22:傭兵たちの歩み
現役で学生をやっているその時は気がつかないものだが、大人数でまとまって移動する機会は意外と貴重だと、ハヤトは背嚢を背負いながら思う。
太陽がそれなりに昇った頃。ハアースに入る前にくぐった門の手前で、四十人くらいの鎧を着た男たちが雑然と集まっていて、得物や鎧の具合を確かめたり、矢筒に入っている矢を数えたりしながら、出発を待っていた。
「そろそろ出るぞ!今いねぇやつは置いていく!」
雑然とした返事の後、集団は門から都市を出る。
予定では二日と半日かけて「タタイ」という農村に移動して、そこで一泊。四日目から盗賊探しと討伐を開始するという話だった。
タタイへ続く土の街道を徒歩で進んでいる傭兵たちは、背負っている荷物も雑然としている。肩紐が二本ついている作りがしっかりした背嚢もあれば、肩にかけるだけの肩紐がついた背嚢もある。
また、丸めた寝袋を背嚢に括りつけている傭兵がいる一方で、数人がかりで天幕を広げるための資材を担いでいる者もいた。
ハヤトはと言えば、カルヴィトゥーレに勧められた雑貨屋で買った二本の肩紐がついている布の背嚢に、これまた雑貨屋で買った寝袋を二つ折りにして紐で括ってある。それから鉄のランタンも吊り下げてあって、背嚢の下にある木の丸盾に当たる度にかつん、かつんという軽い音を鳴らしている。
その右隣を歩いている鈍く輝く金属の鎧を着たルイスも似たような荷物を背負いながら、左手は腰に携えている細身の剣の柄頭に添えていた。
「斧にしたのね。」
ルイスはハヤトの右腰に付けられた輪に嵌っている斧に目を向けて、声をかけた。
「うん。これが一番しっくり来たから。」
「そう……。」
ルイスはどこか寂しそうにしているが、トリカブトの剣も相変わらず左腰にある。最近はこれがここにないと落ち着かなくなってきてすらいた。
「食べ物は何を用意した?」
特に話題もなかったが、興味本位で訊いてみる。
「干し肉とチーズ、平パンを九日分。あと干し葡萄も少しだけ。」
なんと、干し葡萄とは!
一昨日、自分がギルドの受付係の女に相談して手配してもらえたのは、干し肉、チーズ、平べったいパンを十日分だけだったのに。この格差は活躍している傭兵とそうでない傭兵という違いか、存在を知っているかそうでないかの違いか、はたまた男と女という違いか。
「あんたも干し葡萄、食べたい?」
ルイスはニヤニヤとしながら訊いてくる。羨ましがっていたのが顔に出ていたのが、どうやらルイスにも伝わってしまったらしい。
「いやいや、大丈夫。次はそれも用意しようかなって思っただけだから。」
限りのある物資を分けてもらうのは申し訳ない。そうして断ったつもりだったが、ルイスは「あそ。」とだけ言ってそっぽを向いてしまった。
なんとも、まあ。女心というのは読みにくいものである。
「ちょっとだけ、貰ってもいい?」
「……ふん。仕方ないわねっ。」
すぐにフォローすれば、ルイスの不機嫌そうな顔は本物にならない。ハヤトがハアースでの生活で学んだ、もう一つのことだ。
そうして小学生の遠足のような穏やかな雰囲気で歩きつづけてやってきた、最初の休息。
遠くでほとんど金色に変わった麦畑が揺れている、街道から少し逸れたところを流れる川で、小休止をとることになった。
川の水は清らかで冷たく、近くで洗濯や排尿をしている者はいない。飲料の確保先として使うに足る水源だろう。
「この川の水、そのまま飲める?」
「ええ。あたしも外に出る時は、よくこの川で水を汲むわよ。」
信頼できる経験者が語るのだから問題ないだろう。ハヤトは雑貨屋で用意した予備の水筒を、いっぱいになるまで川の水で満たす。
水で膨らんだ水筒の不思議な感触を楽しんでいるところをルイスに笑われていた。そんな時だった。
「熊だッ!」
ハヤトは水筒を置き、声が指した方向へ向く。
なんと、豊かな茶色い毛皮を生やした熊がこちらを見つめていた。
ざわつく傭兵たち。膠着する、熊とハヤト。
熊に見られている時は目線を外してはならないと、テレビで見たことがある。ハヤトはそれに従いつつ、右腰の斧を持ち、背中にある盾を手に取った。
静まり返る、川のほとり。
黒い瞳でしばらくハヤトを見つめていた熊は、四つ足を翻して森の中へ消えていった。
「何度見てもおっかねえぜ。」
誰かのそんな気の抜けた声で、ハヤトの黒い瞳に光が戻る。
「びっくりした。」
「そうは見えなかったけど?」
襷掛けしているベルトのフックに盾をかけて背中に回していると、ルイスは細身の剣から手を放しながら、ハヤトが地面に置いた水筒を拾って差し出す。
「完全に戦う気だったじゃない。熊相手に。」
「いやあ、襲ってくるかと思ってさ。」
ベルトの輪に斧を戻し、水筒を受け取ってベルトに括りつける。
「春じゃないんだから。この時期の熊は刺激しなければ大丈夫よ。」
「そっか。わかった。」
冬眠前の秋の熊は食べるのに忙しいのだろうか。いずれにせよ、また遭遇した時は刺激してしまわないように気をつけようと、ハヤトは胸に刻んだ。
休息を終えた傭兵たちは、再び歩きはじめる。途中で木材を運ぶ牛車や、数人の傭兵グループとすれ違いつつ、太陽が橙色になるまで歩みを止めずに進んでいく。
少なくとも二回は野営をすることはわかっていたが、野営地の設営だとか食事の用意だとかの手順はどうなのか。ハヤトはレイバルが決めた野営場所の北側で、背嚢を下ろして考えていた。
「よう、新人!」
「あ、キスクさん。どうも。」
そういう時にも、不思議と周りに誰かがいる。近くにあるという小川の確認に行ったルイスと入れ替わるように、どこからかキスクが現れて、ハヤトの隣に腰を下ろした。
「おいおいおいっ。最近、ルイスとイイ感じみてぇじゃねぇか。やるなぁ新人!」
「ちょっ、俺たちそんなんじゃないですよ!」
「おいおい男同士だろ?隠さなくたって、言いふらしたりしねぇって。」
「ホントに違いますって!」
レオノルドといい、カルヴィトゥーレといい、キスクといい。なぜ彼らは、さも自分とルイスが男女の関係にあるかのように茶化してくるのだろうかと、ハヤトは内心でため息をつく。いや、そういう雰囲気にしかけてしまったことがあったのは、否定しないが。
「ま、そうじゃなくってもよ。オレたちじゃあどうしても、ルイスとは、なんつーか……壁?みてぇなもんを越えられねぇんだよ。だからそういう意味でもよぉ、新人が来てくれてホントにありがてぇって思ってんだぜ。もちろんレイバルもそう思ってる。」
「……そうですか。」
確かにルイスは負けん気が強くてツンデレで、ちょっと扱いにくいところがあるかもしれない。でもそういう性格があの少女の魅力でもある。
彼女の良い所をもっとみんなに知ってもらって、たくさんの人と仲良くなってほしいという友人としての気持ち。
自分だけがルイスの可愛いところを理解して愛でていられるという、ある種の独占欲的な気持ち。
ハヤトの胸の中には確かに、両方があった。
ちょうどそういうタイミングで、枝の束を抱えたルイスが戻ってきた。
「あ、キックじゃない。ハヤトに用?」
「こいつはオレが勧誘したからな。ちゃんと面倒見てやんねーとな。」
「ふーん。」
黄金色に輝く目を細めてキスクを見下ろすルイスの表情は、陽が沈みかけていることも相まって、少し恐ろしく見える。
「じ、じゃあ、オレはあっちで休むからよ。なんかあったら呼べよな!」
「あ、はい。お疲れ様です。」
「おうっ!」
まばらな茶色い歯を見せながら去っていったキスクから、ルイスは早々に目を離した。
「あんなの放っといて、あたしたちも焚火を用意しましょ。」
「あっ、そうだね。」
ルイスは抱えていた枝を地面に円形に重ねていく。ハヤトは周囲から手頃な石を拾ってきて、重ねられた枝の周囲を囲むように並べた。
「火種はどうする?」
「あたしの鞄に火打石あるから。ちょっと取って。」
ハヤトが預かっていた背嚢を渡すと、ルイスはすぐに中から白っぽい小石と小さな鉄の板を取り出した。そして枝と一緒に持ってきた藁のような物を解し、繊維が見える状態にすると、近くで白っぽい小石と小さな鉄の板を打ち合わせた。
鉄の板から弾け飛んだ小さな火の粉は、藁のような物に付いて燃え上がる。ルイスは手で仰いで空気を送り、火の勢いが大きくなってきたのを見計らって、重ねた枝の奥に放り込む。
枝を薪に火は炎となり、ハヤトとルイスの顔を照らす焚火となった。
そして、それを作り上げたルイスの見事な手際に、ハヤトは小さく拍手を送った。
「すごいね、ルイス。すっごく手慣れてて。」
「こ、これくらい普通よっ。」
まあ、周りの傭兵も同じような手順で焚火を作っているのだから、言葉通り普通のことなのだろう。
しかしハヤトにとっては「普通」ではない手際の良さだ。それは間違いない。
「明日も早くから移動だし、さっさと食べて寝ましょ。」
ルイスは再び背嚢の中に手を入れ、平べったい包みと目が粗い布袋を取り出す。ハヤトも背嚢から布の包みと麻布の袋を出して、逆さに置いた鉄帽の中に広げた。
ルイスが平べったい包みを開くと、硬くて茶色い平べったいパンと、小さく切り分けられたチーズ、干し肉二切れが転がっていた。一方でハヤトの包みには平パンと干し肉が数個まとめてあって、半円のチーズがそのままの形で麻布の袋から転がり出てくる。
「そっか。そうやって一食分ずつ分けておけばいいんだ。」
「都市の外じゃ、食べ物は貴重だもの。食べる量はちゃんと考えないと。」
ルイスは干し肉を齧り、水筒から水分を口に含む。ハヤトも同じようにすると、硬くて少し臭みのある干し肉が柔らかくなって、なんとか噛み切れるくらいの硬さに戻っていく。
恐ろしく硬い平パンも、手で折るようにちぎってから水分と共に口に含めば、小麦本来の風味が前面に出ている、なんとか「食べ物」と認識できるくらいの物体になる。
それからチーズ。一口サイズにちぎって手頃な枝に刺し、焚火で炙ってから平パンに乗せる。とろりと溶けたチーズが味気ない平パンを、城で食べた食事にも劣らないくらいの美味へと変えてくれる。
この食事があと数日は続くことを思うと、傭兵仕事は本当に大変なのだと身に染みる。
しかし、どれだけ味気ない食事だとしても。一緒に食べる仲間が一人いてくれるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。食事は何を食べるかではなく、誰と食べるかが大切だとよく言うが、本当にその通りだ。
「……あんたって、変な時にそういう顔になるわよね。」
自分がどういう顔をしているかは知る由もないが、きっと感極まった表情をしているだろう。それだけルイスが隣にいてくれることに、ハヤトは心から感謝しているのだ。
「ありがとう、ルイス。いつも俺に構ってくれて。」
「きゅ、急になによ……ばか。」
焚火に照らされたルイスの頬が、赤に染まる。
「ん!口開けて!」
ルイスは背嚢から出していた布袋から黒い物体を一つ摘まみだすと、ハヤトの口元に押し付けるように差し出した。
少し酸っぱく、深みのある甘い香り。これが話に聞いた「干し葡萄」か!
「いただきます!」
「ひゃぅ……。」
かぶりついた勢いが余ってルイスの指に唇が触れてしまったが、ハヤトはそのことには一切気がつかないまま、干し葡萄をゆっくりと噛みしめる。
水分が抜けて皺枯れていた葡萄は一口、また一口と歯ですりつぶすほど、葡萄の芳醇な甘みと瑞々しい酸味が溢れ出てきて、干し肉の臭みや味気ない平パンのせいで減退していた食欲が刺激される。
ただのおやつかと思ったが、大味な保存食たちの中に干し葡萄が加わることで、食事としてのクオリティが大幅に加点される。全ての旅する傭兵の救世主と言っても過言ではない。
「ウマい!」
「……あそ。よかった、わね。」
なぜか頬が赤くなったままのルイスの手元にも、齧り取られた干し葡萄がある。あの頬もまた救世主が救世している最中なのだろう。
残っていた今回分の平パンと干し肉を平らげながら、ハヤトはルイスへの感謝をしっかりと伝え続けた。
傭兵たちが寝静まった頃。ハヤトは寝袋に包まっているルイスに代わって、火の番をしていた。
木々の隙間に目を向ければ、静かに輝く青白い月と、金剛石の粒のようにきらきらと光る星々が暗い夜空を満たしていて、見上げる自分の顔を照らしている。
まさに、満天の星空。これほどの輝きで満たされた夜空を、ハヤトはこの世界に来てから初めて、じっと見上げていた。
故郷にいたのではなかなか見られない、自然そのままの美しい景色。
焚火に照らされながら小さく寝息を立てる、黄金色の髪の少女の愛らしい寝顔。
武骨な斧と鎧を身につけた、自分。
「俺、異世界にいるんだなあ。」
あまりにも現実離れしすぎていて。あまりにも人々との距離が近くて。今の今まで、ハヤトの中では実感できていなかった、事実。
そしてこれから、さらに現実離れした場所に身を投じることになる、事実。
できないことを、できるようになる。
その、第一歩。
__生きている人間を、殺せるようになる。
この無力な手のひらで、斧と盾を握りしめて。命を刈りとる。言葉の通じない異形の怪物の命ではなく、言葉の通じる人間の命を。
肺から出る息が、震える。
だが恐怖だとか、気後れだとか。そういった後ろ向きの感情からではなかった。
輝きに満たされた夜空に照らされる、仄暗い黒に染まった双眸。
王の城で、大きな瞳の召使いに全てを預けた、あの日から。
「できないことを、できるようになる。」
ただその欲求だけが、この体を突き動かしている。