30:農村防衛戦
集会場は鈍重な空気に満たされている。
小麦粉の袋を倉庫に納めてから、三日目。傭兵たちは常に鎧と武器を身につけながら、静かに「その時」を待っている。
一人の傭兵が長い欠伸を終えた時。彼らが待っていた「その時」が、来た。
外で打ち鳴らされる鐘の音。村人が一斉に押し寄せるけたたましい足音。
「行くぞッ!!」
「「おうッ!」」
真っ先に立ち上がった黒い髪の少年の掛け声に続き、傭兵たちは集会場から飛び出した。
村の東。茶色い畑の向こうで、蠢く人の影。
刃先ぎらつく武器を手に村の貯蔵庫へ迫る悪しき者共へ、傭兵たちは盾と得物を掲げて立ち向かった。
「中んへぇ!早よう!」
村人の中でも一際立派な体格の男が手を振って、焦り走る村人たちを導きながら集会場に駆け込んでいく。
「オレらん村、預けたぞッ!」
「ああ!預かった!」
すれ違い際に合わさる、拳と拳。
傭兵と村人。
守る者と守られる者。
二人はどちらも、同じところを見ている。
「盾を上げろーッ!」
ハヤトの号令に応え、盾を持つ傭兵たちは横一列に並んで盾の壁を作る。
「弓持ちは左後ろで待て!投げ物持ちは二列目で待機!」
三十七人の傭兵たちは、黒い髪の傭兵の声に従って、己の役目を果たすべく隊列を組む。
貯蔵庫の物資を求めて駆ける盗賊たち。貯蔵庫と集会場を背に負う傭兵たち。双方の距離が二百、百と狭まっていく。
そうしてとうとう矢を真っ直ぐに飛ばせるくらいの距離になった時、再び黒い髪の傭兵の号令が響いた。
「攻撃ーッ!」
「「おおーッ!」」
その合図の直後、後列にいた傭兵が投げた斧や投げ槍が盗賊たちに降り注ぐ。向かって左側からは鋭い鏃が首元や胴に差し向けられ、革や銅で縁取られた盾で防げなかった間抜けから、地面に伏せていく。
既に勢いが崩れつつあった、盗賊の一団。そこに盾を持った傭兵たちによる渾身の「体当たり」が炸裂した。
「のわッ?!」
「だ、だめだぁっ?!押し切られるっ!!」
「殺せ殺せぇッ!!」
「こんのくそッ!家で嫁が待ってんだ!」
「左だ!通すなッ!」
「なんでこんなに強い傭兵がいるんだぁ?!」
「行けッ!押し切れ!」
「カネと酒を得たオレは無敵だあ!」
盗賊と傭兵の運命が、盾と金属を境に交錯する。しかし赤い液体と四肢を撒き散らすのは、いつだって盗賊ばかりだ。
「はッ!」
「ぎゃあ!」
最右翼に陣取った黒い髪の傭兵は右足で一歩、また一歩と踏み込みながら、盾の壁の横へ回り込もうとした間抜けを狩り尽くしていく。鋭い短身剣の振り下ろしは盾で上へ押し上げ、その後ろから飛んできた槍の穂先は斧の刃の出っ張りで絡めとってへし折る。
左足の前蹴りは短身剣を持った盗賊の右脛を直撃し、うずくまった盗賊の顔面に盾の鉄の縁が叩きつけられる。のけ反って倒れ込んだ盗賊の腹部を左足で力いっぱいに踏みつけながら、その勢いで槍だったモノを握ったままの盗賊の懐に飛び込んだ。
「ひえッ?!」
思考が追いついた時には、既に遅く。仄暗い黒に染まった瞳に囚われた盗賊は、右下から振り上げた斧の刃で顎と鼻を両断される。そして返す刃で喉を掻き切られ、自身の血に溺れていく。
「お前もだ。」
「やっ、やめてくれぇ!」
足元に転がっていた盗賊は、哀れにも命乞いを試みる。しかし黒い髪の傭兵に顔面を斧で叩き割られ、斧を生やしたまま息絶えた。
盗賊の手から短身剣を奪うと、近くで別の傭兵と戦っていた盗賊の脛、脇腹と刃先で突き、動きが鈍ったところを傭兵が長身剣で叩き切って仕留める。
その時。黒い瞳は右奥から自身の眼前へ飛んでくる矢を捉えた。
だが盾を掲げる猶予はない。それを瞬時に悟った黒い髪の傭兵は、上体を後ろに反らしながら左へ捻った。
鉄帽の縁を掠める黒い鏃は隊列の背後へ飛んでいき、集会場の壁に立つ。
矢を放った犯人は盗賊の集団から離れた、畑の中にいる。
手は届かない。味方の弓持ちは左に置いてしまった。
では、どうするか。
黒い髪の傭兵は盗賊の顔面に生えていた斧を左手で引き抜くと、全力で振りかぶる。
「おおおおッッ!!」
左肩の上を通り、手から離れる紅の斧。それは鈍い音を立てながら宙を回ると、再び弓に矢を番えようとしていた盗賊の弓と左手を引き裂きながら、胸を打ち刺した。
「う、あが……ああぁッ?!」
崩れ落ちる盗賊を横目に、短身剣を振るって盗賊たちの命を横から刈り取っていく黒い髪の傭兵。
最後の盗賊の命が尽きたその瞬間まで、若獅子の雄叫びが戦場に響き続けた。
目ぼしい持ち物を根こそぎ剥ぎ取られた盗賊たちの亡骸を、傭兵たちが村の外の廃棄物置き場に運び出す姿を眺めながら、ハヤトは男たちの血と汗に染まった集会場前に立っていた。
半ばで折れた矢から鏃を回収する、弓持ちの傭兵。落ちている武器を拾い集める村人。彼らもまた、己の役目を果たし、生き残ったのだ。
それから、自分も。
勢いと成り行きに乗っかって、ハヤトは手ずから傭兵たちを動かした。村に踏み込んだ盗賊二十四人を全て仕留め、傭兵の負傷者七名で戦いを終わらせてみせたが、これは「良い」結果なのか、そうでないのか。
「お前の指揮、なかなかよかったぜ。」
「ああ。弓持ちを散らさずに左に纏めるってのも、けっこう効いてたしなあ。」
と、共に命を危険に晒した傭兵たちは、戦いが終わってから声をかけてくれていた。
だが、その一方で。
「うああああっ……かあやぁ……。」
「ううっ……すまねぇ……。」
一人だ。
たった一人だが、村人に犠牲が出た。
まだ若い女が一人。小さな男の子と夫に囲まれながら、ついさっき息を引き取った。
原因は家財を持って集会場に逃げようとして、足元がおろそかになったせいで逃げ遅れて戦闘に巻き込まれたこと。それから、盗賊が放った粗末な矢が後ろへ流れ、不運にも背中を深く貫いたこと。
彼女が持ち出そうとした家財は守られた。しかし、命は戻ってこない。
彼ら家族に以前の平穏が戻ってくることも、決してない。
「こんがお前さんら信じとらねかっち、死んぢぃやあ。お前さんらぁ悪かねぇやね。」
老齢の男はハヤトの肩を優しく擦る。
泣き喘ぐ二人と、静かに横たわる一人。丸くなっている小さな背中と大きな背中を見下ろす黒い瞳には、まだ光は戻っていない。
自身の命を危険に晒して、他者の命と財産を守る。それが傭兵という生き物。
命を危険に晒した者たちは皆が生き残り、守られるはずだった一つの命が地へ還る。
これは「良い」結果なのか、そうでないのか。仄暗い黒に染まった瞳はまだ、「答え」を見つけられないでいた。
その日の夜。村では盛大な宴が行われていた。
傭兵たちが持ってきた食料に加え、都市に持っていくはずだった小麦粉と今朝採れた鶏卵で作ったミートパイ、樽いっぱいに仕込んである蜂蜜酒。貯蔵庫の奥で熟成されていた豚肉のステーキ。香草と一緒に蒸し焼いた魚の山。長机の上に並んでいる料理の全てが、しがない農村の住民にとっては最高のごちそうである。
村人と傭兵は長机の上にあるごちそうたちを好き勝手に貪りながら、蜂蜜酒を片手に輪になって踊ったり、肩を組んで歌ったりしている。
村に戻った、平穏な喧騒。ハヤトはそこから少し離れた所に陣取って、木の皿に盛った料理たちを口に運んでいた。
ふと視線を上げると、長机のずっと向こうで木組みの杯を握ったまま、嗚咽している男がいた。戦いで巻き込まれて死んだあの村人の夫である。彼の周りには親しいらしい村人たちがいて、肩を叩いたり背中を擦ったりしながら、彼の前に食事を差し出している。
そして小さな男の子は、涙と汗をこぼす父の近くで、肉やパイを頬張っている。その目尻に大粒の涙を溜めながら。
生き、残された人たち。
その中には、自分たち傭兵もいる。
残された者がどうするかは、当人が決める事。
先に還ってしまった愛する人のために、ただただ涙を流すか。それとも前へ進むため、今この時を存分に使い潰すか。
__もし俺が、「残す側」になったら……。
クリオ。ロイやルーク。大きな瞳の召使い。カルヴィトゥーレ、レオノルド。ルイス。それから、ホノカ。
出会って。関わって。運命を交わしてきた人たちの顔が一つ、また一つと浮かんでくる。
この人たちは、自分のために泣いてくれるだろうか。
「いや、ダメだ。」
元気に飯を喰らって生きている今から、自分が死んだ後の事を考えてどうするか。死ななければいい。生き残り続ければいい。それだけだ。
そして死なずに生き続けるために、まずはこの飯を平らげて精力を養わなくては。
「ハヤトくん。」
蜂蜜酒か、大きな焚火に照らされてか。少し赤くなった頬を緩めているネイが、ハヤトの隣にたおやかに腰かける。
「聞いちゃあ。ハヤトくん、大活躍しちぃて。」
「まあ、全力を尽くしたよ。」
真っ直ぐな賞賛を受け慣れていなかったハヤトは、気恥ずかしさから少しぶっきらぼうに答えてしまう。
するとネイは朱色の唇で緩い弧を描き、「ふふ。」と笑む。華奢な肩の先で、少年の厚い肩の先に少しだけ触れながら。
「ずっと、ここんいりゃあやか。」
耳元に囁くような、少女の声。
ハヤトが振りむくと、後ろから焚火に照らされる「女」の顔があった。
鼓動がうるさい。喧騒が静まる。
村人と傭兵の笑い声が、消えていく。
『やっぱり。あんたって女に押されたら、すーぐ受け入れちゃいそうだもん。』
その時。ハヤトの脳裏で黄金色の瞳の残像が閃いた__
「ごめんっ!」
「ハヤトくん……。」
突然頭を下げたハヤトに、ネイは目を丸くする。
「俺のことが好きって思ってくれるヒトがいて、その子のことを俺も、大切にしたくて……近くに、居たくて……だから……。」
後ろめたいわけではない。むしろ一瞬でも押し切られかけたことが、どこかで命を懸けて戦っている黄金色の髪の少女に対して、申し訳ない。だからこそ、ここでハッキリと言葉にしなければいけない。
その一心で喉を震わせたハヤトに、ネイはまた朱色の唇で緩い弧を描いて、「ふふ。」と微笑みかけた。
華奢な肩の先で、冷たい夜風に触れながら。
「ハヤトくんは、誠実んやね。」
謝る必要があるのか、ハヤトはよくわからなかった。ただ、「ごめん。」という言葉が口の端から、ぽろりと零れ落ちていく。
「んがや、せってこれ……。」
と言いながら、ネイはエプロンのポケットから銀色に輝く指輪を取り出した。しがない農村のしがない村娘の持ち物にしては、高価そうな物だ。
「私らん村、守っちくりゃお礼。母の形見やね。」
「か、形見なんて大事なもの、貰えないって!」
自分は既に十分な報酬を受け取っている。依頼主から感謝の礼の品を貰うことはあることはあるだろうが、それにしても亡き母親の品を、受け取るわけにはいかない。
「それはネイが大切にするべきだよ。キミが着けてる方が、お母さんも喜ぶだろうし。」
「んが、けんど……。」
茶色い瞳は納得できないのを訴えかけるように潤んでいる。
ならば、とハヤトはネイの手から指輪を拾い上げると、ネイの右手を取った。
「じゃあ、俺はこれを貰う。で、ネイにあげる。」
「ハヤトくん……。」
右手の薬指に銀色に輝く指輪を嵌めてやる。彼女の細いがあかぎれの目立つ薬指に、程よく嵌るサイズだった。親子は指の形まで似るのだろう。
黒い瞳が見上げると、ネイの頬は赤らんでいて、唇は艶やかな朱に色づいている。
「綺麗だよ。」
「へへへ、そなか……。」
ハヤトの左手が握る、ネイの右手。薬指で静かに輝く、銀の指輪。
しばらくの間。茶色い瞳は蕩けた目で、指輪を眺めていた。
「私ん目、おかしゃあなかんやぁ。」
ふと、ネイは隣にいても聞こえるかどうかの声で呟く。そして上半身をゆっくりと伸ばすと、ハヤトの頬を手繰り寄せた。
「私らん助けてくんち、ありぃとうね。」
触れ合う、頬と頬。
出会うはずのなかった二人の運命は、柔らかい熱を境に交差した。
「さ、そろろお兄ぃに構ってやらねぇとやぁ。」
ネイは木組みの杯を持って、丸太の長椅子から腰を離す。
「傭兵さんらの頑張りに!」
黄ばんだ歯を見せて、朗らかに笑うネイ。
「この村の平穏に。」
かつん、と鳴る二つの杯。
しがない農村の夜は、賑やかな平穏と共に更けていった。