116:とある日のこと・キハロイ
男一人、女二人、幼女一人の四人生活はなにかと面倒が付き物である。
生活習慣だとか日用品だとかが同じ人間ながら微妙に異なるし、発散すべき欲求も微妙に異なる。男には男なりのやりたいことが、女には女なりのやりたいことがあるのだ。
ただ、二人きりで王都へ上る時にも思ったことだが、三人の仲間たちからはあまり女性らしさというものを感じられなかった。
「くあ、あぁ……。」
幼なじみを確実に学校へ向かわせるための、毎朝の六時半起床。そんな「日常」を失って五か月近く経った今でも、おおよそ同じ頃に目が覚める。
早寝遅起きがデフォルトのこの世界の住民には、この習慣は本当に立派なものに見えるに違いない……と、クリオさんに褒められた時のことを思い出して一人でにやけている自分がいた。
「ん、ぇ……。」
安らかな寝顔でブランケットに包まるカーリーを起こしてしまわないように、俺はゆっくりとベッドから這い出た。
井戸水で顔を洗ったら、丈長の衣を柵に掛けてトリカブトの剣を持つ。革張りの鞘からすらりと抜けば、片刃の刀身が朝日に当てられて妖しく輝く。
この剣を供に、五百回の素振り。毎日毎朝、繰り返している。
素振りの後は、勝手口の近くに置いておいた籠を外に持ち出す。中には仲間と自分が出した洗濯物が詰め込んである。
「ほっ、と。」
俺は井戸から汲み上げた水を木組みの桶へ二度、三度と移し、暖炉から掻き出した灰を手でふた掬いだけ入れて混ぜる。
灰色になった水に洗濯物をしっかりと浸し、洗濯棒で叩きのめす。ご近所さんから教えてもらった、この世界で一般的な「洗濯」のやり方である。
灰の力と洗濯棒の力。二つの力の合わせ技で衣服の汚れをわからせる、というわけだ。
「うーん。さすがに新しいの買うかぁ。」
しかし当然のこと、このような力任せなやり方では、あまり丈夫とは言えないこの世界の布地はすぐに傷んでしまう。よく着る丈長の衣も、肌の色が透けるほど織り目が広がっている部分がある。
「鍋洗うのに使お。」
ただ、わざわざ捨てることもない。要らない服は分解し、雑巾として食器洗いや掃除で活用する。それにすら耐えられなくなれば暖炉や焚き火の着火剤にすればいい。
この世には無駄な物など一つとして無い。科学技術が未発達な中世ヨーロッパ風の世界観ならば、なおのこと。
「……石鹸、ふつーに銀貨で何枚ってするしなぁ。」
まあ、そうせざるを得ないと言った方が正しいのだが。
洗い終わった服は軒下に張ってある物干し紐に掛けておく。物置で見つけた、木をそれらしく削っただけの洗濯バサミで固定してから、俺は桶一杯の水を手に借家に戻った。
「ふいーっ、あったけ。」
暖炉に火を入れたのは井戸水で冷えた手を暖めるためだけではない。ここでは日々の朝食も作っている。
「だいぶ減ってきたな。」
物置や地下室で保存している食材が無くなりかけている。今日はみんなを連れて買い出しに行こう。
今朝の献立はコリーンさんが差し入れてくれるパンと、色々な具を煮たスープだ。俺は太陽が頂点へ向けて昇っているのを確認してから、調理に取り掛かる。
「つっても、いつもこれだけど。」
材料は人参と、蕪と、干し豆と、塩。人参と蕪は皮を剥いて、カーリーとハルハルが食べやすいよう小さめに切り、干し豆を一掴み半、塩を三摘み放り入れて完成だ。
我ながら、なんと質素な食事かと思う。しかし肉だとかハーブだとかをどのように使えばいいかがわからないのだから、仕方がない。
ただ、ここでふと、ロウネで「謎の巨獣」を探し回った時に干し肉を鍋に放り込んだことを思い出した。
食中毒のリスクがある生肉よりも、干し肉の方がずっと扱いやすい。次の長距離移動からは干し肉入りのスープを積極的に作るとしよう。
「……干し肉も、ふつーに小銀貨で何十枚ってするんだよなあ。」
人里に滞在する間に作らないのは、そういう理由からだった。
借家に寝室は一つだけ。リオンが使っている一人掛けのベッドも、カーリーやハルハルが眠る二人掛けのベッドも、二階の通り側の部屋に置かれている。
「リオーン!ハルハルー!朝だよーっ!」
「ぅ、ゅぅ……。」
「ん、ぬ……。」
毛皮のブランケットにくるまっているリオンとハルハルは、腹の虫が勝手に起こしてくれる。問題は毛皮を被って丸くなっているカーリーだ。
「カーリー、起きてー。朝ご飯できてるよー。」
肩を揺すって声をかけても、カーリーは身じろぎ一つしない。
彼女が何年も続けた習慣が、ほんの二、三ヶ月で変わるとは思っていない。現に自分がそうなのだから。
「ほっ!」
「ぅ……。」
寝ながら握っていたのだろう毛皮のブランケットを、力ずくで引き剥がす。微かな抵抗を感じたが、いとも容易くカーリーの寝姿を発掘できた。
「ほら起きてー。」
「ぇ、ぅ。」
白い手を握って引っ張り、上体を起こさせる。ゆらゆらと舟をこぐカルリスティアを背中から支えながら、俺は濡らした手ぬぐいを握らせた。
「これで顔拭いてね。」
「つめ、たい……。」
「うん。これで目が覚めるでしょ。」
まだ閉じたままの目をさらに細めるカーリーだったが、やがて観念したようにゆっくりと自分の顔を洗いはじめた。
カーリーの手がゆっくり、じっくり動くのを見守っていると、ハルハルがいる所から可愛らしい声の「ふやあぁぁああ……。」という盛大なあくびが聞こえてくる。
「おあおー、にーあん……。」
「おはようハルハル。顔洗っておいで。」
「あーい。」
ああ、それから。リオンがいる所からも低い音で「ぐうう。」という盛大な腹の虫の鳴き声が聞こえてきた。
「腹、減った……。」
「おはようリオン。朝飯できてるから、先に顔洗ってきて。」
「あいよ……。」
ハルハルは僅差で起きたリオンの手を引いて、揃って一階に降りていく。あの姿だけなら、ハルハルがしっかり者のお姉さんに思えてくるから不思議だ。
リオンとハルハルが戻るまでカーリーの髪に櫛を通したら、やっと朝食の時間だ。どこかをぼんやりと見つめるままのカーリーを左隣に設置し、全員分のスープとパンをテーブルに用意していく。
真っ先に飛びついたリオンはスープを木のスプーンで掬い上げると、人参がひと欠片入っているのを見て眉をしかめつつも一口で食べきった。
「ま、いつも通りだな。」
「まあね。嫌ならリオンも作ってよ。」
「無茶言うな。」
ハアースで仲間として迎えた時に『女らしいことは期待するな。』と言っていたように、リオンは料理どころか家事のほとんどをまったくやりたがらない。
家事炊事は女の仕事、なんて遅れた考えは持ってないが。たぶんこの世界では「普通」のことなのだろう。
「おかわり!」
「はいはい。いっぱい?」
「うんっ!」
ちなみにハルハルは料理こそできないが、早く起きられた日なんかは洗濯を手伝ってくれるし、普段からも買い物の荷物持ちや家の掃除をやってくれる。
よく寝て、よく動いて、よく食べる。ハルハルは本当に健康的な子だ。
「……ん。」
「おかわり要る?」
「ううん。」
カーリーの生活能力は、まあ……言わずもがな、というやつである。
しかし、どんな人となりにせよ__
「そろそろ食べ物無くなるから、今日は買い出しに行くよ。」
「あいよ。」
「はーい!」
「わかっ、た。」
俺にとってはみんな、かけがえのない仲間なのだ。
影がだいぶ短くなってきた頃。支度した俺たちは手提げ籠を手に、キハロイの街へ繰り出した。
やってきたのは中央広場。家屋や店がいくつも面する、東西と南北の通りの交差点である。一角ではいつも屋台が開かれていて、小さな市場を作っている。
「おかいものー!」
「うん。とりあえず人参と蕪ね。あと炭水化物系も。」
「タンス……なんだって?」
「んーっと。麦とか芋とか、豆とかのこと。」
「ぇ……あそこ、麦う、売ってる。」
「ホントだ。ちょっと見てみよっか。」
幸いなことに、この世界の市場には故郷で見たことのある作物が並んでいる。人参や蕪、干し豆、麦、芋はどこにでもあり、葉物野菜や乾燥させたハーブもちらほらと見かける。
目の前にある屋台では脱穀しただけの麦と、挽かれて粉になった麦の二種類が売られている。
「すいません。挽いてない麦って一トンでいくらですか?」
「小銀貨三枚だね。」
麦はほとんど「麦粥」という料理に使っている。名前の通り、脱穀した麦の粒を潰して煮た粥汁のことで、まあ……ぶっちゃけ美味しくない。自分の料理の腕と味付けの質素さもあるが。
しかし一トンで小銀貨三枚はそこそこお買い得だ。高いと小銀貨七枚以上の値で売られている。
__一回で三分の一トンは絶対使うからなあ。
二十トンは約七キロ、一トンなら約三百五十グラム。麦が水で膨れることと手料理は一日一回であることを考えても、持って三日といったところか。
「んだよ。」
「どーしたの?」
ただ、成長期のハルハルと意外に健啖家のリオン、そして男の自分の胃袋を満足させるためには量が必要だ。麦と野菜をたっぷり入れてかさ増しした粥を作りたい。
だとすると、二分の一トン以上……二百グラムは必要。さらに値引き狙いのまとめ買いをするなら、最低でも四トンからといったところか。
四トン……一・四キログラムで、小銀貨十二枚だが。ここはキリよく十キロ……三・五キロほど買ってしまうか。
「じゃあ十キロ買うんで、小銀貨二十三枚でお願いできませんか?」
「おいおい兄ちゃん、せめて二十八枚はよこしてくれ。」
「二十四枚!」
「二十七枚だ。」
「二十五枚!」
二十五枚、という数字を聞いた店主の左耳が、ひくり、と動いた。あと一押ししてやれば……!
「二十五枚と銅貨十枚!」
「……わかった、わかったよ!降参だ!」
まさに、してやったり。元より安い物をさらに安く買うことができた。量を確保できたことで、飯の心配もしばらくは要らない。
「あ、袋もください。」
「銅貨十枚貰おうか。」
「わかりました。まだ買い物するんで、後で取りに来ます。」
「あいよう。」
小銀貨二十五枚と銅貨二十枚を引き換えに得た二週間分の食材を預けて、俺たちは買い出しを続ける。
「これ、ちょっと萎びてません?これでホントに銅貨十七枚ですか?」
「仕ぃ方ないだろぁ!しぃばらく雨ぁ無かってんだよぃ!」
「うーん。じゃあ萎びてるの五本買うんで、こっちの良いヤツまけてくださいよ。」
「たッねぇなぁ!んなぁそっちぁは銅貨十二枚でいい!」
特徴的な訛りの女の屋台で、やや萎びている人参と状態の良い人参を五本ずつ手に入れた。
「どうも。良いヤツあります?」
「今朝採れたばかりの蕪があるよ。そぅら、真っ赤で美味そうだろう?」
「おおーっ、美味しそうですね。それ四つください。」
「小銀貨一枚と銅貨十四枚だよ。」
「……もう一個買うんで、なんとか?」
「むぬぅ。なら、きっかり小銀貨二枚だ!」
「ありがとうございます!」
体格のいい男の屋台で真っ赤な蕪を五つ手に入れた。
こうして人参と蕪で満杯になった手提げ籠はリオンに渡して、俺は預けていた麦の袋を左肩に担ぐ。
「ボクも持つ!」
「ありがとねハルハル。でも今日のは重いから、また今度ね。」
「むーっ。」
むくれるハルハルの栗色の髪を右手で撫でながら帰り道を歩いていると、人混みの中から見覚えのある顔と大きな弓が現れたので、なんとなく声をかけてみることにした。
「どうも。」
「おう、お前か。買い出しか。」
「はい。皆さんは仕事ですか?」
「そうだ。物乞いどもがたむろしてるっていうんで、しばらくは衛兵の真似事だ。」
「そうですか。お気をつけて。」
「おうよ。」
三人の同業者を伴って、背中に大きな弓を担いで去るやや小柄な男。
彼らは傭兵。自身の命を危険に晒して、他者の命と財産を守る生き物だ。
家に着いたら、すぐに荷物を片付ける。麦は物置、野菜は地下室だ。
地下室はいつでもひんやりとしているので生野菜を置いておくのにいいが、湿っているせいで穀物の保管には向いていない……と、カーリーに教えてもらったからだ。生野菜はどうせ、明日と明後日でほとんど使い切るから問題ない。
一度目の食事、食料の買い出しを終えても日はずいぶんと高い。ここから夕方まで何をしようか。
「は……くー……!」
びくり、と体が震える。
壁と扉越しでもわかる。誰が尋ねてきたのかが。
「にいちゃん?」
ハルハルもその人物を察知したらしく。玄関を開けようと金具に伸ばした右腕にぴったりと抱きついてくる。
しかし、開けないわけにはいかない。もしかしたら火急の用かもしれないし、なによりも借家のオーナー夫妻の娘の機嫌を損ねたくはない。
ゆっくり、慎重に、玄関を開ける。
扉の向こうには想定していた通りの光景があった。
「お、おはようございます、コリーンさん……。」
「おはようハヤトくん!時間あるかな?」
時間があるかどうかをわざわざ訊ねられた時は大抵、人手を求められるのがお約束だ。
「まあ、はい。今日はもう出かける用事はないんで。」
そう答えると、コリーンさんは目を輝かせて左手を握ってくる。
「じゃあさ!お手伝い、お願いしてもいい?!ちょーっと重たい物持ってほしいんだよね!」
「えっと、それって酒場の仕事ってやつですか。」
「そうそう!今夜開けるまでにやっちゃいたいんだ!」
お手伝い、重たい物、酒場の仕事……これらの言葉からは怪しい雰囲気を感じられない。コリーンさんも本当に困っているだけのように見受けられる。
たまには酒場の仕事を手伝って、大家との関係を良好に保つべきではあろう。暇の潰し方に悩む必要もなくなるわけだから。
「わかりました。重い物は任せてください。」
「やったーっ!ありがとハヤトくんっ!」
「みんなも一緒でいいですか?」
「もっちろん!終わったらすぐご飯食べてって!」
両手でぎゅっと握りしめてくる左手が、いやに熱くなるのを感じる。
これがどっちの体温のせいなのか、考えようとは思えなかった。
「ボクも行く。ボクも手伝う。」
「ハルハルちゃんは偉い子ねーっ。」
「……。」
ちなみにハルハルは、コリーンさんのお世辞とナデナデを完全無視でやり過ごした。
四人で揃って「割れた杯」に入ると、すぐにキッチンへ通された。半開きの戸窓から光を取っていてそこそこ明るく、石レンガで組まれた窯と調理台があって、物は多いがよく整理されている。
そして、さらに奥。キッチンの隅にある下り階段を数段降りていくと、樽が縦向きに並べられた薄暗い部屋に辿りついた。
「ああ、来てくれたのかい。ありがとね。」
「いえいえ。それで何を手伝えば?」
「こっちだよ。」
待ち構えていたオーナー夫妻が示したのは、床に転がされた三つの樽だ。異世界ファンタジー物にありがちの、鉄で補強された木の樽である。
「こいつをここに上げてほしいんだ。頼めるかい?」
「まあ、はい。いいですけど……。」
直径はちょうど自分の膝ほどで、縦幅は太ももの半ばくらい。鉄の補強があるとはいえ、特段大きくもない木製の樽だ。それを腰下の高さの台に載せるなんて、わざわざ人に頼むほどのことでは__
「うッ?!」
腰を落とし、しっかりと握って上げようとした。
しかし樽はほんの数センチ浮いただけだった。樽に力を加えた瞬間、腕や腰、脚が凍りついたように固まる感覚を受けただけで、まるで歯が立たなかった。
重い。あまりにも重い。これは確かに、男で傭兵の自分に頼むべき仕事だ。
「これ、今までどうしてたんです?」
「いや、ねぇ。」
「うーん……。」
オーナー夫妻は苦い顔をするばかりだったので、代わりにコリーンさんが答えてくれた。
「ウチによく来る傭兵さんに頼むんだけど、みーんな本っっ当にテキトーなの!ぶつけて壊すし!落っことして割っちゃうし!この前なんてちょーっと目離したら、仕込んでたお酒飲んじゃったし!」
「あぁー……。」
傭兵は仕事柄、武装していて、金品貴重品の傍に立つこともある。間違いなく信用第一の仕事だ。
ただ、中には根無し草の無頼漢らしい振る舞いをする者もいるだろうし、繊細な作業が得意ではない者もいるだろう。残念ながら以前はそういった連中にばかり当たってしまったようだ。
それはそれとして、どう考えても一人でやる作業ではない。しかし仲間たちは全員が女性で、主人は申し訳なさそうに眉を寄せながら腰をさすっている。
さて。この場にいる人材でできる、破損させるリスクが小さい手段を考えなければ……。
「ぁ……ハヤト、くん。」
ふと、左の袖が軽く引かれる。そちらに目を移すとカーリーがこっちをじっと見つめてきていた。
ああ、そうか。そうだとも。
自分だけでどうにかしなければならないわけじゃないんだ。
ここは薄暗い地下室。仲間の力は「風」と「闇」と「水」。盾、安物の斧、トリカブトの剣。リオンのクロスボウと短剣、ハルハルの短い槍、カーリーの杖。時間は昼方。
鍵となるのは……「影」か。
「夕方の開店までには終わらせないと、ですよね?」
「うん。今日と明日は持つけど、お酒の仕込みが間に合わなくなっちゃう。」
「カーリーの『影』は重い物も持てる?」
「ぁ……も、もっと、濃かったら。たぶん。」
「ハルハルの『水』って細かく動かせる?」
「ちっちゃいのならできるよ!」
「リオンの『風』は?」
「だぁから。細けぇのは無理だっつってんだろ。」
「うーん。リオンならできると思うんだよね。」
「……わぁーったよ。」
どうするかは決まった。あとは実際にやるだけだ。
仲間たちの配置はこうだ。リオンを階段の下段辺り、ハルハルを中ほどに置き、カーリーは地下室で階段に背を向けて立ってもらった。
「こんな感じかい?」
「あー……もうちょっと、こうで。」
そしてオーナー夫妻は階段の手前と最下段に立ってもらった。俺の斧とリオンの短剣を渡し、平たい面を斜めに掲げるよう頼んでいる。
「ハルハル。俺が合図したら水の塊を綺麗なまん丸にして、窓と斧の間、短剣とカーリーの間に浮かせて。」
「はーい!」
「リオンは短剣とカーリーの間の水に風を当てて。平べったくなって、真ん中が少しへこむぐらいの強さで。」
「やりゃいいんだろ、やりゃあ。」
「うん。よろしくね。」
リオンがわざとらしいため息をついているのを背中に感じつつ、俺は地下室に降りる。階段の前にはカーリーが、樽の傍にはコリーンさんが待機している。
「樽を動かすのはカーリーがお願い。コリーンさんはカーリーに指示を。」
「わかった。」
「ぁ……うん。」
場は整えた。手は揃った。
あとはやるだけ。やるだけだ。
酒場を出て、キッチンの外に立つ。戸窓は全開にしておいた。
革張りの鞘から、片刃の短身剣を解き放つ。
高く昇った陽に照らされて、ギラリと光る刃と鍔。
「……すいません。」
なぜだかこの剣を剣として使わない場面がまた来る気がして、俺は思わず空の高い所へ声をかけた。
「いくよーっ!」
合図と共に片刃の刀身の平らな面を斜めに掲げると、ギラリとした光の矛先は目にも止まらぬ速さで、開け放たれた窓からキッチンへ飛び込んでいく。
キッチンでは丸っこい水塊がふよふよと不自然に浮いている。片刃の刀身が放つ光の矛先がそれを突くと、束と収まり、鋭い鏃と化して婦人が構える斧の刃を跳ね返る。
階段の奥へ飛び去ったそれがどうなったかは、今のところわからない。
「……っ……っ!す……いっ!」
けれどもすぐに、跳ねるような声が聞こえてきた。どうやら俺が考えた作戦は成功したらしい。
俺の考えでは……ハルハルに浮かせてもらった水を凸レンズとして使い、トリカブトの剣の反射光を収束させる。収束させた光を斧の刃で反射して階段の下段へ送り、リオンの短剣でさらに反射。最後に水の凹レンズで拡散させ、カーリーの背中に当てて濃い影を作り出す……ということが起きたはずだ。
小学校で教わった知識を使った、他愛のない作戦だが。何にしても「モノは使いよう」というやつなのかもしれない。
「にいちゃん!終わったってー!」
「わかったー。」
ハルハルの合図でトリカブトの剣を収めた俺は、地下室に降りる。
鉄で補強された樽は台に載せられていて、支えの石レンガによって完全に安定している。リオンとハルハル、オーナー夫妻が感心そうに樽を眺めている一方で、コリーンさんのテンションはやけに高く、カーリーも青い瞳をきらきらと輝かせていた。
「すごかったよハヤトくん!いろんな色の光がピカーってしてた!」
「プリズム効果ってやつですね。」
「ぇ……ぷり、ずむ?」
「太陽の光って白く見えるけど、実はいろいろな色の光が混ざってるんだよ。水の塊を通った時にそれが分解されたから、いろいろな色に見えたんだね。」
「混ざると、白くな、なるの?」
「うん。」
「なん、で?」
「……なんでだろ?」
そういえば、なぜ光は混ざると白くなるのだろう。絵の具は混ぜたら黒くなるのに。そういうものとしか考えていなかっただけに、なんとも不思議に思えてくる。
まあとにかく、無事に樽の設置作業は完了した。俺のなけなしの科学知識と、異世界の住民が持つ異世界的パワーの組み合わせによって。
すなわち、仲間。仲間たちの力あってこそだ。
だとすれば、今夜は仲間たちをたらふく労おう。
「よーし。じゃあみんな頑張ってくれたし、今日の夕飯は豪華にいこう!」
「いやぁいやぁ、もちろんだよ!肉も酒もいくらでも頼んでかまわんよ!」
「わーい!おにくー!」
「へぇ。男に二言はねぇだろうな?」
「キハロイの女にだって二言はありゃしないよ!」
「いっぱい頼んでね!ぜーんぶ私が聞きに行ってあげるからね!」
「いや別に、他の人も。」
「あ、げ、る!」
「はい……お願いします……。」
「……ふふ。」
薄暗い地下室に響く仲間たちと、オーナー夫妻家族の愉快な笑い声。
そこに自分の声が混ざっていることが、どうしようもないくらい心地よく感じられてやまなかった。




