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120:晩餐会、再び

 

 新たな任務を与えられた日の夜。ハヤトは半年前に参加した晩餐会と同じ会場にいた。大きなテーブルと大きな暖炉、そして山ほどの食事と愉快な弦音楽で彩られたあの部屋に。


「お前、相当なクロスボウの使い手らしいじゃあないか!見せてもらおう!」

「お、おう。今度な……。」

「旅は大変でないかしら。」

「ぁ……だい、じょうぶ、です。」

「なるほど。ハルハルさんたちはオイジージナ人を自称しているのですね。」

「うん!ちゃんとみんなに言ってね!」


 三人の仲間たちがアプリー公爵やパトリッシア宰相、ブローソム公爵と何やら話している姿を少しだけ離れた所から見守っている少年は、また別の人物と話していた。


「はじめまして、ハヤト・エンドウです。」

「わ、私は枢機卿を務めております、フォルソー・フラ・プルームです。ハヤトさんのお噂、か、かねがね聞き及んでおりました、はい。」

「い、いやあ、そんなそんな。」


 プルーム伯爵家。アプリー家、ブローソム家、フラガライア家と並んでフロリアーレ王国の家臣団として家名を連ねている一族だ。ローゼイ家の分家としては最古参であり、影響力は爵位不相応に大きい。彼らが宗教関係の事業や問題を仕切る「枢機卿」を代々務めているのはそのためだ。


 ただ、普段から王国全土の税制や開発事業を仕切っているはずのフィグマリーグ侯爵が平然と杯を傾けているのに対して、この気弱そうな男は顔から感じられる精気も弱く、たかが少年のハヤトと話している間も唇を震わせている。


「えと、枢機卿はプルーム家の当主なんですか?」

「い、いいえ。兄甥のパタリークが当主なのですが、ま、まだ十六なので。青年になるまでは私が、代わりとして務めております、はい。」


 兄甥が当主ということは先代……フォルソー枢機卿の兄は亡くなっているか、伯爵としての仕事ができないような状態にあることは察するに易い。どちらにせよ、まだ十六歳なのに多大な影響力を持つ一族の長になってしまうとは。家中をまとめるのが大変そうだ。


 そこで少年は、ああ、と内心で頷く。きっとパタリーク……プルーム伯爵にとって、この気弱そうな男は「代わり」とするのに都合がいいのだろう。自身が一族の長として一人前になった後、枢機卿という肩書きをスムーズに手元へ移せるように。


 いや、まあ。全ては勝手な妄想なのだが。


「でも、プルーム伯爵が枢機卿になった後はどうなるんですか。」

「その後は前に勤めていた神殿に戻ろうかと、はい。」

「枢機卿、聖職者だったんですか?」

「は、ははっ。こう見えて、神官長をしておりました。」

「そうだったんですか。」


 この気弱そうな男を枢機卿という大役に抜擢したのはそれも理由なのか。


 それにしても。貴族の中には俗世から離れて、神殿の聖職者として過ごしている者もいるとは。この世界の貴族という生き物は、思っているよりもずっと自由に生きているのかもしれない。


 きっと、権力やカネや人間関係や家名の偉大さで手足を縛られて、息苦しく生きていくよりはずっと良いだろう。


 謁見の間で強力な一族の当主たちに囲まれて、一言も発せずにいるよりはずっと。


「フォルソー卿、少しいいかね。」

「へっ、あっ、バルグリード卿!か、構いませんとも。」


 鷹のような鋭い目で射抜かれて肩をぶるぶると震わせている姿が、哀れさも過ぎて趣すら感じる。……本当に彼が枢機卿という重職に務めているのか、疑わしく思えるほどに。


 こうしてフォルソー枢機卿がフィグマリーグ侯爵に拉致されてしまい、話し相手を失ったハヤトはしばらく、仲間たちが重臣らに詰められる様子を見ながら食事を取っていた。


 やはりというか、なんというか。城の食事は旨い。煮汁をよく絡めて盛られたステーキや、ハーブと野菜が添えられた魚。塊状の大きなパン。葡萄や林檎といった果実。そして山ほど積まれた小さな酒樽。部屋のあちこちには華々しい花々も飾ってある。


 塩とハーブが組み合わされた味は故郷のものと比べれば薄味で奇抜さに欠けるものの、小銀貨数枚でありつける酒場飯と比べれば格段に旨い。塩と根菜と干し豆のスープなど、もはや家畜の餌に等しい。雑に飲み下している酒だって、酒場の安酒とは比較できない。


 旨い、旨い。料理を口へ運ぶ手がまったく止まらない。


「食事の方はいかがですか。」

「あっ、ふろーそふほうひゃく!」


 細い目を緩めて微笑むブローソム公爵がやってきて、ハヤトは急いで口の中を空にする。


「めっちゃ美味しいです!」

「それはよかったです。好きなだけお召し上がりください。」

「いただきます!」


 と、再び食事に手をつけようとしたが。しかしふと、気になっていることを思い出した。


「あの。前に俺のお世話をしてくれた子、知りませんか?」

「以前にハヤトくんの世話を……。」


 ブローソム公爵は城に務める召使いたちを統括する宮内卿。彼であれば、無駄にあちこち歩き回っても見つけられなかったあの大きな瞳の召使いのことを知っていてもおかしくはない。


 ただし。「ああ。」と呟く彼が知っていることが、少年にとって都合がいいこととは限らない。


「彼女はみつ月ほど前に辞めました。」

「そ、そんな……。」


 ホノカは五日。大きな瞳の召使いは三か月。この城に戻ってくればまた会えると思っていた二人は、どうしてかここにいない。


「彼女がどうかしましたか。」

「あ、いや。その……。」


 せめて名前だけでも知りたい。

 けれど叶うなら、彼女から直接教えてもらいたい。


「あの子の出身地って知ってますか。」


 ブローソム公爵はしばらく、細い目を見開いて……いるような気がする様子で、「ふむ。」と唸る。


「モンカソー男爵領の出、だったはずです。」

「わかりました。」


 召使いとして働いていたということは少なからず身元が確かな人物だろうし、モンカソー男爵領という範囲に限ればある程度の「当たり」が付けられるはずだ。


 きっと、また会える。モンカソー男爵領に行く機会があれば。


 この世界で「生きて」いけば、いつか。


「あと、ロイ王子とルーク王子はどこに?」

「お二人は今朝からテルナの北で軍の訓練に参加されています。もうすぐお戻りになられると思うのですが……。」


 噂をすれば、というやつか。宴会場の扉の辺りで控えている召使いたちが突然、ざわざわと騒ぎはじめた。


「ロイ殿下、ルーク殿下のおもど__」


 兵士の掛け声に合わせて扉が開かれようとした、その時。ある人物の勢いと力に任せて無造作に、目いっぱいに開け放たれた。


 こちらを見るなりはつらつとした声で「ハヤト!」と叫ぶ、鎖帷子を着込んだ茶色の髪の青年によって。


「戻ったか!」

「ハヤトさん!」

「ロイ!ルーク!」


 後ろに撫でつけた髪を揺らして迫り来るロイ王子と、左右へ流した髪を揺らして迫り来るルーク王子は肩から垂らしていた朱色のマントを召使いへ預けてしまう。


「半年ぶりか!ずいぶん見違えたなぁッ!」

「ハアースでの訓練の成果が出ているようだね。」

「はい!頑張りましたよ!」


 少年は返事をしてから、はて、と首を傾げる。ルーク王子とは間違いなく半年ぶりの再会だが、ロイ王子とは以前にテルナへ帰還した時にアプリー公爵邸で話したはずだったが。


 ちらり、とアプリー公爵の顔を見ると彼は素知らぬ振りで杯を傾けている。


 ロイ王子とアプリー公爵の態度からして、先の非公式な面会はノーカウントという(てい)で接すればいいのだろう、と少年は内心で理解した。


「聞いたところによれば、レオノルド卿に師事して武術の腕を磨いていたそうだね。」

「かなりキツかったです。毎日毎日腕立て伏せして、打ち合いして、肉の塊食べてまた打ち合いして……。」

「ハッハッハ!(せんせい)は変わらんなあ!」


 イスタキアに加えてロイ王子もまた、レオノルドを師と呼ぶ者の一人。ルーク王子もアストリエスも「卿」を付けて呼んでいる。……本当にとんでもなく高名な戦士から指導を受けていたようだ。


 そうなるとむしろ、あんな薄汚れ……趣のある、都市の自警団で教官をしている理由の方が気になってくる。いや、彼の振る舞いを見れば想像できないこともないけれども。


「おいハヤト。ネイル工房に鎧を作らせたと聞いたぞ。着ていないのか。」

「え、いや。だって王様に会ったりするのに、鎧姿っていうのはまずいかなって思って。」

「はっは!お前はやけに礼儀がなっているところがあるな!」

「戦士にとって鎧は、自身の実力や実績を写す分身のようなものだから。ほとんどの傭兵は陛下への謁見にも鎧を着てくるんだ。」

「ああ、そっか。なるほど。」


 加えて大抵の傭兵は、いわば「まともな」衣類を持つ余裕がないだろう。鎧こそが仕事着にして一張羅、といったところか。


 ただ、少年には故郷から持ち込めた唯一の私物がある。自身が故郷ではまだ学生であることを証明する、唯一の物が。


 まあ、それに。二人が着込んでいるかなり立派な作りをした丈長の鎖帷子の鎧と、あの巨獣の革の鎧を並べるのはなんとなくはばかられる。


「戻るすがらに聞いたのだけれど、学園の教官補佐として勤めることになったんだって?」

「はい。二ヶ月だけですけど。」

「そうかそうか!上手くやれよ!」

「ハヤトさんなら間違いなく、皆の良い手本になれるはずだよ。」

「はい、頑張ります。」


 ロイ王子もルーク王子も穏やかな、しかし熱のこもった目を向けてくれている。


 どうして誰もかれも、自分にこれほど期待をかけてくれるのやら……と、ハヤトはようやくどこかへ離れていく二人の背中を見遣りつつ思う。


「久しぶりだなカーリー!上手くやれているか!」

「ぁ……それ、なり。」

「ならば良し!はっは!」

「キミが噂のオヤジ人かな。」

「オイジージナ人って呼んで!」

「わかった。これからはそのように呼ばせてもらおう。」

「こンの禿()()……まだ増えんのかよ……。」


 そうして二人の王子の関心は三人の仲間たちや王の家臣たちへと移り、少年のもとに再び平穏がもたらされたところで。立派な仕立ての丈長の衣を着た男が杯片手にやってきた。


「隣、いいですか?」

「あ、クリオさん。どうぞ。」


 彼はにこやかに微笑みながら隣の席に腰掛けて、杯の中身で唇と舌を濡らす。


「訓練場ではすみませんでした。彼は元より、かなり……快活な、性格なのですが、近頃はハヤトくんの活躍を聞いて奮い立っていたんです。」

「ああ、いや。むしろ、帰ってきたんだなぁって感じがしてちょっと嬉しかったです。」

「ははっ。ならよかった。」


 散々に打ちのめされたあの経験を不快に思うことは決してない。自身がいかに戦士として未熟者かを思い知らされたからこそ、ハアースでの鍛錬に夢中になれたのだから。


「それから以前にハヤトくんが戻った時、力になれなかったことも。すみません。」

「そ、それこそクリオさんに謝ってもらうことじゃ……。」


 モンカソー家と王家がどれほど密接で、近衛騎士隊長という職務がどれほど重要だとしても、王の家臣であることは変わらない。王の決定に逆らえば一族の存続が危ぶまれるというならば、少年一人への所業を傍観するくらいのことはして当然だろう。


 けれどもハヤトは、そういえば、とハアースへ送り出された日のことを思い出す。クリオは王を説得してくれようとしていたらしく、できなかったことを語る表情には謝意と悔しさが滲んで表れていた。


 そして、()()()を渡してくれた。


「騎士道、栄光、復讐。」


 銀色に輝く鍔に施された、深い切れ込みが特徴の三つ又の葉の装飾。少年の口元から零れ出た言葉に、男は目を丸くする。


 仄暗い黒に染まった瞳には、少しだけ冷めてしまっている分厚いステーキが写っている。


「俺、もっと頑張りますよ。この剣に相応しい傭兵になります。」

「キミは。」


 一口、二口と肉を噛みちぎる少年を見つめながら、クリオは少しだけ口元を迷わせ、しばし口をつぐみ、「……いや。」と漏らす。


「学園には個性豊かで優秀な生徒が大勢います。彼らの扱いについて困りごとがあったとしても、教官たちや学園長がきっと助けになってくれるでしょう。」

「はい。」

「貴族の子女も多く籍を置いていますが、彼らもまた学と技を希求する徒の一人。余計な気を遣る必要も、まして特段の手心を加える必要もありません。毅然とした態度で臨んでください。彼らもそれを望んでいるはずです。」

「わ、わかりました。」


 あの時も今もクリオの方が思い詰めている気がする。ただ……。


「もし何か、俺と仲間たちだけじゃどうしようもないことが起きたら……頼っていいですか?」


 革張りの鞘を、それに収められている片刃の短身剣をくれた、この人を。

 自分自身よりもずっと自分のことを気にかけてくれている、この人を。


「ええ。もちろん。」


 透き通る琥珀色の瞳を、少年は心から信じていた。

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