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112:キハロイ防衛戦①

 

 東門と西門を繋ぐ、曲がりくねった通り。普段は住民や衛兵、傭兵や商人が絶えず往来しているこの通りの物陰という物陰に、完全武装した傭兵たちが身を潜めている。彼らが「碧い刃」の襲撃部隊を包囲し、逃げ道を塞いだところに本隊が突撃してすり潰す予定だ。


 本隊に四十七人、分散している部隊に十数人ずつ。合計で百人近い傭兵たちがキハロイの東側で「その時」の訪れを待っている。


 そして黒い髪の傭兵もまた、東からやってくる敵の津波へ仲間たちと共に突撃する自分の姿を何度となく想像していた。左手に盾を、右手に安物の斧を握りながら。


 じり、じりと手汗が柄に滲むのを感じて、右手から少しだけ力を抜く。


「緊張してんのか。」


 右隣でかがんでいた大柄な傭兵が棍棒と見紛う戦鎚を肩に立てかけて、こちらを覗く。


 緊張……しているのだろうか。少年は内心で首を傾げる。


 この世界に来てから身を投じた戦いは全て、唐突に始まった。今は滅びた農村での戦い、洞窟拠点での戦い、しがない農村の防衛戦、謎の巨獣との戦い……ほとんどの場合で迎え撃つのは敵側で、自分は仕掛ける側だった。つい先ほど「碧い刃」の拠点を壊滅させたのもそうだ。


 しかし、今度は違う。これから防壁の内側にやってくる敵を迎え撃つのが自分の役目だ。


 戦いの見え方は、何か違ってくるか。それとも今までと何も変わらないか。


 ……こうして考えるのは、たぶん、()ではないと少年は思う。


 その時、月が最も高い所から降りていく頃。星々遍く宵の空に、ひょう、と一粒の光が駆けた。

 あれは星ではない、火だ。矢先に塗られた油に灯された火だ。


 直後、遠くから重々しい金属音が聞こえる。閉ざされていた東の門戸が開かれていく。


「備えろ。」


 時は近い。

 敵が、近い。

 雑然とした足音が、どどどど、と響く。数はかなり多い。


 なに、全て一人でどうにかしなければならないわけではないのだ。周りには大勢の頼れる先達たちがいて、大半は彼らが片付けてくれる。左隣には栗色の髪をふるふると震わせる仲間もいる。


 少年は再び、遠くへ意識と聴覚を寄せる。


「な……だ!おい、こ……!」

「そん……、……えって!」

「……っとい……、……だ!」


 金属と金属が交わる、気味の悪い音が聞こえる。


 時は、来たれり。


「よしッ!行くぞォーッ!!」

「「おおーーッ!!」」


 四十七人の傭兵たちは、一斉に走り出した。


 正面ではみすぼらしい装備の男たちの群れが、背後と左右を傭兵たちに塞がれて往生していた。


 本当に愚かな連中だ。これから緩くも険しくもないあの坂を登って、城一つを落とそうというのに。その程度の足止めに怯んでしまっていては、坂にすら辿りつけないだろう。


 まあ、それを阻むためにこそ「俺たち」がいるのだが。


 三十、二十五と距離が詰まっていく。


「弓持ちだ!」


 ふと、敵か味方のいずれかに与する何者かがどこかで叫ぶ。


 途端に降り注ぐ、矢の雨。全てに火がついている。きっと叫んだ男はその火に気が付けたからこそ、自身の味方に警告することができた。


 まあ、だからなんだという話だ。盾を持っていない間抜けは火矢を浴びて衣服が炎上するし、盾を持っていても木板で作られたそれは手放さざるをえない。しかも射手の腕が良かったおかげで、矢は全て「碧い刃」にのみ命中している。


 結局のところ、連中は「仕留められる側」に違いない。


「おおぉおッ!」

「ひッ?!」


 黒い髪の傭兵は一歩、二歩と駆け寄って、仄暗い黒に染まった瞳に(とら)えた一人の男の顔面に安物の斧の刃を突き立てる。抉り、裂き、特徴的な鷲鼻を軟骨ごと引いて千切る。


 醜くなった顔面をしかめるその男の左脇腹と左太ももを、黒い髪の傭兵はさらに切りつける。そうして完全に倒れて動かなくなった男の背中を傭兵たちが一歩、二歩と踏んで進む。


「なんでこんなことにぃッ!」


 そんな恨み節を吐きながら、勇敢にも立ち向かってくる男がいた。彼もまた腕に緑色の布切れを巻いていて、それなりに使えそうな質の鎧を着込み、粗末な作りの鉄帽(ヘルメット)を被っている。先ほど伏せた男と比べれば格段に上質な装備だ。


「くッそおおぉぉおおッ!」

「うおおおぉぉッ!!」


 ぶつかり合う盾と盾。がつん、と伝わる衝撃。


「ふんッ!」

「いッ?!」


 しかし押し合いにはならなかった。黒い髪の傭兵はすかさず盾を引いて、左足で男の右足を力いっぱいに踏みつけたのだ。対して右足を痛めつけられた男は半歩だけ後ろに下がってしまう。


 二人の間に空いた隙。そこに黒い髪の傭兵が飛び込んだ。


 右足で踏ん張って半歩分だけ跳躍した黒い髪の傭兵は、男の顔面に盾の縁を叩きこむ。粗末な作りの鉄帽に顔面を保護する機能はなく、冷たい鉄縁が鼻と口の間に直撃してしまう。


 二度目の激痛で完全に目を閉じてしまった男が、黒い髪の傭兵が斧を左から右へ振り抜くのに対処できる道理はない。幅広の刃は胸当てと腰当ての隙間を横に裂き、大量の赤い粘液を溢れさせる。


「おらァッ!!」


 そして仄暗い黒に染まった瞳が見つめていた鎖骨の辺りに、幅広の刃が刺さった。


「ひぎぃええッ?!」

「ふんッ!」


 痛みと、痛みと、痛みのせいで、もはやまともに立っていることもままならないであろう男だったが、黒い髪の傭兵が胸を力ずくに切り裂いたおかげでようやく敗者として地に伏せることが許された。


 それに至る経緯をより安らかにしてやるべきだったかと問われれば、これっぽちもない、と答えよう。


「クソ傭兵がッ!」

「ッ?!」


 黒い髪の傭兵が咄嗟に盾を構える。盾には何かが衝突したらしく、ガツン、と明らかに重たい衝撃が加わった。


 正体は、明らかだ。


 ぼさぼさとした短髪、無遠慮そうな悪人面、右腕に巻かれた緑色の布切れ、上等そうな胸当てに上等そうな長身剣。


「……!お前、ズスリスか!」

「こっちのこたァ、なんでもお見通しってかァ!」


 確かに、と黒い髪の傭兵は内心で唸る。


 こうして相対しただけでわかる。この男、いけ好かない野郎だ。そしてこの男こそが、このあまりにも愚かな企みを起こした張本人だ。


 ごろつき集団「碧い刃」のリーダー……ズスリス。


「お前は生かして捕まえる。覚悟しろ。」

「やれるもんならやってみやがれッ!」


 安い挑発に乗ってやるつもりも道理もない。まして言葉を、不敵な笑みすら返してやる必要はない。

 だがこの時は、そういう気分だった。


「今度も俺が捕まえてみせる。」


 どこかで始まった別の「対決」に盛り上がる声を右耳に聞きつつ、「一番星」は目前の敵へ意識と視線を差し向けた。





 盾一枚を隔てて、相対する二人の戦士。


「死ねァ!クソ傭兵ッ!」


 右足、左足と踏み込んでくるズスリスに合わせてハヤトは右へ位置をずらし、攻撃を盾で受けられるように仕向けている。


「ふッ!」

「くっ!」


 だが、大方の想定の外から()()は来た。盾で受けられるように調整しているのにも関わらず、ズスリスの長身剣の切っ先はこちらの右腕に噛みつこうと牙を伸ばしている。


 いつの間に、と考える猶予はなく。ハヤトは半歩だけ右足を引いて体を捻り、長身剣の刀身を盾の縁で叩いて軌道を逸らす。左足を四半歩下げて、突っ込んでくるズスリスの体を受け流す。


「ハァッ!」

「なっ?!」


 しかし逃げきれない。ズスリスはさらに盾の縁に長身剣の柄頭を引っ掛けて、めくり上げようとしてくる。だが力ずくで踏ん張るハヤトの左腕は動かず、対して盾の下で幅広の刃が赤くぎらついている。


「ふ!」

「クソッ!」


 長身剣を握る手に向けて繰り出された幅広の刃だったが、宙を切るばかり。その手は体ごと、二歩半離れた位置にあった。


「おぅらッ!」


 それからもズスリスは長身剣を両手でしかと握って、突き、突き、突きと盾を切っ先で抉ってくる。大振りだが効率的な動きで繰り出されるそれらをハヤトは辛うじて見切って盾を流していたが、反撃を加えようにも距離があって手が届かない。


 斧の射程と長身剣の射程の差を上手く利用されてしまっているように、少年は感じる。ごろつき集団を率いているだけあって腕っぷしもなかなかのようだ。


「どうした腰抜けッ!」


 安い挑発に乗ってやるつもりも道理もない。この時は間違いなくそれが正しい。

 ただ、やられてばかりも性に合わない。


 黒い髪の傭兵は両の脚と背中を、ぐ、を強張らせた。

 仄暗い黒に染まった瞳を、煌々と輝かせて。


「はああぁッ!」

「うおッ!」


 右足、左足と一息で詰めたハヤトは盾を突き出してズスリスの視界を塞ぐ。その隙に右上へ斧を振りかぶると、幅広の刃の重量に任せて力いっぱいに振り下ろす。

 ズスリスは頭上へ迫るそれを長身剣の刀身で受け止めると、逆に切っ先を盾に添わせて、耳の辺りを狙ってきた。


 しかし、そのような苦し紛れの攻撃が王国随一の技術者が拵えた兜の守りを破れるわけがない。


 側面を防護している鎖帷子が何かを阻んだ感覚だけ確認したハヤトは、さらに半歩、前へ出る。


「おおおッ!」

「ぐおッ!」


 突き出した盾を左肩に負って突進し、ズスリスの体勢を崩しにかかる。ズスリスは密着されながらもなんとか踏みとどまっているが、右足が地面から離れつつある。


「ふっ!」

「クソァ!」


 浮き上がりかけた右足へ繰り出す、内側からの払い蹴り。左足で軽く撫でてやっただけだったが、ズスリスの体はついにほとんどの制御を失う。


 あとは一撃か二撃加えて仕留めれば、勝ち。そういうところだった。


「くおおぉぉぉおおッッ!!」

「なぁっ?!」


 驚くべきことに、なおもズスリスの両足は地を去っていなかった。辛うじて着いていたつま先だけで重心の傾きを後ろへ誘導すると、ほとんど倒れ込むような形で距離を離されてしまう。


 何にせよ、逃げられてしまった。あと一手という段階だったのに。


 ズスリスが苦悶の表情で立ち上がろうとしている間に、少年は右を見遣る。柄が長い鎚を振り回す筋骨隆々とした禿げ頭の男と、短い槍をぐわん、ぐわんとしならせてあちらからこちらへ、こちらからそちらへと縦横無尽に跳ねまわる幼女がしのぎを削っている。


 自分では、あのような戦い方はできない。


 だが、きっと。自分なりの戦い方というものがどこかにある。例えば……防具の圧倒的な性能で押し切る、だとか。


 黒い瞳から、光が消える。


「やってやる。」


 背中の筋肉を強張らせ、右足と盾を突き出す黒い髪の傭兵。

 長身剣を両手で握りしめる、ぼさぼさとした短髪の男。


 傭兵とごろつき。戦士と犯罪者。狩る者と狩られる者。


 語るべき言葉など、ない__


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