122:オグマンド王立学園②
「たぶん、ここにいる。」
カルリスティアに連れられて辿りついたのは、石造りの建物とは別の煉瓦造りの建物。高さからして二階がありそうだが、窓は細いものが高い所にぽつり、ぽつりと開いているのみ。
「ここは何する場所なの?」
「ぁ……書写、するところ。」
遠慮なく入っていったカルリスティアを追ってハヤトたちも扉の無い出入り口を通る。内部は細い窓から陽の光が十分に差していて、そこまで暗くない。少女は中庭を臨む回廊をつかつか、つかつかと慣れた足取りで歩いていく。
やがて、とある半開きになっている扉の前で足を止めたカルリスティアは、黒い袖から細く白い手を伸ばして木板の扉を三度叩いた。
「先生。」
カルリスティアが呼びかけた先、半開きの扉の向こう側には既視感のある世界が広がっていた。
そこそこ高い天井、傾いた木板が台座に取り付けられている机、視界を埋め尽くす棚、棚を埋め尽くす本。窓から差し込む光に照らされて、きらきらと輝き浮かぶ粒。
少年は既視感の正体を探って、すぐに思い出す。この部屋の雰囲気はカルリスティアの私室に似ている。
「おやぁ、カルリスティアくんかい。」
「ぁ……せ、先生、久しぶり。」
「ふふ、やぁと来たようだね。」
ゆったりとした丈の長いローブを着て、傾いた木板に乗せられた巻物と向かい合ってた老夫がゆっくりとこちらへ振り向いた。
「この人がい、イクドリオ先生。学園長。」
「初めまして。ハヤト・エンドウです。教官補佐として働くように言われて来ました。よろしくお願いします。」
「親切にどうも。私はイクドリオ・オーラ・アカサス。こう見えて、オグマンド王立学園の学園長だ。こちらこそ、よろしくお願いするよ。」
老父は皺の深い頬をゆったりと緩めて軽く会釈する。
「陛下から話は聞いているよ。異世界から来てくれた、ハヤト・エンドウくん。それからハヤトくんの従者のリオンくんに、オヤジ人のハルハルくんだね。」
「オイジージナ人って呼んで!」
「おおと、すまないねえ。オイジージナ人、でいいかい?」
「うん!みんなにも言ってね!」
「わかった。皆へ伝えておこう。」
ここぞとばかりにハルハルが訂正を入れたところで。ハヤトは王国随一の教育機関を率いる人物が、なぜこのような本だらけの場所にいるのかが気になっていた。
「学園長はどうしてここに?」
「もちろん書写さ。ここは書写室だから。」
彼らが言う「書写」とは、おそらく「写本作り」のことだろう。王国の頭脳を育む場所の長ならば読み書きができることも、写本作りが得意なことも納得がいく。が、しかし……。
「じいさん。その目、見えてねぇんだろ?」
ゆったりとした雰囲気の老夫の目元には、白い布が巻かれていた。両目を完全に覆ってしまうようにしっかりと。ただ、本人は一切気にかけていないことのように答える。
「ああ。ずうっと昔に病を患ってね。なんとか生き残ったが、私の目は光を失ったきりなんだ。」
イクドリオ学園長はただ「病で視力を失った」という過去の出来事を語ったに過ぎない。そのことについて彼の言葉以上のことを聞き出すのは野暮というものだろうと、少年は思う。
気になるのはその状態でどうやって写本を行っているのか、そもそもどうやって複製元を読んでいるのかということ。ハヤトがほとんど好奇心のままに尋ねると、彼はゆったりと微笑んで「こうするんだよ。」と木板の上に開かれた巻物に指先を滑らせる。
「墨が付いていると質感が変わるから、文字の形も見えてくるんだ。一言、一言とね。」
墨の跡が残る皺深い指が左から右へひとつ、またひとつと言葉を追っていく。目で見て読むよりはやや遅いが、一切の視力が無いにしてはあまりにも調子良く進んでいる。
「こうやって読んで、別の紙に写している。」
「す、すごい……。」
木板の台のすぐ横に積まれた紙には、手元にある巻物とまったく同じ内容の文章が書き込まれている。淀みがなく、不自然な高低もなく淡々と。
これら全てを目が見えない人物が書いたとはまったく想像つかない。
「ぁ……これ、学園のし、仕事。」
「カルリスティアくんもたまに手伝ってくれたね。」
「ま、巻物一つ、小銀貨、三枚。」
「そんなに稼げるんですか?!」
「誰もはできない仕事だからねえ。」
安全な場所で巻物一つに十数行を写して小銀貨三枚とは。しかしこの中世ヨーロッパ風の世界観において「読み書き」は大変に貴重で高度な技能。安定した収入へと直結しているのも不思議ではない。
「ねえ、リオン。リオンだけ書写の仕事や。」
「カンベンしてくれ。ンなちまっけぇこと、やってられっか。」
「だよね、リオンはそう言うと思った。」
「おいコラ。」
リオンは意外と器用なところがあるし、意外と従順な奴隷をやってくれる。全力で頼み込むか「命令」してやれば、小銀貨三枚とはいかずともそれなりの成果をあげてくれるに違いない。
「やんねぇからな。」
「何も言ってないよ。」
すっかり警戒されてしまったので、しばらくは考えないようにしよう。
さて。そこそこ会話が盛り上がったが、そろそろ本題について確認しなければ。
「それで俺たちは何をしたらいいですか?」
イクドリオ学園長はローブの中で腕を組み、「そうだねぇ。」と呟く。
「きみたちは傭兵の仕事をしてきたのだろう。戦いの心得はあるね?」
「俺はまあ、幅広くそれなりに、って感じですかね。」
「クロスボウなら使える。」
「なら、騎士志望の生徒たちがいつも訓練場で武術の腕を鍛えているから、普段は彼らの面倒を見てやっておくれ。特に入学したばかりの、武術の指南を受けられない段階の子たちのね。」
「ボクはなにすればいーい?」
「ハルハルくんはオイジージナ人の言葉をみんなに教えてやっておくれ。学びたがる生徒がきっといるだろうから。」
「はーい!」
「ぁ……私、は?」
「カルリスティアくんには書写の仕事をいくつか頼もうか。あとはここに訪ねてきた生徒たちの相手をしてやっておくれ。」
「わかった。」
各人に仕事を割り振ったイクドリオ学園長は、「ああ、それから。」と再び
「訓練場で開く『白薔薇の会』の手伝いも頼もうか。」
「白薔薇の会っていうのは戦闘訓練ですか。」
「そうだよ。いつも大勢の生徒が集まるから、手が足りなくてねえ。」
訓練場で開かれる「白薔薇の会」。名前だけ聞けば優雅なものだが、実態は王の城でクリオがやっているような厳しい戦闘訓練に違いない。教官と打ち合いをしたり、生徒同士で腕を見せあったりする光景が今から目に浮かぶ。
それにしても。戦闘訓練を行う集会が「白薔薇」の名を取っているのには理由があるのだろうか。
「なんで白薔薇って名前なんですか?」
「アプリー家を興した、かの『白薔薇の勇士』にあやかっているんだ。生家を繁栄させ、名誉を得られるようにとね。」
歴史的な人物の代名詞を拝借したがるのはどの世界のどんな人間も同じ、ということか。「紅い疾風《the Scarlet Gale》」やら「一番星《the Golden Star》」やら、凝った二つ名を付けたがるこの世界の住民はなおのことそうだろう。
とにかく、やるべきことはわかった。生徒たちが訓練で熱が入りすぎないように監視しつつ、たまにアドバイスすればいいだけだろう。たかが「期間限定の教官補佐」でしかない自分たちに重い責任は飛んでこないはずだ。
「ああ、そうだ。教官用の宿舎が奥へ行った所にあるから、空いている部屋を好きに使って構わないよ。」
「えと、家賃みたいなのは……?」
「とんでもない。でも家具は壊さないでほしいねえ。」
「わ、わかりました。」
王都は人が多く、比例して物価も高い。宿代は軽視できない額の出費になるはずだったが、食費だけならなんとかなるだろう。アストリエスから受け取った十三枚の金貨と、ネイル工房に売却した巨獣の皮の代金だってあるわけで。
「キミたちは今日から、我らがオグマンド王立学園のいち教官だ。共に生徒たちを導いていこう。」
「はい。二ヶ月の間、よろしくお願いします。」
ゆったりとした雰囲気をした盲目の学園長と手を握りあった少年の目は、黒色にきらきらと煌めいていた。




