16:黄金色の髪の少女1・①
「そんでこいつはルイスだ!オレら自慢の稼ぎ頭さ!」
「は、初めまして。」
「……初めまして。」
気まずい、とはこういう状況を指す言葉なのだろうと、ハヤトはぎこちなく笑いながら思った。
ギルドから出て右手に行ったすぐにところにある酒場の、奥の一角。
テーブルをいくつも占拠している「黒曜の髑髏」のメンバーたちに囲まれながら、ハヤトは黄金色の髪を二つまとめにした少女と握手している。少女は歳の近い少年から目を反らしており、しかし体裁を守るためか、差し出された手を指先だけで握っている。
「よかったなぁルイス!ウチにゃあお前と歳の近いヤツがいなかったから気がかりだったんだ。やっと友達ができるな!」
「べ、別にっ。友達なんか要らないし!」
そして頬を膨らませながら顔も目線も反らしているルイスに、娘の成長を見守る父親のような温かい笑顔を向けている、顎髭を編み込んでいる男こそが、「黒曜の髑髏」のリーダーのレイバルである。
「ハヤトはレオノルドのおっさんのとこで訓練してるんだってな。かなりキツイって聞いたが、実際はどうなんだ?」
「キツイはキツイですけど、学ぶこともとても多くて充実してます。」
「カーッ、いいねぇ若いってのは!なんというか……力が漲ってるって匂いがするな!」
そうして話している間にも何度も木組みの杯を傾けているレイバルの横で、口数が多い傭兵……キスクという男も、五杯目に口を付けはじめたところだった。
「なっ!なっ!オレの言った通り、なかなか期待できそうな新人だろっ?!」
「さっすがはウチの勧誘担当だな!『矢反らしのキック』の目に間違いはなしってわけだ!」
大声で笑っている赤らんだ顔の二人の横で、ルイスも杯の中身をちびちびと口に含んでいる。他の傭兵たちのせいでいつの間にか彼女の隣に座らされてしまったが、テーブルの上の大皿料理にも、右手に持っている杯にもあまり口をつけられないでいた。
唾と共に大量に飛んでくる質問と、隣から飛んでくる突き刺すような目線のせいで、それどころではなかったのだ。
夜も深まってきて、酔っぱらったメンバーたちが他の席の傭兵たちと取っ組み合いをしたり輪になって歌ったりしはじめた頃になって、ハヤトはようやく食事にありつけた。
「……ねえ、ハヤト。」
ふと、隣で静かにぬるいエールを飲んでいたルイスが脇腹をつついてきた。
「あんた、そんなにあたしと競いたくないわけ?」
「へ?」
きょとんとするハヤトを、ルイスはジトーっとした目で見つめている。
「わざわざあたしがいるチームに来たし。しかもなんか、レイバルともキックとも仲良くなっちゃってさ。いきなりココに居つく感じ、出しちゃってさ。」
彼女の頬が赤いのはアルコールのせいなのか。それとも気恥ずかしさからなのか。ハヤトには推し量りかねた。
「別にそういう感じが嫌ってんなら、それでいいけど……。」
「ていうかルイスこそ、そんなに競争相手が欲しいんだ?」
ただ、最初に因縁をつけてきた時といい、ルイスはやけにハヤトとのライバル関係を求めてきているように感じられた。ハアースに来たばかりで、まだこれから強くなろうとしている自分と。
ハヤトが問いかけると、ルイスは細い右脚を上げて膝を抱える。周囲にいる「黒曜の髑髏」のメンバーの様子を、しばらく窺いながら。
「傭兵って男の仕事じゃない。それにあたしみたいな十代の傭兵って、思ってたより少なくって。『黒曜の髑髏』は父親面してくるヤツばっかだし。」
ルイスは杯の中身を二度、三度と転がすと「それに……。」と続けながら軽く傾ける。
「あたしには『風の加護』があるけど、『鉄の鎖』にも加護持ちって他にいないから。あたしの村じゃ、あたしのみたいな加護はリアヌ人みたいだって、除け者扱いだしね。」
この少女は一人で、しかも十代で傭兵ギルドの門戸を叩き、たった一年でトップクラスの傭兵となった。それを成した「風の加護」の力の恐ろしさは、王都で「アレ」を見た時に、よく思い知らされた。
若さから来る闘争心と、故郷で除け者扱いされたことによる負けん気。そして恐るべき力。それを真正面からぶつけ合い、高め合える相手に、「鉄の鎖」ではまだ出会えていないのだろう。加護の力とは自分が考えているよりもずっと貴重な力なのかもしれないと、ハヤトは思う。
若く、それでいて実力がある人。
ハヤトは今までに出会った人たちの顔を思い返してみたが、正確に当てはまる人物はクリオと、クリオの訓練で打ち合いをした青年くらいだった。ロイやルークといった未知数の人間もいるが。
この世界に来て、まだひと月。少なくとも一年はここで活動している彼女ですら、どこか虚ろで無気力な瞳をしているのだから、自分がいかにそういった人と出会える環境にいたかがわかる。
「ルイスは負けん気が強いんだね。」
「それは、褒めてるつもり?」
「褒めてるよ。すごく褒めてる。」
ルイスは一瞬、訝し気にハヤトの黒い瞳を見つめ、しかしすぐに反らしてしまう。
「……あそ。」
小さくそう呟いて、杯を大きく仰いだ。
「なーんかあんたって、思ってたより優男なのね。」
「えっ、褒めてくれてる?」
「バカ。腑抜け男だっつってんの。」
ルイスはハヤトの額に、優しいチョップを繰り出した。
「ちぇっ。あんたも期待外れだったわ。ざーんねん。」
黄金色の瞳からはまた、虚しさと無気力感が漂う。
しかし、ハヤトの黒い瞳は違っていた。
「なるよ。ルイスのライバルに。」
「らい、ばる……?」
何を言っているのかわからない、という様子のルイスに、ハヤトは柔らかく微笑む。
「俺の故郷で好敵手とか、切磋琢磨する相手って意味。」
「そう。らいばる……。」
ルイスは少しの間俯いていて、小さく「らいばる」と繰り返していた。
けれどすぐに、自信に満ち溢れた笑顔になる。
「ふーん。なれるの、あたしのライバルに。」
「なるよ。すぐにね。」
そしてハヤトも黒い瞳を爛然と輝かせながら、そう答えた。
「……アハッ!」
黄金色の瞳に、炎が灯った。
「いいわ、ちょっとくらいは待ったげる。でもあんまり女を待たせないでよね。」
「あっという間にルイスよりも有名になるよ。」
ハヤトもルイスも、晴れ晴れとした表情で杯を差し出す。
「「将来のライバルに。」」
耳を塞いでも聞こえてくる喧騒に包まれながら。小さな乾杯が、酒場の一角に響き渡った。
「なあによぉ、男ならもっと飲みなさいよぉ!」
ハヤトは、後悔した。
発破をかけ合った途端に酒の勢いが増したルイスは、あっという間に呂律が回らなくなってしまった。ただ、舌が鈍るだけならまだいいが、見つめ合っているはずの目の焦点も少しずつ合わなくなってきている。
「る、ルイス。そろそろ帰ったら__」
「ねーちゃん!エールおかわりぃ!」
「はーい!」
ルイスは大皿にまだまだ山盛りになっている鶏の揚げモモ肉を手に取って豪快にかぶりつき、数回咀嚼してエールで胃へ流し込む。
「だーいちねぇ!アンタみたいな見栄え悪いのがぁ同い年だとさあー!あったしまで弱いと思われっちゃうじゃない!ホンットに迷惑なんだからッ!男ならぁもっと筋肉つけなさいよねぇ!」
細い肘で少年の脇腹を突きながら、もう一本モモ肉にかぶりつくルイス。
愛らしい顔で、愛らしい声。綺麗な黄金色の髪と瞳をしていても、この世界の住民で傭兵なのだと、この姿を見るとつくづく思う。
ただそれでも、整った容姿をしているこの少女が、周りで酔って暴れてしている傭兵たちと同じ仕事をしているのが、ハヤトにとっては不思議で仕方がなかった。それこそギルドの受付係のような、平和的な仕事をする道だってありそうなものだと。
「ルイスはどうして傭兵をやってるの?」
するとルイスはアルコールの匂いがこれでもかと漏れ出す口を、ぐいっ、と寄せてくる。
「傭兵やってる理由ぅ!?そんっなのカネ稼ぐために決まってるでしょっ!バッカじゃないの。」
酔っ払いの言葉、と一蹴するべきかハヤトは迷った。
「じゃあ、ずっと傭兵を続けるの?」
ハヤトが再び問いかけるとルイスは右足を椅子の上に置くと、先程まで勢いよく仰いでいた木組みの杯を膝に置いた。
「べっつに。ずぅっと傭兵やってたいわけじゃないわよ。傭兵やってるのは、コネ作りのためなんだから。」
アルコールで火照った頬で、ルイスはぽつぽつと話す。
「傭兵として名を挙げれば、商人から名指しの依頼が来たり、貴族に私兵として雇ってもらえたりするかもしれない。上手く取り入れれば、長男は無理でも次男か三男あたりと結婚できるかもしれない。そうはならなくても、カネさえあれば土地が買えるし、人も雇える。そういう財産目当てにそこそこ良い男が寄ってくるかもしれない。」
杯に残っているエールを一口、二口と口に含む。
「なんでもいいけど、さっさとまともな男捕まえて、家で子どもの面倒をみる。それが目的なんだから。」
ハヤトにとって、ルイスの言葉は意外だった。
ギルドでトップクラスの傭兵であるルイスが、「傭兵」という職業そのものにはあまり執着していないらしい。
そんなルイスは深い、深いため息をついて、エールを一気に飲み干した。
「男共が気楽で羨ましーわよ。男は三十過ぎてからが本番だもの。」
「それってどういう意味?」
店員の女が持ってきたぬるいエールが波立つほどに注がれた杯を受け取って、空の杯と銅貨数枚を渡す。
「聞いたことない?男の三十は盛り時、女の三十は降り時って。」
日本での三十歳と言えば、男女問わず働き盛りの年齢。スキルが整い、キャリアの道筋が見えてきて、これから一気に昇りつめていくという年頃だろう。
「俺の故郷じゃ、三十歳は男も女も仕事優先って感じだよ。」
ハヤトは素直にそう口にすると、ルイスは杯をひっくり返しそうになりながら「はあーッ!?」と大声で叫んだ。
「ヤなとこねえ、アンタの故郷って!それってつまり三十にもなって、まーだ処女の女が大勢いるわけでしょ?行き遅れも甚だしいわね。」
ルイスはわざとらしく「ハッ」と鼻で笑い、喉に大量のエールを流し込む。
「こっちは違うみたいだね。」
「ぜぇんぜん違うわよ!三十歳って言ったら子どもが二、三人いてあたりまえ!」
あっという間に半分になった中身を転がしながら、ルイスはハヤトの黒い瞳を覗き込む。
「生きてくためだからしょーがないけど、仕事なんて今すぐにでも辞めたいんだから。死ぬまで働くなんて絶ッ対にイヤ。ばあさんになってまで働くくらいなら、ぱーっとカネ使って野垂れ死ぬほうがマシねっ。」
ぼんやりと灯っている黄金色の火から伝わる、力強い熱。
それが何物なのか、ハヤトはまだわからないでいた。
「家族のために外で稼いでくるのが男の役目。家で子どもと夫の面倒をみるのが女の役目。それが『普通』でしょ。」
ただ、とにかく。この世界での常識と日本での常識がまるで違っていることは理解できた。
彼らはきっと、より本能に近いところで生きているのだろう。
喉が渇けば酒を飲み、腹が減れば飯を食うのと同じように、カネが欲しければ仕事をし、働きたくなければ稼げるパートナーと結婚する。キャリアだとか性別だとかの余計なことは考えず、己の思うまま欲しいままを貫き通す。
ただその過程でキャリアだとか性別だとかを鑑みて、適したポジションに落ち着く。
そうして彼らは「生きて」いる。
壁に背中を預け、口からよだれを垂らしながら寝ている少女もまた同じように。
ハヤトはルイスの手から頂戴した無傷のモモ肉を齧りながら、酒場の喧騒に体と心を浸していた。
「黒曜の髑髏」のメンバーにルイスが使っている宿屋を知る者がいたおかげで、眠りこけた少女を背負って宿に送れる。とわかったところはよかった。
それがハヤトも泊まっている宿屋だということが、ハッキリするまでは。
「あらあら。ルイスちゃんがそんなになるなんて珍しい。」
受付台で台帳に書きこんでいた中年の女にルイスの部屋の鍵を開けてもらい、ベッドに寝かせる。安眠できるように鎧を外してあげようとも考えたが、ハヤトも中年の女も鎧の構造はちんぷんかんぷんだったので、いくつか付いている金具やベルトを緩めるだけにしておいた。
「大きいベッドだったなあ。」
中年の女曰く二人用の部屋らしいが、今頃彼女は大人二人が並んで寝られるベッドの真ん中に、鎧姿で転がっている。しかもクッションは藁ではなく羽毛で、木製のフレームはよく手入れがされていた。
稼げる傭兵は、装備だけでなく生活水準も上等なモノにできる……腰かけただけでけたたましく軋むフレームに、藁が少し盛られているだけのベッドに体を乗せると、その事実が体に刻み込まれるような気がする。
『家族のために外で稼いでくるのが男の役目。家で子どもと夫の面倒をみるのが女の役目。それが「普通」でしょ。』
酒場でルイスが言っていたその言葉が、ハヤトの頭で今もこだましている。
普通とは、いったい何物なのだろう。
故郷では男も女も働くのが「普通」で、この世界では男と女の役割がハッキリと区別されているのが「普通」。
安全な建物で綺麗な服を着て、傭兵と依頼主を仲介してカネを稼ぐのも「普通」。
命を危険に晒してカネを稼ぎ、上等なベッドを独り占めするのも「普通」。
異世界から来たハヤトが、この世界の「普通」にもやもやとした感情を抱くのも「普通」。
自分はいったい、どちらでいればいいのだろうか。
ホノカは今、どちらにいるのだろうか。
ハヤトは瞼の裏で曇っていく思考が手のひらから零れていくのを感じながら、体を藁のベッドに沈みこませた。