99:灯の館②
二人組の男の片方……四角い髭の男との雑談に興じている間、もう一人の男はエールを飲みつつ、なぜかハヤトの顔を淡々と窺っていた。
「お前、コリーンちゃんと歩いてたか?」
ハヤトは、ぶっ、とエールを吹き出した。
「さ、さあ?なんのことですかね、ははは……。」
「いや違いねぇ。この前、コリーンちゃんに抱きつかれてただろ!」
「なんだとぅ?!テメェまさかコリーンちゃんのコレか?!」
「違います!一方的に迫られてるだけです!」
「それはそれで羨ましいぞぅオイ!」
町中で腕に抱きつかれた時も、「割れた杯」でウインクを飛ばされたり背中から飛びつかれたりした時も。かなりの人数に見られてしまったのは理解していたが、まさかこの場で詰められることになるとは。
「はぁ?てことはなんだお前、マジで『一番星』なのか?!」
「だからさっきから言ってんだろ!」
コリーンに迫られていることが「一番星」と呼ばれる傭兵であることを証明しているというのが何とも言えない。カネにがめついというイメージはどうやら、自分だけのものではないらしい。
「いいじゃねぇかコリーンちゃん!クッソかわいいし腰は細いしおっぱいもそこそこあるし!働きモンで愛想も良い!なによりもクッソかわいい!」
「コリーンちゃんは『割れた杯』の一人娘だぞ。ずいぶんと立派なオマケまでついてくるっつうに、なぁにが不満なんだよ。」
「いやあ、別に。コリーンさんが悪いってわけじゃないんですけどね……。」
彼女と結婚すれば自動的に「割れた杯」の次の主人になれるわけだが、それを目当てに彼女を狙っている男もいるのだろうか。
愛想が良く働き者のコリーンは誰からも好かれていそうだ。自分でなくともいずれ、あの繁盛店に見合った働き者で、彼女だけを見つめられる誠実な男に巡り合えるはず。
「俺はやりたいことがあるんで。彼女と一緒になるっていうのは正直、考えられないです。」
「ケッ!すかっした野郎だなァおいッ!」
最初の一杯が回って、口もよく動くようになった頃。どこからか漂う食欲をそそるかぐわしい匂いが鼻と胃袋を刺激する。ハヤトが本能のまま振り返った先には、両手いっぱいの料理と共にこちらへやってくる二人の女店員の姿があった。
「お待たせ。羊の乳のシチューよ。」
「豚のあばら肉の香草焼きっす!」
白い仮面を着けた二人の店員によって次々とテーブルの天板へ運び込まれる、今晩の夕食たち。焼きたてのあばら肉は切り口から脂を滴り落とし、シチューには何かしらの穀物と橙色の根菜がたっぷりと浮かんでいる。
「小銀貨九枚と銅貨十二枚よ。」
髪が長い方の女が値段を告げると、男三人の目線が一斉に一人へと向けられる。間違いなく、この場で最もカネを持っている人物へと。
その人物は腰にぶら下げていた革袋の紐を緩めながら、ふと思い出した。
こういう時、言ってみたいセリフがあったことを。
「お釣り、取っておいてください。」
木組みのシャンデリアの灯りで照らされて銀色に煌めく、大きい方の硬貨。
きらりと光り輝いたのは、厚い皮の手から細い手へ渡る硬貨だけではなかった。
「ふふ。お兄さん、気前がいいのね。」
朱色の唇をたおやかに緩める、髪が長い方の女。対してもう一人の髪が短い方の女は唇を尖らせて、ハヤトの肩に手を添える。
「ねえねえお兄さん!私は?!」
「もちろんお姉さんに、も……。」
その時。少年は、はて、と内心で首を傾げた。
初めて来た店なのに、この流れを自分はよく知っている。まるでこの都市にやってきた日からずっと通っている、馴染みの店でのやり取りが如く。
少年は黒い髪を揺らして、もう一度振り返る。
揃いの模様が鏡映しで彫られた白い仮面。長い髪と短い髪。貧相な胸と豊満な胸。たわわな尻と締まった尻。
そして仮面の奥でギラギラと煌めいている、輪郭があまりにもよく似通った垂目。
迫り来る妖しい微笑みに抵抗する余地はなく、少年は女たちの手が頬を這う熱に身を委ねるしかない。
「「たっぷり『お世話』してあげるからね。」」
両の耳に吹きかかる、生温かい吐息。
喉から胃へ押し流した熱はおぞましいくらいに粘っこく胸の奥に張り付いて、男の体を滾らせるのだった。
重たい瞼を無理やり持ち上げた少年がこの日初めに見たのは、知らない天井と知らない形の窓だった。
昨晩の記憶を掘り起こそうとして頭を回そうとするが、巨大な銅鑼が立て続けに打ち鳴らされているかのように低く重たく振動している気分になって心地が悪い。体も力がまったく入らず、ひたすらに脱力感を覚えるばかり。
それでもどうにか体を起こそうとしたところで少年は気がついた。安らかに眠る垂目の裸婦たちを両腕で抱いていることに。
「……マジか。」
まあ。思い出せなくてもこの景色さえ見れば、事の顛末は察するに易い。
それにしても脱力感に苛まれている上に二人が密着しているせいで、身動きがまったく取れない。せめて早く目覚めてくれることを願って胸元にある二人の顔を眺めているが、事態はなかなか変わってくれない。
ただ、端整な顔立ちで晒す愛らしい寝顔をしばらく眺めていたばかりに、彼女たちと及んだ「行為」の記憶を急速に思い出してしまった。……主に下半身が。
「ん、ん……。ふあ、あぁ。」
そこでタイミング悪く、髪が短い垂目の女が小さく欠伸をしながら目覚めてしまう。
「あ……ふふっ、おはよ。」
「お、おはようございます。」
じ、と見つめてくる女はまた「ふふ。」と笑む。
「もっと軽く話していいってば。」
「あ、の……ごめん、ノマンダ。」
「うんうん。それでいいのだよ、ハヤトくん。」
髪が短い垂目の女……ノマンダは、満足そうに笑って頬を撫でてくる。
ちなみに未だ安らかな眠りのさなかにいる女の名はエマンダという。双子の姉妹でエマンダが姉、ノマンダが妹だ。
__竿って意味でも。
自ら情報の補足をしたところで、良い意味で体が程よく温まってきた。肩や腰に力が入るようになり、両側からの圧力に抵抗するだけの膂力が戻りつつある。
「起きないと……。」
「帰っちゃうの?」
胸を抑えて留まらせようとしてくるノマンダだが、ハヤトはかぶりを振る。
「うん。早く帰らないと……。」
そうだ。帰って支度を済ませて、カルリスティアを迎えに行かなければ……。
「そうだッ!早くしないと!」
窓の外では建物の影がずいぶんと短い。すでに正午を過ぎた頃といったところか。
ハヤトはノマンダの手をどかし、エマンダの体をゆっくりと押し退けて飛び起きる。後ろから聞こえてきた「きゃっ。」という悲鳴に一瞬だけ足が止まったが、椅子の背もたれにかけてあった丈長の衣を着る手は動いている。
「もうちょっと一緒にいてもいーじゃん。」
「だ、ダメなんだって!」
「もう。うるさいわね……。」
あられもない姿で追いかけてくるノマンダと、とうとう起きてしまったエマンダに構わずハヤトは身なりを整える。トリカブトの剣の鞘がベルトに括りつけられていることを確認し、髪を簡単に梳かすだけだが。
しかしそれすらも、両腕を抱き締められてしまってままならない。
「そんなにあの子たちが大事なのかしら?」
「私たちならいくらでも好きにしていいのに。」
いいや、違う。これはカネづる相手の言葉。断じて、そのはず。
「と、とにかく今日はもう帰らないと!」
「「じゃあ、ヤクソクして。」」
双子らしく、まったく揃った言葉を吐き、まったく揃って耳に口を寄せてくる。
「次は『外』で会いましょ?」
「どっちかだけなんて、ヤだから。」
蠱惑的な微笑みと柔らかい体温に挟まれた少年は、ただ頷くことしかできなかった。