38:「紅い疾風」と「一番星」
「ハッ!」
「へっ!いいねぇその殺る気ィッ!」
右足で力強く踏み込んだ黒い髪の傭兵は、右足を軸に体を半回転し、後ろに引いていた斧を振り抜く。赤毛の女は傭兵と反対方向に体を回転させながら半歩退き、ぎらつく刃に顔が映るほどの距離で回避する。
「ふんッ!」
「くっ!」
赤毛の女の体は回転した余力を殺さず生かし、さらに右足で踏み跳んで、左の踵で盾を蹴り飛ばす。
女の脚力とは思えないほどの衝撃。下半身の素肌を大胆に晒しているのはこうした蹴り技をスムーズに出すためだと気がついた時には、さらにもう一撃がつま先に加わる。
不確かな足取りで、一歩下がる黒い髪の傭兵。しかしこれ以上下がれば、相手にクロスボウを構える時間を与えることになる。
辛うじて地面に留まった右足で再び踏み込み、距離を詰める。だが赤毛の女の瞳が深緑に輝いて、ほんの一瞬だけ足が止まった。
その隙に赤毛の女は右足に全体重を預け、体を地面と肌が触れる寸での所まで沈み込ませて、左足で盾を蹴り上げる。予想外の方向からの衝撃を受けた黒い髪の傭兵は、上半身がのけ反り、硬直する。
そして赤毛の女が右腕と脇で挟むように構えていた、クロスボウの弦が解放された。
「うぐッ?!」
高速で射出されたボルドの鏃は腹の左側に食い込んで、肉を穿つ。
しかし黒い髪の傭兵は上半身がのけ反ったまま、右手を振って斧を手放す。刃先の重量に引っ張られるように回転しながら飛翔した斧は、赤毛の女の右太ももを掠めて、地面に刺さった。
「チッ!」
「ぐぅ……。」
互いに致命傷でこそないが、満足に動ける状態ではなくなった。
「装填しろォッ!」
「は、はい!」
「た、っまんないな、これ……!」
脚を庇いながらクロスボウを部下に投げ預けた赤毛の女。徐々に強くなっていく腹部の痛みに悶える黒い髪の傭兵。
二人はそれぞれ、腰の後ろに括りつけられていたナイフと、左腰に携えていたトリカブトの剣を、同時に引き抜いて構える。
「ハハッ!降参するか、傭兵!」
「そっちこそ!」
一気に距離を詰めた二人の刃が交錯し、火花が散る。
重量と射程で打ち負けた赤毛の女は、鋭い動きでナイフを引き、低い位置で突きを繰り出す。しかしそれを呼んでいた黒い髪の傭兵が盾の縁でナイフの刃を叩き、そのまま顔面を盾の表で殴りつける。
「ぶッ?!」
殴り飛ばされた赤毛の女は一瞬だけ白目を剥いていたが、すぐに意識を取り戻し、飛ばされた衝撃で背中を湾曲させる。そして伸ばした手で地面を突いて、体を縦に一回転させた。
「女の顔を殴るたあ……いい度胸だなぁッ!」
牙のような八重歯をひん剥いて、ナイフ一本を手に低い姿勢で駆ける赤毛の女。
その姿はまるで豊かな赤い毛並みを逆立てる、血肉に飢えた雌狼。
「盗賊に遠慮も容赦もする道理はない!」
全身の筋肉を強張らせ、盾を突き出し片刃の剣をぎらつかせて立ち向かう、黒い髪の傭兵。
その姿はまるで雄々しい黒いたてがみをたなびかせる、王道を往く若獅子。
「姉御ッ!」
その時、宙を舞ったクロスボウ。
僅かな時間でクロスボウの位置を把握した黒い髪の傭兵は、なおも赤毛の女に向かって走る。先に駆け出した赤毛の女は既に、待っていればクロスボウを掴める位置にいる。
その時、再び深みのある赤褐色の瞳が深緑に輝く。だがそれでも黒い髪の傭兵は、駆け寄った勢いそのままに盾の縁を突き出した。
クロスボウを右手で取り、腰に構える赤毛の女。向かう相手の盾は体を隠す向きではない。ろくに照準をせずとも、どこかしらに当たるはず。
赤毛の女は瞬時にそう判断し、クロスボウの引き金を力いっぱいに握りしめ__片刃の剣が、自身の体に届くはずのない距離で振りかぶられていることに、ようやく気がついた。
深い切り込みが特徴の三つ又の葉の装飾が、松明が放つ温かみのある光を反射して上品に……しかし、その鋭い刃先と同じように執念深くぎらついた。
「ハアッ!」
刃を水平にして繰り出された渾身の突きがクロスボウの木のフレームに突き刺さり、手元ごと掻っ攫う。
「おらッ!」
そして黒い髪の傭兵は、腹部の激痛を圧して上半身に力を込めて体を捻り、奪い取りかけていたクロスボウを、力いっぱいに踏みつけた。
「ぁ……ッ?!」
乾いた木材が割れ砕け、金属の部品がひしゃげて曲がり、真二つにへし折れたボルトの破片が舞い散って、地面に零れる。
視覚で、聴覚で、触覚で。無残にも、無情にも、無様にも、しがない木片へと姿形を変えていく手元にあったはずのそれに、赤毛の女の意識は吸い寄せられていく。
「ふんッ!」
木の盾が横顔に叩きつけられ、脳が揺さぶられ、頭蓋骨が悲鳴をあげても、深みのある赤褐色の瞳は、それを捉えていた。
「ぁ、ぁ……。」
暗い影の渦に飲み込まれ、もはや無いに等しい意識の中で、赤毛の女は手を伸ばす。
「ぁ……。」
口から漏れ出る吐息が、熱された空気に溶けていく。
恐るべき足音に、全てを蹂躙されたとしても。
一方で、赤毛の女が完全に地に伏せる瞬間をずっと高い所から見下ろしていた黒い髪の傭兵は、女の体を翻し、手頃な所にあった縄で両手首と両足首を背中側からきつく縛り上げる。
そして未だに戦っている盗賊たちと傭兵たち、どちらにも見えるように、力なく横たわる女の体を担ぎ上げた。
「『紅い疾風のリオン』は倒れた!お前たちの負けだ!」
若い男の声が洞窟に響き渡る。
振り向いた盗賊たち。見上げた傭兵たち。それぞれの表情は、明らかに対照的であった。
「そ、そんな……姉御が負けた……。」
「あ、ああ。終わりだ……。」
「よっしゃあ!さっすが『一番星』だぜ!」
「無理やり送り出したかいがあったな……!」
盗賊たちはつい今まで戦っていた者も、まだ傷も消耗もない者も、揃って項垂れながら得物を手から零し落とす。傭兵たちは歓喜と狂乱の雄叫びをあげながら、自分たちの大将を賞賛している。
「どうやらオレ様の出番は無かったみたいだな。」
「そう言うなって。人質が無事なんだからよぉ。」
「無事って言えんのかは、正直微妙だけどな。」
「生きて故郷に帰れんなら、それで十分『無事』だってんだ。」
どこからか盗賊のようなみすぼらしい格好をした槍を持った男と、似た姿の三人組の傭兵が現れた。背後には数人の盗賊の骸が転がり、その奥にはまともな布や毛皮に包まれた女たちが集められている。
「いやー、しかし。なかなか緊張するお役目だったな!」
「ありがとうございます。おかげで心置きなく戦えました。」
「この借りは酒場できっちり返してもらうからぜ?」
「門を越えるまでに生きてたら、返してあげます。」
「おっ?!言ったなぁこの野郎ッ!」
三人組の傭兵に揉みしだかれながら、黒い髪の傭兵の瞳に光が戻った。
死者七十九人、捕虜二十八人。総じて百七人の盗賊との戦いを制した六十一人の傭兵たちは、捕虜となった盗賊たちを縄で縛り上げてから、戦利品回収タイムに入る。
「こっちは食いもんばっかじゃねーか。つまんねぇなぁ。」
「オレはコイツを手に入れたぜ?見ろよっ、この宝石。銀貨三枚にはなりそうだろ?」
「ほーん。これを見てもまだそんなものが自慢できっか?」
「おいおい、こりゃまた立派な本だなぁ。銀貨十枚ってとこじゃねぇか。」
「これを売ったカネで、嫁さんにとびっきり綺麗な服を仕立ててやるんだ。」
意気揚々と戦利品をかき集める傭兵たちだったが、全員が時折ハヤトの様子を窺っている。窺われている当人はそのことには気がついておらず、足元に転がっている赤毛の女の様子を見ながら、自身も治療を受けていた。
「鎧のおかげで致命傷は避けられたってとこだな。でもあんまり動くなよ。お前はどっちかって言うと重傷の方なんだからよ。」
「マジすか……みんなの怪我は?」
ハヤトに手当てをしている薬師の勉強をしていたという傭兵は、腑に落ちない様子で首を傾げている。
「それがなあ、なかなか激しい戦いだったにしちゃ、どいつもこいつも大した怪我はしてないんだよ。商売あがったりだっての。」
彼は傭兵として筋力で戦いつつ、戦闘の後は傷ついた傭兵に手当をして治療費を受け取るという、知力でも稼いでいるタイプの傭兵である。
戦利品回収をそこそこで切り上げて治療に専念しているのは、動きまわってあるかわからない貴重品を探すよりも効率的で、しかも仲間内の評価も上がるから、というのが大方の理由だろう。
「俺としては、死者も負傷者も少ない方がありがたいんですけどね。」
「大将のお前が一番傷が深いってんじゃあ、冗談にもならないぞ。」
アルコールで消毒した後、薬草の搾り汁を薄めた液に浸した布切れが、鏃が開いた傷口に当たる。
いてて、とのんきに呻いているが、鎧が鏃を食い止めていなければ、腸や内臓を大きく損傷して失血死していた可能性もある。弓やクロスボウは軽装の兵士や村人にとっては大いに脅威となるのだと、我が身のことのように理解できた。
治癒師の傭兵は傷口に当ててある布の上から、長い布を腹に巻く。
「いいか。絶対に余計なことはするな。傷口が開いて血が溢れても、次はタダじゃ手当てしてやらないからな。」
彼は悪態を突きつつも、もう一度だけ手当てした場所の様子を確認してから、次の負傷者の所に歩いていった。
ぶっきらぼうに「一番の功労者だからな。」と言って無料で治療を施してくれた彼の懐の深さに感謝してから、ハヤトは再び足元に寝そべっている赤毛の女に目線を向ける。
「もう起きてるでしょ。」
「……チッ。」
両手首と両足首を縛られている赤毛の女は、こちらに向けていた背中をゆっくりと地面につける。斧が掠めた太ももの傷には、既に布が巻かれている。
赤毛の女は深みのある赤褐色の瞳で黒い髪の傭兵を見上げながら、素肌を晒している太ももを擦り合わせる。
「お前、なんでそんなに強いんだ。」
「なんでって訊かれても……。」
二か月近く鬼のような強面筋肉ダルマに指導されて体を鍛え、時々恐ろしいところも見せるブロンドの髪の優男に教わって頭を鍛えていたから。というのは、そうなった「方法」であって「目的」ではない。ハヤトはハアースでの生活を振り返りながら、そう感じる。
では、強くなった「目的」は何か。
「並び立ちたい人が二人もいるから、頑張らなくちゃいけなくて……かな。」
「二人、ねぇ……。」
すると赤毛の女は、何かを理解したように一人で頷いて、ジトーっとした目と厭らしい笑みをハヤトに向ける。
「女か。」
「女……では、あるけど。」
性別的には、どちらも女だ。ただ赤毛の女が言いたいのは「お前の」という言葉が付く方だろう。
「浮気だな。」
「浮気じゃないし?!こ、恋人なのはっ、一人だけだし?!」
「でも惚れてんだろ、そのもう一人の女にも。」
惚れている、ではない。はずだ。
ただ、赤毛の女に問いかけられたハヤトは、少しだけ俯く。
ホノカのことは好きだ。文武両道なのは言わずもがな。朗らかで誰とでも打ち解けられて、不運体質をものともしない前向きな性格の彼女のことは、幼馴染としても一人の人間としても好ましいと思っている。どこか放っておけないところも、チャームポイントというやつだろう。
それにホノカは見た目だって、贔屓目なしに魅力的。身長は男の自分と大差なく、運動をよくしているおかげで体の線も引き締まっている。そして顔が可愛い。実は少しご機嫌斜めな時の顔が、一番可愛い
しかし。だからと言って、惚れるかどうかは別の問題だろう。
小さい頃からずっと一緒にいて、大きくなってからも一緒にいた。ほとんど双子のきょうだいみたいな彼女と自分が、結婚して家庭を築いている姿があまり想像つかない。
「そうやって悩んでる時点で、どっかじゃ気があるんだろ。」
「いやいや、そんなことない。ホノカは幼馴染で、親友なんだ。惚れてなんかない。」
赤毛の女は「ふうん。」と唸り、太ももを擦り合わせる。
「女を大切に扱うのと、男が奥手なのは、ちげぇんだぞ。」
相手を大切にすることと、ただ奥手なこと。
ああ、それはそうだとハヤトは内心で頷いた。
では彼女のことをどうしても放っておけないという、この感情は何物なのだろうか。
そう考えはじめたところで、戦利品を抱えた傭兵たちがぞろぞろと集まってきた。
「もうそろ戦利品回収も終いだ。荷車を持って来させてる。こんなカビ臭い洞窟、さっさと出ちまおうぜ。」
「そうですね。そうしましょうか。」
ハヤトは立ち上がろうとして、赤毛の女の状態を思い出す。
手首は当然として、足首まで縛ってしまっては歩かせられないではないか。そのことに気がついたハヤトは少し考えてから、自身の腰のベルトと赤毛の女の手首を縛る縄を別の縄で繋いでから、足首の縄を外した。
「立って。歩くくらいはできるでしょ。」
「わーったよ。よっ、と。」
赤毛の女は手が使えずとも体を捻るだけで上体を起こし、それから簡単に自力で立ち上がった。彼女の身体能力もまた、なかなかに目を引き付けられるものだ。
「なんだよ。アタシの体、じろじろ見て。」
「いやー、戦ってる時も思ったけど。いい体してるよね。」
腹は六つに割れてこそいないが贅肉がなくすっきりとしていて、くびれもある。対して脚は締まりのいい筋肉がついていて、軽く動かすだけでも筋が蠢く。肩から腕にかけての線は細めだが、上と下で対照的なのも趣があってままいい。
と、ハヤトは筋肉しか見ていなかったが、赤毛の女は違う意味で受け取っていた。
「ふっ。女の体は寝床の上で褒めた方がいいぞ。」
「え、あっいや!そういう意味じゃないって!」
「わーったわーった。いちいち面白い反応するなって。」
赤毛の女は牙のような八重歯を見せて、愉快そうに笑う。
ルイスといい、イスタキアといい、この女といい。どうして自分は煽られてばかりいるのだろうか。そんなに彼女たちのお気に召す反応をしてしまっているのだろうか。自分の表情を自分で窺い知ることはできないことが、これほど悔やまれるとは。
これではどちらが捕虜なのやら。ハヤトも、周囲で二人のやり取りを聞いている傭兵たちも同じように思っていた。
「俺たちの大将と、一番の戦利品が通るぞー!道を開けてやれーぃ!」
一番の戦利品、と聞いて振り返るハヤト。
「今度は奢る相手が多くて大変だな!」
ニヤニヤと笑う傭兵。周りの傭兵たちも羨望半分、同情半分といった微笑みを、たった一人の傭兵に向けている。
そういえばこの赤毛の女、もし「本物」であれば金貨三枚の懸賞首である。今すぐにでも確認しなければ。
「あ、あの。お名前は?」
ハヤトは前を歩かせていた赤毛の女に、おずおずと訊ねる。
赤毛の女は艶やかな髪を松明の光にかざしながら、牙のような八重歯を見せて、得意げに答えてみせた。
「リオン。お前らが勝手に『紅い疾風』なんて呼んでる、大悪党さ。」
大量の硬貨が手元から零れ落ちていく音がどこからか聞こえてきた気がした黒い髪の傭兵は、「どーも。」とだけ返して、そっと耳を塞いだ。