陽⑤
りーちゃんとモモちゃんがようやく戦力になってきた頃、アルバイトがまた辞めた。
一人は半年ぐらい働いていたフリーターの女性で、北海道のリゾートホテルで住み込みのアルバイトをするのだそうだ。『フィオーレ』で働く前は沖縄にいたと言うから、ある程度働いてお金を貯めては、また違う場所へ移り住むというジプシーのような生き方をしているらしい。
あと二人は俺達と同じ大学生の女の子だった。学校が忙しくて、という理由ではあったけど、前々から他に割りの良いアルバイトを探すような話をしていたから、本当かどうかは定かではない。いずれにせよ入社から三ヵ月ぐらい経ち、だいぶ慣れてきた頃だったから店にとってはかなりの痛手だった。
こうなると俺と乃愛以外はりーちゃんとモモちゃん、それから平日の日中しか入れない有希さんと琴ちゃんで店を回していかなければならない事になる。『フィオーレ』にとってはかなりの打撃だった。
「求人は出してるらしいんだけどね」
「時給安すぎるんじゃねえの」
「他と比べても極端に安いって程じゃないと思うけど。キツいって評判だからなぁ」
乃愛と二人、思わず眉間に皺が寄ってしまう。
『フィオーレ』の店の評判はかなり良い。しかし、それはあくまで利用客目線での話だ。従業員目線で言えば、悪評の方が多いのは間違いがないだろう。そのほとんどがオープン直後に噴出したらしい。
俺は当時在籍していなかったので実際に経験したわけではないが、高級でお洒落なイタリアンレストランがオープンすると聞き、『フィオーレ』のオープンに際してはかなりの数のアルバイトが集まったらしい。しかしそのほとんどが辞めてしまい、今残るオープニングスタッフは乃愛たった一人だと言うのだから、壮絶さは推して知るべしである。
今でこそ新しいアルバイトには久坂マネージャーや俺達がフォローに回れるから良いものの、当時は右も左もわからない素人の集まりだったわけで、高杉シェフ達のストレスもピークに達していた。久坂マネージャーもたった一人では、店のオペレーションだけで手一杯だった。アルバイト達は容赦なく罵倒され、叱責を受け、次々と辞めていったというのである。
今では当時のような混乱はないとはいえ、相変わらず職人肌の高杉シェフと上手くやっていくのにはそれなりにコツがいるし、キッチンの腕が良い分、サービスの側にもそれなりの技術を要求されるのは変わらない。お皿の持ち方から始まり、調理法や食材に関する最低限の知識、さらにはキッチンで飛び交うイタリア語等、覚える事は他のアルバイトよりも遥かに多く、決して割りが良いアルバイトとは言えないだろう。
「とにかく新しいバイトが入ってくれない事にはどうにもならないな。大学の学生課って、まだ求人置いてたっけ? 今度確認してみようか。あとは求人置くって言ってもなぁ……」
「それもそうだけど、一つ提案があるの」
乃愛は自信ありげに、満面の笑みを浮かべた。
「歓迎会、しなきゃ駄目じゃない?」
「歓迎会? もしかして、りーちゃんとモモちゃんの?」
俺は乃愛の提案に、首を捻った。
「そう。せっかく入って来てくれたんだし、今はあの二人に辞められるのが一番困るでしょ。歓迎会でもして、もっと仲良くなった方がいいと思うんだ。絆を深めるって言うか」
「でも、それって久坂マネージャーの仕事じゃねえの?」
「それはそうだけど、やっぱりマネージャーの立場じゃ埋めきれない溝みたいなものってあるじゃない。ここは同じ職場で働く学生アルバイト同士で、まずは懇親を深めないと」
「まぁ、確かに。そこは賛同するよ」
なんとなく腑に落ちないものを感じながらも、俺は頷いた。しかし、
「オッケー。じゃ、今度の水曜日、陽君の部屋貸してよね」
と乃愛が言い出したので、動揺を隠せなかった。
「マジかよ。俺んちでやんの? どっか飲み屋ででもやればいいじゃん」
「馬鹿ねぇ、あの子達未成年じゃない。かといってファミレスってわけにもいかないし、そう考えるとどこかで宅飲みするのが一番じゃない。ね、陽君ちでいいでしょ?」
「え? 先輩んちでやるんですか? 面白そう!」
それまでこっそり耳を傾けていたりーちゃんは、無邪気に喜んだ。勘弁してくれよ、と言いたいところだったが、まさか懇親を深めるはずの歓迎会の前の段階で、逆に険悪になる訳にも行かない。
「だって俺んち汚いぜ。そもそも参加者女ばっかりなのに、なんで男の部屋でやるんだよ。男俺一人じゃんか」
「だってりーちゃんもモモちゃんも実家からの通いだし。私の部屋でやってもいいけど、女の子ばっかり集まった女の子の部屋に来る? 陽君的にそれでもいいの?」
そう言われると返す言葉に困る。想像しただけで息詰まりそうだ。トイレにもおちおち行けやしない。
「まさか参加しないなんて言わないよね?」
そもそもだったら女だけでやればいい話で……と喉元まで出かかった俺を先回りするように、乃愛が耳打ちする。キラキラと目を輝かせるりーちゃんの手前、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「もし片付けるの大変なら、私先に行って掃除手伝いますよ」
「ありがたいけど、そこは流石に自分で片づけるよ」
反社的にりーちゃんの申し出を断ったつもりが、見逃す乃愛ではなかった。
「じゃ、陽君の家で決定ね」
結局押し切られる形で、なぜか俺の部屋でりーちゃんとモモちゃんの歓迎会を開催する事になってしまったのである。