33:出撃前夜①
「……そうか。ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ。」
ギルド二階の執務室で、ハヤトから農村での出来事について報告を受けたカルヴィトゥーレは、それだけ言ってハヤトの肩を叩いた。
「報告しに来たわ。」
ちょうどその時。黄金色の髪の少女が無遠慮に部屋へ入ってきた。
「……ハヤト?」
ルイスはハヤトの顔を見るなり、つかつかと歩み寄ってきて、少し高い所にある頭を抱き寄せた。
細い手が少年の黒い髪をゆっくりと梳き、滑っていく。
「ちゃんと一緒にいたげるから。」
「ルイス……。」
黄金色の髪から漂う、柔らかくて熱っぽい匂い。
不思議と、心が穏やかになる。
「ルイス……好き……。」
黄金色の髪に鼻を埋めながら手繰り寄せた線の細い体は、厚い筋肉に覆われている腕に抑えられてぴったりと納まる。ルイスは顔を真っ赤にして、「摂取」から逃れようともがいているが、男の膂力に抗いきれる道理などあるはずもない。
「ね、ねえ。あとでいっぱい、嗅がせてあげるから。今は__」
「今欲しい。」
「うう……。」
女の勘は、恐ろしいほどに鋭い。
ただし時として、行動による結果は思いがけない方向へ転がることがある。まったく身動きが取れないまま、人前でひたすらに「摂取」されてしまう少女のように。
カルヴィトゥーレに生温かい目で見守られながらの長い、長い摂取タイムは、体感で三十分くらいが経った頃に、ようやく終わった。
「ルイスニウムはそのうちガンにも効くようになると思う。」
「何言ってんの……。」
黄金色の瞳がとろとろに蕩けているルイスに頬ずりしてから、ハヤトは少女を解放した。
一部始終を全て見ていたカルヴィトゥーレは、にやけてしまうのを誤魔化すために「こほん。」と咳払いをして、けれど誤魔化しきれないままルイスとハヤトに目線を向けた。
「では報告してくれ。」
「え、えと……あたしたちが行った村には七十人くらいの盗賊がもう来てて、駐屯部隊と競り合ってた。でもあたしたちがいるって気がついて、すぐに退いてった。」
「ふむ。ハヤトくんが撃退した部隊と同じか……。」
「同じ?ハヤトが行ったとこにも盗賊がいたの?」
ルイスが振り向くと、ハヤトは頷く。
「追撃して十人くらいは仕留めたけど、指揮を執ってたっぽいヤツには逃げられちゃって。」
「ああ、それこっちにもいた。無害そうな顔してたけど、絶対に何人も女を泣かせてきた類の男ね。」
厳つい面の男と、無害そうな面の男。そして「紅い疾風」。この三人が盗賊集団を率いているのだろうか。
どうであろうがこれで連中の「一手」と「二手」を叩き折ってやった。そろそろ、こちらから打って出るべきではなかろうか。
「何か作戦はありますか?」
「いいや。今のところ、こちら側から部隊を差し向ける事はできない。だが……。」
真剣な表情を取り戻したカルヴィトゥーレは両肘を書斎机に置き、手と手を組んで口元を隠す。
「手は打ってある。」
カルヴィトゥーレが打ったという「手」を信じて、三日が経った。ハヤトは今日も訓練と情報収集に勤しんでいる。訓練といっても剣の素振りや斧を投げる練習をするだけで、情報収集といってもギルドで傭兵たちと話をする、といった程度のことしかできない。
だが、何もしないでいるよりはずっといい。停滞とは、即ち後退であるのだから。
「それはあたしもわかるけど。でも少しは休んだら?」
と、ルイスが細い眉を寄せるほどに、この三日間のハヤトは常に強烈な熱を放っていた。瞳の奥で煌々と燃え上がる黒い炎で、周囲すらも巻き込んで、身も心も焼き尽くさんとするように。
それだけここのところのハヤトには、鬼気迫るものがあった。
「立ち止まっていられないから。」
剣の先の、ずっと向こう側。彼がそこに見ている、彼の「敵」を悉く討ち滅ぼすために。
ただひたすらに、剣を振る。
「……そ。」
ルイスは汗を散らしながら剣を振る少年を、黄金色の瞳で見守り、しかし端整で愛らしい顔にはどこか陰りが見えている。
そんな時。二人の所に向かって走ってくる一人の男がいた。
「おうい!ルイス!ハヤト!」
「ん、キックじゃない。」
頬を伝って滴る汗を拭いながら振り向くと、手を振って叫びキスクがいた。彼は忙しない動きと形相で叫び続ける。
「やっとだ!オレたちの出番だぞ!」
「オレたち」の出番。
それは即ち、「傭兵」の出番。
ハヤトは二度、三度と深く大きく呼吸をしてから、体中から溢れ出る脂汗を布切れで拭う。
この少年ならばすぐにでも駆け出すと思っていたルイスは意外そうに黄金色の目を丸くしながら、綺麗な布切れで背中の汗を拭きとった。
ああ、そうとも。丈長の衣を着ることすら忘れて、すぐにでも駆け出したい。足には力が満ち満ちていて勝手に動きそうで、胸の奥ではどろりとした熱が滞留して、様々な感情が逸って仕方がない。
だが彼は至って。そして不思議なほど、冷静であった。
仄暗い黒に染まった瞳に、立ち昇る黒煙を映している限りは。
ハヤトとルイス、キスクは連れ立ってギルドの両開き扉を押し開く。今日も最近と変わらず、早い時間から大勢の傭兵が詰めている。殺気立ち、ぎらつく刃先のような目をした傭兵たちが。
「お、ハヤト!また頼むぜ!」
「オレらは絶対にハヤトについてくからな!」
ただ、そんな彼らはハヤトの姿を見つけた途端、自信と活力に溢れた明るい表情で、そうして声をかけてくる。
まだ状況は読めない。だがキスクが「オレたちの出番」と言ったことからして、これから連中との決着をつける戦いに挑むことになるのだろう。ハヤトはそのように汲み取った。
キスクに続いてカルヴィトゥーレの執務室に入ると、レイバルを始めとした「鉄の鎖」でも実力のある「頂点捕食者」たち、数人の自警団の兵士を従えたレオノルド、そして書類が積まれた書斎机に腰かけるカルヴィトゥーレがいた。
「よし、来たね。では話を始めよう。」
待っていた全ての人員が揃ったことを確認したカルヴィトゥーレは、ゆっくりと書斎机から腰を離した。
「自警団の兵たちと狩人の経験がある傭兵による命懸けの追跡によって、ようやく連中の拠点を暴くことに成功した。もはやこれ以上、ヤツらの狼藉を座して耐える必要はなくなったということだ。」
「前置きは要らねェ!作戦をよこしやがれッ!」
どこかやつれている気がするレオノルドの怒号に、カルヴィトゥーレはかぶりを振る。
「ああ、そうだね。では作戦を伝える。」
一拍、二拍と息を入れてから、カルヴィトゥーレは喉を一層大きく開いた。
「我々『鉄の鎖』は、選抜した実力者による『紅い疾風』一味の掃討作戦を決行する。暴いた拠点の場所は三か所。ハヤトくんとレイバルには、それぞれ傭兵隊を率いて二か所を潰してもらう。」
ハヤトとレイバル。二人が選び抜いた傭兵を率いて、悪しき者共の巣窟を真正面から叩き潰す。大胆不敵で単純明快な作戦だ。
だが、残りの一か所は誰が請け負うのだろうか。レオノルドが自警団を率いるにせよ、ハアースの防衛力低下は避けられないが。
「もう一か所はどうするのよ。」
ルイスは我慢しきれなかったらしく、すぐに問いただす。
するとカルヴィトゥーレは不敵で怪しい笑みを口元に浮かべながら、窓の外を見遣った。
「そろそろ着く頃だろう。」
その時。下階から大きな歓声があがる。何事かと部屋の外に目を向けたハヤトたちは、勢いよく開け放たれた扉の先にいる人物に、目を丸くした。
「待たせたな!『鉄の鎖』のギルドマスター殿の招集により、只今参じた!」
全身を鈍く輝く鎖帷子と朱色の装飾布で覆われていて、背中には四角形の盾を背負い。左腰には武骨な作りながら、鍔に小さくて可憐な果実が装飾されている長身剣を携えた、タッパが高く肩幅の広い若い女が、ガハガハと口を開けて笑っていた。
「レオノルド師!お変わりありませんか!」
「ったりめェだろ!テメェの色惚け親父こそ、まだ死んだって聞かねェな!」
「当然!我が父ながら、今頃は『おきに』の女を寝床に連れ込んでいるでしょう!」
「ダッハッハッハ!そりゃあいい!生涯現役もお伽噺じゃねェみてェだな!」
金属鎧の女騎士はレオノルドと肩を組みながら、ガハガハと笑う。なんというか、レオノルドが二人に増えたような感覚である。
そんな二人の団らんを傍から見ていたカルヴィトゥーレは、「こほん。」とわざとらしく咳払いをする。
「イスタキア。キミを知らない人もいるんだ、早く名乗ったらどうだい。」
カルヴィトゥーレにイスタキアと呼ばれた金属鎧の女は、「おお失礼!」とその場に居直って、板金の小手に包まれた拳で胸当てを力強く叩いた。
「私こそ、フラガライア辺境伯が娘にして嫡子。名をイスタキア・フラ・フラガライアという。以後よろしくッ!」
フラガライア辺境伯はこの都市ハアースを擁する、フラガライア辺境伯領の領主。この金属鎧の女はその娘にして、後継者である。要するに、貴族の女騎士だ。
「イスタキアって『剣の乙女《the Sword Maiden》のイスタキア』よね?!本物なの?!」
「おおっ。確かに巷にはそのように私を呼ぶ者が多いと聞いたぞ。」
ルイスが黄金色の瞳を輝かせているのだから、この人物はただの「フラガライア辺境伯の後継者」というわけではなさそうだ。それに、レオノルドを師と呼んでいたことからして、自分の姉弟子に当たる人物でもあるらしい。
ハヤトは立派な金属鎧を纏ったその女に、無邪気にも熱い視線を向けてしまう。豪胆無比な女騎士なんて、まさしく中世ヨーロッパ風ファンタジーなキャラクターではないか、と。
イスタキアも一際高温の熱視線に気がついたようで、ハヤトの黒い髪と黒い瞳をじっと眺めている。
「黒い髪のキミは、ギルドマスター殿の手紙にあったハヤトくんか。」
「え、あ、はいっ。ハヤト・エンドウです!お初にお目にかかります!」
「ハハハッ!歳のわりに礼儀正しいのも本当のようだな!」
ブロンドの髪の優男は、自分についてどこまで書いたのか、とハヤトは不信感を募らせる。
「んで、もう一か所は『剣の乙女』サマが率いるっつうわけか。」
レイバルが訊ねると、カルヴィトゥーレは力強い頷きで返す。
「彼女には辺境伯の私兵軍から騎士をいくらか連れてきてもらっている。だろう?」
「ああ!手元の数は十四騎!今日中にあと五十騎来る!」
「ではそこに自警団の兵も加えよう。レオン、人員は整っているかい。」
「もちろんだッ!イキのいい連中に、いつでも発てるように用意させてる!」
ブロンドの髪を揺らして「よし。」と頷くカルヴィトゥーレは、全員に向き直る。
「ハヤト隊、レイバル隊、イスタキア隊の三部隊で、『紅い疾風』一味を徹底的にすり潰す。明日の朝に出発だ!わかったか!」
「「おうッ!!」」
広くはない執務室に傭兵と、自警団と、貴族の女騎士の呼応が轟く。
「それから『紅い疾風のリオン』は、絶対に生け捕りにするように!金貨三枚の賞金首であり、極悪人であるその者には、生きて己の罪を償わせなければならない!『死』が救済となるような、徹底した罰を与える!」
ボウガンと「風の加護」と思しき力を使う、赤毛の女盗賊……「紅い疾風のリオン」。
ハヤトは胸の奥に逸る思いが、脈々と高まっていくのを感じていた。