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19:先達と偉人

 その日の夜。ハヤトは酒場で開かれている宴会に行く前に、カルヴィトゥーレのところに顔を出していた。


「そうか。とうとうキミも戦場に立つんだね。」


 窓から差す月明りに背を預け、暗調の木の書斎机に腰かけながら、カルヴィトゥーレは青い瞳でハヤトの顔を見ている。


「はい。俺の初陣です。」

「この間、来たばかりだと思っていたが。そうか……。」


 カルヴィトゥーレはしばらく瞼を閉ざす。そうしてまた、青い瞳が少年を映す。


「では今日は、戦術の話でもしようか。」

「戦術……。」


 カルヴィトゥーレは右肘を左手で支えながら、指で宙をなぞる。


「戦術は大きく分けて、攻撃戦術、防御戦術、迂回戦術の三つがある。徒兵や騎馬兵にはそれぞれ向き不向きがあって、適した戦術を使い分けることが肝要となる。」


「例えば。」とカルヴィトゥーレは続ける。


「オナー人が好んで使うのは機動防御戦術だ。これが採られた代表的な戦いは、王国暦百五十六年の『ユロー高原撤退戦』だろう。追撃を受けたローゼイ大公軍を、初代ブローソム公爵のタルロ率いる殿(しんがり)が身を挺して守った、機動防御戦の理想形の一つと評される戦いだ。」


 カルヴィトゥーレは書斎机に文鎮と墨壷を並べていく。


「タルロは少数の弓兵と軽装歩兵から成る主力部隊を、敵に向かって右に配した。そして数が少なかった重装歩兵は左に置き、さらにその外側にも少数の軽装歩兵の部隊を配置した。」

「なんか偏ってますね。」

「そして、その偏りが重要だった。」


 カルヴィトゥーレの手が重装歩兵と少数の軽装歩兵に見立てた二つの文鎮を、敵軍に見立てた墨壷に近づける。


「タルロはまず重装歩兵と軽装歩兵を前進させ、敵の前衛だった軽装歩兵の左右後方に展開していた、弓兵部隊をおびやかす動きを見せたんだ。」

「先に仕掛けたってことですか。」

「ああ。戦いの主導権を握るには『先制攻撃』をすることが重要だとされている。この時もタルロは、大公軍を追撃しようと無理に前進していた敵に対して、先制攻撃を行った。」


 敵の前衛部隊の代わりである大きな墨壷が、向かってきた二つの文鎮の進路をふさぐ。


「敵の前衛部隊は弓兵の前に出た。そして手薄になった左側には、予備戦力の軽装歩兵部隊を出して、もう一方の弓兵を守る形になった。」


 しかしそこで、軽装歩兵に見立てた文鎮が大きく前進する。


「タルロは主力の部隊で、進出した予備戦力を攻撃した。それと同時に先に仕掛けた部隊を後退させることで、敵の前衛は後退する部隊に張り付く部隊と、前進してきた軽装歩兵部隊に対応する部隊に分かれてしまった。」


 大きな墨壷は小さな二つの墨壷となり、それぞれの標的に向かっていく。


「分かれちゃっていいんですか。」

「勢いでは(まさ)っているから、アリと言えばアリだろう。ただこの時の敵は、邪魔な殿軍(でんぐん)を押し潰して、いち早く手柄を挙げることに躍起になっていたはずだ。的確に対応した、というわけではなかったと私は考えている。」


 前衛の部隊が左右に広がった敵軍と、最初の陣形を保っているタルロ軍。二つの軍の様子を俯瞰していたハヤトに、カルヴィトゥーレは問いかけた。


「さて、ここで問題だ。この後、敵軍はどうなったと思う。」


 敵軍がどうなったのか。

 最終的な答えが「敗北した」であることはおおよその見当がつくが、それではせいぜい五十点だろう。重要なのは、「どのように敗れてしまったのか」だ。

 そこでふと、ハヤトは敵の左側の弓兵部隊が、敵の軽装歩兵の後ろにいるままであることに気がついた。


「この弓兵はもっと外側に行かないんですか。」

「ははっ。良い所に目を付けたね。」


 カルヴィトゥーレは満足げに頷くと、おもむろに棚から本を取り出して、戦場の左側に立てて置いた。


「実はここには、絶壁の崖と険しい斜面があったんだ。そのすぐ近くで戦っていたから、弓兵部隊は反対側に回らない限りは戦闘に参加できない状態になっていたというわけだね。」


 地形的な不利、というやつだろう。追撃することに躍起な敵軍を、崖際で迎え撃てたタルロ軍は幸運だった__


「いや……この地形のこの場所で戦うことを、想定してた?」

「そうであろうと、後にタルロの息子であるタルギスが語っている。」


 このように上から見て、手で摘まむように兵を動かせるわけではないというのに。タルロという人物は地形や兵士の機動力を全て把握した上で、自身が有利な戦場で迎え撃ったということになる。


「重装歩兵と戦ってる軽装歩兵は装備で不利。右側も、まとまって動いてるタルロ軍(こっち)と違って、敵軍(あっち)は予備戦力と分裂してきた部隊だけ……。」


 小さな墨壷を後退させていく文鎮。味方の背中を射るわけにはいかない敵の弓兵部隊は手を出せないまま、外にも内にも行けない状態になってしまう。


「重装歩兵に陣形を食い破られて、勢いが止まった敵兵は少しずつ削られる……。」

「そうして戦力と士気を失った敵軍は、敗走することになってしまったのさ。」


 撤退する大公軍を守るために起こった一幕はこうして引いたということか、とハヤトは過去を生きた勇敢な偉人に、内心で手を合わせる。


「しかしその後、タルロたちは敵の主力と戦闘になった。タルロは戦死したが十分に時間を稼ぎ、ローゼイ大公軍は撤退に成功。以降の反撃に繋がっていくことになる。」


 ああ、とハヤトは目を細めた。

 一戦で勝っても、次の戦いで勝てるとは限らない。どれだけ消耗しても助けは来ない……そういった状況ならば、なおさらに。


「この手の話をするのは初めてだったけれど、よくついてきてくれたね。」

「カルヴィトゥーレさんがわかりやすく説明してくれたおかげです。」


 ハヤトが素直にそう言うと、カルヴィトゥーレはいつものように穏やかな笑みを浮かべながら、切れ長の目を緩く細めていた。


「私もキミのように教えがいのある生徒だったら、良かったのかもしれないなあ。」


 教えがいのある生徒、という言い方にハヤトは関心が向いた。


「カルヴィトゥーレさんも誰かに教えてもらったことがあるんですか。」


 カルヴィトゥーレは窓の外にある遠い所を、青い瞳に映す。


「ああ。私がキミくらいの頃に、私は王立学園に通っていたんだよ。」


 ハヤトは十代のカルヴィトゥーレが制服を着て学校に通っている姿を想像して、なぜだかとてもしっくりときた。知的で落ち着きがあり、物腰柔らか。やる時はやる男。そして、一回りぐらい年上の髭面の体育教師とやけに仲が良い__そんな彼の姿を。


「どんな生徒だったんですか。」

「いやあ、キミとは違って不真面目な学徒だったよ。いつも仲間とつるんでは、他の生徒にいたずらをしたり、厳格な教師をからかったりね。」


 傭兵ギルドのオーナー兼ギルドマスターで、多くの部下を抱えている彼からはとても思いつかない様子だが。それに事実、彼はハヤトに多くのことを毎夜教えてくれている。

 かつての彼を、何が今の彼にしたのか。ハヤトは知りたくてしょうがなくなった。


「どうして変われたんですか。」

「そうだね……良い先達と出会えたから、かな。」


 カルヴィトゥーレは暗調の木の棚に背中を預ける。


「その頃の私は、有り余る活力を使い果たすだけの日々だった。ただある日、その人に出会ってね。まあきっかけは大したことではないんだけれど。それから、変わったよ。」


 ぼんやりと窓の外を見る目は月明りに照らされて、仄かに青く光っている。


「本をよく読むようになった。それから他人の話に耳を傾けるようにも。それが当たり前だと思うようになるくらいに。そのおかげで今、私はキミに教師まがいのことができているというわけだ。」


 そうして微笑む彼を見て、ハヤトはまた一つ知った。

 このブロンドの髪の優男もまた、できないことをできるようになった人なのだと。

 力のない自分が力を持つには、いずれはカルヴィトゥーレやレイバルのように多くの人間を率いられる人物にならなければいけない。今はできなくても、必ず。


「出発はいつだい?」

「四日後です。」


 ハヤトが答えると、カルヴィトゥーレは「わかった。」と頷く。


「旅道具や糧食は自分で用意するかい。それとも、今回は私が手配してあげようか。」


 間に合わなくなるよりは、傭兵ギルドのギルドマスターであるカルヴィトゥーレに任せた方が無難で確実だろう。ただそれでは、できないままになってしまう。


「どこで手配できるかだけ教えてください。後は自分でやります。」


 カルヴィトゥーレは「そうか。」とだけ呟くと、棚に預けていた背中をゆっくりと正した。


「寝袋やランタン、背嚢といった道具は、ギルドの裏手にある雑貨屋で揃うはずだ。糧食は一階の受付係に言ってくれればすぐに用意できる。」

「わかりました。ありがとうございます。」


 頭を軽く下げたハヤトの肩を、カルヴィトゥーレが優しく叩く。


「戻ったら、また酒を飲もう。」

「……はい!」


 月明かり差す部屋の中。黒い瞳と青い瞳が、真っすぐに交わっていた。




 もう騒がしくなっているだろう酒場に向かうため、部屋を出たハヤトを見送ったカルヴィトゥーレは、戸棚から銀色の杯と一本の瓶を取り出した。

 栓を抜き、杯に中身を注ぐ。

 月明かりを受けて儚げに輝く杯で揺れる、濃い紫色の液体。

 カルヴィトゥーレはそれを二度、三度と杯の中で転がしてから、空のずっと高い所でこちらを照らしている月に届くくらい、掲げてみせた。


「私も先輩のように、なれているでしょうか。」


 遠く、遠く。

 どこか遠くにあった記憶を、追うように。

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