4. ジンの想い人とジンを想う人
花畑を見た気がする。橋のたもとにいた。川を渡っていた。川沿いで中に入ろうか躊躇っていた。懐かしいヒトに呼ばれていた気がした。
全てこれはこのはざまの世界での出来事。それでもここでの記憶は基本的に全て消えてしまうから、ほんの少しだけ残った記憶の星の破片に干渉して、戻った現世でそれをそう語るものがいる。夢現と言う表現もこの場所を指していたりもする。元々感情の許容幅が尋常でなかったり、心身が極限状態に置かれてしまったりするとふっとこちら側が見えてしまったり、その敷地の端に足を踏み入れてしまったりする。私たち番人と遭遇せずに、そのまま立ち去れば夢で済む。もしその道の途中で番人に出会してしまったら、たどり着いたのは偶然でも夢でもない。そのヒトにとって必然で、運命で、現世との縁が薄くなってしまっている証拠だった。
ちあきは自分で蝋燭を捨てようとしたタイプ。そのタイプももちろん範疇だが、あまりにも思いが残ったままのヒトにしてもここにたどり着く事がある。どんな形であっても僕たち番人はたどり着いた全ての想いを受け止めて癒す。
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遠くをぼーっと見つめて、我を無くして、花畑のほとりに座り込んでいたら、背後から知っている気配がした。ふわりと髪を撫でたのは酔仙翁の軽く優しい手。僕はこの手に撫でられるのが好きだ。昔いた場所に咲いていた花に似ているからかもしれない。いつも少し胸を締め付けるような甘い思いが蘇る。それはチクリとするけれど、決して嫌いではない。そんな僕がうまくいかなくて落ち込んでいると、スイはいつも様子を伺いに来てくれる。
「あぁ、酔仙翁。どうしたの?」
「スイ、な。その爺さんみたいな名前で呼ぶな。」
「その言い方もどうなんだよ・・・。お前の名前だろ。で、何?」
「え、なんでそんなに塩対応なの?同じ番人仲間でしょう?もっと仲良くしようよ・・・。」
「いや、別にどうって事ないけど・・・。」
「ジン。大丈夫か?」
「は?何が?」
「はいはい。ジン。大丈夫。さあ僕の目を見て。ここでは何もあなたを傷つけないし、拒絶もしない。全てを受け入れるから安心して。僕はジンの気が済むまで、ここにいるよ。君だけの為にいる。言葉にしてもいいし、今みたいに心に思うだけでもいい。向き合ってもいいし、向き合わなくてもいい。新しい何かをここでする事はできないけれど、これまでとどう付き合うかは好きにできるから。何もかもジン次第だよ。大丈夫。僕は君の味方だから。今までよく頑張ったね。えらいえらい。」
「あーもうはいはい。お見通しってね。僕のセリフ丸暗記してんじゃん、怖いわ。もうそれならじゃあ理由だってわかるだろ。」
「わかるけど、ジンの口から聞きたいんだよ。どうだった?久しぶりだったろ。会うの。」
「うん、久しぶりだった。現世の時間軸だと20年振りかな、多分そのくらい。あぁもう!正直言うと会いたかったよ。すごく会いたかった。だけど、こんな再会を望んではなかった。僕は決して彼女の人生には干渉できないけれど、ここに来るような人生ではなくて、ここには縁のない幸せな人生を送って欲しかった。」
「そっか、向こうの20年か。俺たちにとって現世の20年ってのは、一瞬でもあるし、永遠でもあるし、難しいけど、ジンの場合はどうであれ辛かったな。本来大丈夫ってのは大丈夫じゃない相手に聞いちゃいけないんだけどさ。どうしても聞いてしまうな。俺もまだまだ番人として経験が足りないんだ。悪かった。」
「何言ってんの。そんな事ないよ。僕だって、どれだけやっても慣れない。合ってたのか、間違ってたのか、あの話しかけ方で良かったのか、毎回後悔ばっかり。こんなじゃダメなのは分かってるんだけど。それでも今までなんとかやっては来たんだけどさ。でもやっぱりちあきはキツかったな。」
小さなため息をついて俯く僕の頭をぐしゃぐしゃっと容赦無く撫でるスイの乱暴な気遣いが今は嬉しいし、心の底から安心する。番人であっても癒されたい時がある。特に思い入れのある対象をケアした後は現世なら枯れてしまうようなダメージがあるものなのだ。だから番人は務めてあまり思い入れをしない。それどころか、来るものへどう思い入れをしたらいいかわからないと言う番人さえいるくらいだ。確かにどんなに想いを注いだとしても、戻る選択をしたヒトは星となる時にその全てを忘れてしまうから。そうあるべきで、そうすべきだからその番人達はそうする。それでも僕のように全てを忘れられない番人は持ってしまった想いをずっと抱え続ける事になる。それは受け入れるヒトを理解する上で良い方に影響する事ももちろんある。それでもそれは一概に良い事とは言えない。現に耐えきれなくなって、現世送りになる番人もいる。全ての記憶とこの永遠の場所を捨てて、現世に降りるのだ。その先にどんな運命が待ち受けていようとも、永遠の時からは逃れられる。ヒトが追い求め続ける永遠は、実際それを手にしてしまうと案外キツイ事でもあったりするのだ。永遠に抱える想いから逃れられず、その生は常に共にある。時の粒子と共にあるとは言え、ヒトを受け入れる限り、その対比のような時間の流れを嫌でも見る事になる。どの時代を生きても、どの時代に関わっても、そのどの時代とも一緒にいるようでいない。
永遠とは無常で残酷だ。
そう。僕はちあきの事を知っていた。
私たち番人は現世とはざまの世界を何十年の単位で行ったり来たりしている。ただ、ここの時間軸は現世とは違うから、平成の世で咲いた後、次は平安の庭に根付く、と言うような事も平気で起こる。真っ直ぐ一方向に流れている時の流れではなく、それぞれの時の粒子を見ているから、自然とギャップが生まれるのだ。全ての時代で花は咲き、その時々の人々を見守り、癒し、時に身代わりとなり枯れる。それは普遍的なもので、誰も干渉する事はできない。それはヒトでも番人でも皆同じ。
ちあきは3回くらい前の現世で見かけた女の子だった。僕はその時、ある家の庭の少しだけ日の当たる半日陰に植えられていた。家主は老人で、僕の香りで季節を感じ取ってくれていた。ゆっくりとした時の流れるその庭で2月のある日、僕はちあきと出会った。目がクリクリしたくせ毛のカールが可愛い女の子で、家主の老人が心から愛している事もよく分かった。純粋な愛がそこにはあって、それはキラキラと輝いていて、一瞬で虜になった。
「おじいちゃん、このお花とっても綺麗ね!とってもいい匂い!ちあきお家に持って帰る!」
「そうだね。これは沈丁花って言うんだよ。とっても綺麗でいい匂いだね。でもこのお花は持って帰れないよ。ちあきのお家にはお庭がないからね。摘んでしまってお花に元気がなくなっちゃうのは嫌でしょう?」
「それはいや!そっか分かった。じゃあここでいい子いい子する。綺麗なお花咲かせていい子いい子!またお花見にくるね!おじいちゃんとこで元気にしててね!」
僕に触れたその小さな手には大きな生命が宿っていて、見える世界の色が変わるほどに大きな衝撃を僕に与えた。この子の人生に関わりたい、絶対に叶わないそんな想いを迷いもなく持ってしまうほどに。
私たち番人は普遍的な存在。わかりやすく言うと、輪廻転生を繰り返し続ける。ただそれは全て繋がっていて、記憶も全てそのままにある。大体は現世での花としての生涯を終えると、次はこの場所に戻り番人をする事が多い。面白いのは一つ前の花だった頃の色が今の髪の色になっている事だろうか。白い花だった時は次の番人をやる時には白髪になったし、今の髪はピンクが混ざったような色だ。それは他の番人でも同じで、今隣にいるスイは綺麗な赤毛をしている。僕自身、厳密に言うと花ではない。でも葉の色が反映されている番人は覚えがないから、恐らく花や実、その植物を象徴する色が引き継がれて反映するのだろう。その色合いはいつも絶妙で、この世のものとは思えないトーンになっている。自分の髪も好きだけれど、今のように他の番人の色に見惚れて、癒される事も少なくない。実際、ここはこの世ではないから、浮世離れした美しさが当たり前に存在している事に疑問を持つ必要はないのだろう。
スイの持つ花言葉は、私の愛は不変。
辛くても大変でも、憔悴してもそれを表に出さずに、精一杯の笑顔を保って、ちあきに癒しを施した。僕の愛は不変。あの時ちあきがその優しい小さな手で撫でてくれた時から、その溢れるような笑顔を向けてくれた時から、話しかけてくれた時から、ずっとずっと愛している。僕の愛が実る事はないし、ちあきが僕を認識する事はない。ヒトがこの世界に来る事が出来るのは生涯で一度だけ。もし偶然に二度目があったとしても、その時に同じ番人が対応する事はない。遠い遠い交わる事のない世界の境界線で、あなたの幸せをただ祈る。それが僕にできるただひとつの事。ただひとつだけの愛の示し方。
見ていられなくなったスイにぎゅっと抱きしめられたジンの目からは涙が溢れた。
どんなに愛しても想いは伝わらず、どんなに悲しんでも、もう助ける事はできない。
蝋燭を投げ捨てるようなそんな締め付けられるような中にいて、泣き喚いていたとしても、黙りこくっていたとしても、僕にできるのはここから加護を願う事だけ。
「ジン。全て捨てる事もできるんだぞ。そんなに辛いなら。」
「・・・それはしたくない。辛くて辛くて、どうしようもないけど、それでもこの想いを抱える事が僕のいのちでもあると思う。辛いけどね。本当に。涙、止まらないよ。ごめん。」
「何で謝るんだよ。じゃあ仕方ない。傷心のジンには僕がシーレーノスの加護を願おうか。」
スイがジンの頬を優しく両手で包み込むと、2人をぽおっと優しい光が包む。
汝にこの世界の加護を与えたまえ。
酔仙翁の変わらぬ思慕と機智の煌めきを、限りのない愛の光を、輝きを、かけがえのない友人であるジンに与えたまえ。
その小さな傷を癒したまえ。
ここに酔仙翁の花をかけて、精霊シーレーノスよ、ジンをお守りください。
呪いが終わると、2人を包んでいた優しい光は周りの空気に馴染んで消えた。表情に明るさを取り戻したジンの顔を見て、スイは優しく微笑む。
「ジン。僕はいつも君のそばにいる。叶わぬ相手を愛して傷つくここの番人には不向きな君の加護を常に願うよ。それでも誰よりも彼らの想いに寄り添って、癒しを施せるのは君が立派な証拠だよ。」
「ありがとう。スイがいてくれて助かった。久しぶりに取り乱してしまったよ。冷静になれたのはやっぱり君の花呪いのおかげなんだろうね。悔しいけど、やり手だよ。スイは。」
「ジンだってちゃんとやってるよ。これはバレると怒られちゃうけど・・・。ほら、見てごらん。ちあきは君が託した選択肢をちゃんと理解して、毒の実を行使した。それは一時的にとても傷を負う事になるのに、それでもその影響をちゃんと分かった上で、自分の幸せをちゃんと考えて、自分の人生に向き合ったんだよ。自分を愛する事ができるようになったんだ。これはジンがちゃんと番人として向き合えたって事だ。ずっと抱えた思いがあったのに、会えてすごく嬉しいのに、こんな再会になった事が悲しくて悔しくて、それでも嬉しくて。もうぐちゃぐちゃになっててもおかしくなかったのに、君はちゃんとできた。えらいよ。えらいえらい。」
「そうだったらいいな。もしそうなら、良かった。僕は全てを捨てる事も、ちあきを忘れる事も何もできないけど、それでも僕にひとつでもできる事があったのなら、良かった。」
「あぁっと。内省まで済んじゃった。この流れだとこの後現世戻しだけど、どうする?もう現世降りちゃうか?俺としてはここに残って欲しいけど。俺はここでジンとまだ番人をやってたいよ。」
「いやいや、いいよ。今は降りたりしない。僕はここで僕にできる事をやる。ちあきの事はずっと忘れないし、愛する気持ちはどうにもならないけれど、ここは僕にできる事が少しでもある。それにスイがいる。また僕が自信をなくして、泣いたとしても、思い出してへこんだとしても、またスイが助けてくれる。それなら、僕はこの場所で頑張れる。」
「出来れば、そんな不遇な想いは過去にして欲しいんだけど、それが出来るような器用さがあればそれはジンじゃないしな。いつでも慰めてやるし、酷ければまた花呪いをかけてやるから。そうそう簡単に解けてくれても困るけどな。普通は一回きりなんだから。でも俺らは永遠を生きてるからな。何度でもかけてやるよ。」
「期待してるよ。もっと経験積めば、一回の効き目伸びるんじゃない?」
「軽口が叩けるならもう大丈夫だな!ほら、仕事だ!しっかりやるぞ!」
「うん。ありがとう。本当に。」
ジンが持つ花言葉は、永遠、栄光、勝利、そして、実らない恋。
アポロンの恋が実らなかったせいで、僕にまで影響が出ているんだ。それでも僕がジンだったから、沈丁花として生を受けたから今がある。だから、僕は今日もここで番人として、花呪いをかけていく。
僕たちはざまの世界の番人は今日も抱えきれなくなった想いを抱えたヒトを受け入れて、癒す。それが少しでも前を向けるような一助になれば、小さい傷は僕らの花呪いで癒そう。それが僕たちの願いであり、この世界の意思。
今日も花畑に丁寧の音が鳴り響く。迷えるヒトの到着を知らせる鐘の音だ。その鈍くも通りが良い音色が番人達を花呪いへ誘う。むせかえるような香りと全ての季節の花々と共にたどり着いてしまったヒトを今日も癒す為に。