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29:村人との交流②

 

 小さな農村で過ごし始めてから、三日が経った。


「なんだ、お前。今日も畑仕事の手伝いかよ。」

「はい。今日も手伝いです。」


 今日は収穫を終えた麦の脱穀をして、風車を動かして小麦粉に加工するところまでやってしまうと村長が言っていた。自分は脱穀した麦籾を風車へ運び、そこで挽いた小麦粉を集会場横の貯蔵庫に運ぶ役をすることになるだろう。

 そしてそれは、ただの「麦」が「小麦粉」という物資に変換されていく。つまり盗賊が襲撃してくる可能性が跳ね上がることを意味している。

 これからは、さらに警戒を強めなければならない。


「まあ、好きにすりゃいいさ。」

「はい。好きにします。」


 ハヤトはそれだけ言い残し、柄と鍔に布が巻かれた剣を左腰に携えて、明るい所へ出ていった。

 すっかり茶色が見えるようになった畑の真ん中で、がたがた、と心地の悪い音を響かせながら回る風車たちの下で、村人とハヤトはしっかりと目が詰まっている麻布の袋に大量の粉末を移している。

 真っ白、というわけではなく。たまに茶色い粉や麦の籾殻の破片らしき金色の粒が混じっている。農村の大して立派というわけではない風車では、これが限界なのだろう。


 しかし今日の半日だけでも麻布の袋が三十五袋は満杯になるくらいの麦を、風車たちは文句をけたたましく垂れ流しながらも挽いている。お前たちはよくやっている、とハヤトは内心で風車を励ましながら、麻袋を一息で担ぎ上げた。

 麦を挽く作業は半日ほどで終わった。とはいえ仕事を始めたのが朝と昼の間なので、終わる頃には夕陽が沈みかかっている。

 丸太の長椅子にじんわりと痛む腰を預けているハヤトは、井戸で汲んだばかりの水を革袋の水筒で飲みながら、橙色の夕陽に照らされている茶色い畑を眺めている。


「いんやあ、よくぅやっちくれてんやか。若い傭兵さん。」


 すると一緒に農作業をしていた村人の数人が、ハヤトの近くに腰かけた。


「まっさかあ、二十トン袋担いであーんなに早よう歩けっ人がおるとんで、思わんかったやね。」

「二十トン袋って?」

「んあ、知らんのかやぁ。お前さんが運んどった袋のこったやね。」


 トン、とはおそらく、この世界の重さの単位だろう。故郷で言う「二十トン」は二万キログラムだが、こちらの世界の「二十トン」は持った感覚からして、五キロの米袋と十キロの米袋の中間……だいたい七キロくらいだ。

 この世界の単位についてはまだカルヴィトゥ―レから教わっていなかった。距離だとか、重さだとかを伝える機会に出会わなかったから、そのことにも気がつかなかった。


「この畑の広さはどれくらいですか?」

「えぇえ?どんぐれぇだったやか。」


 首を傾げる村人の横で農具の土汚れを落としていた村人が口を開く。


「二アーマと、四だか五だかだったろう。」

「あー!たっしかこん前に村長(むらおさ)が言っとたやねー。」


 要するに二・四アーマか、二・五アーマらしい。

 アーマという単位の詳細は、生きて帰ってカルヴィトゥーレに訊けばいいだろう。ついでにその他の単位についても、改めて教わるべきだ。


「いんやあ、本当に。お前さんにはみーんな感謝しとっちやぁ。ありがとうなあ。」

「こちらこそ、お世話になってるので。」

「はははっ!こちゃ傭兵さんに世話されっぱなしぃやか!」


 ガハガハと笑いながら、ハヤトを囲む村人たち。彼らの朗らかで陽気な笑顔に絆されて、ハヤトもつい笑顔になってしまう。

 汗を垂らし、手間暇をかけ、ようやく実った麦を小麦粉にして糧に変える。そうして平穏に生きている彼の姿を見ていると、とても悪しき者共の手が迫っているようには見えない。

 しかし。畑仕事をしていた傍らに眺めていた森の奥に「何者か」が蠢く気配を、ハヤトは感じていた。

 この平穏を、乱そうと企む者がいるのなら。

 自分が。自分たち傭兵こそが、手ずから守らなければならない。

 農民たちの日々の努力と尊い犠牲によって生かされている、自分たちが。


「ハヤト、つうんはお前さんかや。」


 決意を新たにしていたハヤトのところに、老齢の男が杖を突きながら歩いてくる。


「ちぃと、話がある。」


 片方しか開いていない目には、若い傭兵の険しい表情が映っていた。




 老齢の男はハヤトを自身の家に招き入れた。

 男の家は村の長のものとは思えないほど質素で、平凡であり、そしてなによりも年季が入っていた。家には彼の妻である老齢の女と息子の嫁だけがいて、夕食の用意をしているところだった。


「あらぁ、よぉく手伝ってくれてる若い傭兵さんやなぁ?」

「はい。ハヤトっていいます。」

「ああ、どうも。この人の妻です。」


 皺の深い口元を緩める老齢の女と、背中で聞いていた息子の嫁に、老齢の男は声をかける。


「お前たち、ちと話をする。あまり聞き耳ん立てねぇやか。」

「んあ、わかったぁ。」

「わかりまっち。」


 二人は土間にある鍋窯に腹を向ける。


「話って?」

「んま、そこん座りぃ。」


 老齢の男に促されるまま、ハヤトは輪切りの丸太の椅子に座り、老齢の男はその対面にある椅子に座った。

 彼は後ろで夕食の用意をしている二人に気を遣りながら、皺枯れた声を小さくした。


「お前さん、ネイと仲良ぃしとってくれてんやか。」

「はい。おしゃべりしたり、ネイとお兄さんの家で裁縫を教えてもらったりしました。」


 ハヤトの答えを聞いた老齢の男は「ふむう。」と唸り、白い髭を二度、三度と揉む。

 そして老齢の男は、何か決心したようにまた「ふむう。」と唸ると、皺の深い口を重々しく開いた。


「あん子の(あにこ)は、お前さんに厳しゅう当たっちやな。そりゃ、わけんあんやね。」


 ずっと気になっていた。なぜ彼はあれほどの敵意を自分に向けているのか。

 そのいきさつを、この皺枯れた老人は全て知っていた。


「わけは、あん子らの死んだ父にある。傭兵をやっとっち、妻をよぅ愛し、子らをよぅ愛しち。いーい男やった。」


 傭兵だった?ネイと彼女の兄の父親が?

 予想していなかった情報に驚くハヤトを置いて、老齢の男はどこか遠くを見ながら「んが。」と続ける。


「あん子らの母……つまりあん男の妻が死ぃち、変わっちうた。酒はよう飲み、モノは蹴り壊し、あの子らにも当たった。そん上、まだ小さかっちネイにあん男は……。」


 妻を失って変わってしまったネイの父親が、幼かった彼女に「何」をしたのか。それは老齢の男の冷え切った表情と震える両手が、言葉で語らずとも示していた。


「みーんな知っとった。あん子の可哀そうな声ん、あん家から毎夜毎夜、朝まで漏れとった。いわゆぅ『公然の秘密』っつうもんやか。」


 老齢の男は手をがたがたと震わせて、眉をひどく寄せている。


「けんど、あん男が怖かち。傭兵んやって、手ぇ出しらい殺されっちゅうじゃねいかて、恐れいち。あん可哀そうな声を、毎夜毎夜聞きぃ、すまねぇすまねぇて言いながら寝て……。んが、なぁ。」


 片目しか開いていない目から大粒の涙を落としながらも、老齢の男は言葉を止めない。


「ガルスが一番(いっばん)辛かぃ、わかっちゅうて、儂らはなにもしねえかっち……。」


 ハヤトの頬に、雫が滴る。

 本人が一番痛くて、怖くて、辛かっただろう。優しかった父の狂気を一身に受けながら毎晩毎晩声を上げても、誰も助けてくれず。

 しかし、彼女の兄……ガルスもまた辛かったはず。

 妹が優しかった父の狂気を一身に受けているのを、同じ家にいながら知っていた。それなのにその自分ですら、毎晩毎晩、妹を助けられずにいたのだから。


「五年前。あん男が頭打って死んだ時、儂らはすーぐわかっち。ガルスがなにかし仕向けえこったんやねて。んがね、儂らは『事故』っつうて終わらしち。」


 老齢の男の背中を、老齢の女がそっと抱き寄せる。彼女も、彼も、その目には涙を浮かべている。


「そんぐれぇが、儂らがあん子らにでっちこて。」


 傭兵だった父が自身だけでなく、妹を深く傷つけていた。

 それこそが、ガルスがハヤトに……いや、「傭兵」そのものを嫌悪していた理由だった。

 最初から嫌われていて、当然だったのだ。

 むしろ彼の心中を推し量るに、恐るべき「父」という存在から解放されたはずの妹が傭兵である自分と親しくしている姿は、彼にとってはある意味で冒涜的な光景であったに違いない。

 そして同時に、思い出してしまうのだろう。

 目の前で傷つけられ、苦しむ妹を救えずにいた、自分の姿を。

 あの立派な体格も、ネイを守ろうとする強い思いも。きっと、その時の自分自身を否定するために彼が必死に作り上げたものなのだ。


「んな、ハヤトくん。」


 老齢の女が、皺の深い口を震わせながら、一言ひと言を紡いでいく。


「ネイちゃんと仲良ぃしとってくれやあ。ガルスくんのこと、嫌わんでやってくいやあ。」

「……はい。」


 小さな家に住む、冷たい「過去」を背負うきょうだい。彼らに対して、咎めることはできない「業」を背負う村人たち。

 彼らのために自分ができることとは何か。

 傭兵が、敵になってはいけない。彼らの「敵」は、彼らが掴んだ平穏をおびやかす悪しき者共に他ならない。

 ならば、自分がすべきことはただ一つ。


 __「傭兵」であることを、全うする。


 仄暗い黒に染まった瞳の奥に灯る煌々とした炎は、また一つ新しい薪を得て、満天の星空すらも燃やし尽くさんとしていた。




 三日後。ついに麦を挽く作業が終わった。

 がたがた、と心地の悪い音を響かせながら回っていた風車たちは静まり、村人たちは最後の麻袋を貯蔵庫に運び終えた。


「こんで『いつつ月』は食いもんには困んねえやかあ。」

「食わねえ分はハアースに持ちぃて、カネん変えてくんだあよ。」

「その時はぜひ、俺に護衛をさせてください。」

「だははっ!そりゃあいいな!村長(むらおさ)ぁも言っとくやあ!」


 冗談と期待を半分ずつ込めたハヤトも、冗談も期待もいっぱいにして返した村人たちも、額に浮かぶ汗をそのままにガハガハと笑う。

 ただ、そんなハヤトの瞳に光はない。

 朗らかに村人たちと会話をしている風を装って黒い瞳が森の奥を窺うと、「何者か」が木陰の暗がりへ消えていく気配が確かに感じ取れた。

 近い内、数日の間に来る。そう直感したハヤトはその日の夜、集会場に老齢の男や中年の男、そしてガルスも呼び、傭兵と共に輪になって話した。

 傭兵たちも村の男たちも、傭兵になって二か月と経っていない少年の言葉を、最初は信じていないようだった。


「……オレは、信じよう。」


 ただ、前金を食料にすることを提案したあの傭兵の男が、初めにそう切り出した。


「ハヤトは道中といい、前の戦いといい、かなり鼻が利く。ずっと畑仕事をしてたのも端っから様子見が目的だったんだろ?」


 それが全てではない。しかしそれもまた、一つだったのは確かだ。


「はい。村人に混じっていれば連中は警戒しないと思ったので。まあ、個人的な好奇心もありましたけど。」


 輪の中心で、ハヤトは足を組みなおす。


「おそらく既に、実働隊には伝わっていると思います。でもいつ来るかは……。」

「ま、そこまで見通してちゃ、いよいよもってお前が何者かわかんなくなっちまうぜ。」


 膝を擦りながら「まったくだな。」「犬ころより鼻が利く男になっちまう。」と他の傭兵たちが叩く軽口に、ハヤトは苦笑う。

 それから兄についてきたネイも、光無き黒い瞳を見つめている。


「ハヤトくんが、んだあ言うなら。きっとそうやか。」

「ネイ……。」


 茶色い瞳をきらきらと輝かせている妹の横顔を、兄は眉を寄せながら覗いている。


「ただ、ここで動くと盗賊たちに察知される可能性があります。なので普段通り過ごしてください。財産を隠したり、逃げたりもしないように。でも戦いになったら、対抗せず一目散に逃げるように。」

「んだと?!なんもせねで、盗人らが村のモン手ぇつけんの見てれぇいうやか?!」


 激昂するガルスを、仄暗い黒に染まった瞳が捉える。


「そうです。村の皆さんは絶対に戦わないでください。」

「んだできっか!オレも戦うやあッ!」


 彼は立派な体格をより大きく見せるように、立ち上がって厚い胸を張る。


「オレはネイん守るッ!オレら食わしてくった村長(むらおさ)ん守るッ!オレらん村守るためなら、オレだて__」


 その時。彼の体が強張った。

 まるで獰猛な獅子に睨みつけられた、哀れな子兎のように。

 黒いたてがみの若獅子の仄暗い黒に染まった瞳に囚われた獲物に、その視線から逃れる術はなかった。


「傭兵は、傭兵の仕事をするだけです。」


 黒い髪の少年はゆっくりと立ち上がり、自分よりもずっと背の高い男に迫る。

 分厚い筋肉で覆われた肩を優しく叩き、凍りついた足を解かしてやる。


「あなたは『守られる者』だ。」


 力なくへたり込むガルスの体を支えてやるネイは、少年の顔を見上げる。

 そこにはもう宴で朗らかに笑い、針仕事に精を出す優しい少年は、いなかった。


「連中が来たら、村人の皆さんをすぐに集会場に避難させてください。傭兵のみんなは集会場と貯蔵庫を背にしつつ、一人も傷つけさせず、麦籾の一粒すらも持ち去らせないように。そして……。」


 振り返る先に響く、悪しき者共の足音。その瞳に映るのは、立ち上る黒い煙に焼かれた哀れな村人たちの姿。悪しき者共に蹂躙され、手足を切り裂かれた哀れな村人たちの姿。

 両足手から先を失って、この腕の中で息絶えた女の子の微笑み。

 もう二度と、「現実」にしないために。


「誰一人として、生きて帰しはしない。」


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