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陽④

 土日のフィオーレも、平日とは大きく姿を変える。

 平日の日中は年配の女性客が大半だった店内に、子供連れのファミリーやカップルの姿が多く見られるようになる。捌く客数はほとんど変わらないものの、子供連れは床やテーブルを汚すし、落ち着かないし、なかなか面倒だ。それでも店にとっては大事なターゲット層の一つで、ベビーカー等を置けるぐらいにテーブルの間隔は余裕を持って配置しているし、こども椅子や子供用の食器といったグッズも欠かさない。子ども連れで本格イタリアンを楽しめるというので、評判は上々のようだ。

 さらについ最近、タウン情報誌に見開き二ページで大きく特集されたせいか、目に見えて客が増えているように感じられる。元々店の評判は良いから、客は増える一方だ。捌ききれずに、ランチ終了と同時にお断りせざるを得ない客も出て来ている。

 そして何と言っても土日は、琴ちゃんと有希さんはお休みだ。俺にとっては、もしかするとこちらの方が変化の影響の度合いは大きいのかもしれない。有希さんがいないのは物足りないけれど、だからといってやる気をなくすほど無責任ではない。加えて、そうも言っていられない事情もある。

 琴ちゃんと有希さんに代わって働くのは、俺のような学生アルバイトが中心となる。

 この日のランチは最近入ったばかりのりーちゃんとモモちゃんの専門学校生二人組と、俺の三人体制だった。学年では俺の一つ下で、ペット系の専門学校に通っている仲良し三人組の内の二人。平日だけ働く琴ちゃんや有希さんとは正反対で、週末だけの勤務だ。


「りーちゃん、七番のドルチェは?」

「まだ手もつけてません。それより十二番のドリンク先に行って貰えませんか?」

「それ、さっきモモちゃん行かなかった?」

「嘘? ダブったかも。ねえ、モモちゃん。さっきのカフェラテ二つってどこ運んだか覚えてる?」

「え、カフェラテ?」


 両手にパスタの皿を載せたまま立ち止まるモモちゃんの後ろから、久坂マネージャーが珍しく苛立った声をかける。


「いいからそれ、先に持ってって。陽、八番オーダー。だいぶ待たせてるよ。ついでに十二番のドリンク確認して。りーちゃんは七番のドルチェやっちゃって」


 りーちゃんは先々週からドリンクカウンターを担当し始めたばかりだった。最初は三人一緒に入って来たはずなのだが、そのうちドリンクカウンターを教え込まれていたくーちゃんだけは水が合わなかったのか、ほんの数回ですぐに出て来なくなってしまった。そこで急遽コンバートしたのである。

 りーちゃんもモモちゃんも一生懸命の頑張り屋だ。りーちゃんはちょっと頭が弱いけれど、自覚しつつ真面目に取り組んでくれるから心強い。モモちゃんは体格が良い分、要領よく動くのは苦手なようだけれども、その分誰よりも頑張って働く。

 とはいえ、やはり毎日のように働いている乃愛や有希さん、琴ちゃんと比べると、週末だけしか来ない二人はどうしても戦力で劣る。有希さんはどんなにオーダーが立て込んでも、ダブらせたり、他から急かされたりする事なく淡々とドリンクカウンターをこなしてしまうし、琴ちゃんだって、自分が運んだ品物どころか誰がいつ何を運んだかまでちゃんと記憶するだけの視野の広さを持っている。乃愛に至ってはデシャップ係としてキッチンとの打打発矢を受け長しつつ、場合によっては自分でホールにも飛び出していくだけのバイタリティーまで持ち合わせている。あの三人に比べたら悪いけれど、どうしたっていつものようにスムーズにはいかない。 とにかく目の回るような忙しさで、息つく暇もないてんてこ舞いの状況となる。そういう時に限って、


「マネージャー、クレームのお客様が……」


 青ざめた表情でモモちゃんが戻ってきた。咄嗟に俺と久坂マネージャーは顔を見合わせた。きっと葛西社長だ。

 家族連れとカップルで賑わう店内で、目も覚めるような真っ青のツーピースを着た女性と、背中を小さく丸めて縮こまった今にも消えてしまいそうな中学生の男の子が座ったテーブルがある。女性は地元でエステや美容系のサロンを多数展開する『ロオジエ』の葛西社長だった。

 オープン直後からのリピーターで、時々こうして中学生の息子を連れてやって来るのだが、来る度に何がしかのお小言を残して行く。それでも足しげく通って来るのだから気に入っているのは間違いないのだろうけど。こういう来てもらっては困るような日に限って来てしまうのだから、ばつが悪い。


「デシャップ、代わりますか?」


 乃愛がいない今日、久坂マネージャーはデシャップという、キッチンとホールの橋渡し役のようなポジションに就いていた。オーダーをキッチンに通したり、仕上がった料理がどこのテーブルのものか采配しつつ、ちょっとした調理補助のような役目も受け持つ。誰かが代わらなければ、マネージャーは葛西社長の対応に当たる事ができない。


「悪い。すぐ戻るから」


 と言ってホールに出て行ったものの、きっとすぐは戻れないだろうと予想がついた。葛西社長にとっては、店が混雑していようが忙しかろうが、お構いなしだ。最低でも十分ぐらいは捕まってしまうだろう。


「すみません。デシャップ変わります!」


 キッチンに声を掛けたが、奥でパスタのフライパンを握るシェフは見向きもしない。出来上がった料理がいつものように速やかに運ばれて行かないので、どうやらだいぶ機嫌を損ねているようだ。


「ロマーナとクアトロ・フォルマッジ、あがったよ」


 悟さんがピッツァを載せた二つの皿をデシャップに置きながら、冷たく、


「今日はもう他にバイトいねえの? 琴ちゃんとか呼べなかったのかよ」


 と言い捨てる。俺自身も貶されているようで穴があったら入りたくなるような気分だったが、


「こっちも出来てるよ!」


 とコールドテーブル担当の健ちゃんも呼ぶ。先ほどオーダーを取った八番テーブルの前菜だった。

 今現在、ホールとして動けているのはモモちゃんたった一人だけだ。俺と二人でもいっぱいいっぱいだったのに、モモちゃん一人ではサービスしきれない。俺自身が動ければせめてもうちょっとマシだろうけど、デシャップを放り出すわけにも行かず……。

 そうこうしている内にも、焼き上がったピッツァがデシャップの上でどんどん冷めて行ってしまう。口にこそ出さないものの、シェフの苛立ちが目に見えるようだ。こういう時に限って、モモちゃんはなかなか戻ってきてくれない。何か他の客にでも捕まってしまっているのか。

 ジリジリと緊張に追いつめられ、背中を冷たい汗が流れた。

 そんな時、空気が一変した。


「おはようございまーす!」


 キッチンに響く場違いに明るい声は、乃愛のものだった。


「なんだよお前、今日入ってたの?」


「早く行けたら行くって言ってあったの。今日りーちゃんとモモちゃんしかいなかったでしょ? もっと早く来られたら良かったんだけど。デシャップ代わるよ」


 地獄に仏とはこの事だ。デシャップを乃愛に託し、すぐさまピッツァを運ぶ。ホールでは久坂マネージャーが葛西社長の隣で釘づけされている一方、モモちゃんが飲み物をひっくり返してしまった子どものケアに当たっていて、キッチン同様手詰まりになってしまったりーちゃんが自分で作ったドリンクやドルチェを泣きそうな顔で運んでいるところだった。


「りーちゃん、ゴメンな。今乃愛が来た。前菜運んだ後ですぐ来るから、二番のドリンクやっちゃって」

「乃愛さんが」


 りーちゃんは泣き笑いの表情でドリンクカウンターに戻って行った。

 前菜を取りにキッチンに戻ると、


「違いますってば。学校に課題出して来なきゃならなかったんですよ」

「そんな事言って、男にケツでも出してたんだろ。何点ですかー、なんつって」


 シェフはいつものごとく乃愛に軽妙なセクハラトーク全開で、張りつめていた空気もすっかり弛緩してしまっていた。

 ものの十分もすると、久坂マネージャーもちょうど葛西社長を送り出し、オーダーもひと段落して、ようやく元の落ち着きを取り戻す事ができた。

 まったく、今までになく追いつめられた日だった。

 ほっとすると同時に、妙に有希さんを恋しく思った自分が恥ずかしくなる。留守番の子どもじゃないんだから。

 でも……こういう時に有希さんがいてくれたらと、想像せずにはいられなかった。

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