23:焼けた農村
「ほら、もう朝よ。早く起きなさい。」
「うう……お母さん……。」
「起きなさい。」
「はい。」
ルイスのツンツンとしたモーニングコールで目を覚ましたハヤトは、昨晩ルイスが確認した小川で顔を洗い、得物と鎧の具合を改めて、野営地を後にした。
傭兵の集団は土の街道をさらに東へ進んでいく。街道の側に拓かれた農村で井戸を借りながら休息し、また進んで野営。そうしてハアースを出て三日目の午後。彼らはようやく「タタイ」の近くに辿りついた。
「もうすぐタタイだ。だが気を抜くのは早ぇからな!」
一晩過ごして野営地を出たところから、集団の雰囲気は張り詰めていた。タタイ周辺に潜む盗賊が、目の前に現れる可能性もあるからだ。
「おい。あれ見ろ。」
その中の一人が、遠くに立つ煙を見つける。
パンやゴミでも焼いているのか……多くの傭兵は、そうは思っていないようだった。
「……お前らッ!急ぐぞッ!」
レイバルの号令に従って、傭兵たちは荷物を背負いなおして走り出す。ハヤトもルイスの背中を追うように走った。
「クソッ!先手を取られたかッ!」
そこは既に、戦場と化していた。
黒い煙が燃え上がる家屋から立ち上り、周囲では逃げ惑う女や子どもを矢が貫く。全身が赤く染まった亡骸。顔が潰された亡骸。辛うじて男であることは判別できる亡骸。手足を失った小さな亡骸。手足を縄で縛られた女の亡骸。首が畑の中に転がっている亡骸。
そして鋤や鍬を振りかぶる男たちと剣や弓で武装した男たちが、村の中央の広まった所で今まさに激突している。
「ぎゃああああッ!!」
「やめてッ!来ないでぇっ!」
「お前らッ!走れぇーッ!」
「「おうッ!」」
傭兵たちは背負っていた荷物をかなぐり捨て、一斉に声を上げて駆ける。
整然とはしていない。装備も統一されていない。
しかし彼らは間違いなく、「傭兵」である。己の命を危険に晒し、他者の命と財産を守る「傭兵」である。
その中には黄金色の髪の少女と、黒い髪の少年もいる。
「ハヤト!」
「ああ!」
ルイスは細身の剣を一息に抜き放つ。中央に細い溝が刻まれた剣の刃は灰色に輝き、ルイスの黄金色の瞳と共に血肉を求める。
ハヤトは腰の斧を手に取り、背中の盾を左手に構える。幅広の刃は獲物を求める飢えた獣の瞳のようにぎらつき、鉄で縁取られた木張りの丸盾はハヤトの体を隠す壁となる。
彼らの前には鋤や鍬を振りかぶり、女や子どもを守らんとする男たちの背中が並び、剣や弓で武装した男たちに必死の抵抗を見せている。
その男たちの壁に、傭兵たちは躊躇なく突撃する。
「お前らッ!どけーーッ!!」
誰の声かもわからない叫び声に驚いて振り向いた男たちは、状況を理解したのか、はたまた本能的に直感したのかはわからないが、一斉に左右へ飛び退いた。
さあ、ここからは「オレたち」の出番だ。
「な、なんだお前ら__」
「ふんッ!」
剣を握っていた男の胸元を、ぎらつく槍の穂先が貫いた。
「おらああッ!!」
「クソぉッ!こいつら傭兵かッ?!」
「女のケツ追ってるヤツらを呼び戻せ!!押し切られるぞ!!」
「全員オレ様が突き殺してやるッ!!」
「ルイス!右に弓兵だ!」
「わかった!」
「絶対にオレは死なねぇ!帰ったら結婚すんだよッ!!」
「ギャハハハッ!オレのカネと酒になれッ!!」
「畜生畜生ッ!んなとこで死んでたまっかッ?!」
「このまますり潰せーッ!!」
傭兵と武装した男たちの声と血が弾け、飛び、交差し、混濁する。
腕が宙を舞い、血しぶきを顔面に浴び、喉の奥から断末魔を吐き出しながら、男たちの命と命が金属を境に交錯する。
「い、いやだッ!死にたくねぇッ!」
「いいや!お前はここで死ぬんだよッ!!」
仄暗い黒に染まった双眸が、切り裂かれた喉元から噴き出す血潮を見下ろす。手元はどろりとした赤い粘液が滴り、斧の刃は赤く染まっている。
直後。黒い瞳が左から飛んで来る一矢を捉え、盾で受け止めた。
かつん、という軽い音を鳴らした盾を振り下ろして、斧を振りかぶっていた男の顔面を叩き、右手の斧で太もも、脇腹と切り裂いて地に伏せさせ、頭蓋骨に刃を食い込ませる。
斧の柄が粘液で滑って力が入らず、引き抜けない。しかし一度だけそれを確認すると、すぐに男の手が握ったままだった斧を奪い取った。
刃はところどころが欠けていて、みすぼらしい。だが、十分だ。
目の前にいる剣を持った男に目を向けながら、すれ違いざまに別の男の頬を撫で斬り、さらにもう一人の男の脇腹に盾の縁を叩きつけた後、獲物の男の顔に斧の刃先を突き立てた。
井戸から汲んだ水で焼け焦げた家屋の奥に燻る火を消し止める作業は、太陽がずいぶん低い所まで落ちた時間まで続いた。
血糊が残っている鎧を着たまま、傭兵たちはせっせと瓦礫を片付け、下敷きになっている者がいないか探している。
「……おい!こっちに来てくれ!」
また一つ、黒く焦げたヒトだったモノが見つかった。これで七つ目だった。
それから辺りに転がっている遺体が、平穏だった村を襲った連中のものなのか、それとも平穏を奪われた無力な村人のものなのかを区別する作業をする傭兵もいる。その中に、黄金色の髪の少女と黒い髪の少年はいた。
咽かえるような生の血の匂いで、鼻はとっくに麻痺している。
うつ伏せになっていた小柄な亡骸をひっくり返すと、悲痛の表情のままで息絶えた少年の亡骸だった。ハヤトは心の中で手を合わせながら、手を腹の上に置き、瞼を閉じる。
「あ、ああ……クーリ……。」
すぐ近くをおぼつかない足取りで彷徨っていた細身の女が、少年の亡骸に駆け寄る。
絞り出すような声で咽ぶ女は何度も、何度も、「クーリ」と呼びかけながら、もう二度と動くことのない少年の手を頬に当てて、ただただ項垂れていた。
衣をずたずたに引き裂かれ、丸めた背から矢を生やす少女の亡骸。子どもを抱えてしゃがみこむ女。女と子どもに覆いかぶさるようにする男。そして、三人の腹や頭から滴る血潮。
ふと、麦畑の方から音が聞こえる。
敵が隠れていたのかと斧を構えて振り返ると、そこには小さな手で畑から這い出ようともがく、小さな女の子の姿があった。
ハヤトは急いで駆け寄り、体を抱き上げて畑から出してやる。
「もう大丈__」
しかし。女の子の両足首から先は、どこにもなかった。
ぼんやりと濁った、焦点の合わない目で黒い瞳を覗き込む女の子は、か細い息を漏らす。
「あり……が、と……。」
そこまで言って。女の子の体重が、ハヤトの腕にのしかかった。
「……おやすみ。」
ハヤトは女の子の頭をゆっくりと撫でながら、小さな体を優しく抱きしめた。
「村人は二十七人死亡、五人負傷……。オレたちの方は九人負傷で、始末できた盗賊は合わせて二十三人か。」
「なんとか一人だけ捕まえて、生きたまま縛り上げてある。」
「さっさとアジトを吐かせよう。んでもって、アジトごとこの世から消し去る。」
「うっし。詰めるのに使えるもんでも探してくっかね。」
レイバルとキスクが話している間も、ハヤトたちは亡骸を分けて村の外側に運び出している。討伐目標の盗賊であると断定された連中の亡骸は、村の外に掘られている廃棄物捨て場にまとめて投げ捨て、村人の亡骸は村の外れにある教会の墓地に埋葬される。
小さな墓穴の中に置かれた、両足首から先を失った女の子の体が土に覆われていく。
「大丈夫?」
スコップで掘り返した土を戻していくハヤトの横で、教会詰めの聖職者と共に最後の検分をしていたルイスは、おもむろに立ち上がってハヤトの肩に手を置いた。
「うん。大丈夫。」
そういう少年の瞳にはまだ、光は戻っていない。
スコップを動かす手は止めない。まだあと十人分近く、この作業をしなければならないのだ。休んでいる暇は無い。
太陽が、もうすぐ沈む。
「ハヤトは、何人仕留めた?」
ルイスが問う。
確実に息の根を止められたのは、五人。それから一撃入れられたのは、三人。
淡々と、落ち着いた声でハヤトが答えると、ルイスは穏やかに微笑みかけた。
「ならあんたは少なくとも十人の命は守ったってことね。」
どういう意味か、ハヤトはすぐには理解できなかった。
「どういうこと。」
「あんたが五人仕留めたから、傭兵五人がそいつらと戦わずに済んだ。そしてその五人が襲うはずだった村人五人も襲われずに済んだ。だからあんたは、十人の命を守ったの。」
ああ、とハヤトは頷いた。
自分はこの鎧と、背中の盾と、それから三本は消費した斧を使って、それだけのことをやってみせたのだ。
それは、誇らしいことだ。
傭兵として。そして、戦士として。
「あんたは、思ってたよりは優男じゃなかったわね。」
「……それは、褒めてくれてるの?」
ルイスはちょっとだけ頬を赤くすると、ハヤトの頭を抱えるように優しく抱き寄せた。
「褒めてる。すっごくね。」
自分のそれとは違う黒い髪を撫でる、細い手。細い首筋から鼻に届く、汗の匂い。
ハヤトはしばらくの間、その感触と匂いに身を委ねていた。




