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2. 迷いこんだその先で

東ちあき、私の名前。


そう私はさっき大した決心もつけられないのに、ふっと気が触れて手すりを超えた。もっとすごく思い悩んだり、大きな絶望に苛まれて前も見えなくなるくらい、そんな大きな何かに見舞われた末に起こる事かと思っていた。でもそうではなかった。私からしたら、本当にふっと一瞬、風が吹くように心を掠めた、ただほんの些細な事だったと思う。大きな意味があればもっと理解できるから、それを知って安心はするんだろうけれど、そんな事はない。


大きな理由なんて、ない。


彼氏だと思っていたヒトの家で結婚情報誌を見つけた。

会社でおじさんにどうせ腰掛けなんだろって言われた。

仲良しだと思っていたヒトが陰で笑っていた。

思ってもいない悪口に笑顔で加勢した。


いろいろあったけれど、その全てを乗り越えてきた。ヒトの数だけ、いろいろな意見はあるし、気に入らない事はある。理解しているし、ダメなら距離を取るしかない。それでうまくやってきた。ここまで私は頑張ってきた。でも何だかあの夜は何かこうふっと、ぷつりと、境界線が薄くなってしまったような、ギリギリで繋がっていた線が妙に伸びきってしまって、限界を飛び超えてしまった。そこに決意や強い気持ちはなかったような気がする。


「ふぅん。それでここに来ちゃったのか。」

「え、私喋ってましたか?」

「ここでは聞こえちゃうのよ。大丈夫。何もあなたを傷つけないし、拒絶もしない。全てを受け入れるから安心して。僕はちあきの気が済むまで、ここにいるよ。君だけの為にいる。言葉にしてもいいし、今みたいに心に思うだけでもいい。向き合ってもいいし、向き合わなくてもいい。新しい何かをここでする事はできないけれど、これまでとどう付き合うかは好きにできるから。何もかもちあき次第だよ。大丈夫。僕は君の味方だから。今までよく頑張ったね。えらいえらい。」


にっこりと笑うジンの笑顔は心に沁みる。頭を優しく撫でられるなんて何時ぶりだろう。脳が痺れるようだ。こんなに誰かに癒やされた事なんて、今までの人生で思い出せない。子どもの頃なら・・・?そんな昔の記憶を鮮明に憶えているほど記憶力もよくない。そもそもジンはヒトではなさそうだけれど、そんな事はどうでもよかった。


いつの間にか泣いていた。わんわんと泣いていた。そんな私をぎゅっと優しく抱きしめて、好きなだけ泣かせてくれた。私は何にそこまで思い詰めていたのだろう。誰にも本音を言えなくて、作り笑いを浮かべて、ただただ自分の内側に小さい傷を作り続ける事でここまで生きながらえた。それでも嘘の度に付く、その小さい傷に本当はもう耐えられなかった。そっと抱きしめられて、頭を撫でられていると、そのひとつひとつが柔らかく修復されていく気がした。


優しく、されたかった。


私は疲れていたのだ。夢でもいいから、どうなってもいいから、誰かに優しくされたかった。可能性を求めた結果が今ならそれも悪くないとさえ思ってしまった。


「それはダメだよ。」


すぐに気が付かれる。ここはあくまではざまの世界。ここをあてにしてはいけない。たどり着けるとは限らないんだよ、と諭される。


「それでもちあきはここにたどり着いた。今はこのジンがちあきを癒しましょう。ちょっと目を閉じて。」

「・・・はい。」

「おまじないだよ。ジンの花呪い。」


汝にこの世界の加護を与えたまえ。

沈丁花の栄光と勝利の光を、輝きを、ちあきに与えたまえ。

その小さな傷を癒したまえ。

ここに沈丁花の花をかけて、毒の実をもって、精霊ダフネよ、ちあきをお守りください。


「世界を生きるにはね、毒も必要なんだ。ただ、使い所を間違ってはいけないよ。それがそのまま自分に返ってくるからね。それでも今ちあきの傷は癒やされた。ちあき、今あなたは選択肢を持っている。このままここに残り、一輪の花になるか。それとも、また現世に戻って、人生をやり直すか。君も知っている通り、現世も悪い事ばかりではない。それでもそれと同じくらい嫌な事もあるだろうね。でも今のちあきには僕の花呪いがかかっている。ここでの事は全て忘れてしまうけれど、それでも前よりは自分を守る事ができるよ。一番大事な部分に呪い(まじない)がかかっているからね。ちあきはひとりじゃない。さあ、どうする?」

「・・・私は、自分を大事に、できてなかった。もっと自分を愛してあげられたのに、他者から貰えないものを求めて、自分の期待通りにならない事に勝手に失望して。自分を傷つけるものからちゃんと逃げる事もしなかった。自分の人生を犠牲にするなんて、本来一番しちゃいけない事だったのに。私の人生は私のものなのに。なんでちゃんと自分を抱きしめてあげられなかったんだろう。ずっと側にいて、ずっとどうして欲しいか知っていたのに。すごくそれが後悔になっているんです。ジンさんが癒してくれたから、冷静になれたのかな。ちゃんと自分を愛せなかった事が今すごくもったいなかったなって。もっと自分の為にできた事があったのに。誰かの為じゃない。自分の為に自分の人生をもっと生きたかった。だから、私、戻りたい。」

「分かった。じゃあ用意するね。」


指先をパチンと鳴らして、星のような火花を起こすと、宙に火を付ける。その火の玉のような球体からは細い細い煙が立ち昇る。その中に混じる火花の種が空につくと小さな花火になり、散って星になる。青空にキラキラと小さな小さな星が煌めく。この火の玉に触れれば、それと一体となり、空に立ち昇った後現世に帰れるのだと言う。まるでお盆の迎え火、送り火のようだ。もしかしたら、このはざまの世界はそんな場所なのかもしれない。


「さあ、これを飲んで。そしてこの花を一輪君にあげよう。すぐに枯れてしまうかもしれないけれど、それは君の身代わりだから、枯れたらその時はありがとうと言って土に還してくれればいい。そうすれば、この花はここに戻ってこれるから。さあ、頑張りすぎないで。ちあきはちあきを心から愛して、大事にして。それができるのは世界でちあきひとりだけ。大丈夫。ジンは、この場所は常にちあきに見守っているから。」


ジンが指で軽く触れると火の玉はとろりと変化して虹色のグラスに入った。手渡されたそのグラスは手に持った瞬間にちあきの手をふわっと同じ色に染める。ひとくち、それを口に含むと、ふわふわとして、肌が虹色に、世界が星のようにチカチカとして、目の前がぐにゃりと歪み、意識がすうっと遠のいていく。


「自分を愛して・・・。」


その言葉が心の奥底に響いていた。小さなひとつの火の玉となり、火花と共に空に舞い上げられて、ちあきはふわっと浮いて、風に巻き込まれ、まるで星のように浮かんだ。意識が朦朧としていて、夢うつつの状態だから、見えているものは全て夢幻かもしれない。それでも全て現実で真実だったかもしれない。それでも最後に見えたはざまの世界はそれはそれは綺麗で、あれが俗に言う花畑なのかもしれないと頭の片隅で思った。色とりどりの花とそのむせかえるような香りを湛え、全てを受け入れるその場所は目の奥から段々と薄く薄くなって最後には蒸発するように記憶から消えた。


それは一片も残さずに、全てを包み込んで、何もなくなった。


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