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35:剣の乙女との夕食

 

「一、二、三、四、五、六…………揃ってるな。用意はできてますか。」


 傭兵たちの雑然とした返答に耳を傾けながら、ハヤトは手元の地図を見遣る。

 ハヤト隊が請け負うことになったのは、ハアースから東に二日と少し行ったところにある農村近くの洞窟。「黒曜の髑髏」と共に行った初めての盗賊討伐の仕事と、同じ目的地である。

 農村は辛うじて存続しているとのことだが、一味の拠点に近いので何をされるかわかったものではない。最悪の場合、既に滅ぼされている可能性すらある。


「ハヤト。途中までよろしく頼むぞ。」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」


 道中の一日半は、イスタキア率いる騎士と自警団の混成部隊七十人と同じルートで行く。レイバルが率いる傭兵部隊六十七人はハアースの北へ行くので、彼らとはハアースを出た所で分かれることになった。


「じゃ、あたしたちも出るから。」

「うん。頑張ってね。」


 ルイスは黄金色の髪を風に乗せて、後ろに手を振る。


「あんたも、ね。」


 隊を率いるイスタキアは昨日と同じ金属鎧を身につけていて、傍らでは鞍を背負った馬がのんびりと道草を食んでいて、引き綱は彼女の付き人の男がしっかりと握っている。

 イスタキアは自分の顎くらいの高さにある、馬の背中を撫でる。そして鐙に足をかけ、金属鎧に覆われた体を馬の背中の上まで、一息で押し上げた。

 おおっ、とハヤトが思わず声を上げる。

 この世界に来てふた月半。初めて馬に直接跨った人を見たのだ。

 金属鎧を着た騎士、雑多な装備の傭兵と続いて、とうとう見ることができた本物の騎乗兵。その凛々しく雄々しい姿は、世の男の皆々が憧れを抱くことだろう。


「イスタキア様。出立の用意が整っております。」

「わかった。総員騎乗の後、私に続け!」


 そして彼女の周りには同じように、金属鎧を纏い、各々の相棒に跨る騎士たちがいる。手綱と鐙で繋がった一人と一頭は、まさしく人馬一体となって野を蹴り、大地を弾む。


「では、そろそろ行くとしようか。」

「はい!さあ出発だ!」


 傭兵と自警団、そしてイスタキアの騎士たちが応え、雑然とした足並みで歩きはじめた。




 騎士たちとの行軍は順調に進んだ。そして彼らと過ごす、最初で最後の夜が訪れた。

 イスタキアとハヤトが見極めた野営場所には傭兵と自警団の兵士、イスタキアの騎士とその付き人が囲む焚火が十数と、いくつかの上等な天幕がある。その中でも特に大きな天幕の中に、ハヤトとイスタキアはいた。

 金属鎧を脱ぎ、見事な仕立ての丈長の衣と短い朱色のマントを着ているイスタキアは、黒い髪の傭兵と共に木組みのテーブルを囲んでいる。


 テーブルにはイスタキアの付き人の男女がどこからか持ってきた、鈍い銀色に輝く食器に載ったいくつかの食事や、銀色の杯に注がれた葡萄酒が並んでいて、ここが都市の外であることを忘れてしまいそうになる。

 二人はのんびりと食事をしながら雑談をしていて、すぐにハヤトが異世界から来た人物であるという話題になった。


「ほう。やはりキミは、異界より呼び寄せられし来訪者の一人だったか。」

「そうなんですけど、俺たちを召喚した女神様が俺にだけ武器とか属性とかの加護をくれなくって。だから王様からはちょっと嫌われてるっぽいんです。」


 しまった、とハヤトは自分の軽率な口を呪った。

 かなり気さくな雰囲気で話すこの女は、紛れもなく貴族の娘。そんな相手に彼女らの王に対する愚痴を垂れてしまっては、機嫌を損ねてしまうのではないか、と。

 しかしハヤトの不安を吹き飛ばすように、イスタキアは喉の奥まで見えるくらいに大きく口を開けて、ゲラゲラと笑っている。


「我らの王は『加護』を大変に尊んでおられるから、それは仕方ない。むしろ女神も、せめて武具の加護の一つくらいくれたっていいだろうになあ。我々の信ずる神ながら、実に酷なことをするものだ!」


 むしろ彼女の方こそ、信じているはずの神に対して不敬な態度をとっているように見えるのは気のせいだろうか。


「それで?ハヤトはどの女神と会ったのだ?」


 そこでハヤトは、はて、と困ってしまった。

 あの女神は名前を名乗らず、姿も見せなかった。声からして若い女のような姿を想像しているが。

 ただ、言われて思い返してみると、この世界に来てから「神々」という言葉をよく聞いたように思う。いくつかの神がいるとして、自分がどの神に会ったのかは今更ながらに知りたいものだ。


「名前も姿もわからないんです。辛うじて、女神様だってことはわかるんですけど。」

「女神であればリライネ神か、ウルン神か、アーネ神のいずれかだろうが、慈悲深き我がアーネ神がケチなことをするとは思いたくない。リライネ神かウルン神が、キミたちの世界とこの世界の仲立ちをしたのだろう。」


 やや私情が隠れている感は否めないが、この世界の住民であるイスタキアがそう言うのだから、きっとその二柱のどちらかなのだろう。


「確かリライネ神の神殿がハアースにあったはずだ。無事に帰ったら、神像に泥団子でも投げつけてやれ!」

「しっ、しませんよそんなこと!」

「なんだ男だろう。それに信ずる神というわけでもあるまい!」

「だからって罰当たりでしょ!」


 恨んでいたり怒っていたりするわけではないのだ。それに故郷のように多くの神を崇め奉るこの国の民が信じている神々について、ハヤトは興味が湧いてきてすらいる。

 会話が途切れたところでイスタキアは杯を仰ぎ、「それにしても。」とテーブルに肘を置く。


「ロイとクリオからの手紙には、お前は真面目で努力家な男だと書いてあったが。本当にお前は真面目な男だな。」

「え。二人が……?」


 歳が近そうなクリオと交友があるのは理解できるが、王子であるロイとも手紙をやり取りする仲だったとは。フラガライア辺境伯家……意外と王国内で影響力のある一族なのではなかろうか。


「イスタキアさんは、ロイ殿下とクリオさんとは親しいんですか。」


 イスタキアは銀色の杯の中身を転がす。


「ああ、王立学園で知り合ったんだ。よく共に馬で駆けたし、馬鹿げたこともやったものだ。クリオもロイも、今でも私の可愛い後輩さ。」


 誠実なクリオも、王子であるロイも馬鹿げたことをしている姿が想像つかない。もしかしなくても、二人はただ巻き込まれただけは……と、ハヤトは訝しんだ。

 それにしても。歳が近いのはわかるが、三人の年齢感が微妙にわからない。ロイは一番年下で、次にクリオ。そして一番年上なのがイスタキア、となるのか。


「おい。お前今、女の歳のことを考えていたな。」

「す、すいません……。」


 女の勘は、恐ろしく鋭いものだ。

 ただ、それでもイスタキアの口元には明るい笑みが浮かんでいる。


「ハハッ!お前はいちいち反応が面白いな!弄りがいがある!」

「うう……。」


 もちろん自覚はない。しかしルイスも自分を弄っている時は楽しそうに笑っている。


「ま、別に隠すことでもないか。私は先月、二十六になったところだ。ロイは今年の初め頃に二十になって、クリオは確か……そうだ、冬のひと月に二十五になるはずだ。」

 イスタキアが二十六歳。クリオが二十五歳。ロイが二十歳。この世界の貴族たちはそれくらいの歳には騎士を率いたり、一族の当主になったりと、大きな責任を背負って立つものなのか。

「クリオさんくらいの歳で爵位を継ぐのって、普通のことなんですか。」


 ハヤトの問いかけにイスタキアは、杯を仰いでから「いや。」と返す。


「先代のモンカソー男爵……つまりクリオの父は、あいつが十六の時に事故で亡くなってな。そのために、王立学園に在学している間に爵位を継いだんだ。あまり喜ばしい理由ではないな。」


 それから彼女は、当時のことをありありと話していく。


「父の訃報を受けたあいつは、四年通った学園を自主退学してでも、すぐに領地に戻ろうとした。勉学に注力することを諦め、男爵や領主としての務めを果たすと言ってな。まあ私と違って、あの時のあいつは既にそれらを務めてみせるだけの能力を十二分に養っていた。だが、私がそれを阻んだ。」


 ハヤトは思わず、唾を飲む。


「あいつにはささやかな、しかし尊い『夢』があった。自分の力と知識で、様々な薬草を育て、些細なことまで調べ上げ、その性質を広く伝えたいという夢がな。」


 薬草の性質を研究する。それは確かに何百、何千という領民の安寧と、王族の安全を守ることに比べたらささやかなことかもしれない。

 だがイスタキアが言ったように。それは多くの人を救うかもしれない、尊い夢だ。


「だから言ってやったのだ。領地や責務のことは、しばらく叔父上にでも押し付けてしまえ、とな。だがそれでもあれこれ文句を垂れたもんだから、頬を思いきりひっぱたいてやったよ。」

「ひっぱた……。」


 やるかやらないかで言えば、この人物はやるタイプだろう。


「さすがにしばらく取っ組み合いになったが、ロイとアストリエスと……カル、リスティア?が諫めてくれたよ。でなければ、一生癒えない傷跡が互いに残っていたかもしれない。」


 それだけイスタキアも、クリオも、本気だったのだろう。

 男爵家の後継者として、責務と領民に対して誠実であろうとするクリオ。

 後輩が「夢」を諦めようとする姿を、絶対に認めたくなかったイスタキア。

 同じ王立学園に通う、同じ貴族の後継者として。二人は本気で意見と感情をぶつけ合ったのだ。


「結局のところ、クリオは学園を辞めなかった。だが爵位も責務も夢も、全て己の身で背負うと決めた。早朝は剣の鍛錬、昼は学園で勉学、夜は執政に任じた叔父に手紙をしたためる。そうして数年後に卒業する頃には、立派なモンカソー男爵サマとなったわけだ。」


 兵士たちの訓練が昼近くになって始まるのに対して、クリオは朝の早い内から訓練を始めていた。七時頃に起きる自分より、ずっと早くに起きて。

 それは彼がまだ学生だった頃からの習慣だったのだろう。爵位も責務も夢も諦めないと、覚悟を決めた日から続けてきた。


「そういう男だからこそ、あいつがハヤトを気に入ったのには納得している。先輩からの手紙にも、お前は努力家で誠実な男だとあったしな。クリオが気に入りそうなヤツだよ、お前は。」

「先輩?」


 手紙を送った、先輩。

 そこでハヤトは、はっと気がつく。

 レオノルドの他にもう一人、フラガライア辺境伯の後継者であるイスタキアと親し気で、しかも呼び捨てにしていた人物がいたことを。


「もしかして、カルヴィトゥーレさんのことですか。」

「ああ、そうだ。彼は私の先輩に当たる。といっても共に学んだのは一年だけだったが、かなり彼の世話になったよ。いかんせん私は武術と戦術以外には疎くてな。」


 カルヴィトゥーレは彼の先達から。イスタキアはカルヴィトゥーレから。クリオはイスタキアから。そして自分は、クリオから。

 そうして人と人とが繋がっていって、教えが広がっていく。その教えが人を救い、人を繋げ、また広がっていく。

 ハヤトは内心で、ああ、と呟く。

 これが。これこそが、「歴史」なのだと。

 ハヤトは左腰に下がっているトリカブトの剣を撫でながら、あの優しそうな笑顔を思い出していた。


「……くふっ。」


 ふと、ハヤトは顔を上げる。

 カルヴィトゥーレの話をしていた時から、なぜかイスタキアは愉快な笑みを堪えようとして、なかなか堪えきれないでいるのだ。何か可笑しいことでも話しただろうか。


「……本当は私から教えるべきことではないんだがな。お前の反応が気になるから、言ってしまうぞ。心して聞くといい。」

「は、はい。いつでもどうぞ。」


 ハヤトは両膝に手を置き、イスタキアの言葉を待った。


「実はな……彼は、現ライアベンデ子爵の弟なのさ。」


 __……ほう?


 確かに彼は、血の気盛んな傭兵たちを束ねるギルドマスターというわりには、やけに品が良くて知的な人物だとは思っていたが。彼が貴族というのなら、むしろ合点がいく。


「おい。驚かないのか。」

「まあ、はい。むしろ納得って感じです。」

「くそっ。まさか今でもすかした態度してるのか……?」


 眉間を握り拳の節で押さえ、奥歯でぎりぎりと歯軋りしているイスタキアには少しだけ悪いと思っている。だが彼女が知るカルヴィトゥ―レの姿をハヤトは知らないのだから、仕方がない。


「まあ、先輩が先輩らしく、勝手ができているのならいいんだ。あれもまた己の身の振り方について、鬱蒼とした暗中でもがいていた口だからな。」

「それってどういう……。」


 と、ハヤトが訊ねようとしたところ。イスタキアのすぐ近くに控えていた付き人の女が、イスタキアに耳打ちをする。相当気に入らないことを言われたようで、イスタキアは天幕の外にも聞こえるのでないかと思うほどのため息をついた。


「……わかった。悪いなハヤト、そろそろお開きとしよう。」

「いや、こちらこそ。夕食に誘ってくれてありがとうございます。」


 イスタキアは一息で立ち上がると、ハヤトの側に歩み寄って右手を差し出す。


「外敵の軍が相手であれば戦果を競うところだが、今度の相手は悪しき盗賊共。互いに最善を尽くし、ハアースで勝利の杯を掲げようではないか。」

「はい。ぜひご一緒させてください!」

「無論だ。ああ、そうだ。その時はお前の女も紹介してくれよ?」


 イスタキアは付き人の物申したげな表情に構わず、厭らしい笑みを浮かべる。


「では、おやすみ。」

「おやすみなさい。」


 朱色のマントを翻し、フラガライア辺境伯の後継者は自分のベッドがある天幕へ去っていく。


「ハヤト様にも天幕と床をご用意しております。」


 ハヤトも自分の寝床に潜り込むべく天幕を出ようとしたところで、外と内を仕切る幕の横にいた付き人の男が、不意に声をかけてくる。


「えっ、マジっすか。」

「ええ。お嬢様からの申し付けにございます。」


 しがない傭兵一人にもわざわざ天幕を用意してくれるとは。フラガライア辺境伯家の財力、恐るべし。

 付き人に案内された天幕の中には、一人用の広さではあるが、宿屋の二人用ベッドよりもさらにしっかりと拵えられているベッドが置かれている。イスタキアのベッドはこれ以上だと思うと、盗賊討伐のためだけにどれだけの人手と資金が出ているのやら。

 カネがいくらでもあるならば、出先でだってこうして柔らかいベッドでぐっすり眠りたい。この世界は常々、「カネ」から逃れられないらしい。

 そうしてハヤトは、つまらない事をぽつぽつと頭の中に浮かべながら、ベッドの上で天幕を見上げる。


「ルイス……。」


 最近はずっと、人肌に触れながら眠っていた。あの温もりが無いだけで、胸に穴があいたような虚しさが体を芯から冷やす。

 どれだけ順調に事が運んでも、あと四日後。それまで黄金色の髪の少女の顔にも、体にも、熱にも触れられない。

 しがない農村に行った時にはこれほどの空虚感は覚えなかったが。やはり「あの晩」に、全てを知ってしまったからだろうか。

 会いたい。触れたい。話したい。

 ハヤトは、はあ、と小さく息を吐く。

 黒い髪の少年はブランケットで口元まで覆って、柔らかいクッションの上で縮こまった。


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