28:村人との交流①
森の奥で光る、二つ揃いの眼。
それらは細い道の向こうへ往く武装した数人の一行を、薮の隙間から窺っている。手には粗末だが、よく手入れがされている弓が握られていた。
腰の後ろの矢筒から矢を二本取り、一本を番える。
みちり、と張る弦。薮の隙間の先にいる、こちらの存在など知るはずのない一団に、鈍い鏃と二つ揃いの眼が差し向けられる。
唾を飲む首筋に、迫る刃にも気がつかずに。
「そいつぁはぐれの斥候だな。助かったよ。」
「たまたま気がついただけですから。」
安堵と驚きが混じった表情で肩を叩く傭兵の男に微笑みかけながら、ハヤトの手は赤い粘液を拭った跡が残る幅広の刃の短剣を、盾をかけているベルトに括りつけられた鞘に納める。
「だが連中、まさか後ろにも控えてるとは思ってないだろうな。」
その言葉のとおり、男の後ろの遠い所で、一行とは別の十数人の集団が荷車を曳きながら同じ方向へ歩いている。まだ距離があり、視界の悪い森の中からではとても見えない。
「もっとも、弓使いの中には狩人だったヤツもいる。そいつらはオレらの痕跡を追いながら、自分の痕跡を消すのが上手い。」
「『さっきの』がその類じゃなくてよかったです。」
「ああ、まったくだ。」
傭兵の男は頷きながら、腰に下げていた革袋の水筒を仰ぐ。
ハヤトと傭兵の男、その他数人の一行の目的地は、ハアースの北にある小さな農村。そこはまだ盗賊の被害を受けておらず、しかし森の奥で「何者か」が蠢く気配があるのだと相談がされていた。
「盗賊は獲物を見つけたら物見を出す、って相場が決まってる。今すぐでなくとも、近い内に連中が来るはずだ。」
「その前に俺たちが入って、返り討ちにする。」
「ってこった。さすがオレらのギルドマスターだな。」
そう。これが、カルヴィトゥーレが打ち出した「考え」である。
カルヴィトゥーレは農民からの相談を、「既に被害を受けた」ものと「実害がまだない」ものに分けて、「実害がまだない」相談の内容を自ら精査した。
『一度襲った場所を再び襲う可能性は低い。警戒されているし、そもそも奪うべき物資がないからね。』とカルヴィトゥーレは判断し、被害を受けてしまった集落への対応は後回しにするとした。
その代わりに、まだ被害のない集落への対応に力を注ぐことになった。
当然、ギルド内外で反発があった。しかし奪われたモノが物資だけで人命は失われていないことが、反発を鎮める最大の要因になった。まさに「不幸中の幸い」だったようだ。
被害のない集落から集めた金銭とギルドの金庫から報酬を前払いし、傭兵を集落に向かわせて襲撃に備えさせる。端的にはこのような作戦であった。
「おい見ろ。のんきに収穫してやがるぜ。」
「まだ連中は来てないみたいだ。」
「よかった……。」
辿りついた農村では老若男女の村人たちが高い所にある太陽に照らされながら、鎌や籠を持って作物の収穫に勤しんでいる。後ろに控えている集団も順調に進んでいることを確認してから、ハヤトたちはこののどかな農村に近づいた。
「おうい!調子はどうだー?」
傭兵の男が声をかけると、村人たちは少し戸惑った表情を見せながらも、村の中心部に案内してくれる。
集会場と思しき三角屋根の長屋の中に通されると、そこでは中年や老齢の男たちが、輪になって話し合っているところだった。
「来たやか。」
男たちの中でも特に立派な体格をした男は、傭兵たちの姿を見た途端、怪訝そうな目を一人ひとりに向ける。
「話は聞いてるな。オレたちがこの村に出張ることになった__」
「村長。オレぇ反対しっつやな!」
「ガルス……。これぇ!まだ話ぃ終わっとらん!」
立派な体格の男はわざとらしく鼻を鳴らし、集会所から立ち去ろうとする。
「……チッ。」
ハヤトの横に立ち、皆が聞こえるくらいの音で舌打ちをしてから、男はわざと傭兵たちに肩を当てながら集会場を出ていった。
村長と呼ばれた老齢の男は、角張った耳を掻きながら眉を寄せている。
「それでぇ、あんたらがわしら村わ、守るって傭兵やか。」
「ああ。カネはもう受け取ってるから、あんたたちは普段通り仕事してりゃあいい。オレらもオレらの仕事だけやってるからよ。」
「あいわかった。よろしく頼む。」
老齢の男の隣にいた中年の男が、傭兵の男に手を差し出す。
「寝泊まりはここでしつくれやな。食いぃは……多かないが、用意しゅう。」
「あいや、それなら気にしなくていい。」
傭兵の男は集会場の前に荷車が止まったことを音で確認してから、老齢の男や中年の男に、端が不揃いな茶色い歯を見せるように笑った。
大きな焚火に照らされた村人と傭兵の笑い声が、月と星々で満たされた夜空に溶けていく。彼らが囲む長机の上には酒の樽、ホールのチーズ、干し葡萄といった食べ物が積み上げられていて、村人たちも傭兵たちも自由に手を出している。
「いやあ!前金全部食いモンにしちまうなんてとんだ間抜けだと思ったけど、こりゃあいいもんだなあ!」
「だーから言ったじゃねーか!畑ばっかでつまんねー村じゃ、食うくらいしかやることねぇってさ!」
ハヤトと一緒に村に入った傭兵たちも、名前も知らない村人と共に丸太の長椅子に座りながら、木組みの杯を持って大いにはしゃいでいる。
「保存食まで食べないでくださいね。」
「わーてるよぉ!ちゃんと分けておいてあるって!」
酔っ払った傭兵や村人が集会場に置いてある保存食にまで手を出してしまう。そんな光景が、ハヤトの頭の中にはありありと映っているから言っているのだが。
ハヤトは混沌の中心から少し離れた所に陣取って、仲間となった傭兵たちと、彼らと一緒になって酒と食べ物を食い散らかす村人たちを眺めながら食事を取っている。
木の皿に乗せたチーズ、村人が提供してくれた猪肉のロースト。パンと蜂蜜酒。それから干し葡萄を数粒。これが今日の晩餐である。
チーズとパンはハアースから持ち込んだ物で、よく食べ慣れている。昼に村の狩人が狩ったばかりの猪肉のローストは、野生を感じる臭みこそあるが、豚肉には無い濃い旨味があってチーズとよく合う。
蜂蜜酒は村で作られた物で、祝い事の時だけに飲むのだとか。蜂蜜と聞いて、てっきり甘ったるい酒かと思ったが、蜂蜜の匂いがアルコールと混ざり合っていて独特の癖となっている。好みが分かれそうな酒だ。冷えていれば、よかったかもしれない。
「なあ。隣ぃ、座っちよぉやか?」
「ん、どうぞ。」
ふと声をかけてきて、隣に座った村人の少女も杯いっぱいの蜂蜜酒と猪肉のロースト、パンを持っている。
「キミも傭兵さん?」
「はい。そうですよ。」
村人の少女はハヤトの顔や首筋、肩、胸周りをゆっくりと眺めていく。
「キミみていな傭兵さん、いんやね。」
「あんまり傭兵っぽくないですかね。」
ははは、と笑うハヤトに、村人の少女も「ふふっ。」と微笑み返す。
「キミは、やっさしそうだやね。」
「はは。よく言われます。」
村人の少女は茶色いもみあげを傷跡が目立つ指先で梳きながら、柔らかく笑む。
「ねえ、お名前は?」
「ハヤト。ハヤト・エンドウです。お姉さんは?」
「お姉さんなんつ呼ばなねぇでやぁ。そねに歳も違わんやか?」
彼女はそう言うが、オナー人は年齢に合わず大人びた雰囲気があるので、年齢を推し量りにくい。ルイスのような可愛い少女ではなく、村人の少女は美人で柔らかい雰囲気なのでなおさらだ。
「私ぁラルカ村の__」
と、村人の少女が名乗ろうとした。その時だった。
「オレん妹けぇ離れろーッ!!」
怒りに任せた叫び声。それを聞く直前から光が失われていた黒い瞳は、鬼のような形相でこちらへ走ってくる一人の立派な体格の男を捉えていた。
拳を振り上げながら向かってくる男は、そのままハヤトの顔面を殴り飛ばしにかかる。しかしその力強い拳は鼻先を掠め、逆に肘でみぞおちを打ち突かれた。
「ア……ダぁッ?!」
胴に穴が開いたかのような激痛に襲われた男は、その大きな背中を丸めてうずくまってしまう。
「お兄ぃ!」
「うぐぅ……。」
妹と呼ばれた村人の少女は、痛みに悶える男の背を擦る。しかしその表情は純粋な心配によるものではなく、怒りと憐れみが入り混じったような感情が乗っているように見えた。
「お兄ぃ!なにわけにいきって殴ろうとした?!」
「お、お前を……守ろうと……。」
「私けぇ声かけたやか!少し話しするくらい、いいやか?!」
「で、でもさぁ……。」
「いいかぁ!向こう行ってやぁ!」
妹に強く言われてしまった大柄の男は、渋々といった足取りでハヤトと村人の少女から離れていく。
だが時折振り返っては、恐ろしく鋭い目線をハヤトに送っていた。
「ごめんなぁ。怪我ぁないやか?」
「俺は大丈夫ですけど、お兄さんは……。」
反撃しただけとはいえ、みぞおちを肘で打った本人は申し訳なさそうに眉を寄せる。一方で村人の少女はまた、怒りと憐れみが入り混じったような表情を見せる。
「お兄ぃの自業自得やね。せっかく来てくれち傭兵さんに手ぇ上げたんやぁ。一回、二回くれぇ痛い目みりゃあいいんやね。」
ハヤトは、立派な体格の男の振り上げた拳と鬼のような顔を思い出す。
こんなに美人な妹が傭兵なんかと仲良くなってしまわないように、兄として心配するのは当然だろう。ただそれ以外にも理由があるような……初めに村に来た時、集会場で見せた反抗的な態度からしても、そう思った。
「お兄ぃ、ちょちぃ心配しいなんやぁ。だっけ気にぃせんでやぁ。」
「あ、はい。わかりました。」
村人の少女の茶色い瞳の奥で、時折見える影。
それとも、なにか関係しているのだろうか。
「名前言えんかったや!ラルカ村んネイやぁ。よろしくハヤトくん!」
「はい。しばらくお世話になります。」
「そん喋り方もやめちほしぃやか。」
「……うん。わかった。」
おおらかに笑うネイに釣られて、ハヤトも笑ってしまう。
「ねえ!傭兵さんのお仕事って、何ぃしやか?」
傭兵稼業は自身の命を危険に晒して、他者の命と財産を守ること。普通の村人が相手では、訊かれても楽しい話ができる自信はない。
「あんまり楽しい話はないんだけど。」
「私が知りてえん!教えて!」
茶色い瞳を輝かせているネイに押し切られてしまうように、ハヤトはこれまであったことを少しずつ話していく。時々、手元の食事を口に運びながら。
大きな焚火に照らされる小さな農村の夜は、少しずつ更けていった。
翌日の朝。傭兵たちはそれぞれの装備の手入れをしながら、集会場で待機している。
やたらに歩き回らないのは、村人の仕事を邪魔しないのも理由だが、盗賊を警戒させてしまうことを防ぐことが最大の理由である。
カルヴィトゥーレからは盗賊にわざと村を襲わせるが、村人や資源に被害を出さないようにしっかりと守りきるべしと指示されている。
襲われないのはいいことだが、それではいつまで経っても盗賊の勢力を削ることができない。そのため多少の被害が出るのは覚悟の上で、あえて盗賊との戦闘に持ち込んで確実に「数」を削るのが目的だ。あわよくば捕虜から情報を聞き出せるかもしれない。
だからこそ、傭兵たちは集会場に詰め、力を温存し、来るべき戦いに備えている。
ただ、一人だけ。村の中を動き回って、しかも村人の仕事を手伝っている傭兵がいた。
村人が刈った麦藁を担いで倉庫に運ぶ、頭に布を被った少年。布の端からは黒い髪と透明の雫が少しだけはみ出ている。左腰には柄や鍔に布が厚く巻かれた、短めの剣がぶら下がっている。
「ハヤトくん、そんなに運べんやぁ?!」
「これくらい大したことないよ。」
「さっすが傭兵さん!力持ちやね!」
紐で束ねられた大量の麦を右肩に負う少年は、畑に落ちた麦穂を拾っているネイに笑顔で手を振る。
麦を脱穀するための倉庫に麦藁を積み、また束ねておいてある麦を肩に負う。何往復と繰り返すうちに額や背中には汗が滲んでくるが、ペースはまったく落ちない。
同じ作業をしている男たちが皆、傭兵としてもやっていけそうなくらい腕や脚の筋肉がしっかりとしてるのに納得しながら、ハヤトはまた束ねられている麦のところに向かおうとして。突如、立派な体格の男に肩を押された。
「邪魔やぁ、傭兵。」
だがハヤトの鍛え上げられた足腰を負かすほどではない。それを悟った立派な体格の男はさらに力を加えてハヤトの肩を押そうとするも、華麗に避けられてしまう。
「……クソッ。傭兵ごときでぇ。」
恨めしそうな眼光には構うことなく、麦の束を担いでいくハヤト。
「お兄ぃ!いい加減にしぃ!」
「ね、ネイ……。だっけオレぇ!」
「ハヤトくんは私らん仕事、手伝ってくれてんやね?!なんに__」
背後から聞こえてくる、自分が原因のきょうだいの口論。だが自分が構ってしまっては、宥めようとしてくれているネイの面目が立たない。
ネイに感謝しつつ、ハヤトは太陽が頂点から落ちはじめる頃に終わるまで、ずっと畑仕事を手伝いつづけた。
農作業を終えた村人たちは、各々の家に戻って家族の仕事をする。ある家族は麦藁の編み紐で手提げの籠や帽子を作り。ある家族は家の裏手で育てている家畜に餌をやり。ある家は村の狩人が猟で使う罠を作る。
「ここを……こう?」
「そうそう。とっても上手!」
ネイと彼女の兄が暮らす家で、ネイに教えてもらいながら冬用の布のマントを縫っているハヤトは、中学校で受けた家庭科の授業以来の裁縫に苦戦しながらも、なんとか一着を作り終えた。
まあ、ハヤトがその一着を作り終えるまでの間に、ネイは三着作り終えてしまったが。
「ネイは村の人が着る服とか靴を作ってるんだよね。」
「んあ。小っさい頃けぇやってんち。女の子はみんなできゆうやね、みんな私にお願いしてくるの。」
「みんなから頼りにされてるんだね。」
「そんだと嬉しいなあー。へへへ。」
恥ずかしそうにはにかむネイの後ろでは、彼女の兄が農具の手入れをしながら常にこちらを睨んでいる。なまはげのような、恐ろしい顔で。
「んね、ハヤトくん。」
針仕事の続きをしていた時。ふとネイが、不思議そうに訊ねる。
「なにわけに私らん仕事、手伝ってくれてんやか?」
当然、不思議に思うだろう。ハヤトたちは傭兵として、事前に報酬を貰ってここに来ている。既にカネが入っているので、後はその時に備えて待っていればいいだけのはず。
もしかすると、「傭兵はカネで仕事をする」というイメージが強いのかもしれない。
それはそれで間違っていないが、ハヤトの思惑は違うところにある。
「都市の中で生活してるとさ、こういう村での生活っていうのは知る機会がないんだ。しばらく滞在することになったし、せっかくだから色々と手伝ってみたいなあって。」
中世ヨーロッパ風の異世界に住む村人の、リアルな生活。それを我が事のように経験したいという、純粋な好奇心。都会・現代育ち故の無知を無知のままにはしたくないという、純然たる知識欲。
「それにお世話になるんだから、ちょっとくらいは貢献したいんだ。」
「ハヤトくん……!」
黙って座していられないのは、日本人気質というやつなのだろうか。だが、悪いことではないはず。そう思っただけではあったが、異世界の住民には馴染みのない感覚なのか。
ネイは感涙すら浮かべそうにしながら、ハヤトを思いっきり抱きしめた。
「偉い!ハヤトくんはとっても偉い!」
「ね、ネイさんッ?!」
「ネイッ?!」
ああ、ネイの兄の顔が人外のモノと化していく。
「やっぱぃハヤトくんは優しい人なんやね!」
「うーん。そう言ってもらえるのは嬉しいけど。」
ネイが親しく接してくれればくれるほど、ネイの兄は全身の筋肉を震わせ、眉を寄せ、口と目を歪ませる。
「ああ、お兄ぃんことは気にしゅうなぁ!私けぇちゃーんと言っておくんやか。」
「う、うん……。」
妹の影の濃い微笑みを前にした彼が、後で何を言われるのか。ハヤトは想像することすらできないほど、恐ろしくて仕方がなかった。