いつまでも離さないでいたい。

 その時。少年の仄暗い黒に染まった瞳の奥に灯っていた炎が、小さく揺らめいた。


 ずっと自分には「力」が足りていなかった。

 手を伸ばしても届かない所にあるモノを守るための力が。

 力だ。力が必要だ。

 欲しい物。失いたくない人。行きたい場所。見たい景色。全てをこの手のひらの中に収めて、留め置けるだけの圧倒的な力が。

 この世界には、自分よりもずっと強い力を持った人々がわんさかいる。


 その誰にも、奪わせない。


「……仲間。」


 ただの六十一人の傭兵では足りない。もっと強い力が要る。

 六十一人を遥かに凌ぐ、圧倒的な「個」としての力を持つ人材を何人も集めなければ。自分一人ではどれだけ手を伸ばしても届かない所にあるモノを、掴めるようにしてくれる信頼できる仲間を。

 それを集めるためには、それを得られるだけの「力」を持つ人間にならなくては。


 少年はゆっくりと上体を起こすと、頭の頂点からつま先まで覆っていた毛皮のブランケットを床に投げ飛ばした。

 目標は、まだない。しかしとりあえず、やるべきことはある。

 カルヴィトゥーレが言っていた、捕虜の処遇と戦利品の処理を決める集会。

 四日経ってしまったが、もしかしたらまだ何か残っているかもしれない。


「とりあえず、行かないと。」


 黒い髪の少年は、ふらふらとした不確かな足取りで部屋を出る。


「あらっ!大丈夫かい?!」


 受付台で台帳を書きこんでいた中年の女が、上階から降りてきた少年の顔を見つけて、椅子から飛び上がる。

 きっと自分は、ひどい見た目をしているだろう。

 しかし、どうでもいい。外聞なんか気にしている暇があったら、欲しい物を取りこぼさないように一歩でも多く進むべきだ。

 四日経ってしまった。四日間も、停滞していた。

 まずはこの遅れを取り戻す。

 乾いた肌と厚い皮で覆われている拳を握りながら、黒い髪の少年はハアースでは珍しい、立派な石造りの建物に向かって歩いていった。

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